第52回農民文学賞の最終候補作品決まる
第52回農民文学賞(日本農民文学会主催)の最終候補は次の通り。
《小説の部》秋本朔「枯野を回る」/森厚「タカラ」/田村想野「農家記念日」/勝本吉伸「白い手袋」。
《詩の部》山脇知之「里山の冬」/鹿島茂「山麗の村」。
第52回農民文学賞(日本農民文学会主催)の最終候補は次の通り。
《小説の部》秋本朔「枯野を回る」/森厚「タカラ」/田村想野「農家記念日」/勝本吉伸「白い手袋」。
《詩の部》山脇知之「里山の冬」/鹿島茂「山麗の村」。
「静かな日常 揺れる内面」「現実的な世界、生々しく鋭く」
津村記久子氏 芥川賞作家の津村記久子氏(31)が受賞第1作「とにかくうちに帰ります」(新潮)を書いている。暴風雨の金曜の夕刻、〈埋立洲〉のオフィス街を巡る、おそらく「最終」の循環バスに乗り遅れ、〈本土〉の鉄道駅までの足を奪われた人々。バスが動いている場所を目指してたまたま一緒になった2人連れの2組が、ひたすら歩く。
1組は別れた妻が育てる3歳の息子とあす会う約束がある35歳のサラリーマンと、塾帰りの小5の少年。もう1組は、会社の内勤の女性と営業部の1年後輩の男。孤絶した埋立洲からずぶ濡(ぬ)れで帰路をたどる「非日常」の時間の中で、とぎれがちな会話と、険しい自然の表情を見せる埋立洲の風景と、体温を奪われ消耗して大きくなる「家に帰りたい」という渇望が描かれる。やがて物語の焦点となるのが、元妻の再婚にめどが立ち、引き取られた息子の行く末を案ずるサラリーマン。この作家特有の細部への視線と生活者のたくましさは、本作でも坊主頭の5年生の、妙に大人びた物言いと存在感に生きている。大人を励まし、大人の世界の困難さを相対化する子ども。芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」で、女性主人公の家に転がり込んだ友人が連れていた、幼い娘のことを思い出した。
津村氏は「ポトスライム――」について〈「出会わない」系の小説を書こうと思ったことが発端だった〉(文学界)と明かしている。〈常々、出会うことの価値が謳(うた)い上げられ、さまざまな作品が「出会う」ことから始まるのに対して、でも出会うのってめちゃくちゃ運が良くないとなあ、と考えていた〉。ドラマなどによくある幸運な偶然の出会いは、現実ではめったにない。あくまで生活感覚と日常の実感から書いている作家らしい言葉だが、絲山秋子氏(42)の新作「妻の超然」(新潮)もまた、日常の手触りが生々しい作品だ。
浮気を感づかれていることを疑いもしない5歳年下の夫。不満を爆発させるでもなく、静かな憎しみと居心地の悪さの中にいる48歳の妻。結婚10年目のすれ違いの機微を、小田原の街を背景に描き出す。妻はストーカーにつきまとわれたり、実家に帰ったり、動物園の象に話しかけたりするが、決定的なことは何一つ起きていない。それでも内面は動いている。やがて訪れる「回復」までをとらえる、無駄をそぎ落とした描写は、切れ味鋭い。
川崎徹氏(61)「傘と長靴」(群像)は、公園で捨て猫の餌付けをする初老の男の現在と回想。10年猫の世話を続け、60匹余を看(み)とってきた男に、8年前に亡くなった父の記憶、少年のころ雨の日に傘と長靴を持って駅まで父を迎えに行った思い出がよぎる。改札で鳴り続けていた切符を切る鋏(はさみ)の音、家から駅までの坂を下りきる手前にあった映画館、ほとんど狂いなく反復された勤め人である父の生活時間。昭和30年代の東京にあった家族の消滅を見通す視線には、猫の生死を見守るのと同質の、深い静けさが流れていた。
このほかでは、長嶋有氏(36)「戒名」(群像)。祖父母を介護しながら引きこもる弟、祖母が自らつけた戒名に文字数が足りないと判明し、すでに刻んでしまった墓石に「 }」の記号で文字を足すことを提案するのんきな古道具屋の父。長女の視点から語られる、ちょっと風変わりな家族の物語は、「佐渡の三人」(文学界07年1月号)に続いて好調だ。
戌井昭人氏(37)「まずいスープ」(新潮)は、「サウナ行ってくる」と出たきり帰らない父を中心に、これまた奇妙な家族の姿を描く。〈なにをしでかすかわからない〉父の自由人ぶり、逸脱の激しさは、作り事ではこうは書けないのでは、と思わせる迫力がある。語り口もテンポよく、巧みだ。藤野可織氏(29)「いけにえ」(すばる)は、地方都市の小さな美術館でボランティアの監視員をする56歳の主婦が、絵の裏に出入りする〈悪魔〉を捕らえる幻想的な内容。いかにも平凡で鈍そうな中年太りの女性が、こともなげに〈悪魔〉とかかわり合う展開には不気味さと意外性があった。(09年2月26日 読売新聞)
ポプラ社の昨年1月から12月末までの売上高は前年比5.03%増。3月期決算でも「同5~6%増で増収の見通し。3月12日には『この人を見よ! 歴史をつくった人びと伝』で全20巻を発売。初版は各巻1万部。約2000書店に配本する。
本欄2月19日の、09年2月18日 読売新聞・佐藤憲一記者の記事について、 Lydwineさんより、下記のような投稿をいただきました。
『きわめて有名なところでは、藤子不二夫Aによる「まんが道」があり、永島慎二の「漫画家残酷物語」も伝説的なマンガと言えましょう。吾妻ひでおの「失踪日記」なども、彼自身の体験に基づくマンガです。
また、江口寿史と親交の篤いよしもとよしとものデビュー作「日刊 吉本良明」というマンガは、私小説四コマとも言われました。
最近でも、福満しげゆきや青野春秋といったマンガ家の作品などは、私小説を連想させます。
あるいは、女性で山田花子というひとがいましたが、彼女の作品も、私小説的な要素が濃くあったと思います。念のためですが、山田花子といっても吉本の芸人とは別人であり、自殺によって亡くなっています。
女性では、やまだ紫という方のマンガも、すべてではなにせよ、多くの作品が、私マンガといってもよいかもしれません』
多少はあるとは感じていましたが、ひとつの流れになっているようです。知りませんでした。
じつは会員の作品発表場にしている関連サイト「詩人回廊・伊藤昭一の庭番小屋」では、東浩紀+桜坂洋「キャラクター」の評論を連載中だが、そこで作中の
『それらふたつは、歴史的な連続性なしに、ある日突然日本人に植えつけられたものなのだ。この国は、近代に政治、経済、軍隊、文学等々をヨーロッパから輸入しただけでは飽きたらず、百年以上たっても独自の文化を構築できないで、いままたシュミラークルとしての城塞都市を輸入しようとしているのだった』
に対し、『自分は、日本文学について、その導入経過は西欧式リアリズムの輸入であったが、日本の私小説は、それなりに風土に根ざした西欧にない独自のジャンルを形成していると思う。ここでの東浩紀は、従来の文芸評論的発想のひとつを紹介しているだけであろうから、それほど深く考えるほどのものではない。ありふれた理屈だ。また、導入の過程が悪いから現在が良くないというのも、理屈に合わない。』と反論らしきものを述べているが、「私小説」が世界的なジャンルになるであろうという方向づけに、Lydwineさんの投稿は参考になります。
ちなみにこの評論は、出来れば小冊子にして、5月蒲田の「文学フリマ」で販売したいと当会の参加申し込みをしてある。前回のフリマで東氏に会ったときに「キャラクター」を評論できますよ」と伝えたら「やってください」ということだったので、東氏にも送ろうと思う。あくまで、つもりだけど。
同時に「詩人回廊」の作品をジャンル別にして「文学フリマ」で販売したいと思っている。
この度 弊社で企画・制作致します舞台、『中也が愛した女』 のご案内をさせて頂きたく、関心を持っていただければと、投稿いたしました。(「中也が愛した女」事務局)
(「中也が愛した女」のサイト)
期間=4月15日(水)~19日(日)。場所=赤坂RED/THEATER。作・演出: 古城十忍。
CAST:山田キヌヲ、池上リョヲマ、溝渕隆之介。■料金=全席指定 4,000円。学生 2,500円(要学生証)。
(「詩人回廊」「中原中也の庭」へのコメントから転載)
《メモ》中原中也は、評論家の小林秀雄(1902年~1983)に恋人の長谷川泰子を、奪いとられた。小林秀雄に心酔していた秋山駿氏は、「長谷川泰子さんと対談したとき、なぜ、中原中也から小林秀雄へと走ったのか、と訊いてみた。明言されなかったが、私には分ることがあった。まず、小林は好男子であった。いまも写真が映す鋭気のあの顔。それに知的には、時代の最尖端を行くハイカラ者であった」と語っている。
小説では「私小説」が、存在しているが、まんがの世界でも「私漫画」が出そうだ。日本文学の特殊性は、根本に実生活との関連を求める風土に根ざしているのかもしれない。
【マンガ50年】ギャグは爆発する(2)より
奇人ぞろいのプロ野球球団パイレーツ。熱血野球を目指し入団したルーキー富士一平は、チームメートの陰謀でギャグの魔の手に引きずり込まれていく――。
1977年、当時21歳の江口寿史(52)は集英社の「週刊少年ジャンプ」で初連載「すすめ!!パイレーツ」をスタートさせた。「山上たつひこさんがビッグバンをおこし、ギャグマンガの最盛期だった。ギャグマンガ家の存在自体が格好良かった」。江口自身もまたギャグの魔の手に魅せられたルーキーだった。
「好きなものをカタログ的に全部ぶちこんだ」世界は、スポコンマンガ、ヤクザ映画、SFなどめまぐるしく脱線する。少女マンガのようなおしゃれな絵、ポップな感性は、「週刊少年チャンピオン」で半年前、鴨川つばめが始めた「マカロニほうれん荘」(77~79年)の人気と双璧(そうへき)をなした。
鴨川は1歳年下。「先にデビューされ焦ったし、世代的にギャグの感覚も近かった」と江口。前年に男性ファッション誌「ポパイ」が創刊された。豊かな時代に育った作家たちが、若者文化と併走する新たなギャグを切り開いた。
「マカロニ」の初代担当編集者だった阿久津邦彦は、「鴨川さんは寂しがりやで優しい人だった。その生き方が『マカロニ』のギャグの根底にある」と語る。
だが、純粋な鴨川はギャグを週刊連載する過酷さに耐えられなかった。インタビュー集「消えたマンガ家」によると、一時、対人恐怖症になり職を転々としたという。江口も「ストップ!!ひばりくん!」(81~83年)で、締め切りの苦しさを「白いワニが出る」という「狂ったふり」のギャグで表現した。江口はそのつらさを「毎週、テンションを上げ続けてヘトヘトになり、次々新しいものをという強迫観念で自家中毒みたいに疲弊していくようだった」と振り返る。
復帰してもかつての人気を取り戻せなかった鴨川に対し、青年誌に舞台を移した江口は、絵に凝りすぎて何度も連載を中断するが、「原稿が落ちる」こと自体をファンがギャグととらえ、センスや画力とともに“伝説のカリスマ”になった。「でも、原稿を落とすことを自分で芸にしたつもりはない。ギャグにされて傷ついた」と打ち明ける。
現在でも女の子を描かせたらピカイチの江口は、イラストや雑誌編集などにも手を出した。だが、あくまでギャグマンガ家であることにこだわる。「昔、赤塚不二夫さんや山上さんのギャグに出会い、救われたから」
現在、連載は月1本。春からは、デビュー当時の自分の「まんが道」を青年誌に連載する予定だ。「今までの作品はすべて人を楽しませるため描いてきた。今度は初めて自分のために描くつもり」(敬称略)(佐藤憲一)(09年2月18日 読売新聞)
優れた新鋭の現代詩に贈られる「第14回中原中也賞」(山口市主催)に14日、作家川上未映子(みえこ)さん(32)(東京)の詩集「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」が選ばれた。
受賞作は、女性の性的な身体を細部にわたって描き、痛みや快楽の感覚を観念的に描いた詩。選考委員代表の北川透氏は「従来の詩の概念をはみ出した、渦巻いて流動する語り口。新しい詩の領域が開かれた」と評価した。
川上さんは昨年、「乳と卵」で芥川賞を受賞。今回の受賞について「私にとって中也を記念する賞は、特別な意味を持つ。あらゆる批評やもくろみや分析が追いつかない詩作に精進したい」とのコメントを出した。
中原中也は山口市出身。今回は2007年12月~08年11月に刊行された詩集が対象で、184点が審査された。副賞は100万円。贈呈式は4月29日に山口市行われる。(09年2月14日 読売新聞)
《対象作品》奥泉光『神器―軍艦「橿原」殺人事件』(新潮社・上下)/小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」(文芸春秋)/田中慎哉「神様のいない日本シリーズ」(文芸春秋)/芥川賞・津村記久子「ポストスライムの船」(「群像」08年11月号)/同「アレグアとは仕事はできない」(筑摩書房)/すばる文学賞・天埜裕文「灰色猫のフィルム」(集英社)。
《対象作品》「喜びも悲しみも幾年月」北川純、「獣たちの祭」長谷川智子(以上「群獣」10号)、「表と裏と、また、その裏と」吉岡孝信(「「二十一せいき」10号)、「『文学界』」波佐間義之、「気まぐれ九州文学館」椎窓猛(以上、第七期「九州文学」4号)「書くためにすること」河内和子(「婦人文芸」86号)、「多喜二まんだら雪明かり」村上英治(「人間像」一七八号)、「駒田節子夫人を忍んで」芳ケ野玲子(「まくた」二六二号)、「会津八一とラスキン」喜多上(「銅鑼」57号)。「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ」
探偵小説作家、横溝正史(1902~1981年)の単行本未収録作を集めた『横溝正史探偵小説選』(論創社、1~3巻)が刊行された。全55編の創作の中には、3年前遺品の中から見つかった未発表原稿「霧の夜の出来事」のほか、雑誌に掲載されたまま、ファンの間でも存在が知られていなかった9編の作品が含まれている。
70年代にブームを巻き起こした横溝作品は新旧の角川文庫版が個人全集に近い形になっている。しかし、活動期間が長く、変名も使ってさまざまな雑誌に書いていただけに埋もれていた作品が多く、今回の幻の10編も2004年の最新作品リストにも記載がない。
このうち、1949年に関西のカストリ雑誌「実話奇談集」に掲載された「地獄の花嫁」は、代表作執筆期の短編。また、44年、前線兵士への慰問雑誌「陣中読物」掲載の「蝶合戦」は、のちに捕物帖、人形佐七シリーズとして発表されたものの原型だ。
全体像がつかみにくい横溝の埋もれていた作品が次々明らかになっているのは、近年のインターネットの発達も大きい。編集に協力した「『新青年』研究会」の黒田明さんは、「ネットを通して、研究者やファンの間の情報交換や図書館の蔵書の検索が楽にできるようになった。今後も新しい作品が見つかる可能性は高い」と話している。(09年2月10日 読売新聞)
「詩人回廊」「ドラゴンクエスト」作品掲載サイト。ショートショート風である。このなかにあるRPGというのはロール・プレイン・ゲームで、プレイする人がストーリーに参加できるゲームであろう。「RPG」で検索すると無料のゲームがたくさん出てくる。
この作品そのままの運びでは、前半の友人の話をもっと短くすることが考えられる。しかし、もっと長くしても面白そうで、友人の立場を長く描いて、さらに主人公の立場を長くするという設定。どちらの展開も考えられるところに、この作品のやや中途半端なところがあるように思えた。
講談社BOX 編/道場主・東浩紀 『東浩紀のゼロアカ道場 伝説の「文学フリマ」決戦』と題して第七回文学フリマのゼロアカ道場の同人誌が合本として講談社BOXからでることになった。三月に刊行予定。そこには、文学フリマに「ついてのイベントの総括コラム「文学フリマのいちばん熱い日」(望月事務局代表)の寄稿も採録されているようだ。講談社BOX刊行サイト
【「トワイライト」水木怜】
ライトノベル風のミステリーである。ジャズピアニスト上がりでバーを経営している64歳の睦夫は、若い麻美と、3度目の結婚をしている。60代になってうっかり魔がさして結婚してしまった、というノリのお話である。結局、麻美にしてみれば、それはあまりにも若気の至り、気ばかり青春時代のアーティスト爺さんと結婚したことを後悔し、何とか睦夫に死んでもらって消えて欲しいと考えるのは、図式通りである。
睦夫がいつまでも青春時代から抜けようとしない老人の面白さを、作者の若さでよくがんばって描いているが、それを読者に完全に伝わるように書けているかというと、年配の世代には難しい面がある。ところどころムラとして疵がある。しかし、同世代の者には、けっこう面白い爺さんとして読めるのかもしれない。しかし、そのキャラクターづくりにムラがないに越したことはない。その点では、筆力にやや不足がある。
では、麻美の立場で視点を変えて書いたらどうか、という仮定で考えると犯人側からの倒叙ミステリーとなるが、ネタばれしているので面白く読ませるには相当の筆力が必要。そのハードルを超えるのを避けてトリッキーにした結果とも読める。
単純な構成にして風変わりのキャラクターづくりに挑戦する意気は感じられる作品。
【「三叉路」垂水薫】
眠り病のように昼間でも眠くなってしまう更年期の主婦。車に乗っている状態で、半睡状態の独白が続く。かつてJ・ジョイスが「ユリシーズ」の前衛的小説で女性の意識の流れという手法を用いたが、その前衛的な手法が、このように今は市井の作家のなかに取り込まれている。その現実を示した証拠として、大変興味深いものがある。前衛的手法が普通になっていることに、やはり文学の世界は進化しているとみるべきだろう。
【「慶賀の客」垂水薫】
叔父に寄せる情念を綿々と述べている女性の独白体。ところがその叔父のキャラクターがはっきりしない。人格的なことを示す表現がないため、叔父にどんな魅力があって情念を燃やしているのか、それとも女性の異常な執念なのか、読みとれなかった。そして、最後にその情念をあっさり捨てる行為に読めたが、その辺もなにか納得しにくい流れであった。情念の表現に技術的に的を絞ることに手違いがあるように思えた。
発行所=〒811-0012福岡市中央区白金2-9-2、花書院。
文学フリマ事務局では、昨年5月11日に秋葉原の東京都中小企業振興会館で開催した「春の文学フリマ2008」のアンケート調査結果をまとめている。アンケート調査は「出店参加者」(回答者54人)と「来場者」(回答者87人)に分類して実施された。 (「文学フリマ」サイト)
これは「春の文学フリマ」であるが、その後の11月の開催では、ゼロアカ道場の参加者が各グループが500部をほぼ完売し、5時間で約3000部を販売するという、企画した講談社も前代未聞の結果に驚くほどであった。その意味で、平常はこのくらいという目安になると思う。
【出店者からのアンケート】
回答した人たちの性別は、女性30%、男性70%である。年代層は、16歳から65歳までで、幅広い年代層が同時に出店参加していることがわかる。
「何人で参加したか?」では、1~3人がほとんどで、なかには13人というのもあった。
同人誌即売会に対する経験度では、文学フリマしか知らない=25%。他の同人誌即売会に行ったことがある=70%。無回答=5%である。
他に行ったことのある即売会では、コミケ、コミティアがほとんどで、その他、コミックシティ、関西コミティア、創作畑、TAT-HON、ふたけっと、ぶんぶん、サンクリ、02E、みみけっと、M3、コミックライブ、SF大会コミケ、博麗神社例大祭、東京ポエケットなど。
「今後も文学フリマに参加したいか?」との設問では、次回以降も出店したい、時間があれば出店してみたい、が全員。100%が次回参加を希望していた。
「文学フリマへの参加をしたきっかけ」では、過去に出店した経験があるから=50%強。来場したことがあるから=25%。インターネットで知った=10%。その他、友人・知人からの情報、チラシでみた、何で知ったか覚えていない、などがあった。
「どれだけ売れたか?」という質問には、30冊以上売ったというグループが12組いる。その事例を挙げると次のようなものがある。カッコ内は売上金。90冊(9千円)、55冊(1万6500円)、54冊(7万8900円)、50冊(1万7500円)、50冊(2万円)、40冊(2万円)、39冊(3900円)、32冊(1万2千円)、31冊(5500円)、30冊(1万2千円)、30冊(4500円)など。
好きな作家と雑誌名に関して挙げられたのは、次の通り。カッコ内の数字は挙げた人の数。
《好きな作家》=熊谷達也、豊田徹也、小林恭三、大塚英志、乙一、伊坂幸太郎(2)、アーサー・C・クラーク、埴谷雄高、田中ロミオ、灰谷健一郎、浅井ラボ、川上稔、村上龍(2)、バルザック、浅田次郎、小野冬美、井村君江、萩原規子、仁木悦子、赤江漠、坂口安吾など。
《好きな雑誌》=「本の雑誌」、「ドラゴン・マガジン」、「新潮」、「電撃文庫」、「ダ・ビンチ」(4)、「LO」、「IKKI」、「ジャンプSQ」、「アフタヌーン」、「特撮ニュータイプ」、「近代麻雀」、「活字倶楽部」など。
【来場者からのアンケート】
回答した人たちの性別は、女性45%、男性55%である。年代層は、15歳から46歳までとなっている。
同人誌即売会に対する経験度では、「文学フリマしか知らない」と「文学フリマが初めて」という人が=45%。他の同人誌即売会に行ったことがある=55%である。
「行ったことのある即売会」では、コミケ、コミティア、サンシャイクリエイションなどが多かった。
「同人誌を買うとしたら、幾らぐらいなら買うか?」という質問では、1500円以下が圧倒的であった。
会場で買った本の数と使った金額は、「5冊以内」=47%で、使った金額は最高で3000円である。平均は900円。「6冊以上」=35%で、使った金額の最高は、1万円である。平均は2500円であった。「買わなかった」が5%。その他は無記入。
「会場で印象に残ったグループや本がどれですか?」という質問には次ぎのような結果が出た。カッコ内の数字は挙げた人の数。
《印象に残ったグループ》=NMTP、新月お茶の会(6)、ICU、NOWHERE,AZURE、天竜川&螺咲狂、AURORE、物書き同盟(2)、B-59、HEADZ/BRAINZ/VECTORS(3)、神楽同盟、零文学、左隣のラスプーチン、古い夢、山羊の木、ぱるけん、MAD TEA PAVTY、ヴィンテージミステリクラブ、西岡兄妹、小説カメラ、えらぷち、パンチライン+少女症、SKIPJACK、パクさん家、53、COCONY177OUS、ピアノ・ファイア・パブリッシング、アララギ派、筑波批評社、CHUN BEAN、アーカイブ騎士団、破滅派、詩学同人、文章向上委員会、三十両。
《印象に残った本》=「ライトノベル+フォント」、「月猫通り」(3)、「清龍五号」、「テニプリ」(2)、「CUT-CUT-CUT」、「飄々」、「漫画をめくる~」、「アラザル」(3)、「ケータイ小説レビュー」、「風の王国」、「零文学」、「文芸誌この一年」、「凡TIME」、「暮」、「猫筆屋弐」、「MAD TEA PAVTY―VOL4」、「人殺しの女の子の話」、「かいこ横丁」、「パンチライン」、「百物語」、「オタサー!」(2)、「マンガをめくる冒険」、「19NOVEMBOR」、「ナノヅキ」、「物語の根拠」、「十二ケ月」。
好きな作家と雑誌名に関して挙げられたのは、次の通り。カッコ内の数字は人数。
《好きな作家》=グレッグ・イーガン、スタニスワブレム、ルディ・ラッカー、舞城王太郎(3)、佐藤友哉(3)、横溝正史、ろくごまるに、笹本裕一、宮の沢伊織、川上弘美(2)、タニス・リー、マイクルムアコック、ポー、マンディアルグ、泉鏡花、シュペルヴィユル・ツアラ、高畑京一郎、奈須きのこ、土山しげる、桜庭一樹、大槻ケンジ、シェクスピア、古川日出男、吉田修一、福永信、小林恭三、星新一、村上龍、山本文緒、乙一(2)、秋山端人、島田雅彦、桐野夏生、江戸川乱歩、海野十三、酒見賢一、島尾敏雄、後藤明生、阿部昭、野坂昭如、森見登美彦(2)、堀江敏幸、小川洋子、筒井康隆、高村薫、古処誠二、森絵都、吉田篤敬、海棠尊、倉本由布、三角みづ紀、光瀬龍、片山憲太郎、神林長平、西尾維新、北村薫、金城一紀、エドワード・ゴーリー、J・D・サリンジャー、谷崎潤一郎、司馬遼太郎。
《好きな雑誌》=「群像」、「本の雑誌」、「月刊アフタヌーン」、「ファウスト」(2)、「文藝」(2)、「SFマガジン」、「真夜中」、「キャンキャン」、「グラマラス」、「VIVI」、「Chou Chou」、「ダ・ヴィンチ」(3)、「メフィスト」、「るしをる」、「コバルト」、「現代詩手帖」、「EDGE」、「ユリイカ」、「創」、「JUNON」、「サライ」。
《対象作品》麻生富久男「残燭」(九州文学第524~6号)が完結・栗原治人「風の音」(京浜文学第13号)・竹井律生「金剛鈴」(雑木囃子第7号)・白石すみほ「三途河の渡し賃」(文学街第257号)・長谷川侑紀「琵琶と娘」(弦第84号)・松尾富行「神社下の子供たち」(九州文学第526号)・松岡佑莉「月の石」(小説π第9号)・伊藤ふみの童話「おばさんのストーブ」(ノア第17号)
評論では、「日本未来派」(第218号)が創刊者池田克美特集・「群系」第22号が「平成二〇年間の文学」特集
特集では、「楔」第25号が「日本が好きか」特集・「うもれび」第33号が「好き・嫌い」特集・「同時代」第3次第25号が「メルヒェンとは?」特集
詩では、清水武「年輪」(時間と空間第62号)・「京浜文学」に小林多喜二鎮魂の思いを込め足す橋一仁作詞作曲「同士よ眠れ」
追悼では、「感泣亭秋報三」が小山正孝七回忌で小山特集・「コブタン」第31号が鳩沢佐美夫特集・「奏」第17号で勝呂奏筆の小川国夫に関する追悼文と著作目録・「COALSACK」第62号で長津功三良の千葉龍追悼文・「群獣」第10号が北川健・「原石」第34号が八橋一郎・「樹林」第526号が木辺弘児・「翔」第39号と「笛」第246号が谷こずえ・「塔」第647号が古川裕夫・「りんごの木」第20号が武田隆子
<発行所>「うもれび」京都市北区・「感泣亭秋報三」神奈川県川崎市・「九州文学」福岡県中間市・「楔」横浜市鶴見区・「群系」東京都江東区・「群獣」さいたま市見沼区・「京浜文学」横浜市保土ヶ谷区・「弦」名古屋市守山区・「原石」大阪市北区・「COALSACK」東京都板橋区・「時間と空間」東京都小金井市・「樹林」大阪市中央区・「翔」名古屋市緑区・「小説π」さいたま市大宮区・「奏」静岡市葵区・「雑木囃子」大阪府伊丹市・「塔」京都市左京区・「同時代」東京都豊島区・「日本未来派」東京都練馬区・「ノア」千葉県山武郡・「笛」金沢市・「文学街」東京都杉並区・「りんごの木」東京都目黒区。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)
(金巻有美記者09年2月4日 読売新聞) 読売文学賞随筆紀行部門で受賞が決まった詩人の白石かずこさん(22日午後2時56分、東京・杉並区で)=冨田大介撮影 「偉大ですばらしい詩人のことをみんなに知ってほしかったから、本当にうれしい」。おかっぱ頭に真っ赤なセーターの詩人は、心底うれしそうにほほ笑んだ。
受賞作は、西脇順三郎や富岡多惠子から、ビート詩人のギンズバーグ、南アフリカの亡命詩人クネーネ、中国の芒克まで、世界中の詩人15人との交流を生き生きと描き出した交友録。「みんな長い間お友達で、あるいは先輩として尊敬している人たち。この本で、私は後ろにいる紹介者の役なのよ」。それぞれの詩も添えられた作品を、選考委員の池澤夏樹氏は「贅沢(ぜいたく)なアンソロジー」と評価した。
世界を飛び回り、国境や人種のへだてなく友達づきあいをする。それは、自身が“ボーダーレス”な存在だったからだろう。
カナダ・バンクーバーで生まれ、7歳のとき帰国。やがて戦争が始まり、疎開先ではいじめにあった。終戦後、14歳のときにボードレールの「悪の華」と萩原朔太郎の「月に吠える」に出会い、17歳で田村隆一の詩の中の<地球はザラザラしている!>という一行に感激。北園克衛の詩のグループ「VOU」に参加し、早大在学中に、<青いレタスの淵で休んでると/卵がふってくる>という書き出しで始まる初の詩集『卵のふる街』を刊行した。
卒業、結婚を経て詩と遠ざかっていたものの、30歳で離婚を機に再び詩を書き始めた。ジャズ演奏とともに詩を読む独特の朗読を始めたのもこの時期。奇抜なファッションや性的な言葉を使った詩で、「性詩人」と呼ばれたこともあった。
「でも、本当に偉大な人は私を受け入れてくれた」。1970年には、『聖なる淫者の季節』でH氏賞を受賞。73年に米アイオワ大の国際創作プログラムに招かれて以降、「旅人であることが日常」という日々を過ごしてきた。その姿は「現代のユリシーズ」とも呼ばれ、自身の詩にもユリシーズをモチーフにしたフレーズは多い。<彼はユリシーズであることを知らないで/たえまなく生き たえまなく死ぬ>(「真夏のユリシーズ」)
以前、ある国で「お前は何しに来た」と問われ、「私はポエトリー・プランター(詩をまく人)」と答えた。「詩は政治も主義もこえてコミュニケートできるハートの言葉。詩を通じて本当の対話ができると信じてる」と口調を強める。
つい最近も、新たに翻訳詩集が出版されたニューヨークで朗読ライブをしてきた。「私はずっと、ポエトリー・プランターを続けるんでしょうね」。喜寿を迎えてなお少女のようなまなざしが、力を帯びた。
第29回横溝正史ミステリ大賞(角川書店主催)の選考が4日行われ、大谷剛史(たけし)さん(34)の「ディオニス死すべし」が大賞(賞金400万円)とテレビ東京賞(同100万円)に、優秀賞(同30万円)には福田政雄さん(39)の「僕と『彼女』の首なし死体」が選ばれた。大谷さんは三重県伊勢市在住。福田さんは神奈川県相模原市在住。
著者来店(石田汗太記者09年2月3日 読売新聞) ナイフのように虚空を切り裂く裸の両足。表紙からして不穏な気配に満ちた、スキャンダラスな小説だ。35歳の脚本家・高遠(たかとお)奈津が、6人の男との遍歴を通じ、自らの性の極みを見つめようとする。2年半ぶりのハードカバー長編は、「村山由佳=ピュアな純愛小説」という等式を粉々に打ち砕く強烈な一撃だ。
「これまでの自分のイメージが白やブルーだとすれば、今回初めて『黒ムラヤマ』を思いっきり出しました」
創作をめぐり夫と衝突した奈津は、別の男と恋に落ち、楽園のような田舎暮らしを捨てて出奔する。3年前に千葉・鴨川から東京に移った作家をどうしても重ねたくなるが、「それも虚構のたくらみ。この作品では私自身の『強すぎる性欲への罪悪感』という問題を徹底的に検証したかったので、自分からかけ離れた主人公で逃げたくなかった」。
レノンとヨーコのアルバムに触発されたタイトルは、どれほど愛し合っても別々の幻想を見ている男と女を暗示する。最後に奈津がたどり着く岸辺はさびしく切ないが、これほどドロドロの肉欲を描きながらあくまで透明感を失わない筆致は、作家自身の大きな脱皮を感じさせる。「黒って、本当はすがすがしくてきれいな色なんですよ」(文芸春秋、1695円)
『文學界』「同人雑誌評」終了について、『視点』第70号の大類秀志「同人雑誌は永遠に不滅です」・『雲』通巻130号の新美守弘「続・葉山修平の世界(十)-『美の使途』について」に言及。
『群系』第22号「《特集》平成二〇年間の文学」で野寄勉「西村賢太の慊さ」など20編とアンケートから、野口存彌「太宰治と菊田義孝-文学と宗教を問う人」・安宅夏夫「夢二ゆかり-竹久野生の個展を見て」
『琅』21号より小沢芳治「二〇〇八年 二大記者と四〇年目の夏」・『セコイア』33号より吉川仁「回国の岸辺の眼(Ⅷ)-終章エビック調・シベリアの悲劇(承前)」・『作文』第197号より秋原勝二「満州時代の『作文』(16)-私のみたその背後地②」・『Pegada(ペガーダ)』8号より小泉敦「『明暗』という巨大迷路(二)」・『文芸復興』第19号(通巻119号)より上原アイ「幼院(すてごやくしょ)-十八世紀末ロシアの『ゆりかご』-」・『季節風』第106号より花村守隆「風物 うみ」・『街道』第13号より木下径子「曲がり角」・『文学街』第13号(通巻256号)より間宮武「渋団扇」・『なんじゃもんじゃ』より小川禾人「一瞬の空」・『文芸静岡』第78号は高杉一郎、小川国夫、赤堀碧露への追悼文10編を掲載また《特集「日記」》として竹腰幸夫「中島敦の恋歌」など16編・『飛火』第37号の中原好文(1935~2007年)の追悼号より新庄盈生「『ジッドの日記』再刊行と中原さん」
「視点」東京都多摩市・「雲」東京都千代田区・「群系」東京都江東区・「琅」東京都八王子市・「セコイア」埼玉県狭山市・「作文」神奈川県逗子市・「Pegada」神奈川県川崎市・「文芸復興」千葉県船橋市・「季節風」東京都国分寺市・「街道」東京都武蔵野市・「文学街」東京都杉並区・「なんじゃもんじゃ」千葉県富里市・「文芸静岡」静岡市・「飛火」東京都港区。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)
(山内則史記者・09年2月2日 読売新聞)冨田大介撮影 芥川賞、三島賞などの候補に再三挙げられながら賞とは無縁だった。「『新人』と言われ続けてふと顔を上げたら、周りは若い人ばかり。そろそろ新人から独り立ちする時期だと促された気がします」と静かに語る。
受賞作が描くのは、東京のFMラジオ局での一日。300キロ上空から「ヤー・チャイカ(わたしはかもめ)」と地球に呼びかける旧ソ連の女性宇宙飛行士の声と、チェーホフの戯曲「かもめ」の言葉が響き合い、地上の出来事を見通す宇宙からの視線を感じさせる。突然妻に先立たれたラジオドラマの作家、アナウンサーに名前を覚えてもらえないADの青年、かつて青年に乱暴された女性、女性の相談に乗る雲の観測者――一見ばらばらに生きる人と人のささやかなつながりの軌跡が、遠くからの目によって少しずつ、鮮やかに浮かび上がる。「宇宙の中にぽつんと一人いるよるべなさを、センチメンタルな形でなく、小説にすることができました」
流刑地だったサハリン島を訪れたチェーホフへの関心から小説「イカロスの森」(2002年)を書いたが、盛り込めなかった「かもめ」のエピソードが受賞作で生きた。「自分の中に沈めていたものが、時間をかけて浮上して来る。自分では精いっぱいのつもりでも、この業界から見れば、書くのが遅いことになるのかな」と苦笑する。
初めて文章が活字になったのは11歳、「思想の科学」に作文が載った。同誌には後に編集委員としてかかわることになる。最初の本は24歳。同志社大在学中に宇崎竜童さんにインタビューしたのが縁で、子ども調査研究所に勤めながら「竜童組」の1年を追ったルポだった。
「世界のへりはどうなっているか」が幼時から気になり、小学5年から一人旅に出るようになった。北海道や沖縄など日本の端っこで「海の向こうに、その先がある」と実感した。「外側」へ向かう、その視線は『〈外地〉の日本語文学選』全3巻(96年)の編集や、評論『国境』(98年)に結実した。
鶴見俊輔、加藤典洋氏との共著『日米交換船』(06年)では徹底的に資料を調べた。現在は、大逆事件で処刑された大石誠之助を叔父に持つ文化学院創立者の評伝「きれいな風貌(ふうぼう) 西村伊作伝」を雑誌連載中。「調べて書く仕事も僕にとっては重要。小説とリンクしている。どんなに調べても片づかない人間の奇妙さにぶつかって、そこから考えることが膨らんでいくから」
小説を書くときは一回一回、怖さを感じるという。そこから逃げず「まっすぐ物を見る」こと。それは受賞作の登場人物たちの、世界を引き受ける姿勢にも通じているし、作家の生き方でもあるだろう。
子供を視点人物とする作品について。
松尾富行さん「神社下の子供たち」(「九州文学」第7期4号、福岡県中間市)・森川偉男さん「どこかで」(「竜舌蘭」175号、宮崎市)
「竜舌蘭」は70周年記念号。松本道介さんなど同人外も含め文章が寄せられている。掲載小説は他に足立正男さん「揺らぎ」・鮒田トトさん「ベロニカベルシカ」
「火山地帯」156号(鹿児島県鹿屋市)では田胡吉郎さんの連載「ヘンリー・ライクロフトとの対話」が完結。島比呂志さん「熊」(昭和35年12月号「新潮」に同人雑誌推薦作として掲載)を再掲載。
「九州文学」は新人特集として、山下濶子さん「指」・たぢからこんさん「洞窟」・木村咲さん「水飲み場にて」を掲載。
「叙説」第3期3号(花書院、福岡市)は遠藤周作特集。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)
ハーグ事件などで懲役20年の判決を受けて控訴中の元日本赤軍最高幹部の重信房子さんが、昨年末に獄中において大腸がんが発見され、近いうちに手術をすることがわかった。
重信氏は、「重信房子さんを支える会(関西)」の会報「さわさわ」6号に、新年挨拶文を寄稿。その中で、今年は変化の年となるとし、「また、去年の師走に腸に腫瘍が発見され手術からスタートの新年です」と、がんの告知を受けたことを明らかにしている。
「さわさわ」6号では、発行者の森本忠紀さんも、重信さんの病状について「腸内視鏡検査により、4センチ大のものが二箇所にあって、進行性の大腸がんとの診断が下され、早期の手術が予定されています」と記している。重信氏の身は、すでに警察病院に転送されているらしい。一説には手術は2月3日ではないか、という話もされている。4センチ大というと、これはかなりの大病と見たほうがよいのでないか。
以下、PJニュースより
重信房子さん、がんの手術へ 「変革の意志を強く持てば、希望が育つ」の言葉も=東京
ここで、重信氏の挨拶に「昔の反省を込めて戦術でなく、思想のラジカルさを心に」とあるのは、理想をもとに政治のあり方を変えるつもりであったのに、闘争手段、戦術にこだわったことへの総括(当初は、その意議をまとめて、さらに反省する意味があった)があると読み取れる。
当時の日本の政治対決は、日本国内だけでとらえていたのを、新左翼はアジアを含めた国際的関係からの視点をもつことに全共闘の延長線上からの脱出、論理的な新しさ、時代をとらえたと意義を見出したのであろう。当時は、突拍子もない発想と受け取られたが、現在のパレスチナ人は当時と大して変わっていない。
しかし、日本では週休2日制の導入が、大企業から中小企業に広まり始め、労働制生産性の向上が労働者の労働力の再生産から、さらに余暇を産むまでになった、という経済社会と文化にじわじわと変革が起きていたのである。
同時に、大企業労組の幹部が自家用のヨットを持つようなブルジョワ化が起きていた。
(講談社BOOK倶楽部メール09年2月1日号)
そうだ自分は「出会わない系」の小説が書きたかったのだ、といろいろなところでの受賞感想エッセイを五本書いたところでやっと思い出しました。
「出会う」ことの難しさに疲弊するのもいいけれど、既知の人々や、自分の生活を見つめ直して、思わぬものを発見しながら楽し過ごすのもいいのでは ないか。そう思ってこの小説を書いたのでした。
「出会え」と訴求されることの重圧にへとへとになった時にでも、ああこういうゆるさもあるか、と楽になっていただければとても嬉しいです。 そしてそうでない皆さんも、どうかお付き合いくだされば幸いです。(津村記久子)
最近のコメント