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2009年1月30日 (金)

「季刊文科」43号・同人雑誌季評=勝又浩氏&松本道介氏

この季評の同人誌送付が3冊になった=〒392-0012諏訪市四賀229-1、「季刊文科」編集部宛。
 勝又浩氏・担当「芸術論小説と老人小説」《対象作品》鈴木重生「あそびをせんとやうまれける」(「小説家」129号、国分寺市)/森岡久元「恋ヶ窪」(「別冊関學文藝」37号、西宮市)/浅田厚美「私の大島弓子論」(同)/竹内のぞみ「シングルて『負け犬』なん?」(同)/塩谷成子「思考経路」(同)/山城伊津子「なぜ怒鳴る」(「そして」6号、三浦郡葉山町)/万リー「結ばれて」(同)/藤田愛子「横須賀線」(「構想」45号、長野県東御市)/鶴田昱男「じじいのつぶやき」(同)。
 松本道介氏・担当「VIKINGの『例会記』」《対象作品》「例会記」(「VIKING」694号)。

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散文詩の紹介「あなたの毒はあたしに適合しはじめる」選 ・田中美咲

(紹介者 江 素瑛)
匂いを題材にする作品には、おおむね思い出がつきまとう。このエッセイも例外ではない。人はなぜ失ったものを捜し求めるのか、懐かしさと後ろめたさが、それかきたてるのか。日曜日の骨董市では、匂いがたちこめた思い出の市場なのだろう。
          ☆

朝私たちは時々骨董市へ行く。隣町の神社で月2回いずれも日曜日に開かれていて、骨董市はいつも静かな活気に満ちている。触るのも躊躇ってしまうほど古いものや、ぽってりとしていて、美しいガラス製品など様々なものが売られていて、どれも古い、というよりも年を重ねたと言いたくなるような毅然とした佇住まいだ。売主は初老の人がほとんどで、魚屋さんのように明るい人から佛頂面で挑むように座っている人も居る。そういった売主の顔を見ているだけでとても興味深い。
そのたくさんの骨董品の中に紛れていると、不意に懐かしい匂いがすることがある。埃っぽい、でも決して不愉快ではない匂い。物置の匂いだ、突然そう気がついた。正確に言うのなら祖父の物置の匂い。祖父の物置はそれこそ骨董品のようの物から大工道具まで所狭しと色々なものが無造作に詰め込まれていた。
幼い頃に祖父の影から恐る恐る覗いてみたあの物置の匂い。
祖父が生きて、ここにいてくれたら骨董市へ行く度思わずにはいられない。
    二人誌 「薄紫の冬桜」創刊号08年11月(三鷹&中野)より

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小泉今日子の書評・辻村深月『ロードムービー』(講談社)

 心の中にはたくさんの思いがあるのに、それを表現する手段をまだ知らなくて、もどかしかった子供時代を思い出しながら読んだ。
 「ロードムービー」「道の先」「雪の降る道」の3編にはそんなもどかしさが詰まっていた。大人の事情に振り回されている子供達が、日の暮れた街の中で途方に暮れて泣いている。上手く言葉に出来なくても、相応の振る舞いが出来なくても、子供だって大人と同じようなことを感じて生きている。まだ不器用で、まだ無力なだけだ。幼いが故にその思いは大人よりも切実で、だから読んでいて胸が苦しくなった。
 3編とも物語の最後にサプライズがある。特に「ロードムービー」のオチには「えっ?」と、思わず声にしてしまうほど驚いた。でも、そのサプライズは後から心にじんわりと効いて、ほかほかと温かくて嬉(うれ)しい気持ちにしてくれるので、どうぞ、お楽しみに。(09年1月26日 読売新聞)

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2009年1月29日 (木)

同人誌「仙台文学」73号・創刊45周年記念号(仙台市)

 創刊45周年というと、東京オリンピック前後の時代の創刊である。メンバーは大変な教養のある文人らしく、伝統と地域力をもった古式豊かな重厚さをもった創作、詩作品が粒ぞろいである。

【「落下傘花火」渡辺光昭】
 俊介は中学を卒業して、村の製剤所に勤めている。17歳である。経営者の源次郎にいつもがみがみ叱られている。俊介は、源次郎の娘、春子に思いを寄せているために我慢をしている。しかし俊介は、春子にどう想いを伝えたら良いかわからない。そこで、春子の弟に手紙を頼むと、やんちゃな弟は、学校でやる行事の落下傘花火の打ち上げで、落下傘を取ってくれたら、いうことを聞くといわれる。落下傘には景品がついているので、村人たちで奪い合いになる。その様子を描く。村の雰囲気がよく書かれている。

【「妻恋の果て」牛島富美二】
 万葉時代の防人(さきもり)を描く重厚な歴史小説である。自分は、その時代のことを良く知らないので、きっちりとした時代の生活ぶりの描写に、井上靖の作品を思い浮かべながら読みふけった。
あとで、それが「日本霊異記」の武蔵の防人に原作があるように記してある。その小説化する手際と創意は見事で、読み応えがあり、良き歴史小説として堪能できた。

【「思うは青葉城―仙台藩戊辰史譚」江田律】
 郷土史の専門家であろうか。仙台藩の運命の時代を、冷静に、しかも情熱をもって興味津々として展開している。

【「姉歯の松探訪」石川繁】
 姉歯の松が歴史的な由緒があるとは知らずに、びっくり。
 その他、詩が充実している。みな年季が入って元気。

【詩「内視鏡と図書館」金子忠政】
「文字のはらわたを探索する」人々の精神的な情景。現代詩が勢いをもっていた時代をほうふつさせる。緊張感もった詩風になにか、北川冬彦ばりの懐かしさを感じた。それに現実へのアイロニーの味を加えたところに現代的な意義がある。
【詩「遠景」色川幸子】
澄んだ筆致の情景が美しく、失われた愛の空気を描く。端正な精神が読み取れる。
【詩「赤い羽衣」笠原千衣】
 古文調であるが、赤く萌える愛の情念を激しく歌う。この取り合わせが、意外で面白い。
【詩「ただひとたびのーー」紺野惠子】
「わたしは独りで歩かねばならない」ではじまる、どうして孤独に甘んじるのか、その姿勢が受けとれる格調高い詩風。
発行所=〒981-3102仙台市泉区向陽台4-3-20、牛島方、「仙台文学の会」。

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2009年1月28日 (水)

文芸時評1月(毎日新聞1月26日)川村湊氏

タイトル=巡礼的小説/ゴミ屋敷に見る「近代日本」/戦後が失い、得たものは。
《対象作品》橋本治「巡礼」(新潮)/小林紀晴「過去をひろいに」(群像)/青山七恵「実習生豊子」(群像)/又吉栄喜「テント集落奇譚」(文学界)

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梶井基次郎「檸檬」の舞台、京都の果物店「八百卯」静かに幕

閉店した、小説「檸檬」ゆかりの京都市中京区の果物店「八百卯」 梶井基次郎の小説「檸檬(れもん)」で、主人公がレモンを買った店のモデルとして知られる京都市中京区榎木町の果物店「八百卯(やおう)」が、閉店した。
 主人公がレモンを画集の上に置く場面に登場した近くの書店「丸善」も2005年に閉店しており、小説の世界をしのぶ場所がまた一つ消えた。
 八百卯は1879年(明治12年)創業。1925年(大正14年)に発表された小説では、「私の知っていた範囲で最も好きな店であった。其処(そこ)は決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた」と書かれている。
 昨年10月に、4代目の村井義弘さん(63)が亡くなり、店を手伝ってきた親族らが閉店を決め、数日前に営業をやめたという。親族の一人は「小説の店として長い間親しんでもらった。ありがとうございました」と話している。
(09年1月27日 読売新聞)

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2009年1月27日 (火)

文芸時評<1月> (読売新聞 1月27日 )

タイトル=戦後」、何が失われたか/孤児、ゴミ屋敷に根付く記憶
 今月連載が完結した宮本輝氏(61)「骸骨(がいこつ)ビルの庭」(群像2006年6月号~)は、淀川を渡る貨物列車の音が聞こえる大阪の古いビルが舞台。昭和24年、ビル所有者の妾腹(しょうふく)の子でフィリピン群島に出征していた27歳の男が復員する。ビルに隠れていた戦災孤児を保護したことから、ここは私設の児童養護施設のようになり、男は孤児16人を成人するまで育てる。だが昭和の終わる年、孤児だった女性から幼時に性的暴行を受けたと告発され、汚辱にまみれて世を去る。
 平成6年、ビルの住人を穏便に立ち退かせて新しいマンションを建てるため、47歳の男がビルの管理人としてやってくる。故人の汚名を雪(そそ)ぎたいと願ってビルにとどまる孤児養育の補佐役だった老人をはじめ、かつて孤児だった一癖もふた癖もある面々と過ごした管理人の日記として、この小説は書かれている。
 生き延びた孤児たちの来歴が、日記に折り込まれた各人の回顧談からよみがえる。ただ生きることだけに必死だった生活の感触は、例えば馬糞(ばふん)を拾い堆肥(たいひ)を作るところから始まるビルの庭での野菜作りなどに横溢(おういつ)している。なぜ南方から帰還した男は、孤児を育てることに戦後の人生をささげたか。根本に横たわる問いは、この社会は何を失ったかという問いかけにも感じられる。温かい人間観察と重層的な語りで、作家は〈魂魄(こんぱく)〉で触れ合う人間と人間の姿を描いた。右肩上がりのモーレツな時代の中で風化した戦後の記憶が、骸骨ビルの孤児たちの中に、しっかり根を張っている。
 橋本治氏(60)が「巡礼」(新潮)で焦点を当てたのは、近隣住民に迷惑を振りまき、ワイドショーの格好の餌食になっているゴミ屋敷。この屋敷の主である男の半生と救済がつづられる。国民学校高等科1年の時に終戦を迎えた彼の戦後は、荒物屋の跡取り息子として順調に進むかに見えたが、5歳の息子を小児がんで亡くし、それを機に姑(しゅうと)と不仲だった妻が家を出たことから大きく狂い始める。その背後には、郊外に伸び拡(ひろ)がる鉄道での通勤、団地や新興住宅地の出現など、〈雪崩を打つように変わって行った〉時代の風景が、俯瞰(ふかん)するような視角から描き込まれている。大量生産・大量消費を「善」として突き進んだ社会の価値観から取り残された男。ゴミ屋敷は、物が人の欲望を上回り、暮らしの身の丈をも超えて増殖していった果ての、墓場のようでもある。
 宮本氏は骸骨ビルの管理人と同じ1947年生まれ、橋本氏は48年生まれ。世代と作品の関係は一概には言えないが、両氏が「戦後」を見据えた作品をこの時期に書いたことは、偶然の一致と言い切れないのではないだろうか。
 短編では奥泉光氏(52)「虫樹譚(たん)」(すばる)の妄想とも幻想ともつかない世界にひかれた。洗車のアルバイト学生の軽口調のモノローグ文体で、カフカ「変身」の主人公と心境を重ね合わせながら、人ならざるものに変わっていく自身の意識が吐露される。小林紀晴氏(41)「過去をひろいに」(群像)は、インドの旅で出会った人々との小さなドラマ。見て見ぬ振りをする優しさに隠された欺瞞(ぎまん)、はっきりものを言う正直さがはらむ暴力の間で揺れ動く、異郷に旅する人の繊細な視線が印象的だった。吉村萬壱氏(47)「不浄道」(群像)は、清潔さに強く縛られていた女性が、底が抜けたように不浄にまみれる壊れ方が激烈で、文章にも迫力があった。眼(め)の前の出来事にだけ弛緩(しかん)した反応を繰り返す女子大生のグダグダな日常を描く鹿島田真希氏(32)「パーティーでシシカバブ」(文学界)は、不毛な平板さがいつしかリアリティーに転じていく感覚に冴(さ)えがあった。(文化部 山内則史)(09年1月27日 読売新聞)


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「詩人回廊」解題(1)

「詩人回廊」のサイト:が少しずつ動き出した。これを開設するために、ブログの参考書「こんなに簡単 楽しいブログ」(公認ライブドア)という本を読んだ。しかし、余計なことばかり書いてあって、使いたいスタイルについての記載がない。時間がないので、作りながら使い方を知るしかないと、見切り発車。それでも、アイディアを理解する会員の参加がぼちぼち始まった。
 「詩人回廊」とした理由は、それぞれの作家・詩人の庭を作って作品を掲載し、そこを読者が自由に回廊できるという意味である。個人の庭であるから、参加者は自由に書ける。書いたものの修正は自由。一種の習作の場にもなる。
 すでに北一郎は、寸編小説を同人誌「グループ桂」に投稿する必要があり、その下書きを庭に掲載しはじめた。自分が読むだけではあるが、そこで作文の修正をしている。掲載したもの読んで、推敲したくなったのである。これを累積させてゆくと、かなりの量になるはず。それぞれの会員が利用法を工夫できる。
 それ以外は、特にこれといったメリットはない。
 同時に「編集者の庭番小屋」をつくり、そこで詩や文学についての評論を載せていくつもり。表現技術の向上に役立つものを思弁してゆく。書くひとのために、その技術を論じようということである。当面の間、読者はゼロであろう。現在のアクセス数は日に4、5人である。文学好きの人がこのコーナーに気づけば、たまに読めば良い、と考える。
 また、編集者の66歳という年令から、眼が弱くなり、画面を20分程度しかみつめていられない、という事情もあって、できるだけ短く作品をまとめる工夫をしていきたい。それが、寸編小説という名称を使い始めた理由でもある。

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身勝手、無礼なテレビメディアと独り戦う朝青龍だね

テレビメディアの無礼な取材に、朝青龍は孤独な戦いだね。場所前はそうは見えませんがとか、って、勝手に情報を捏造捻じ曲げたのがテレビ放送だよね。視聴率が取れるとなると何時間でも放送する無恥厚顔のメディア。文句をいっても仕方がないので、大衆は一歩引いてテレビを観るマイペースさが大切だね。

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2009年1月26日 (月)

同人誌「淡路島文学」(兵庫県)第3号

【「居酒屋」北原文雄】
 滝田が長年通っている居酒屋「ゆかり」。ここを舞台に、日本社会の縮図のような現象が次々と事件として出現する。女性客の語るワーキングプアの話からはじまり、70歳近い友人の牧村は女好きで、店に来た女性客を軟派することに熱をあげる。引きこもりの話題から、拉致問題や政治を論じる4人組の客、正規職員と臨時職員の格差問題が論じられる。その話の合間に滝田の亡くなった妻への罪悪感が示される。リアルな話では、このような居酒屋はないであろうが、小説であるから巧い設定になっている。そして、滝田は店にいた若者に突然、ナイフで腹を刺される。それが現在の価値観の混乱した社会の現象を捉えた表現になっている。

【「宗助の出家」望月廣次郎】
 この作品は「宗助が将来父宗玄の跡を継いで、浄願寺の坊主になることを、露骨に厭がりはじめたのは、小学四年生からだったろう」ではじまる。宗助の成長を描くことで、お寺の後継ぎをめぐる仏教界のしきたりが、詳しく描かれている。同時に、特筆すべきは、作者の宗教に関する見識が大変深いことで、仏教の教義と日常生活というものへの問題提起が、読者の胸に良く届いている。因果応報や前世の因縁についても、きちんとした思考への道を示しているのに感心させられた。
 一例をあげると、自分は武田泰淳の晩年の作「快楽」という長い小説を読んだ記憶があるが、人間存在と罪の意識を問うのに、大変難しく描いていて、良い作品だとは思ったが、あまりピンとこないところがあった。ところが、この「宗助の出家」は、素朴なようでいて、根本的な人間の課題にきちんとむきあっており、その明解さにおいて武田泰淳をしのぐものがある、とさえ思えた。

【「三十年目の遺恨」三根一乗】
 K医科大学卒業三十周年を記念するクラス会に出席、お開きの場で、同級の医師から、交流のなかで、不運に見舞われたことへの愚痴を聞くが、それが今更のように思い出されるのである。医師の世界のことはわからないが、妙に説得力と存在感に満ちた話で、惹き付けられた。

【「路上観察学」宇津木洋】
 筆者は、なんでも観察する癖があって、街のスーパーマーケットで見た人の立場に入り込む面白さ、自分を観察するコツ、孤独と他人への愛などについて、独自の経験が語られる。読んでいくと観察する境地がどんどん高められていることがわかり、大変興味深いものを感じた。
発行所=〒656-0016兵庫県州本市下内善272-2、北原方、淡路島文学同人会。

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2009年1月25日 (日)

村上春樹さんに「エルサレム賞」

 【エルサレム=三井美奈】イスラエルで「自由や社会をめぐる優れた執筆活動」に対して贈られる「エルサレム賞」の今年の受賞者が、作家の村上春樹さんに決まった。来月、エルサレムで行われる国際書籍博で、同市市長による授賞式が行われる。当地の報道によると、同賞選定委員会は授賞理由について、「村上氏は、日本と西欧文化を独自のやり方で融合させた」としている。同賞は1963年以降、書籍博にあわせて隔年与えられており、これまでにノーベル賞作家のオクタビオ・パス、フランスの著述家シモーヌ・ド・ボーボワールらが受賞している。(09年1月24日 読売新聞)

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2009年1月24日 (土)

大藪春彦賞に東山彰良さんの「路傍」

 第11回大藪春彦賞(同賞選考委員会主催)は23日、東山彰良(あきら)さん(40)の「路傍」(集英社刊)に決まった。

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「叙情と闘争」辻井喬・堤清二回顧録が最終回に

読売新聞のこの連載が最終回となった。毎週興味深く読んだ。今回は冒頭に、辻井氏に「何を書きたかったのか」と質問されたとある。そこで、何かを訴えたいわけでもなく、その意味では無目的であったとする。それこそ、これが文学・文芸的書き物である所以である。
辻井氏は、社会体制への興味として、ロシアのことに多く言及している。その点では、官僚の佐藤優氏と会い通じるものがある。
 ロシアの民衆は、資本主義社会を経験していない。しかし、レーニンやトロッキーは知識人として、資本主義を知っていた。そして革命を起こした。レーニンは「革命は、資本主義がよく浸透していない、新興国でその輪が広がる」という説を出した。革命はプロレタリアートでなくて、ブルジョワ知識人の指導から生まれていた。
 たしかに、革命には、利己主義の塊である人間を体制によって調和コントロールできるという前提とロマンがあった。
 そこで、考えてみると、辻井氏の若き日のロマンと、社会でのリアルな人間の本性との照合性を自己点検したのではないだろうか。
 自分も、高度成長経済下において、財閥系のビルに出入りし、大理石の床を踏んだ。プロタリアートの血と汗がこめられたであろう床を意識しながら、市場拡大の仕事に従事していることへの違和感があり、自分のメモを書いた記憶がある。その意味で1974年の大企業ビル爆破事件は、人間の尊厳への理想をリアルに砕いて見せたものとして、悲しいものがあった。醜いものは見たくない心理か、あまり話題にされないが。

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2009年1月23日 (金)

投資をしないで、お金でもっていると倍ちかい価値になるー

 会をはじめて9年、設備にはワープロからはじまってパソコンまで壊れて買い換えたものが5台。
 そのほか、取材資料費用にいくらかの準備金が価値でみると、パソコンが半額、データ保存用ユニットが割引と、予備費のお金の価値がどんどん上がる。倍ちかい価値になった。
 デフレスパイラルの時代は、儲けようとして金融投資すると損をするが、現金でもっていると倍になるということか。

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2009年1月20日 (火)

世界は魂の在り方見つめ 『宿屋めぐり』で野間文芸賞 町田 康さん(作家)

東京新聞「土曜訪問」(09年1月17日、中村信也記者)
 作家の町田康さん(47)が早々と野間文芸賞。数日前に選考があった芥川賞は新人賞だが、野間賞はこの世界の最高峰なのである。
 町田さんの作品は、文学に親しんでこなくてもノリノリで読める。「文学は終わった」などというインテリの苦悩を、一瞬にしてポジティブシンキングに変えてしまう。
 猫や犬が増えて熱海に引っ越した町田さん。東京に来たところを麻布十番でつかまえた。年末の受賞を振り返ってどうですか?
「選考委員の高橋源一郎さんが『自分ももっと一生懸命書こうと思った』と授賞式で言ってくれたことが、一番うれしかったですね。普通に読むと退屈な部分があるとか、難しいとか、何度も読まないと分かんねえとかでも、それを乗り越えると、いい小説だというのはある。それをどこかで読んでくれている人がいる。そして、時々賞を与えてくれる。だから食っていけなくとも書くことができる。これはありがたいことですね」
 町田さんは真っすぐこちらの目を見て語り続ける。
 受賞作『宿屋めぐり』(講談社)は、七年にわたって書き継がれた四百字で約千枚、六百ページの大長編。
 鋤名彦名(スキナヒコナ)という男の主人公が「主」の命で、大権現に刀を奉納する旅を描いている。謎のくにゅくにゅの皮に呑(の)まれ、「偽」の世界にはまりこむなど、破天荒な活劇が展開される。舞台は日本のどこなのか、いつの時代なのか分からない。
 読んでいるうち、「主」をアルジまたはヌシなどと悪い集団の頭目のように読んでいたのが、シュと読めてくる。そして宗教っぽい雰囲気も漂うなか、審問や自問自答のシーンで人間の意識がつづられていく。
 ものを考える習慣がなくとも刺激的で楽しく読める。例えばこうだ。
《コンクリートの塊が頭のなかで爆発してぎざぎざの破片が頭蓋(ずがい)骨の内側に突き刺さった。激烈な痛みと異物感。脳内出血。頭蓋骨が内側から割れる。目から銀の粒が溢(あふ)れる。その後、目から剛毛が生えてくる。目毛。》
 ちょっと激しすぎるか。ならば、これはどうか。
《咄家(はなしか)に上手も下手もなかりけりいく先々の水にあわねば。という歌を詠んだ落語家があるが、まさにその通りである。そこそこの客にはそこそこの芸をやっておけばよいのだ。》
 江戸情緒だろうか? このように、超現実も江戸も渾然(こんぜん)一体なのだ。
 町田さんは語る。
「自分の文章の形は『これぞっ』という形で固めて枠のなかで磨いていくというより、とっ散らかった方向にいって作っていきたい。『書きながら考えている』と言っていたことがありますが、十年も書き続けていると、それができなくなるんです。どうしてもうまくなっちゃう。すっきりしていていいんですが、あんまり、いい文章とか、きれいな文章とかは書きたくないという気持ちがあるんですよ。偉そうな文章を書きたくないということです」
 次々と自分の文体を壊していく。その上で自分とは何か、世界とは何かという近代文学以来の問いを、魂の在り方として見つめていく。例えば正義を行うとはどういうことか、という問題を執拗(しつよう)に語らせている。
《俺(おれ)たちの周りにはいつもこんな見せかけの義務、見せかけの試練があるが、それにかまけて人のためによいようなことをやっている身振りをして悦に入っているようではだめだ。/そんなことをしていては、本当の義務を果たせない。正しいことは自分の内側にあるのであって、それを外側に求めてはならない。》
 町田さんは言う。「信仰をもっていたことは一度もないんですが、幼いころ日本史が好きで、仏像や和尚の絵を模写していたように宗教的なものにひかれる傾向はあるかもしれません。『主』とはキリスト教的ですが、新約聖書のイメージもあれば、旧約のもある。最後には仏教的なところも出てくる。いろんなイメージの断片が入り込んでる」
 受賞作を踏まえて、今をどう観(み)ていますか。
「魂の平衡をどうやって保っていられるかだと思うんです。主人公は自分がどこに置かれているのかも、主から何をやらされているのかも分からないわけです。どうしたら、その何かを達成できるかも分からない。やっていることが正しいことなのか、悪いことなのかも分からないわけです」
 そして、どうしたら?

「どうせ分からないから適当にやろう、悪いこと、楽なことをやろう、ではなくどうせなら、自分が取りあえず正しいと思ったことを全力でやるしかないんだと思うんです。そういう人は少ないですから、逆に現実的にも何か成果につながっていくかもしれません」 

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2009年1月19日 (月)

文芸時評1月(週間読書人1月2日)栗原祐一郎氏

今年より栗原氏が、担当になっている。その見出しに「『文芸時評』の前提と方針」として、「時代の記録として望ましい印象批評的独断」とある。栗原氏は、1965年(昭和40年)生まれ。東京大学理科一類除籍。著書「<盗作>の文学史」「禁煙ファシズムと戦う」(共著)など、と同欄にある。理科系のひとが読む現代文芸作品の印象記で、作品を◎(傑作)、○(良い)、△(可もなく不可もない)、×(良くない)、という評価マークをつけている。
《対象作品》今回◎なし。○=佐藤友哉「デンデラ」(新潮)/金原ひとみ「ピアス」(文学界)//青来有一「夜の息子、眠りの兄弟」(文学界)/ステイシー・リクター「彼氏島」(群像・岸本佐和子)/瀬戸内寂聴「山姥」(新潮)/辻原登「虫王」(新潮)/町田康「二倍」(新潮)。▽=石原慎太郎「生死刻々」(文学界)/青山七恵「お上手」(同)/高橋たか子「空(そら・くう)」(群像)/川上弘美「aer」(新潮)/河野多恵子「その部屋」(群像)/桑井朋子「姥車」(すばる)/チェーホフ「ジーノチカ」(すばる、沼野充義新訳)。×=多和田葉子「おと・どけ・もの」(文学界)/玄侑宗久「塔」(文学界)/松浦寿輝「川」(群像)/青山七恵「欅の部屋」(すばる)/甘粕幸子「分水嶺の家」(すばる)/多和田葉子「ボルドーの義兄」。

 昔、団塊の世代のオーディオブームのなかで、各メーカー製品のコストパフォーマンスのレベルを専門店に評価してもらい、◎○▽のマークをつけたものがあった。「競馬式データ」とかいった。はるか昔のことで、おぼろげなものだが、結構、トラブルのタネになったという話を耳にした記憶がある。文芸作品でこんなことをするとどうなるのだろうか、今後の成り行きが注目される。この「今後の成り行きが注目される」という「成り注」文は、結末文に困ったら、これを使うことが多い。

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「田原総一郎ノンフィクション賞」を設立、「フォーラム神保町」

魚住昭、佐藤優、宮崎学氏が発起人のメディア勉強会「フォーラム神保町」が主催。講談社「現代」、集英社「PLAYBOY」などノンフィクション雑誌の休刊が相次ぐ危機に、新たな場を設置して同ジャンルをアピールしていく。あえて出版社の協力は得ず、発起人らが自費を投じて運営する方針。対象は「活字または映像表現によるノンフィクション作品」で、自薦・他薦、未発表・既発表、応募資格などをいっさい問わない。選考委員は同会発起人の3氏と田原、坂本衛氏ら。応募締切りは今年7月31日、11月末に受賞作発表と授賞式を行う。賞金は大賞100万円、佳作10万円。
フォーラム神保町「田原総一郎ノンフィクション賞」サイト

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2009年1月18日 (日)

第140回直木賞に選ばれた天童 荒太(てんどうあらた)さん(48)

「天童荒太は次の本がいつになるか分からないと、選考委員の方々が気を使ってくれたのでしょうか」。記者会見の冒頭、会場をどっと沸かせた。
 ミリオンセラー「永遠の仔(こ)」から10年。本作の執筆に7年もかかったのは、「こんな人物を、現実を生きる読者に必要だと思ってもらえるか、問い続けてきたから」。
 主人公は、全国の事故や事件の現場を訪ね、そこで死んだ見ず知らずの人を悼む青年。込めた思いは切実だ。「人の死に軽重をつければ、生きる人の命に軽重をつけることにもなる。誰の死も等しく扱う存在がいたらどうだろうか」
 松山市に生まれ、大学では演劇学を学び、卒業後は映画脚本も手がけたが、「感情をより豊かに表現できる」と小説を選んだ。勇気をくれたのは、児童虐待を扱った「永遠の仔」に共鳴した読者から、5000を超える手紙が届いたこと。自分の本を、大切な存在として心の中に置いてくれる人の多さに驚いた。
 「以来、読者が何を欲しているのか、その答えを探して書いている。だから、この受賞は、あなた方のおかげです」(文化部 村田雅幸)(09年1月16日 読売新聞)

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2009年1月17日 (土)

詩の紹介  「鞄」 井手ひとみ

(紹介者 江 素瑛)
子供の成長に欠かせない親の匂い。女の子は父親の汗の匂い、男の子なら母の乳の匂い。
体液の匂い、蒸発したら、いつまでも空気に浮遊する。時の移り変わりで、薄くなったり、濃くなったりする。大人になるためにも欠かせない親の匂い。年を取っていくとも、ますます親の匂いをすがりたくなる。
鞄の中に閉じ込められた匂いは、懐かしく変わらない時を語っている。

      ☆
       
  「鞄」    井手ひとみ

少女のころそっと父の鞄に入ってみた。それは出張で父が使った皮の大きな茶色の重い鞄だった。私はそれに入るほど小さくて、ずっと入って入られるほどには、大きすぎて、皮革の匂いがうっとりとするほどで、裏の赤い布がびろびろとなっているのがきがかりで、いつまでもここにいたいほどで。そのとき茶の間で鳴っていたのが、大きな掛け時計だった。ある日もうおとなになっていたのに、父の鞄に片足をいれてみた。鞄の中はみずたまりだった。もう捨てようと父は思っていたのだろうか。そっと引き抜いた靴下の先が濡れていた。このまえ私はもう一度鞄に入ってみた。驚いたことにするすると体がはいっていく。私が再び小さくなったのか。それとも鞄が成長しているのか、あのなつかしい革の匂い。ひだまりの匂い。鞄の中には川まで流れていてとおとおと私を運んでいくのだった。

詩集「午後の睡り」より 21世紀詩人叢書(土曜美術社出版販売)

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同人誌「獣神」第32号(埼玉県)(2)

【「銀次郎の日記~年金生活者の開始と読書」青江由紀夫】
 筆者の青江氏は、いろいろな同人誌にこの「銀次郎の日記」という同じタイトルで、副題をそのときその時の身の上に起きた変化を伝えるものにしている。
 自分もいろいろな同人誌を読むので、前に書いたことを忘れて、同じことを書いているのかもしれない。とにかく、同人誌のほとんどが面識のない未知の人の作品なので、紹介記事を書いたら、何について何を書いたか忘れてしまう。だからこそ、こうして書き残す意味があるのだが。最近の青江氏は詩歌、川柳などの創作を多く日記に入れており、文才を発揮している。童謡「鋸山のたぬきさん」もなかなか良いし、「また今日も朝陽が昇り日が暮れる 柿の葉もまた一枚落ちる  由紀夫」という歌もある。
 
【「流れ去る世界」阿部克則】
哲学的な思弁で、倫理について、考察している。人間は生まれながらにやって良いことと、悪いことを感情で判別する能力について触れている。具体例がないので、抽象的なところにとどまっているのが惜しい。

【小説「二人三脚のシュート」伊藤雄一郎】
 「節子はボールというものが嫌いだった」ではじまる。これは彼女が、少女期に見知らぬ男から、股の間にボールを挟まれいたずらをされたことが、トラウマになっているためだ。彼女は結婚し、子供が成長して結婚、孫ができる。孫は知能の発達が遅れる障害を持つ。ある日、広場で遊ばせていると、サッカー遊戯をしていた人たちのボールが、ころがってくる。すると孫がそれを蹴り帰すと素晴らしいシュウートになる。それがきっかけで孫がサッカーでまわりの人々から認められるようになった話。
「獣神」発行所=〒359-0025埼玉県所沢市上安松1107-4、伊藤方。

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2009年1月16日 (金)

同人誌「獣神」第32号(埼玉県)(1)

【小説「花の香り」澤田よし子】
 宏司は、幼い頃に継母であったが、優しくしてくれていた義母にしかられた記憶があって、花の匂いが嫌いになる。そして、子供の時に火遊びをして、それが原因で家が全焼してしまったことを思い起こす。家族は出火の原因をしらないままである。そして民子という女性と結婚する。現在と過去を語る手順が紛らわしいが、生活の様子をあれこれ描いて、一人の男の生活意識を描く。

【エッセイ「津軽の旅」野田悦基】
 作者は18歳の時に、太宰治に傾倒していた。それから50年、太宰の故郷で作品もある「津軽」の旅をする。スポーツウエアに登山靴、リュックというスタイルで、朝8時すぎに伊東駅を出て、午後3時に青森に着く。そして交通不便な小泊にある太宰記念館を訪ねる。
 現在、地域の名家であった太宰家は実質的には途絶え、縁戚が政治家になっていることや、太田治子さんは還暦を迎えていた。
 そのような情報を加えて、大変に魅力のあるエッセイである。語り手としての巧みさが、読者を惹きつける。

【エッセイ「カレンダーガール」剛子・ページ】
 英国には「ウィミンズ・インスティチュート」(WI)ダブリューアイという組織があるという。それは自発的な6800の地域社会組織をもち、20万500人のメンバーがいる。作者は東ケント支部に所属し、その活動ぶりを伝えている。多くが定年退職後の高齢者らしい。そのなかで、メンバーの50代半ばのひとが白血病で亡くなったことから、白血病の調査を始めたが資金がない。そこでメンバーの夫人たちが、ヌード写真を専門家に撮ってもらいカレンダーにした。上品に写したらしい。それが、大反響を呼び大いに売れた、とういう実話が紹介されている。たしか、海外ニュースで日本にも紹介されたエピソードである。
 当然なことながら、英国の風土がよく伝わってくる。昔は、外国人を描いて外国人らしくなく、外国を描いて外国らしくない小説などを、プロ作家でも書いていたが、最近はほとんどそのようなものは見られない。国際化が本物なってきた時代になってきたらしい。

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2009年1月15日 (木)

 第140回芥川賞に津村記久子さん…直木賞は天童荒太さん・山本兼一さん

芥川賞に選ばれた津村記久子さん(右)と、直木賞に選ばれた天童荒太さん(中央)、山本兼一さん=竹田津敦史撮影 第140回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に津村記久子さん(30)の「ポトスライムの舟」(群像十一月号)、直木賞に天童荒太さん(48)の「悼む人」(文芸春秋)と山本兼一さん(52)の「利休にたずねよ」(PHP研究所)の2作が決まった。
 津村さんは2005年にデビュー。昨年末、野間文芸新人賞を受賞。芥川賞は、連続して3回目の候補で栄冠を射止めた。受賞作は、契約社員として働く工場の低賃金を補うため仕事を掛けもちする30歳前の独身女性が主人公。
 芥川賞選考委員の宮本輝さんは「つつましやかに生活している女性たちの日々がてらいのない文章で描かれている」と評価した。
 天童さんは1960年、愛媛県生まれ。96年、「家族狩り」で山本周五郎賞。2000年に「永遠の仔(こ)」で日本推理作家協会賞を受賞。直木賞は今回で3度目の候補だった。受賞作は、人の死に軽重を付ける現代社会に、一石を投じた問題作。
 山本兼一さんは1956年、京都市生まれ。出版社、編集プロダクション勤務を経て、2004年、「火天の城」で松本清張賞。
 受賞作は、千利休がなぜ茶道を大成し、秀吉に弁明せず死を受け入れたか、秘められた恋に触れつつ描いた歴史小説。(09年1月15日 読売新聞)

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芥川賞、津村記久子さん「ポトスライムの舟」

芥川賞に決まった津村記久子さん(10日、大阪市で)=長沖真未撮影 第140回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日夜、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に津村記久子さん(30)の「ポトスライムの舟」(群像十一月号)が決まった。

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「文芸同人誌評」「週刊 読書人」(09年1月16日)白川正芳氏

《対象作品》「こしかた」片岡貞子(「丁卯」24号)、「消えた白い影」陶山竜子(「孤帆」14号)、「晴れた日には」武田久子 (「スクランブル」21号)、「続 啄木盛岡日記」西脇巽(「青森文学」77号)、「瘋癲婆日記」山西史子(「かわばた文芸」12号)、「花の自分史」飯塚マリ子、「八十の手習い」梶原陽子、「私の陸奥一人旅」松原慶子(以上「かわばた文芸」12号)、「小川国夫神社は要らない」前山隆(「紅炉草子通信」三号)、「世界」川島徹(「小説と詩と評論」三二八号)、「方牛往還記」正田吉男(「詩と真実」七一四号)、「石川浩先生のこと」天草季紅(「ES間氷季」11号)、「燃えあがる孤独」松嶋節(「文宴」一一〇号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2009年1月13日 (火)

詩の紹介 「初夏」 作者 関 中子

(紹介者 江 素瑛)
迷わないで、やさしい風、吹いておくれよ。あっという間に夢の萌える「春」は過ぎた。惜しまないで、やさしい言葉、掛けておくれよ。風は気ままな心で、吹いたり、止まったりしそうだ。私の見ている夢をこわさないで。言葉の針は蜂のひと刺し。これからの夏に、風はどこに吹くのか。季節の移ろいに、心が揺れる日本人らしい感覚をとらえて鋭い。
    ☆

初夏   関 中子

迷わないで/ やさしい風

夕暮れの後には夜が/夜の後には朝が そして昼が/ それらは迷わないから

迷わないで/ やさしい風

一言がどのように聞こえるか/ 心がいかに人を食べるか/ その食べる音のすさまじきこと

迷わないで/ やさしい風

夢がかたわらを通り過ぎてゆくのか/ 人が通り過ぎてゆくのか/ 夢を人は見る

迷わないで/ やさしい風
 
関 中子詩集「シジミ蝶のいる日々」より(09年1月「竹林館」)
(参照:「詩人回廊」「関 中子の庭」サイト)

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2009年1月12日 (月)

文芸同人誌評「讀賣新聞」西日本地域版09年1月9日夕刊・松本常彦氏

冒頭で夏目漱石の芥川龍之介と久米正雄に宛てた手紙を引用。
「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。(略)根気づくでお出でなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知ってゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか与へて呉ません。うんうん死ぬ迄押すのです。(略)何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。」
《対象作品》九州・山口の文芸同人誌から
「文芸山口」と「火山地帯」が、昨年ともに50周年記念号発行。「九州文学」が第七期として復刊。「龍舌蘭」最新号(175号)は創立70周年記念号。
「龍舌蘭」より、創刊時からの同人で現発行人である森千枝「振り返って七十年」、小説では鮒田トト「ベロニカベルシカ」。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年1月11日 (日)

資料的な本の社会的な保存法はあるのか

 ブックオフの古書買取りは、汚れて古びたところのない商業再販できるものだけを集め、古くても貴重な本はどんどん廃棄し、文化的な資料を抹殺してしまう偽善的な行為であるという意見が寄せられた。
 古書店では買取りをしていても、ブックオフで断られたから持ってきたとか、図書館に寄贈しようとしたら断られたという人が本を持ち込んでくることがあるらしい。
 たしかに、図書館へ行くと自由にお持ちくださいというリサイクル資料扱いがどんどん出されて、保存に限界があることがわかる。
 こうなると、貴重な資料を図書館に寄付しても廃棄される可能性が強い。文芸評論家の浜賀知彦氏の話によると、駒場の日本近代文学館などはまだ保存が良いという。有名な日比谷図書館でも老朽化は進み、石原知事はそれを改修費用の出るのを嫌って、千代田区に管理を移管させようとしているが、千代田区もそれは困ると待ったをかえているようだ。作家なのだから、石原知事はオリンピックの前に図書館を改修して欲しいものだ。
 結局、一部の研究家に必要な古書は、研究マニアやオタクさんの家に民間で持っていてもらうというのが、一番消失リスクがないということだ。
 これは資本主義社会の採算主義のところでは、在庫で寝かすということを極端に嫌うので、どんな品物でも流通段階での保存がない傾向にある。
 労働力も商品化されているので、仕事が減り在庫に費用がかかると見捨てられてしまう。それがただの商品なら簡単に捨ててもすぐに問題にはならにいが、生きている人間を商品化してると、捨てられたら生きていけないという大きな社会問題になる。
 このようになる資本原理は、すでに資本論で、明らかにされている。歴史的に英国で産業革命時代に、子供まで労働力の商品として扱われていたことからはじめられている。
 マルクスの理論をいうと、思想的にどうのこうのと、政治活動に結び付けて排除しようとする人が多いが、人間は利己主義であるから、それを放置するとこうなるという法則を述べているfだけと考えることができるのだ。
 流通ルートの単純化は、そこが崩壊すると、すべてがなくなるので、個人個人が分散して持ったほうが良い、ということなのだ。
 産業も自動車産業ばかりに集中しすぎたのだ。国は、労働力の配分を考えて政策を打つべきなのだが、いまさらそれを言っても仕方がない。
 自分の著書も自分だけで保存しておくと、引越しや火事で消失するおそれがあるので、同好の士に送っておくというのは、合理的だと思う。

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2009年1月10日 (土)

ブックオフ、08年は1402万人から3億9967万点を買取り

ブックオフ・コーポレーション は 1月8日、ブックオフ以外の業態も含む直営・FC店合計1065店舗で、昨年1年間での本、CD、衣料などの買取数の累計(人数は延べ)。このうち本は3億4806万点(冊)。一方の購買客数は延べ9267万人、販売点数は3億1848万点、このうち本が2億7387万点(冊)。販売不可能となり、リサイクル古紙として処分した本は1万5224トンだったという。


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第25回織田作之助賞は、玉岡かおるさんの「お家さん」が大賞

 第25回織田作之助賞の受賞作品が9日、発表された。大阪生まれの作家、織田作之助(1913~47)を顕彰するために設けられた文学賞で大賞と青春賞が選ばれた。関西にかかわる散文の文学、評論などの単行本を対象にした大賞は、作家、玉岡かおるさん(52)=兵庫県加古川市=の小説「お家さん」に決まった。

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内田麟太郎(絵本作家)さんが、町田市民文学館で、2月4日に講演会を開催

東京都町田市の「町田市民文学館」(町田市原町田4-16-17、電話042-739-3420)では、2月4日(水)午後2時~4時まで、絵本作家の内田麟太郎さんを招いて、人の心をつかむ『ことば』について語る。入場無料で、定員は100名(申し込順)で、1月13日(火)から受付を開始する。

 内田麟太郎さんは1941年、福岡県大牟田市に生まれる。父は詩人内田博。19歳の時上京、看板職人をしながら詩を書き始める。38歳より児童書を書き始め現在にいたる。作品は、絵本に「さかさまライオン」(1985年)第9回絵本にっぽん賞受賞。「がたごとがたごと」(1999年)、第5回日本絵本賞受賞。「うそつきのつき」(1996年)小学館児童出版文化賞受賞。2008年10月にシリーズ9冊目が出た「おれたちともだち!」シリーズがある。その他、児童読み物、詩集等合わせると130冊以上の著作がある。

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2009年1月 9日 (金)

大江健三郎氏、中国「21世紀年度最優秀外国小説」を受賞

 【北京=杉山祐之】中国の代表的な出版社である人民文学出版社や外国文学関係団体などが選ぶ「21世紀年度最優秀外国小説」の今年の受賞作に、大江健三郎氏の「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」が入ることが決まった。
 同出版社が7日明らかにした。今月16日に正式発表され、同日北京で行われる授賞式には大江氏も出席する予定という。
 「21世紀年度最優秀外国小説」の選考は今回が7回目で、例年6作程度が選ばれている。日本の作家が受賞するのは初めて。(09年1月7日 読売新聞)

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同人誌「楔(くさび)」第25号(横浜市)(2)

【「銀次郎の日記――年金生活も未知への冒険の一つ」青江由紀夫】
 この日記によると、作者は3日に2冊のペースで本を読みこなすことを目標にし、すでに63歳8ヶ月から、69歳1ヶ月までの5年と5ヶ月でこの実績であるという。これは読書による老人の能力開発の実験であるという。
. 青江氏の本名が川村博旨氏であることを知らされた。大学教授として、法律の商法特に会社法を専門とした、学長を13年務め、新興市場の株式上場企業の役員にもついている。その人が、専門分野以外の本を中心に1441冊まで読み進んでいるという。沢山の本を読み、沢山の文章を書き、沢山の回数を推敲する。この文筆訓練・修業の三多主義を盲進して精進努力しているのである。
 こうしたことをするのには、陳師道(ちんしどう=1053~1101、48歳没)という人の影響で、その人は詩人でもあり、「山空にして花自ら紅なり」という詩を残しているという。
 その他、自作の詩歌が中に盛り込まれている。
 作者の実践的なこの試みは、高齢化社会の日本の最大の課題に取り組むもので、意義深いような気がする。なるほど、こういう自己把握の表現もあるのか、と参考になった。その他、短歌、詩など創作力を発揮しているので、大変興味深く読めた。これまで仕事人間であったが、これから同人誌などの自分史を書いてみよう、などと思う人には、手本になるスタイルになっている。

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2009年1月 8日 (木)

文芸同志会員の作品の庭 「詩人回廊」の開設

文芸同志会員による作品発表の場「詩人回廊」開設しました。会員がそれぞれ自分の「庭」を持ちそこに作品や評論を発表します。
「詩人回廊」

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同人誌「楔(くさび)」第25号(横浜市)(1)

 本誌は、特集「日本が好きか」が組まれている。この意見を読んで、改めてどうのようにすれば、より住み良い日本になるか、もう一度考えていただきたい(赤羽文雄編集人)という企画。それぞれの実感が語られ、大変内容の濃いものになっている。
 このような企画をしたのには理由があるようだ。編集後記によると、会員が12名に減って、原稿が数本しか集まらないとある。また、人数が減ると会費や掲載料の負担が大きくなり、それがさらに原稿の集まりを悪くする。経済のデフレスパイラルのように、縮小均衡への悪循環が始まるのだ。近く会費や掲載料の見直しをするという。同じ問題は多くの同人誌に起きていることなのではないだろうか。
【「日本が好きなのだが…」赤羽文雄】
 勤勉、親切、義理人情などの国民性、豊かな自然など日本が好きな特長をあげて、不満なのは政治のリーダーシップの不在だとする。最近の日本の傾向は、あまり好きになれないようだ。
【「わたしの好きな日本」桂路石】
 いま80余年の人生をかえりみる。アメリカ、ヨーロッパ、ニュージーランドと世界を旅してきたが、それも、旅が終われば、やがてわが家へ帰れるという安堵感が心底にあるからこそ、見るもの聞くものが楽しいので、どこにも帰る場所(母国・祖国)がない、いわゆる根無し草ならば、楽しいどころか、いろいろ見学し、おいしい物を食べていても、絶えず不安につきまとわれ、旅が楽しいはずはない、とする。ただ、現代の日本が「暖衣飽食で礼節を知る」の精神と逆の方向に向かうのではないか、と危惧している。
【「私の好きな日本」高取清】
 30年ごろ前に、イギリスに居た時に、日本で2年間過ごした英国人に声をかけられ、日本人は大変素晴らしい国だ、と賞賛され厚い待遇を受けた記憶を語り、大変に日本を誇りに思った、とする。これからもそのような高い評価を受ける国にしていきたいという。
【「日本が好きか」青江由紀夫】
 函館に38年間暮らしたが、北海道にアイヌ問題があるものの、それほどの対立もなく、独立の運動もなく、紛争にならないところであるという。新興宗教としての大組織の創価学会もあるが、北海道でも東京でも幹部の人々は紳士的で友好的であるという。筆者の実家は広島で、浄土真宗西本願寺派・正満時の分家であるとする。ある程度、社会的平等が保たれ、格差は少ないほうではないかとし、年金、平和と防衛のためのしっかりした政策をとればなお良しとする。
【「私の好きな日本=鴨立沢=」衣川遊】
 筆者は、神奈川県湘南の大磯に住んでおり、そこに「こころなき身にもあはれは知られけり 鴨立つ沢の秋の夕暮れ」と詠んだ西行法師の住んだといわれる草庵「鴨立庵」があることを知る。こうした情緒豊かな地域のあるところ愛する気持を語る。
【「私は含みのある美しい日本語と桜の国で育まれた『おもてなし』の日本文化が好きだ」武田修一】
 まさにその通りのことが書かれてある。上野公園の花見に行ったところ外国人も交じって、平和な光景が繰り広げられ、日本の素晴らしさを実感したことを述べる。

【小説「赤い袋」衣川遊】
 草間の友人、小西は長い闘病の末に、しまい身を刻んでの治療を試みて亡くなる。草間はその間の小西の苦しみ、その家族の苦しみを思うと、自分の身に当てはめて夜眠れなくなる。そして医師である岡田に、いつでも、すぐ死ねる毒薬が欲しいと頼む。岡田はノイローゼだからそのようなことを言うと、相手にしない。しかし、草間はいつでも毒薬を持っていれば、安心するのだから、としつこく頼む。あまりに度重なる願いに、岡田は秘密の毒薬を渡してやる。
 その毒薬を母の形見の赤い袋に入れた草間は、それをいつ飲むべきか考え、毎日を死と向き合う日々を送る。考えに考えた末に、草間はその赤い袋を捨てる心に到達し、捨ててしまう。それから、岡田医師の渡した毒薬はただの風邪薬だったことを、読者に知らせる話。
 このように簡単な荒筋が示せるのは、短編として優れているからである。また、話の重点に草間が毒薬をもって、いろいろ思いめぐらすところにおいていて、まさに小説としてこだわって書くべきところが書かれ、余分なところは省略しており、ムダがない。その点では小説の形式を正統的に持った短編として、見本になるところがある。
「楔」同人会事務所=〒230-0063横浜市鶴見区鶴見2-1-3、鶴見大学内、前澤担当。

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桜庭一樹さん直木賞受賞1年「ファミリーポートレイト」

 作家の桜庭一樹さんが、直木賞受賞後約1年を経て、書き下ろし大作『ファミリーポートレイト』(講談社)を発表した。デビューから今年で10年。家族の絆(きずな)の不可思議さを大胆に問いかけてきた作家は、近年の急速な評価の高まりの中で何を思うのか。(佐藤憲一)
 罪を犯した母マコに連れられ逃避行を続ける少女コマコ。老人ばかりの城塞(きずな)都市や異常気象に襲われた温泉町を転々とし、生きるために必要な「物語」を発見していく――コマコの5歳から34歳までの魂の遍歴をたどる成長譚(たん)には、「名誉や財産も信じがたい今の時代には、強靱(きょうじん)な美学を持ちながら自分に確信をもてない主人公が書かれるべきだ」との思いが込められている。死んだ女性を花嫁姿で送る儀式や行進する豚の足の幻想など、南米文学を思わせるエロスと死のイメージは鮮烈だ。
 <この世の果てまでいっしょよ。呪(のろ)いのように。親子、だもの>。自堕落で奔放な母に依存するコマコ。その姿は、「家」の呪縛(じゅばく)に囚(とら)われた一族の女三代記『赤朽葉(あかくちば)家の伝説』や父と娘の禁忌の関係を描いた『私の男』など異端の家族小説の集大成ともいえる。
 「私の好きな海外文学では、罪の存在を神が見ているという恐怖が、『重さ』を作り出している。信仰の薄い日本で聖書の代わりに空洞を埋めるものは、家族じゃないかと思う」
 1999年、ライトノベルでデビュー後は、本が売れず苦しんだ時期も長かった。だが、2006年末の『赤朽葉―』で注目を浴び、背徳性が議論を呼んだ『私の男』の昨年の直木賞受賞で、一躍スターダムに躍り出た。
 「重たいテーマも抱える私の作品が、さまざまな人に読んでもらえるのは幸福です」。テレビ出演やインタビューに追われた受賞後の一年は、書く時間を生み出す戦いだったという。「読者への一番の恩返しは、いい小説を書くこと。だから小説に集中する生活を変えない努力をしてきた」
 実際、執筆のため「心を鬼にして」人との接触を断ち、修行僧のように何日も仕事場にこもった。<生きる痛みが、物語を必要とする人間……つまりは作家と読者を生むのだ><物語とは血と肉と骨の芸のことだよ。供物だよ>。新作の中の生々しい言葉は、修羅の道を進む実感なのだろうか。
 「この話を読んで恋愛小説ではないのに、恋をしたくなったという感想があって意外だった。土地や血縁を離れた、自分にとってかけがえのない関係も、これからは書いてみたい」(09年1月6日 読売新聞)

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2009年1月 7日 (水)

「文芸時評」毎日新聞西日本地域版2008年12月20日朝刊「言葉の森から」小説編<10~12月>松下博文氏

宮原敏博「会津の女」(「龍舌蘭」147号)、周防凛太郎「嘉平の遺書」(「Garance」16号)、阿倍里美「木の下、光の中」(平成20年度福岡県高文連散文部門最優秀作品・筑紫女学園高校3年)
冒頭で藤沢周平「盲目剣谺返し」の映画化「武士の一分」に触れ、文末は以下の文章で結ばれている。
「山口県宇部市で発行されている「飃」79号には地元の高校生の作品が掲載されていた。近くの中学校や高校を巻き込んで同人誌主催の文芸コンクールを実施してみたらどうだろう。何かをやってみよう。そしてひとりになっても、書きたいものを書くこと。それが物書きの一分ではないか。」
新聞の切り抜きを送ってくれた立石さんに感謝いたします。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2009年1月 5日 (月)

第140回 芥川賞、直木賞候補作決まる

 第140回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の候補作が4日発表された。初候補は芥川賞が墨谷渉さんと吉原清隆さんの2氏、直木賞が北重人さん、葉室麟さん、道尾秀介さんの3氏。選考会は15日午後5時から東京都中央区の「新喜楽」で開かれる。候補作は次の通り。(敬称略)

 【芥川賞】鹿島田真希「女の庭」(文芸秋号)▽墨谷渉「潰玉(かいぎょく)」(文学界12月号)▽田中慎弥「神様のいない日本シリーズ」(同10月号)▽津村記久子「ポトスライムの舟」(群像11月号)▽山崎ナオコーラ「手」(文学界12月号)▽吉原清隆「不正な処理」(すばる12月号)

 【直木賞】恩田陸「きのうの世界」(講談社)▽北重人「汐のなごり」(徳間書店)▽天童荒太「悼む人」(文芸春秋)▽葉室麟「いのちなりけり」(同)▽道尾秀介「カラスの親指」(講談社)▽山本兼一「利休にたずねよ」(PHP研究所)。 


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2009年1月 4日 (日)

詩の紹介    「桜」  桜井 さざえ 

(紹介者 江 素瑛)
蟻、蜘蛛、虫の生活場である朽ちた樹の皮、傷痕累々、桜の老樹が泣いている。桜の老樹の痛みは心の痛み。しかし、砍伐され泣くことも出来ない老樹よりはましです。足もとのごつごつした根っこから/ ひこばえ達が一心に両手を上げている そこに希望の芽が生えてくるのです。
        ☆
     「桜」      桜井 さざえ
樹の声に呼ばれた/ 近付き 桜の老樹により添い/ 目を閉じると/ たしかに 樹の声が聞こえた
ゆっくり 目をひらく/ 黒褐色の樹肌の/ めくれた隙間から蟻が這い出る 

朽ちた樹皮の破片がはがれ落ち/ 窪みに うっすら蜘蛛の巣/ 指で払う 仄暗い空洞に逃げこむ虫/ 樹の痛みが 胸を衝く

全身をそらし ふり仰ぐ/ 四方八方に重たく花房をかかげ/ 満開の桜が空に波立ち/ 鳥が羽ばたきながら溺れている

梢に吸いあげられ/ 乾涸びた樹皮のした/ 脈々と打つ鼓動が/ わたしの胸にひびきあう在るがままに受けいれよ/ 抱きしめよう と子に伝えよう/ 足もとのごつごつした根っこから/ ひこばえ達が一心に両手を上げている 
          [ 詩集 「倉橋島」(土曜美術出版販売)より。1996年7月 東京]

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2009年1月 3日 (土)

初詣は、大師線で「川崎大師」へ

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 京急・大師腺は、川崎大師駅は初詣の人たちばかりが利用客だった。午後は川崎駅ビルのラゾーナへ行ってのんびり過ごす。東浩記+桜坂洋著「キャラクターズ」(新潮社)の書評の仕込みでもある。小説に書いてある場所はほとんど見た。東の抽象論に桜坂は場所の風景を克明に描写することで、小説的な具体性を出そうとした、その成果を問いたいところだ。
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 帰宅して、テレビを見たら、「年越し派遣村」の人たちを、厚生労働省の講堂に泊めるという。思うに活動家たちの当初のもくろみ以上の成果なのでは、ないだろうか。官僚たちは、国民をメディア操作で思うように操れて都合が良いように仕向けるが、そうなるということは、はかの活動にもメディアが簡単に動くということなのだろうか。
(2009年の新年、川崎大師風景)

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2009年1月 2日 (金)

作家・年賀メッセージ

(講談社『BOOK倶楽部メール』 2009年1月1日号より) 
<桜庭一樹さん>
 あけましておめでとうございます! 桜庭一樹です。
 みなさんは去年はどういう年だったでしょうか? わたしは髪が妖怪のように伸びたりヘロヘロになったので、今年はマイペースで楽しく過ごしたいかなー
 とか、なんとか、考えてる年末年始であります。
 あと、家族とか友人知人とあまり会えなかったので、周りの大事な人たちとの時間を再び大事にしたいです。
 (これを書いてるのは年末なので若干ナーバスです…。急に寒いしね~…)みなさんは今年はどういった年にしたいですか?ともかく平和で、でもときどきはよい波乱に満ちてますように。 そして、お忙しいことと思いますが、ときには愛すべき俗世のことを忘れて、書物の真っ暗な世界を彷徨う時間を、どうか今年もたくさん持ってくださいますように、と新宿二丁目の隅から願っておりますー。『ファミリーポートレイト』 http://cz.kds.jp/cl/C02201000105/19/1456942/84686

<石崎洋司さん>
 昨年は講談社100周年事業の一冊として『黒魔女さんが通る!!スペシャル黒魔女さんのクリスマス』を出させていただき、シリーズ10巻目のよい記念にもなりました。
 今年は決意も新たにパワフルな11巻、12巻を書き進めます。さらには、黒魔女さんスピンオフ企画、『そのトリック、あばきます』シリーズ、世界名作の翻訳、そして YA! ENTERTAINMENTの新作など、<どしどし>書いて、子どもたちを<どしどし>楽しませ、未来の読書好きな大人を<どしどし>育てて、<大人の読書離れ>を食い止める所存です!(笑)。『黒魔女さんが通る!!スペシャル 黒魔女さんのクリスマス』 http://cz.kds.jp/cl/C02201000105/20/1456942/84686

<ロクニシコージさん>
 あけまとう。
 1月5日に『こぐまレンサ 完全版』が出ます。
 本屋に行く際は車に気をつけ、通り魔をやりすごし、株価下落を気にしつつ、
 途中でお腹が減っても蒟蒻ゼリーを一気にほおばらずに買いに行ってください。
 ボクとの約束だよ!。『こぐまレンサ 完全版』 http://cz.kds.jp/cl/C02201000105/21/1456942/84686

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2009年1月 1日 (木)

海外メディアも取材にきた!東京・日比谷公園の「年越し派遣村」

 フランスのメディアも取材に来た日比谷公園の「年越し派遣村」 
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年末年始に失業中で、生活の場がない労働者を支援する労働相談「年越し派遣村」(村長、湯浅誠・NPO自立生活サポートセンターもやい事務局長)が、12月31日~1月5日まで、日比谷公園(東京・千代田)で活動を開始した。
 これは、連合や全労連、全労協などの労働組合や、反貧困ネットワークなど約20団体が参加。炊き出しなどで食事を提供し、テントでの寝場所の確保など行っている。一般市民からのカンパや奉仕活動への支援も呼びかけている。すでに、ボランティアスタッフの登録者が200名を越え、派遣村ウェブサイト(http://hakenmura.alt-server.org/)も開設中だ。1月5日までの支援・臨時電話は(090・3499・5244)で受け付けている。
 場所が厚生労働省近くの日比谷公園ということで、支援者だけでなく、国内外のメディアが殺到し、周囲の静寂のなか、「年越し派遣村」のテント周辺は、人々で混雑していた。
 相談にきた41歳の元派遣労働者が取材を受けるというので、メディアに取り囲まれた。男性は、「このような生活支援を受けられるのは、ありがたい。生活が安定したならば、自分も社会のお役に立ちたい気持ちだ」と語っていた。
 また、労働問題で支援する棗(なつめ)一郎弁護士は、フランスのメディアに、日本の派遣労働者の現状を説明するなど、殺到するマスコミの対応に追われていた。【了】

 文芸同志会は、「市民外交センター」(ピースタックス)」や「反貧困ネットワーク」などへの協賛を行っています。
 これは主宰人が座禅修行したときに学んだ「金剛般若経」の次の経文の影響によります。
 「須菩提、菩薩は法に於いて応に住する所無くして布施を行ずべし、所詮、色に住せずして布施し声香味触法に住せずして布施せよ、須菩提、菩薩は応に是の如く布施して相に住せざるべし、何を以っての故となれば、若し菩薩相に住せずして布施するは其福徳思量すべからず」
 文芸同志会とその会員たちは、このような形により、その社会的な存在意義を主張していることにもなります。

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