孤独だが無限に自由に 『心の虚空』が原動力 片岡義男さん(作家)
【土曜訪問】(08年11月22日 東京新聞・栗原淳記者)
小説家は、どんなふうに作品のアイデアを思いつくのだろうか。片岡義男さん(68)の最近の著作を読むと、物語が生まれる瞬間に立ち会うことができる。
六月に刊行された『白い指先の小説』(毎日新聞社)は、小説を書こうとしている女性を主人公にした連作短編集。作家やフリーランスのライター、小料理屋の女将(おかみ)などさまざまな肩書の女性が、日常生活の中で物語の発端を見つける四編を収録する。主人公が構想するストーリーが並行して展開する「作中作」の仕掛けに引き込まれる。
一九七五年、現代日本の若者の感傷を疾走感みなぎる筆致で描いた「スローなブギにしてくれ」を発表、作家活動を本格スタートした。デビュー小説はそれに先立つ七三年に書いた「白い波の荒野へ」。ハワイを舞台にしたサーファーたちの物語である。
デビュー前の時代を振り返って書いたのが、前作『青年の完璧(かんぺき)な幸福』(スイッチ・パブリッシング、二〇〇七年)。時は六六-六七年。雑誌を中心に原稿を執筆しているフリーランスの男性ライターを主人公とする短編集で、主人公はいずれも小説を書こう、書かなければと思っている。「登場人物の感じや時代背景は当時をそのまま描きましたが、僕は主人公のようにはしっかりした青年ではなかった」と笑う。
一方でこの短編集には、片岡さん自身が小説を書くときに、どこに物語の発端を見つけるのかが示されている。
例えば収録作の「かつて酒場にいた女」。主人公が通うバーのママは元映画女優で、酒場にいる自分を小説に書いてと求める。そのママが、急きょ映画の世界に復帰することになった。
「それまで具体的な現実の存在だった彼女が、急にスクリーンだけに映る幻の人になってしまう。存在が遠のいて抽象化されてしまうわけです。その体験が、主人公にとっての物語の入り口になるかな、という物語ですね。彼は、彼の言葉の中にしか存在しない女性をつくり出すことができる」
女性から現実味や具体性が失われ、抽象性を帯びた虚空のイメージに変わる。記憶の中に開く風穴のような喪失感が、小説を書く原動力になる、と片岡さんは話す。
四編を読み返し、これから小説を書こうとする主人公たちはみな幸せそうだ、と感じたという。
「書くための基本的な材料は作家の頭の中にある。小説を自分一人で書き続けなければいけない。作家は孤独だけれど、たいへんな自由が与えられている。無限に自由な状態で物語をつくっていく。これは作家の特権です。自分を材料に幻の人をつくり出すわけですから、これほどぜいたくで、自由なことはない」
うらやましいほどに孤独で自由な駆け出しの小説家たち。題名の『青年の完璧な幸福』には、そんな主人公へのエールも込められている。
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