読売文学賞の人(1) 小説賞「かもめの日」 黒川創(そう)さん(47)まっすぐ物を見る姿勢
(山内則史記者・09年2月2日 読売新聞)冨田大介撮影 芥川賞、三島賞などの候補に再三挙げられながら賞とは無縁だった。「『新人』と言われ続けてふと顔を上げたら、周りは若い人ばかり。そろそろ新人から独り立ちする時期だと促された気がします」と静かに語る。
受賞作が描くのは、東京のFMラジオ局での一日。300キロ上空から「ヤー・チャイカ(わたしはかもめ)」と地球に呼びかける旧ソ連の女性宇宙飛行士の声と、チェーホフの戯曲「かもめ」の言葉が響き合い、地上の出来事を見通す宇宙からの視線を感じさせる。突然妻に先立たれたラジオドラマの作家、アナウンサーに名前を覚えてもらえないADの青年、かつて青年に乱暴された女性、女性の相談に乗る雲の観測者――一見ばらばらに生きる人と人のささやかなつながりの軌跡が、遠くからの目によって少しずつ、鮮やかに浮かび上がる。「宇宙の中にぽつんと一人いるよるべなさを、センチメンタルな形でなく、小説にすることができました」
流刑地だったサハリン島を訪れたチェーホフへの関心から小説「イカロスの森」(2002年)を書いたが、盛り込めなかった「かもめ」のエピソードが受賞作で生きた。「自分の中に沈めていたものが、時間をかけて浮上して来る。自分では精いっぱいのつもりでも、この業界から見れば、書くのが遅いことになるのかな」と苦笑する。
初めて文章が活字になったのは11歳、「思想の科学」に作文が載った。同誌には後に編集委員としてかかわることになる。最初の本は24歳。同志社大在学中に宇崎竜童さんにインタビューしたのが縁で、子ども調査研究所に勤めながら「竜童組」の1年を追ったルポだった。
「世界のへりはどうなっているか」が幼時から気になり、小学5年から一人旅に出るようになった。北海道や沖縄など日本の端っこで「海の向こうに、その先がある」と実感した。「外側」へ向かう、その視線は『〈外地〉の日本語文学選』全3巻(96年)の編集や、評論『国境』(98年)に結実した。
鶴見俊輔、加藤典洋氏との共著『日米交換船』(06年)では徹底的に資料を調べた。現在は、大逆事件で処刑された大石誠之助を叔父に持つ文化学院創立者の評伝「きれいな風貌(ふうぼう) 西村伊作伝」を雑誌連載中。「調べて書く仕事も僕にとっては重要。小説とリンクしている。どんなに調べても片づかない人間の奇妙さにぶつかって、そこから考えることが膨らんでいくから」
小説を書くときは一回一回、怖さを感じるという。そこから逃げず「まっすぐ物を見る」こと。それは受賞作の登場人物たちの、世界を引き受ける姿勢にも通じているし、作家の生き方でもあるだろう。
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