資料的な本の社会的な保存法はあるのか
ブックオフの古書買取りは、汚れて古びたところのない商業再販できるものだけを集め、古くても貴重な本はどんどん廃棄し、文化的な資料を抹殺してしまう偽善的な行為であるという意見が寄せられた。
古書店では買取りをしていても、ブックオフで断られたから持ってきたとか、図書館に寄贈しようとしたら断られたという人が本を持ち込んでくることがあるらしい。
たしかに、図書館へ行くと自由にお持ちくださいというリサイクル資料扱いがどんどん出されて、保存に限界があることがわかる。
こうなると、貴重な資料を図書館に寄付しても廃棄される可能性が強い。文芸評論家の浜賀知彦氏の話によると、駒場の日本近代文学館などはまだ保存が良いという。有名な日比谷図書館でも老朽化は進み、石原知事はそれを改修費用の出るのを嫌って、千代田区に管理を移管させようとしているが、千代田区もそれは困ると待ったをかえているようだ。作家なのだから、石原知事はオリンピックの前に図書館を改修して欲しいものだ。
結局、一部の研究家に必要な古書は、研究マニアやオタクさんの家に民間で持っていてもらうというのが、一番消失リスクがないということだ。
これは資本主義社会の採算主義のところでは、在庫で寝かすということを極端に嫌うので、どんな品物でも流通段階での保存がない傾向にある。
労働力も商品化されているので、仕事が減り在庫に費用がかかると見捨てられてしまう。それがただの商品なら簡単に捨ててもすぐに問題にはならにいが、生きている人間を商品化してると、捨てられたら生きていけないという大きな社会問題になる。
このようになる資本原理は、すでに資本論で、明らかにされている。歴史的に英国で産業革命時代に、子供まで労働力の商品として扱われていたことからはじめられている。
マルクスの理論をいうと、思想的にどうのこうのと、政治活動に結び付けて排除しようとする人が多いが、人間は利己主義であるから、それを放置するとこうなるという法則を述べているfだけと考えることができるのだ。
流通ルートの単純化は、そこが崩壊すると、すべてがなくなるので、個人個人が分散して持ったほうが良い、ということなのだ。
産業も自動車産業ばかりに集中しすぎたのだ。国は、労働力の配分を考えて政策を打つべきなのだが、いまさらそれを言っても仕方がない。
自分の著書も自分だけで保存しておくと、引越しや火事で消失するおそれがあるので、同好の士に送っておくというのは、合理的だと思う。
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