文芸時評<1月> (読売新聞 1月27日 )
タイトル=戦後」、何が失われたか/孤児、ゴミ屋敷に根付く記憶
今月連載が完結した宮本輝氏(61)「骸骨(がいこつ)ビルの庭」(群像2006年6月号~)は、淀川を渡る貨物列車の音が聞こえる大阪の古いビルが舞台。昭和24年、ビル所有者の妾腹(しょうふく)の子でフィリピン群島に出征していた27歳の男が復員する。ビルに隠れていた戦災孤児を保護したことから、ここは私設の児童養護施設のようになり、男は孤児16人を成人するまで育てる。だが昭和の終わる年、孤児だった女性から幼時に性的暴行を受けたと告発され、汚辱にまみれて世を去る。
平成6年、ビルの住人を穏便に立ち退かせて新しいマンションを建てるため、47歳の男がビルの管理人としてやってくる。故人の汚名を雪(そそ)ぎたいと願ってビルにとどまる孤児養育の補佐役だった老人をはじめ、かつて孤児だった一癖もふた癖もある面々と過ごした管理人の日記として、この小説は書かれている。
生き延びた孤児たちの来歴が、日記に折り込まれた各人の回顧談からよみがえる。ただ生きることだけに必死だった生活の感触は、例えば馬糞(ばふん)を拾い堆肥(たいひ)を作るところから始まるビルの庭での野菜作りなどに横溢(おういつ)している。なぜ南方から帰還した男は、孤児を育てることに戦後の人生をささげたか。根本に横たわる問いは、この社会は何を失ったかという問いかけにも感じられる。温かい人間観察と重層的な語りで、作家は〈魂魄(こんぱく)〉で触れ合う人間と人間の姿を描いた。右肩上がりのモーレツな時代の中で風化した戦後の記憶が、骸骨ビルの孤児たちの中に、しっかり根を張っている。
橋本治氏(60)が「巡礼」(新潮)で焦点を当てたのは、近隣住民に迷惑を振りまき、ワイドショーの格好の餌食になっているゴミ屋敷。この屋敷の主である男の半生と救済がつづられる。国民学校高等科1年の時に終戦を迎えた彼の戦後は、荒物屋の跡取り息子として順調に進むかに見えたが、5歳の息子を小児がんで亡くし、それを機に姑(しゅうと)と不仲だった妻が家を出たことから大きく狂い始める。その背後には、郊外に伸び拡(ひろ)がる鉄道での通勤、団地や新興住宅地の出現など、〈雪崩を打つように変わって行った〉時代の風景が、俯瞰(ふかん)するような視角から描き込まれている。大量生産・大量消費を「善」として突き進んだ社会の価値観から取り残された男。ゴミ屋敷は、物が人の欲望を上回り、暮らしの身の丈をも超えて増殖していった果ての、墓場のようでもある。
宮本氏は骸骨ビルの管理人と同じ1947年生まれ、橋本氏は48年生まれ。世代と作品の関係は一概には言えないが、両氏が「戦後」を見据えた作品をこの時期に書いたことは、偶然の一致と言い切れないのではないだろうか。
短編では奥泉光氏(52)「虫樹譚(たん)」(すばる)の妄想とも幻想ともつかない世界にひかれた。洗車のアルバイト学生の軽口調のモノローグ文体で、カフカ「変身」の主人公と心境を重ね合わせながら、人ならざるものに変わっていく自身の意識が吐露される。小林紀晴氏(41)「過去をひろいに」(群像)は、インドの旅で出会った人々との小さなドラマ。見て見ぬ振りをする優しさに隠された欺瞞(ぎまん)、はっきりものを言う正直さがはらむ暴力の間で揺れ動く、異郷に旅する人の繊細な視線が印象的だった。吉村萬壱氏(47)「不浄道」(群像)は、清潔さに強く縛られていた女性が、底が抜けたように不浄にまみれる壊れ方が激烈で、文章にも迫力があった。眼(め)の前の出来事にだけ弛緩(しかん)した反応を繰り返す女子大生のグダグダな日常を描く鹿島田真希氏(32)「パーティーでシシカバブ」(文学界)は、不毛な平板さがいつしかリアリティーに転じていく感覚に冴(さ)えがあった。(文化部 山内則史)(09年1月27日 読売新聞)
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