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2009年2月26日 (木)

<文学2月>(2月26日 読売新聞・山内則史記者)

「静かな日常 揺れる内面」「現実的な世界、生々しく鋭く」
津村記久子氏 芥川賞作家の津村記久子氏(31)が受賞第1作「とにかくうちに帰ります」(新潮)を書いている。暴風雨の金曜の夕刻、〈埋立洲〉のオフィス街を巡る、おそらく「最終」の循環バスに乗り遅れ、〈本土〉の鉄道駅までの足を奪われた人々。バスが動いている場所を目指してたまたま一緒になった2人連れの2組が、ひたすら歩く。
 1組は別れた妻が育てる3歳の息子とあす会う約束がある35歳のサラリーマンと、塾帰りの小5の少年。もう1組は、会社の内勤の女性と営業部の1年後輩の男。孤絶した埋立洲からずぶ濡(ぬ)れで帰路をたどる「非日常」の時間の中で、とぎれがちな会話と、険しい自然の表情を見せる埋立洲の風景と、体温を奪われ消耗して大きくなる「家に帰りたい」という渇望が描かれる。やがて物語の焦点となるのが、元妻の再婚にめどが立ち、引き取られた息子の行く末を案ずるサラリーマン。この作家特有の細部への視線と生活者のたくましさは、本作でも坊主頭の5年生の、妙に大人びた物言いと存在感に生きている。大人を励まし、大人の世界の困難さを相対化する子ども。芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」で、女性主人公の家に転がり込んだ友人が連れていた、幼い娘のことを思い出した。
 津村氏は「ポトスライム――」について〈「出会わない」系の小説を書こうと思ったことが発端だった〉(文学界)と明かしている。〈常々、出会うことの価値が謳(うた)い上げられ、さまざまな作品が「出会う」ことから始まるのに対して、でも出会うのってめちゃくちゃ運が良くないとなあ、と考えていた〉。ドラマなどによくある幸運な偶然の出会いは、現実ではめったにない。あくまで生活感覚と日常の実感から書いている作家らしい言葉だが、絲山秋子氏(42)の新作「妻の超然」(新潮)もまた、日常の手触りが生々しい作品だ。
 浮気を感づかれていることを疑いもしない5歳年下の夫。不満を爆発させるでもなく、静かな憎しみと居心地の悪さの中にいる48歳の妻。結婚10年目のすれ違いの機微を、小田原の街を背景に描き出す。妻はストーカーにつきまとわれたり、実家に帰ったり、動物園の象に話しかけたりするが、決定的なことは何一つ起きていない。それでも内面は動いている。やがて訪れる「回復」までをとらえる、無駄をそぎ落とした描写は、切れ味鋭い。
 川崎徹氏(61)「傘と長靴」(群像)は、公園で捨て猫の餌付けをする初老の男の現在と回想。10年猫の世話を続け、60匹余を看(み)とってきた男に、8年前に亡くなった父の記憶、少年のころ雨の日に傘と長靴を持って駅まで父を迎えに行った思い出がよぎる。改札で鳴り続けていた切符を切る鋏(はさみ)の音、家から駅までの坂を下りきる手前にあった映画館、ほとんど狂いなく反復された勤め人である父の生活時間。昭和30年代の東京にあった家族の消滅を見通す視線には、猫の生死を見守るのと同質の、深い静けさが流れていた。
 このほかでは、長嶋有氏(36)「戒名」(群像)。祖父母を介護しながら引きこもる弟、祖母が自らつけた戒名に文字数が足りないと判明し、すでに刻んでしまった墓石に「 }」の記号で文字を足すことを提案するのんきな古道具屋の父。長女の視点から語られる、ちょっと風変わりな家族の物語は、「佐渡の三人」(文学界07年1月号)に続いて好調だ。
 戌井昭人氏(37)「まずいスープ」(新潮)は、「サウナ行ってくる」と出たきり帰らない父を中心に、これまた奇妙な家族の姿を描く。〈なにをしでかすかわからない〉父の自由人ぶり、逸脱の激しさは、作り事ではこうは書けないのでは、と思わせる迫力がある。語り口もテンポよく、巧みだ。藤野可織氏(29)「いけにえ」(すばる)は、地方都市の小さな美術館でボランティアの監視員をする56歳の主婦が、絵の裏に出入りする〈悪魔〉を捕らえる幻想的な内容。いかにも平凡で鈍そうな中年太りの女性が、こともなげに〈悪魔〉とかかわり合う展開には不気味さと意外性があった。(09年2月26日 読売新聞)

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