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2008年12月31日 (水)

文芸時評<12月>生死、心の機微…短編に凝縮(読売新聞12月24日)

文芸誌の新年号は、以前は新春顔見世興行の趣で、老大家から若手まで現役作家の短編がズラリと番付のように並ぶのが通例だった。そんな伝統も廃れて久しいが、遺風が少なからず残っているためだろうか、今月は短編が粒ぞろいだった。
 辻原登氏(63)「虫王」(新潮)が描くのは、コオロギ同士を闘わせる「闘蟋(とうしつ)」という遊びだ。17世紀半ばの中国は明が倒れ、清が興る激動の時代。清軍の揚州攻めで杭州へ妻子と落ちのびた明の趙参将は、亡国の屈託と、流行(はや)り病で娘を亡くした失意の中でコオロギにのめり込み、最強の一匹を育てる。その虫に託された滅ぶ側の無念と誇りが、短い物語の中に結晶している。息詰まるような虫の闘いのあと訪れる結末は、とりわけ鮮やかだ。
 石原慎太郎氏(76)「生死刻々」(文学界)は、六つの掌編からなる。その1編「おみくじ」は、肺がんになった〈彼〉の、手術の朝の小さな出来事。仕事も順調、長女は来春挙式を控える。人生の主導権を常に手中にしてきたこの男は、患者という〈生まれて初めての、すべて他人まかせ〉の立場が居心地悪くて仕方ない。氏の文学の特質である生死の対照はここでも鮮烈だが、さらに「老・病」のテーマが低く響いて「生・死」の陰影を一層際立たせた。
 ひとつ屋根の下というかすかな縁で結ばれた都心のマンションで起きる不思議な因縁を見つめたのは河野多惠子氏(82)「その部屋」(新潮)。小学校時代の同期生の姉が越してきた。入居した部屋は、前の居住者が浴槽で病死していたといういわく付き。何やら怪談めくが、メールボックス前でたまに顔を合わせる程度の淡い関係に兆す違和感から、平坦(へいたん)な日常に潜む裂け目を見せられる思いがした。
 ベテランの年輪を感じさせる作品ばかりでなく、若手も気を吐いている。青山七恵氏(25)「欅の部屋」(すばる)は、別れた後もマンションの別の階に住む男女の機微をとらえた。その女性との出会いと今も残る未練が、別の女性との結婚を目前にした〈僕〉の視点から語られる。青山氏は「お上手」(文学界)では、会社勤めの女性の内面を、靴の修理屋さんとのやりとりを起点に浮かび上がらせている。
 今年は大長編が話題を呼ぶことの多い1年だったが、そぎ落とされた小さな世界の中に奥深い宇宙が広がっていく短編小説の醍醐(だいご)味が、ここには確かにある。

 今月はユニークな小説にも出合った。多和田葉子氏(48)「ボルドーの義兄」(群像)は、左右反転した漢字が見出しのように配され、短い断章が積み重ねられていく形式の作品。独ハンブルク在住の日本人女性が、あるきっかけで仏ボルドーへ旅する。その旅に、彼女がこれまで出会った人々の記憶が流れ込む。喪失と無常、言葉と人間の孤独が、それら断片の連鎖するまにまにうごめいている。水村美苗氏『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)が話題だが、多和田氏が日本語で書くことの意味に極めて自覚的な作家であることを再認識させられた。
 佐藤友哉氏(28)「デンデラ」(新潮)は、70歳を過ぎて「お山」に捨てられる村の老婆たちが生き延びて作った共同体の興亡を描く。自分を捨てた村への復讐(ふくしゅう)を主唱する一派、襲い来る羆(ひぐま)、流行する疫病――。猜疑(さいぎ)が猜疑を呼ぶ閉鎖された空間ならではの空気を醸して畳みかける、語りの推進力に引き込まれるが、型破りな割には展開が意外にオーソドックス。物足りなさも少し残った。
 今月完結した伊藤たかみ氏(37)「海峡の南」(文学界1月号~)は、祖父の容体が悪化し、はとこと北海道に行った〈僕〉が、行方不明の父の記憶を呼び覚ます物語。若き日の父は、内地に何を夢見て津軽海峡を渡ったか。関西で無謀な金もうけを企てては失敗を繰り返し、やがて行方をくらました父の不在が、心定まらぬ自身の現在に重なる。祖父の死に目に駆けつけるかもしれない父を待つ宙づりの時間の中で、自らの長すぎた青春を見つめ直している〈僕〉のためらいが魅力的だった。(文化部 山内則史)

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2008年12月30日 (火)

デビュー作を「更新」 長野まゆみさん作家生活20年

「20年たっても変わらないのは、私の小説が分類される場所がないこと」作家の長野まゆみさんがデビュー20周年を機に『改造版 少年アリス』(河出書房新社)を刊行した。26万部のロングセラーとなっているデビュー作を“更新”した意図、この20年を振り返っての感想を聞いた。(山内則史)
 睡蓮の開く音のする満月の夜、2人の少年、蜜蜂とアリスが忘れ物を取りに学校に忍び込むことから始まるこの作品は1988年、文藝賞に輝いた。宮沢賢治を思わせる硬質で透明な幻想世界。「改造版」について「続編があってもいいという話から始まったのですが、その気持ちに全然なれなかった。テキストを解体して新しいものにすることに関心がいってしまった」と語る。
 オリジナルとは何か、という考え方が、自身変化したことが大きかった。「ネットの出現で、テキストの置かれている状態が変わってしまった。そこでは同じ設定、同じ内容でも、一番面白く、一番新しい状態のものが読者に支持され、オリジナルとして残っていくのではないでしょうか」
 あまり見かけない難しい漢字にルビを振る長野さん独特のスタイルが、改造版では影を潜めている。例えば〈凌霄花の蔓〉は〈ノウゼンカズラのつる〉に。視覚的な印象は、がらりと変わった。「表記も含めて、閉じられたアリスの世界を作るために盛り込んだいろいろなアイテムを取り払って書くのが、今回のテーマでした。それ以外の部分でちゃんと作り込んであるから、表記への執着はなくなりました」
 学校の忘れ物は別物になり、それが作品世界に奥行きを生んだ。結末は、新しい始まりを予感させる終わりに改稿された。表記は柔らかくなっているが、作品の結晶度、純度はさらに高まっている。
 デビューから10年ほどは、少年だけが登場する世界を繰り返し書いた。その世界を完結させるための「限定的な狭さ、ある種、閉じた感じにちょっと我慢できなくなって」世紀が変わるころから別の書き方を模索する。はっきり形になったのが2005年刊『箪笥のなか』(講談社)。「女性の一人称で書いてみたいという関心が出てきて、確信を持って書いたのがこの小説。最初のころは、女性を書くことすらしていません。自分でもまだ検証できていないのですが、年齢とも関係あるのでしょうか」
 『アリス』の改造で「重たい荷物をおろした」と感じている。今後は、「より開かれた世界を書いていきたい。小説を書いているほかの人々からも、さらに離れていくと思います」。20年の気負いを感じさせないところが、この人らしい。(08年12月26日 読売新聞)

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2008年12月29日 (月)

橘妃呂子さんのチャリティーコンサートに海江田万里氏も來聴!共生を語る=東京

橘妃呂子さんのチャリティーコンサートに海江田万里氏も來聴!共生を語る=東京 
015
 海江田万里氏の夫人が彼女のファンで、コンサートによくきているようだ。今回は、夫人がこられないので、万里氏がかわりにきたという。海江田氏は、漢詩の朗読をしているそうである。今、まさに「中原に鹿を追う」(王の覇権を狙って、活動をすること)であるが、話していても、政治家らしさのない人柄だ。
033
 橘さんは、伊藤桂一氏と同郷の四日市出身。ミステリー作家の戸川昌子さんの店ににも出演しているが、その「青い部屋」は、かなり連日賑わっているという。橘さんには、誘われているが、いろいろ用事があってまだ行けてない。

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「西日本文学展望」「西日本新聞」12月27日朝刊=長野秀樹氏

<文中抜粋>本紙で六月から七月にかけて、十三回にわたって連載された「九州同人誌探訪」では、改めて地元の同人誌の層の厚さと熱気を確かめられた。また、同誌(補・「文學界」)の同人雑誌優秀作に上半期が鮒田トトさんの「犬猫降りの日」(「竜舌蘭」一七二号、宮崎市)、下半期が江口宣さんの「イエスよ涙をぬぐいたまえ」(「九州文学」五二三号、福岡県中間市)がえらばれたことも、そのことを実証している。
正田吉男さん「放牛往還記 前夜」(「詩と真実」七一四号、熊本市)、赤松健一さん「我らの行方」(「海」六七号、福岡市)
「邪馬台」一六九号(大分県中津市)より「創作」として、宇津木立さん「鳶の笛(その六)」、浦本啓次郎さん「ラブレター」、岡朗子さん「お祖母ちゃんと勉強」
「海」(前出)より牧草泉さん「再会」(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年12月27日 (土)

槙原敬之さんの訴え認め松本零士さんに賠償命令について

 作詞した歌詞が漫画「銀河鉄道999」からの無断使用だと決めつけられ、名誉を傷付けられたとして、歌手の槙原敬之さん(39)が漫画家の松本零士さん(70)に2200万円の賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は26日、220万円の支払いを命じた。清水節裁判長は「松本さんの表現に頼って歌詞を作成したとは認められない」と述べた。
 槙原さんが人気デュオCHEMISTRY(ケミストリー)に提供した「約束の場所」の一節で、「夢は時間を裏切らない、時間も夢を決して裏切らない」との歌詞があり、松本さんはテレビ番組で「漫画の『時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない』というセリフの無断使用だ」などと非難。「槙原さんが『どこかで見聞きし、記憶に残っていたのかもしれない』と電話で謝罪した」と発言していた。
 判決は、槙原さんの電話について「漫画の表現を知らなかったことを謝罪したもので、依拠を認める発言ではなかった」と判断し、松本さんの発言は名誉棄損に当たると結論づけた。

こういう結果になったものの、松本氏の詩句は平凡ではない。この詩句が事前になかったら、槙原氏の詩句は生まれていなかったような気がする。

              温故知新の詩句の一例

「錆びたナイフ」= 作詞 萩原四朗・作曲 上原賢六。唄 石原裕次郎 ではこうだ。.

砂山の砂を 指で掘ってたら まっ赤に錆びた ジャックナイフが 出て来たよ どこのどいつが 埋(うず)めたか 胸にじんとくる 小島の秋だ


 それに対し、石川啄木(1886~1912)の詩集「我を愛する歌」 ではこうであった。

いたく錆しピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて掘り手ありしに

ひと夜さに嵐来たりて築きたる この砂山は 何の墓ぞ

砂山の砂に腹ばい 初恋の いたみを遠くおもひ出ずる日

☆啄木が人に知られたのは、死後50年を経てからであった。時代に恵まれなかった詩人だった。


 「思えば遠くへ来たもんだ」歌手:海援隊 作詞:武田鉄矢 作曲:山木康世 ではこうである。

思えば遠くへ来たもんだ 故郷離れて六年目
  思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら

それに対し、中原中也(1907~1938)「頑是ない歌」 ではこうなっている。

思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽車の湯気は今いづこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
しょう然として身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつていた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ
この先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど

生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゆては
なんだか自信が持てないよ

☆こうして先人天才たちの言葉は大衆の中に伝えられてゆく。

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ポプラ社、「百年小説」最大15%の報奨/3万部を目標に拡販

ポプラ社は12月12日に『百年小説』を発売し、2月に刊行した『諸国物語』に続いて3万部以上を目標に掲げ、拡売に挑んでいる。同書は、世界の名著21篇を1冊にまとめた『諸国物語』の国内版。明治から昭和初期に執筆した森鴎外、太宰治など、51人の傑作短編を収載した名著全集第2弾として注目を集めている。
掲載作品については、編集長の野村浩介氏自ら500作を読破したのをはじめ、スタッフ5人と大学教授のアドバイスでおよそ800作品のなかから選書したもの。51人の文豪がそれぞれに師弟、友人関係であることが判明し、各篇から時代背景が楽しめるよう作家の生年月日順に作品を掲載した。
書店では、平安堂や宮脇書店が1000部を目標に掲げたほか、リライアブル、東山堂、紀伊國屋書店、有隣堂、ブックファースト、文苑堂書店、啓文社、廣文館、金高堂書店、積文館書店などが拡売に取り組んでいるという。
書店報奨金は10~29部=500円、30~49部=600円、50部以上=1000円。本体6300円で最大15%以上となった。読者向けには刊行記念クイズの正解者から抽選で1000人に3000円の図書カードをプレゼントする。

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2008年12月26日 (金)

文芸時評12月(東京新聞12月24日)=沼野充義

タイトル=佐藤友哉「デンデラ」『姥捨て山』結束する人々/多和田葉子「ボルドーの義兄」多言語的な小宇宙。
《対象作品》水村美苗「日本語が亡びるとき」(筑摩書房)/佐藤友哉「デンデラ」(「新潮」)/多和田葉子「ボルドーの義兄」(「群像」)/藤井省三・国際シンポジューム報告「東アジアが読む村上春樹」(「文学界」)/青来有一「夜の息子、眠りの兄弟」(「文学界」)。

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文芸時評12月(毎日新聞12月24日)川村湊

タイトル=「文学の芸術性」「物語に表出しない『自己』」「大作は若手作家の苦業か」。
《対象作品》佐藤友哉「デンデラ」620枚一挙掲載(「新潮」)/多和田葉子「ボルドーの義兄」(「群像」)/松浦寿輝「川」(「群像」)/辻原登「虫王」(「新潮」)/青山七恵「欅(けやき)の部屋」(「すばる」/同「お上手」(「文学界」)/水村美苗「日本語が亡びるとき」(筑摩書房)/同「日本語は亡びるのか」(「文学界」)/同「日本語の危機とウェブ進化」(「新潮」)。

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2008年12月25日 (木)

みんなに愛され、だれにも愛させなかった飯島愛さんの死を悼む

 飯島愛さんが、孤独の中で死んでいたという。TVのワイドショウなどによると、みんなに愛された人柄だったらしい。しかし、その本心を知る人は少なかったようだ。他人に迷惑をかけてはいけないという信条があったとも言われる。昔は、そういうのが美徳であった。昔からの価値観を持った人だったようだ。
 が、今は、どうせ死ぬなら誰でもいいから殺して死のうと、いいながら、死なないで生きているような、他人に迷惑をかけないと生きていられない無責任な人種が増えたというのに。

 おそらく飯島愛さんは、あくまで自己責任のなかで、独りで生きる中で、死んでしまったのであろう。社会的存在である人間は、誰でもどこかで他人に迷惑をかけている筈だ。人間関係のなかで、他人に迷惑をかけることで、お互いに愛し合う余地が生じるのではないだろうか。もう少し生きていたら、人に少しずつ迷惑を掛け合う人間関係を学んで、誰かに愛させる余地を作れたのかも知れない。残念な死だ。

 10代の後半で、家族がピンチになった頃、必死にそこから脱出しようとしていた。その時に、叔母が心配して、大丈夫かい、困ったらこうして、ああして、といわれたので、思わず「いいよ。おれたち一家は、切り抜けられる。大丈夫だよ」と、断った。すると叔母は言った。「お前、そういうのを冷たい言い方というんだよ」。と怒った。叔母が亡くなった今でも、妙にその場面を忘れずにいる。可愛げのない、愛させることない自分だった。突っ張っていないと崩れてしまう自分があった。そんな余裕はなかった。
 人は、社会的であるが故に、誰かに迷惑をかけて、迷惑をかけまくって生きることを、避けることはできないような気がする。

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2008年12月24日 (水)

闇カジノ記事で賠償命令=堀江元社長が講談社に勝訴-東京地裁

 闇カジノに参加したとの週刊現代の記事で名誉を傷つけられたとして、ライブドアの堀江貴文元社長(36)が講談社側に5000万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は24日、400万円の支払いを命じた。
 広谷章雄裁判長は、闇カジノに参加したとされる日の夜の行動について、友人らと食事をして過ごしたとする堀江元社長の証言は信用できると認定。記事内容は真実でないとした。判決によると、同誌の2006年9月16日号は「ホリエモンが興じたヒルズ族『高級闇カジノ』一部始終」の見出しで、堀江元社長がホテルで開かれた違法なバカラ賭博に参加したと報じた。(08年12月24日 時事通信社)

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同人誌「視点」第70号(多摩市)

本誌は70号をもって記念とする同人のエッセイを掲載している。第1号は36年前の昭和47年11月の発行だという。同人の野辺慎一氏のエッセイ「示せ、大類『視点』の意気込みを」で、2年ほどまえには同人仲間の浜田雄治氏が、オール読物新人賞を受賞した事実を書いている。その浜田氏は、現在も本誌に「コマチ」(5)という古代にタイムスリップした物語を連載している。
 メジャーの賞をとっていても同人誌に書くというのは、最近では珍しい現象である。
【「春を待つ」臼井明子】
 戦後間もない頃の話のようだ。史子が学生だった今の夫と結婚。生活の安定に苦労をしたが、落ち着いてきたので、夜間大学に通う。すると学校でMという同級生に出会い、愛を打ち明けられる。彼のプロポーズを逸らしてうちに、夫婦の間子供ができる。そこで夫の存在の重要性に気づき、Mとの間に何事もなく終わることが暗示されている。小説のスタイルではあるが、エッセイ風で、おそらく事実に即して書いたものと思われる。

【「マネー・ゲーム」清松吾郎】
 土地の値上がり神話が全盛時代。バブル経済の中で、不動産を転売して儲けようとする人々の話。

【「さよならルンバ」小松三枝子】
 夫を亡くし、35歳になる娘と同居している波子。今年、還暦をむかえた。近所の人に誘われてカラオケで遊んだ場所で男と知り合い、ラブレターを貰う。思わぬ愛の世界にひたることのできた新鮮さを描く。

【「深大寺・冬枯れに佇む」萩照子】
 冬の深大寺は、枯れ木ばかりで、咲く花もなく寒々しい。折角、冬枯れの寺を題材にしたのだが、昔の思い出ばかりで、もう少し突っ込みが欲しかった。
発行所=東京都多摩市氷山5-4-9、視点社

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2008年12月22日 (月)

「高校文芸」古川仁美さんらに最優秀賞

 第23回全国高等学校文芸コンクール(全国高等学校文化連盟、読売新聞社主催、文化庁後援、一ツ橋文芸教育振興会協賛)の表彰式が20日、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターで行われた。
 最優秀賞が福岡県・筑紫女学園高3年古川仁美さん(小説・文部科学大臣賞)、福岡県立門司大翔館高3年森本信乃さん(詩・読売新聞社賞)、熊本県立八代高2年平江智江充さん(短歌・文部科学大臣賞)、宮城県・仙台白百合学園高2年千葉由穂さん(俳句)、福岡県・筑紫女学園高文芸部(文芸部誌・文部科学大臣賞)に、また、優秀賞・読売新聞社賞が福岡県・筑紫女学園高1年松ヶ迫美貴さん(小説)、岩手県立盛岡第四高文芸部(文芸部誌)、一ツ橋文芸教育振興会賞が福島県立磐城高文学部(同)に贈られた。(08年12月20日 読売新聞)

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同人誌「海」67号(福岡市・海図出版)(3)

【「曙光」有森信二】
 神経質な妻と病気がちの息子と「私」の三人の家族。犬がなかなか生活になじめず吠える。しかし、息子は気に入っている。一戸建ての家に住むが、犬が吠えることで近所との交際に気をつかう。
読んでいても、神経が痛むような緊張感が付きまとう筆致である。この作者の単行本「火の音」(花書院)のなかの同名小説と、「タイム・スクリーン」を読んでいる。この2作では自己からの離脱願望や、人間の多面性を描くのが得意のような気がした。短編「曙光」からは、社会や家族の閉塞性を意識しているような気がした。俳句も掲載しているが、そのせいか、言葉の構築の洗練度の高さを感じさせる。

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2008年12月21日 (日)

伊藤若冲の大作「象鯨図屏風」、北陸の旧家で見つかる

伊藤若冲の作品と鑑定された屏風(20日午前、滋賀県甲賀市のMIHO MUSEUMで)=伊東広路撮影 江戸時代中期の画家で、細密描写による花鳥画で知られる伊藤若冲(じゃくちゅう)(1716~1800年)の「象鯨図屏風(ぞうくじらずびょうぶ)」が、北陸地方の旧家で見つかった。画風や落款から晩年に描いたと推定され、若冲を研究する上で重要な発見となりそうだ。屏風は六曲一双(各縦1・59メートル、横3・54メートル)で、右(う)隻(せき)に、波際にうずくまって鼻を高く上げる白象、左隻には潮を吹き上げる鯨が水墨で描かれている。今年8月、北陸地方の旧家を訪れた美術関係者が発見し、滋賀県甲賀市の美術館「MIHO MUSEUM」で鑑定。屏風には「米斗翁(べいとおう)八十二歳画」の落款のほか、「若冲居士」の朱印があった。若冲は晩年、「米斗翁」と名乗ったとされ、波頭の独特な描写などからも真作と判断した。同館の辻惟雄(のぶお)館長は「若冲が最晩年まで力強い表現力を持っていたことがわかり、大変、興味深い」と話している。(08年12月20日 読売新聞)

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同人誌「海」67号(福岡市・海図出版)(2)

【「再会」牧草泉】
 H区役所に勤める「私」は、新聞に連載を寄稿していたが、その記事の読者から会いたいという連絡があると、新聞社から知らされる。最初は断っていたが、気が変わって会って見ると、大学の講師をしている女性であった。話を聞いてみると、「私」が20年前に娼婦となった女に恋をしたが、その女性だったという話。話の合間に、役所の仕事のことや、少年時代の性目覚めた頃の話が挟まっているので、密度が薄まるが、それなりに面白く読めるので、設定の無理な感じも薄まっているような気がした。

【「紅雨」北里美和子】
 男と女の物語。普通に書いてあって、描写も工夫がみられる。ただ、自分にはどこに読む魅力を感じればいいのか、見つけることが出来ず苦手な作風であった。他の読者であれば、もっと面白く読み取るのであろうなと思いながら、自分は「はあ、そうですか」という感じであった。こういうことはよくあることだ。例えば、前に紹介の赤松さんの「我らの行方」という作品なども、自分は好みだが、人によっては苦手で、面白くないと感じるかもしれないのだ。

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同人誌「婦人文芸」86号(東京)

【「幸せのかたまり」菅原治子】
 左枝子は結婚して3年目になるが、子供ができない主婦である。東京の都心に住んでいたのが、結婚して、横浜の丘陵地帯の開発地の1戸建てに住むが、本人も身内も、都落ちした気分になる。
 彼女は2人姉妹で、姉の高子は、養子をとり、父親の会社の後継となった。三年前に、左枝子が結婚すると、大きな家に母一人で住むのは不経済だからと、姉夫婦が今まで住んでいたマンションを売り、母親の実家を相続し母親と同居。左枝子には父の遺産として、横浜に小さな庭付きの建売住宅を買ってくれた。と、あるのだが、後半になるとローンを払っていることになるので、つじつまがあわないところがある。
 それはともかく、庭付きの家を買ってもらったということがわかると、昔の同級生が金を借りにきて、返してくれない。そこに、姉が引っ越すので、母親を預かって欲しいといってくる。抵抗感があったが、引き取る。すると、母親との同居生活はなかなか大変なことになる。
 こうして、肉親の感情的で、身勝手な論理の、うっとうしいやり取りが、細かく描かれる。女性でなければ書けないところである。悪人ではなく、根が善人で身勝手な肉親の表現は抜群で、男には読んでいて苛立つところがある。
 そのなかで、左枝子が、そうした女同士のやりとりや駆け引きに負けると、夫が優しく支えてくれる。彼女はそうした夫に愛情が高まり、夫婦の仲が濃厚になる。そのせいか、妊娠していることがわかる。女同士の世界を描いて、興味をそそりながら、タイトルのように、うまく予定調和的なハッピーエンドでまとめている。

【「公園のベンチ」淘山竜子】
 「夏にランニングをするのは、容子のこの数年の習慣だった。」こうした表現から小説ははじまっている。短編であるから、このはじまりが意味することを、読者は予感として受け取ろうとする。それから東京郊外の公園を舞台に、35度を超える真夏日に、ジョギングしている最中に見た風景を描いていく。そして別の日の真夏日に、また走る。後半部では、児童虐待をしてしまう親の話を聞く。その社会現象は、しかし、容子にはあまり関係がなさそうだ。真夏の昼にジョギングをするくらいなので、容子に自虐的な心理があるのだろうが、年を重ねても成熟しない女性を描いたようでもあり、謎解きのような作品に読めた。

【エッセイ「書くためにすること」河内和子】
 20年前に英米小説の翻訳家であった作者が、出版社から新しい小説の依頼を受けたが、自分の文章表現力をもっと磨こうと思う。そこで、横浜の朝日カルチャーセンターのセキカワ・ナツオ先生と、ヤマグチ・ブンケン(フミノリ)先生の指導を受ける。書いたものの添削をそのまま記録しているのが、実際的で面白い。作者が指摘された添削の箇所を読むと、自分も同じツメの甘さを始終していることに気づき、大変参考になった。反省して、気をつけよう。

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2008年12月20日 (土)

同人誌「海」67号(福岡市・海図出版)

 【「我らの行方」赤松健一】
会社の経営者たちの権力闘争における栄枯盛衰の物語。大阪の中堅設備工事会社・五光電設は年間売り上げ65億円規模。社長の西脇は、経理部員から社長に成り上がったやり手経営者である。株主は創業者の息子の根岸相談役である。
 西脇は根岸のお気に入りの杉山が次期社長を狙っており、近いうちに自分が退任させられることを自覚している。ある日、根岸から呼び出され、彼が財テクに失敗し、東京のひとまわり大きい会社、東日設備に株式を売却し、買収に応じたことを知らされるところから話がはじまる。すると、次期社長を約束された、杉山は買収された会社の社長となるしかなく、経営者としての権力は、親会社の下でしか発揮できない。また、系列関係の根強くある取引先にも影響が大きい。
 多視点の三人称小説で、登場人物が次々と現れ、社内の地位をめぐって出世争いの勝者と敗者の駆け引きが展開される。歯切れの良い、ストーリーテラーらしいスピードのある文章で、ぐいぐい読者を引っ張ってゆく。かなり長いものであるが、読み進めるうちに、五光電設をめぐる人間模様のなかに、会社という組織にかかわる仕事人間の生態を象徴的に描いているように、読めてくる。入れ替わり立ち代り現れる人たちが、ながながと会社人間的な哲学を述べるあたりに、サラリーマン化した日本人の一つの典型を見出すことができる。
 会社の業務上の繋がりなど、手堅く説得力をもって描かれ、面白く読み通せる。文芸的な味わいも随所にあり、単純な読み物から抜け出た品位を感じる。

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2008年12月19日 (金)

世界性持つ『書き言葉』守る 日本語の将来を憂う 水村美苗さん(作家)

(2008年12月6日 東京新聞)作家、水村美苗(みなえ)さんが刊行した評論『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房)は、安閑として日本語を使っている私たちに、ショッキングな未来を突きつける「憂国の書」だ。 
「かつての日本には、世界のどこに出しても恥ずかしくない近代文学があった。読み継がれるべき言葉を日本語で継承していくために、何か手を打たなければならないんです」
 スケールの大きな本だ。水村さんは人類が六千年前、文字を発見してからの時空を概観する。そこには、自分たちが話す「現地語」ではなく、ラテン語など外部文明の「普遍語」で読み書きしてきた人類の長い歴史がある。「普遍語」に蓄積された叡智(えいち)を翻訳することで、「現地語」はやがて「国語」に進化する。
 英語がインターネットの後押しを受けて「普遍語」としての覇権を強める今、かつての「普遍語/現地語」の二重構造がよみがえりつつある。日本でも既に、自然科学はもとより、人文科学の分野でも、英語だけで論文を書く動きが水面下で進んでいるという。
 水村さんは一九六〇年代、十二歳のときに家族で渡米し、二十年間を米国で過ごす。もしもこのとき、日本の近代文学全集を親が持ってこなければ、その後の人生は違っていたはずだ。
 漱石に樋口一葉、森鴎外…。米国の暮らしになじめなかった少女は、漢字にルビが振ってあるのを幸いに、この全集を毎日、ひたすら読みふける。授業中に漢字と平仮名をノートに書き、その美しさに見とれた。「非西洋語圏で当時、文学全集があったのは日本だけ。私はエアポケットのようにそこに入り込み、出られなくなった」
 だから、米国の大学院に進むほど高度な英語力を身に付けながらも、水村さんは「日本語で近代日本文学を書く小説家」になった。漱石の絶筆を書き継ぐ『續明暗』をデビュー作に選んだのは、「近代文学をもっと読んでほしい」という思いからだ。
 水村さんは今、日本近代文学が存在したことを、「奇跡」と呼ぶ。
 明治時代、西洋思想を次々と翻訳する必要に迫られたことで、日本の言葉は世界性を持つものに変身した。翻訳では日本の現実に向き合えなくなった漱石らは大学を出て、自分たちの言葉をつくり出す。「明治の人たちは命懸けで言葉を選んだ。言葉が指し示す概念が何であるかを吟味した。そういうときにつくられる言葉の力はすごい。今の日本の言葉とは違う」
 本の最終章で、水村さんは日本語を守るための大胆な提言をした。一つは英語教育の時間を大幅に削り、その分を国語に振り向けること。英語は平等主義を捨て、「国民の一部だけバイリンガルにする」と発想を転換する。そして国語教育は日本近代文学を読み継がせることを主眼に置く-。
「一定の年齢までにある程度の難易度を持つ日本語に触れないと、『文章はこのぐらい困難な物であって構わない』という意識が育たない。話し言葉と変わらない物が文章だと思ってしまい、そうした言葉だけ流通すると、日本語は『現地語化』してしまう。世界と初めて共通概念を持った近代日本文学は、現在の価値観のパラダイムを変えることなく読めるテキストだと思う」
 薄っぺらい国語の教科書が最近、ようやく厚さを取り戻してきたことを知り、水村さんは本の中で書いた。《もっと過激に。もっともっと過激に》。熱い言葉から、日本語への愛情がほとばしってくる。 (石井敬)

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2008年12月18日 (木)

「文芸同人誌評」「週刊 読書人」08年12月19日・白川正芳氏

《対象作品》「翼をください」小嶋和(「文芸パトス」18号)、「雨の匂いと風の味」よこやまやよい(「星座盤」2号)、「からだの来歴」遠野明子(「時空」28号)、「三島由紀夫『サーカス』」森晴雄(「群系」21号「太宰治と三島由紀夫」特集)、「時の雨」おしだとしこ(「文学街」12月号)、「恋ヶ窪」森岡久元(「別冊 関学文芸」37号)、「コガネムシ」西田宣子(「季刊午前」29号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年12月17日 (水)

著者メッセージ: 宝田恭子さん

 私はふだん歯科医師をしております。最近、顔の若返り法を教えるということで、テレビなどに出演させていただく機会が増え、「エステ関係の仕事をしているのかと思った」などと言われることも多くなりました。
  そもそも歯科医師である私がどうして「顔の若返り」? と思われる方も多いかもしれません。これには歯科医師の経験が大いに関係しているのです。
  たとえば、入れ歯を入れる際に顔の筋肉が弱いと安定しづらいので、患者さんに入れ歯安定のためのトレーニングをしてもらったところ、入れ歯の安定が良くなっただけでなく、なんと見た目も若返ってしまったのです。こう
 いった経験の積み重ねで宝田流の若返りマッサージが確立されていきました。
 (中略)
  今日からすぐにでも始めてください!
  朝・夜の5分間、私と一緒に加齢と戦いませんか? 迷っているその時間も加齢は進んでいます。鏡を見てため息なんて今日でさよならです! (はじめにより)
★本当に52歳? たった5分で見た目力アップ!
 『DVD付 5分若返り宝田流美顔マッサージ』 好評発売中!! (講談社『BOOK倶楽部メール』08年12月15日号)

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「同人誌時評(10月)」「図書新聞」2008.12.13、たかとう匡子氏

《対象作品》「古賀忠昭追悼号」(「SOOHAスーハ!」第4号)、「筧槇二追悼号」(「山脈」第125号)、「戦後短歌を考える」(「綱手」第244号)、「私の小説作法」(「全作家」第71号)。小説は、「ここにおる。」野見山潔子(「季刊午前」第39号)、「迷惑者リスト」都丸圭(「北」第52号)、「夢の鎖〈その五〉」楢信子/「堤」稲垣瑞雄(「双鷲」第70号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・馬の骨さんまとめ)

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2008年12月16日 (火)

詩の紹介 あなたが去った後に 作者 張 徳本

( 訳 & 紹介者 江 素瑛 ) 
今の数多くの台湾文学者は、旧い漢字を使う北京語と、もともと言葉があっても文字のない、漢字、ローマ字、日本占領時代に作った字などで、試行運転中の台湾語で作品を書いている。
この作品も北京語と台湾語を混ぜ書き上げたものである。詩の理解者である女性が遠くへ行ってしまった時の、まわりの少しばかりの変化が、いかにも自分に深く打たれるのか、素直な感傷的な詩である。第五フレーズ、「高すぎて 低すぎて 太りすぎて 痩せすぎて 人が行ったり来ったり/ しかし詩を知るあなたの軽やかな姿が見えない」。「そのひと限り」の恋の特質を歌っている。
ここで、「少しばかり」というのは、日本語で「少し、ひどいんじゃないの」というと、文字通りの「少しばかり」でなくて、「大変に」という意味なる。この詩でも「小さい」という言葉が使われているが、それは大きいという意味であり、使い方が日本語に似ている。

        ☆
「あなたが去った後に」  張 徳本

あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの重量が減ったでしょう/ 落葉が散っている街路を/ 街路樹は別れた恋人の足跡を刻む
あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの音声が減ったでしょう/ 音符が砂塵にまみれて/ 奏でる手を待っている
あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの香りが減ったでしょう/ お風呂あがりのすべすべな黒髪/ 枕もとに匂う  
あなたが去った後の町には/ きっと少しばかりの顔色が減ったでしょう/ 臙脂白粉に満ちた女の群れに/ さりげなく垢抜けたあなたが見えない
あなたが去った後の町には/ ただ一人の人影が失われただけなのでしょうか/ 高すぎて 低すぎて 太りすぎて 痩せすぎて 人が行ったり来ったり/ しかし詩を知るあなたの軽やかな姿が見えない   
あなたが去ってしまった後/ 町の人々は相変わらず生活している/ 黄昏の草原にひとりで時々散歩する私/ 地球の彼方に夜中のあなたの夢に/ 暮れてすぐの月 微かな星屑 / 異郷で熟睡しているかもしれないあなたの寝顔をさがして

( 台湾文学評論より・Vol.8 No.4  08・10 台湾文学資料館 )

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2008年12月15日 (月)

著者メッセージ: 西尾維新さん

 こんにちは、西尾維新です。2008年も残すところわずかとなりました。今年はみなさまにとってどんな思い出となりましたでしょうか。
  振り返ってみれば僕の場合、まあ明らかにオーバーワークな一年で大変でした。いくらなんでもそろそろ供給過多な感じですかね。この12月だけで考えても『真庭語』(講談社BOX)・『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』(講談社ノベルス)・『零崎人識の人間関係 無桐伊織との関係』(メフィスト掲載)・『ヒトクイマジカル 殺戮奇術の匂宮兄妹』(講談社文庫)・『蹴語 SIDE‐B』(パンドラ掲載)と目白押し。全部買ったら軽く6000円を越えます。破産しちゃうよ。
  さすがにいよいよ手を打たないとマズイ展開なのでちょっと対策を練りにかかりますという反省の弁をもって、今年の締めの挨拶とさせていただきます。それではみなさまよいお年を。(西尾維新)。(講談社『BOOK倶楽部メール』08年12月15日号)

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08年・文芸この1年(毎日新聞12月9日)3氏が選んだ小説ベスト5

☆川村湊(文芸評論家)選=平野啓一郎「決壊」(新潮社)/飯嶋和一「出星前夜」(小学館)/リービ英雄「仮の水」(講談社)/津島佑子「あまりにも野蛮な」/楊逸「金魚生活」(「文学界」9月号)。

☆野崎歓(東京大准教授・フランス文学)=平野啓一郎「決壊」/町田康「宿屋めぐり」(講談社)/絲山秋子「ばかもの」(新潮社)/堀江敏幸「未見坂」(新潮社)/マリー・ンディアイ、笠間直穂子訳「心ふさがれて」(インスクリプト)。

☆松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学=リービ英雄「仮の水」(講談社)/多和田葉子&徐京植「ソウルーベルリン玉突き書簡」(岩波書店)/ジュンパ・ラヒリ、小川高義訳「見知らぬ場所」(新潮社)/ギュンター・グラス、依岡隆児訳「玉ねぎの皮をむきながら」。

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2008年12月12日 (金)

同人誌「奏」2008秋(静岡市)17号

 発行者の勝呂奏氏は、さきに亡くなった作家・小川国夫によく傾倒していて、小川氏の年下の友人か弟子のような関係なのか、ほかの文芸雑誌などの書いた追悼記などが特集のように掲載されている。
【「還りなん」小森新】
 入院していた母親が危篤状態になって、病院へ通う日が続き、そして亡くなるまでを、「俺」の立場で描く。母親は、父親の後妻に百合子という中学生を連れ子してやってきた。継母である。しかし、「俺」には優しくしてくれた。義理の妹の百合子は、「俺」を慕っていたが、成人して間もなく自殺してしまう。そのときの母親の心境はどうであったか、母親や百合子の人生と、俺との係わり合いが、葬儀の風景を描くなかに、文体の裏側に表現されている。本当の肉親の葬儀のような悼ましさがにじみ出て、自分のことのように感情移入ができる。よくいう、身につまされるというものだ。継母ではあるが、肉親の病死を描いて、味わいのある筆致がよく活きていると感じた。

【評論「川端康成『招魂祭一景』ノート」勝呂奏】
 横光利一ともに、新感覚派の川端康成の作品を論評し、その根底にチェーホフ「ねむい」、正宗白鳥「玉突屋」、志賀直哉「剃刀」などの作品と共通の主題があり、若い娘のよるべのなさ、を通して、哀しい孤独が表現されているとする。自分はこの作品を読んでいないが、引用された作品部分から、川端の群集のなかに垣間見る乙女の美、埃のなかの女肌の美というもの対する嗜好の強さを感じた。この評論でも、群集のなかにいて、彼の世界は自分の視線と対象となる女肌に絞られる。川端の乙女の美への耽美的な嗜好が読みとれる。

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同人誌「創」第3号(名古屋市)

【「森のなかのボーリング場」阿見幸恵】
「森野ボーリングセンター」のインストラクターをしている「私」が、職業人として持つべきコツや、ストライクをとった時の人々の得意顔を、観察して較べる話など。話は面白い。だが、散漫のまま終わるのと思っていたら、結末の数行に意表をつく、恋のやり取りがあって、そこが冴えていて、巧いストライクでおわっている。

【「夢の途中」磯部勝】
 伊勢湾台風という大洪水災害があって、その時代の様子が詳しく描かれているので、ちょっと驚かされる。筆致が若々しいのか、若い人が調べて書いたのか、と不思議に思った。そのときにミカというはすっぱな女がいて、その行状について、姿を消すまで描く。話も面白いが、かつての災害の記憶として、思い出させるものが多い。

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同人誌・文芸同人「長崎の会」第3号

今号は、「グルメ・食」小説・エッセー集である。
【「麺と俺」赤木保】
 アニメに夢中の大学2年生の「俺」は、アニメだけに関心がある生活で、もっぱら下宿で、カップめん愛用の生活を送っている。そこで突然、風邪を引いて寝込んでしまう。すると、同じサークルの影のうすい井上という女子学生が、食事の支度をしてくれると、下宿にやってくる。「俺」はアニメを愛して、女性を愛すまでには至ったってないので、彼女の心をよく理解できない状態から、やっと理解する段階までを書く。面白い。ライトノベルのスタイルの中で、いろいろ工夫して書き分けているのには感心した。文章の呼吸がよいのに驚かされる。

【「狼になれない」裏次郎】
 主人公は家電量販店の臨時雇いの店員で、仕事に夢や希望を持てないような職場に働く。そこで「正社員」にすると店長に言われる。ちょっと、うれしがっているときに、いつも店で会って、食事時に顔を合わせる女子店員が、結婚退職をすることを告げられる。そことで、つまらない勤めのなかで、彼女との会話がどれだけ貴重であったかを知る。狙いはいいし、面白いが、味わいはいかにも、ライトノベル的。話術の運びは巧い。

【「白」小林圭介】
 ホラー話。遭難して山小屋にたどり着いた男が、傷による出血死している。調べると、救助がなく飢え死にしそうになる。仕方なく、自分で自分の腿の肉を切って食べていたことがわかる。まあ、怖いけれど、いまひとつヒネリが欲しかった。
 本誌全般に読んで面白い。読者を退屈させない技術には長けている。先には純文学への道筋がありそう。

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あの頃、このごろの同人誌

 文芸同志会の初期の記録を整理しようとしていたら、当時はリコーのワープロ入力しているので、データーとして残しているのをすべて再現するのは難しいとわかった。出てきたものから復活させてみたい。この資料からすると8年前から、「文学界」への同人誌の送付が100を切っていることがわかる。当時は「文芸時事月報」で発行していた。
 2001年ころの雑誌「文学界」同人誌評の記録から
雑誌「文学界」平成13年6月号「同人雑誌評」担当/松本道介氏
  半期の優秀作候補として、納富泰子「地面の匂い」(「午前」)/和田悠「石の響き」(「白鴉」)/昆道子「青葉の記憶」(「幇」)/中井眞耶「放浪の町」(「とろっこ」)/桂城和子「小劇場」(「全作家」)が上がる。
《6月号・対象作品》<到着誌84冊、その内、創刊号2冊(前年同月88冊、創刊2冊)であった。>=桂城和子「小劇場」(「全作家」52号・草加市)=ベスト5作品/野元正「八景」(「八月の群れ」38号・神戸市)ベスト5作品/瀬良有為子「雨先少年」(「河」102号・東京都)/吉田啓子「橋の向こう」(「勢陽」13号、伊勢市)=ベスト5作品/氏家敏子「合鍵」(季刊作家」37号・名古屋市)/祖父江次郎「小さな白い鶏」(同)/吉村滋「廓の果て」(「詩と真実」4月号・熊本市)/朝比奈敦「元旦」(「飃」56号・宇部市)/大野光生「浮木」(同)=ベスト5作品/本吉晴夫「星のきらめく島」(「文脈」133号・今治市)/内森詠子「崖」(「湧水」18号・東京都)/青みとき「遥かな空」(「日通文学」)/青木倫子「魂のかえるところ--片上伸の帰郷」(「アンブレヤブル宣言」8号・今治市)/島田和世「指輪のゆくえ」(「槐」10号・佐倉市)=ベスト5作品/三原遥子「姉妹」(「河」前出)/新見光子「赤い吊橋」(「じゅん文学」27号・名古屋市)/瀬崎峰氷「思考するイモ虫」(「ふくやま文学」13号・福山市)/中村覚「明治24年 野州郡三上村 初夏」(「滋賀作家」83号/大津市)/矢和田高彦「足」(「文芸山口」235号・山口市)/有森啓二「穹天」(「海」52号・福岡市)/刺賀秀子「助走」(「小説家」106号・東京都)/関谷雄孝「あの人の声」(同)/木村芳男「朝焼け」(「農民文学」245号・町田市)/半野史「花まぼろしの世に在らば」(「ロポス」3号・柏市)/高橋睦雄「陽炎」(同)。=文芸同志会「文芸時事月報」2001年6月号掲載より。

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2008年12月11日 (木)

同人誌作品の論評・専門サイト「小説・書くひと=読むひと・ネット」ができる

文芸同人誌案内」のネット仲間の有志による、同人誌作品の論評専門サイト「小説・書くひと=読むひと・ネット」が出来た。
 文芸同人誌で歴史のある雑誌ほど、雑誌「文学界」の同人雑誌評欄で取り上げられることを、目標にしていたのではないだろうか。優秀作であれば「文学界」に転載されるのであるから、当然であろう。それと、優秀作でなくても論評で取り上げられることで、権威的なお墨付きが得られたという品質保証の役割を担っていたのである。
 通りすがりの人に相手にされなくても、権威のある評論家に認められたという自負が持てるわけである。
 ところが、見ず知らずの他人の作品の印象は、権威がない。そこが問題といえば問題である。
 それと、現代は時間を消費する商業的レジャーが多く、時間の奪い合いをしている。そこに本を読むという時間を持つ人は少ない。ましてや、読むだけでなく、その感想文を書くというのは、大変なエネルギーがいる。やる気がないと出来ない。やる気がなくても出来ることより、やる気がないと出来ないことをしてみようという人に期待するということになりそう。「小説・書くひと=読むひと・ネット」のサイトが、どれだけの影響を同人誌の作者たちに与えるか? 注目していきたいものだ。

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2008年12月10日 (水)

詩の紹介 「靴の道」 三田 洋

(紹介者 江 素瑛)
靴は人間以外の動物が使わない大事な道具だ。人の体重をのせ、靴はどれだけその人の道を支えて来たのか。いろいろ人生の分れ道に、人と靴が互いに捜し合って、知らず知らずのうちに履いていた靴ばかりではなく、自我も失った時があった。
      ☆
「靴の道」  三田 洋
-せたがや「歌の広場」のために- 

靴をなくした夢ばかりみて/  捜しつかれて目を覚ます/ そこはあの日の分れ道/ 苦しみながらも選んだところ
足になじんだ古い靴/ 履き間違えた細い靴/ どこにいるの/ どこへいったの/   わたしを捜しに靴の道
今宵もまた靴をなくした/ 途方に暮れて目を覚ます/ そこは別の分れ道/ 人を愛してさまよったところ
履きにくかった しゃれた靴/ 躓きころんだ泥の靴/ どこにいるの/ どこへいったの /わたしを捜しに別の道 見知らぬ道で靴を見つけた/ ここにあそこにしょんぼりと/ 選ばれなかった分れ道/ 知らないわたしが歩いている
そこは別の分れ道/ 人を愛して佇んだところ/ 選ばれなかった分れ道 /別のわたしが歩いている/ 選ばれなかった分れ道/ 知らないわたしが歩いている

詩と思想「2008年詩人集」(土曜美術社出版販売)より

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2008年12月 9日 (火)

ドゥマゴ文学賞の中原昌也さん「嫌いな仕事で貧乏だった」

 作家でミュージシャンの中原昌也さん(38)が、『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(boid)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞し、選考委員の高橋源一郎さんと記念対談を行った。
 受賞作は、金に困りつつもCDやDVDを買い、苦しみながら小説を書く日常を、愚痴や泣き言でひたすら書きつづった日記作品。現在は断筆し、音楽活動に専念中の中原さんは「今の時代は嫌いなことをしてお金をもらうか、好きなことをして貧乏かのどちらか。それなのに自分は書くという嫌いなことをしていてかつ貧乏だった」と語り、高橋さんを苦笑させた。
 「今は書いてたときより生き生きしてますよ」と独特の冷めた口調で語る中原さん。高橋さんは「それでも今の日本文学を本当に支えてくれるのは中原君しかいない。戻って来たらいつでも声を掛けてください」と応じ、対談を終えた。(08年12月8日 読売新聞)

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大塚史朗詩集「上毛野(かみつけの)万葉唱和」(群馬詩人会議出版)

 この詩集の表紙には、木漏れ陽に輝く石碑の写真がある。

 伊香保風 吹く日 吹かぬ日 ありといえど 吾が戀のみし 時無かりけり   
                    万葉集巻第十四上野国歌  伊藤信吉 書

あとがきに「出会いとは不思議なものである。人と人との出会いがなければこの詩集は生まれなかったろう。今から十五年近く前、郷土出身の詩人で評論家の伊藤信吉さんが、我が町の三宮神社に出かけてきてくれた。本人揮毫の万葉歌碑を見に来たのだ。前年の七月十四日の除幕式に出られなかった、と言って。(後略)」。そして11年前に、雑誌「農民文学」に発表したものを、詩集にまとめたものだという。
 作品はどれも、伊香保上毛野にちなんだ万葉集の恋歌をまず掲げ、そこに古世から現代につづく、大地に根を張って生きる生命力をうたったものが多い。農業を通した人生経験の豊かさをもって、軽やかでユーモラスでもあり、深刻で皮相でもある。不思議に味わいがあって、詩集なのに面白く読まされてしまう。この作者だからこその個性の面白さである。

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同人誌雑誌論に行き着く前に(5・完)

前回に続いて、小説を「内容的価値」のものと「芸術的価値」のあるものとで、二つに分類してみる話であるが、小説の価値がこの2つしかないと、ここでは仮定する(ちょっと苦しい設定だが)。そうすると、「芸術的価値」のある小説とは、「内容的価値」のないものではないか、ということになるのである。
 内容がないものは、それを書くと芸術的になるということになる。内容のない作品というのを現代風で例を挙げると、ヤマなし、オチなし、イミなしという「やおい」のジャンルがそれにあたるであろうか。BL(ボーイズラブ)など、官能小説的な世界でもある。自分は、あまりこのジャンルのことを知らないが、おそらく感覚と雰囲気だけを表現するしかない世界だと思われる。
 じつはこの感覚と雰囲気だけを表現するには、かなりの技術がいる。そして、芸術というのは、技術の一つである。作家・野間宏は、「芸術は技術であるから、修練することで上達する」と著作「文章入門」で書いている。
 その技術で、感覚や雰囲気を意味もなく、思想もなく表現できるということは、人間の存在そのものを表現するということにつながる。意味のないこと、内容のないことでも、それを表現することで、人間存在の意味性が浮き出てくるのである。そこに「芸術的価値」のある作品の生まれる余地があると、自分は考える。この世界から入るのは芸術的な作品を生み出す道でもあると思う。

 小説の読者の一般的な要求を知るのに、ある出版編集者はこういったそうである。求める小説のポイントは「1に、題材、2にストーリー、3、4がなくて5に文章である」。
 ところが、「芸術的価値」を狙う小説では、まず文章力が勝負となる。とことが、売れる小説には文章力より、題材の話題性や物語性が重要であるから、「芸術的価値」の作品は、よほど運がよくないと、売れない。そこから文芸春秋のオーナーである菊池寛は、無名作家の登竜門である芥川賞を創設し、脚光を浴びる機会を作ったのではないか、と自分は解釈している。
 売れないが、芸術作品の場を持つ。そこに同人雑誌の存在する意味と理由があると思う。
 そこから、面白い小説は、数が多い懸賞小説に応募し、面白くなくて、読むのに根気がいる作品は同人雑誌に発表するという方向性があるのではないだろうか。

 ところが、現実の同人雑誌には、既成作家の亜流や、書くために書くという志向のもが多くあるので、まぎらわしいのである。
 たまたま、最近送られてきた同人雑誌に、このようなテーマにふさわしいものがあるのに気がついた。ひとつは「海」67号(福岡市)で、そこに【「新ぼんくら講義『現代術なし考』」織坂幸治】が収録されている。ここでは、「術」に関する思弁が記されており、興味深く読んだ。これを眼にして、そうだ、この論を書いて終わらせなければ、と思いついたのである。
 もう一つは、「婦人文芸」86号の【五行歌「こころ」河出日出子】である。そのなかの書く心に関したフレーズを紹介してみたい。
                ☆
   書く、とは
   私にとって
   心の調伏
   心の安寧への
   手段


   書いていなければ
   心の安寧も
   得られない
   悲しいかなしい
   性格(さが)
           ☆
 このような典型的な作品に出会おうとは予想していなかったが、こうした要素があるので、同人雑誌の作品は、商業ベースにのった作品群と単純に比較しえないところがある。 

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2008年12月 8日 (月)

文芸同人誌「砂」第108号の作品を読んで(3)=中村治幸

【小説「角田家の兄弟」関根悠平】
 長編を書こうとする意気込みがいい。それも関根さんの得意とする趣味などを、兄弟に割り振っており、いかにも楽しそうに書いているのが見られる。ただ女性を憧れだけで見ているようで、扱いかねているところがあり、それも関根さんらしいなとほほえましく読めた。泰一郎は母の実家で見合いをし、その女性から振られたため自転車で旅行にゆくが、しかし理由はむしろ放浪癖にあるのではないかと思えてしまう。それは勤務に出掛けて、ふと旅にゆきたくなり九州に飛んでしまうというところから、推察できる。だが、女性に捨てられて旅にゆくという泰一郎の繊細な神経も関根さんの描く人物らしくていいと思う。正二の恋愛そして泰一郎がこれからどういう生きかたをするのか、次回に興味が待たれる。冒頭のことばが意味深長だ。

【小説「遙かなる遠い道」行雲 流水】
 輝子の入院生活で、夫の正三郎はもとより他家に嫁いだ娘の清子や加代子の献身的な看護が偉いと思う。それに清子が彦根市立病院の院長に頼んで、多発性骨髄腫の治療では第一人者といわれるM大学の第一内科教授に診てもらうようお願いし、病人をじかに診てもらうのはかなわなかったが、エックス線写真や処方箋でも診てもらったということに、愛情の深さを感じだ。
 輝子の臨終にあたり家族がそろう。その場面の描写には胸の熱くなるのを感じた。輝子なきあとの正三郎の気持ちの流れがよく描かれていて納得できる。長男の隆が同居をすすめてくれるのはありがたいが、正三郎としては一人暮らしをしたいのだ。その心中がていねいに描かれていてよく分かる気がする。
 そして晩秋の十一月半ばに春日先生に会いに行く。そこでの先生の話がいい。先生の話をききそしてわかれるときの「山の端に沈もうとしている夕日を背に受け、茜色に染まった夕もやの中で、山門で見送ってくれている春日先生の姿が影絵のように浮かび上がって見えた」という描写が美しく、締めくくりとして見事だ。

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同人誌「零文学」第6号(埼玉県)

 5号と6号は雑誌の特集に「青春小説」の評論を置いている。エッセイと小説のバランスが良く、自然に頁をめくって、読みたくなるリトルマガジンのスタイルを維持している。
【「続・子包み日記」君島有純】
第5号の「子包み日記」では、妊娠2ヵ月から出産病院を探すが、どの病院でも断られ、なかなか見つからず、やっと費用の高い病院をみつけ、そこで出産するまでを描いて、日本社会の現実をリアルに浮き彫りにしている。作者は語らずとも、そこに変質しつつある社会の現状が指弾されている。政治家や官僚が少子化社会を危惧した発言をしながら、子供を産めないシステムを放置する。現実と裏腹な発言をしても、それに慣れてしまっている国民意識。
その続編で、経験のない母親が、子育ての本を読みながら育児をして、赤ん坊を初の検診に連れてゆくと、そこで誤りを指摘されるまでの苦労話。これも問題であるが、その世相を描いている。文章に、今風の言葉使いを導入しながら、文体としてまとまっているのも読みどころになっている。

【「沖縄の青春小説―大城立裕『まぼろしの祖国』から」小野里敬裕】
沖縄出身作家の小説は読んだ記憶がないが、大学時代に沖縄からやってきた同級生がいて、彼の言動から沖縄の現状を聞かされたものだった。結局、学生運動の闘士となって、自分たちの世界から遠ざかっていった。この評論を読むと、自分自身がマルクスやヘーゲルの理論を学ぶうちに、無産階級でありながら、現実の日本社会に、階級闘争が社会を変えるという道のないことを発見し、失望感を抱きながら、自分はマルクスの資本論で学んだことを、どう生かせばよいのかと、心の光の細くなっていた時代のことなどを思い出した。

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2008年12月 7日 (日)

文芸時評「讀賣新聞」西日本版12月5日夕刊・松本常彦氏

タイトル:「総括」困難なあの「時代」
吉川成仁『無伴奏ヴァイオリン・ソナタ』(鉱脈社)
久木綾子『見残しの塔-周防国五重塔縁起』(新宿書房)・「文芸山口」(山口県)連載作品をまとめたもの。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年12月 6日 (土)

中小企業庁「緊急保証制度」、出版業も指定業種に

中小企業庁は12月5日、「原材料価格高騰対応等緊急保証」(=緊急保証制度)の対象業種に80業種を追加指定することを決め、「出版業」も対象指定業種に加わった。保証制度の適用は12月10日から。


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孤独だが無限に自由に 『心の虚空』が原動力 片岡義男さん(作家)

【土曜訪問】(08年11月22日 東京新聞・栗原淳記者)
 小説家は、どんなふうに作品のアイデアを思いつくのだろうか。片岡義男さん(68)の最近の著作を読むと、物語が生まれる瞬間に立ち会うことができる。
 六月に刊行された『白い指先の小説』(毎日新聞社)は、小説を書こうとしている女性を主人公にした連作短編集。作家やフリーランスのライター、小料理屋の女将(おかみ)などさまざまな肩書の女性が、日常生活の中で物語の発端を見つける四編を収録する。主人公が構想するストーリーが並行して展開する「作中作」の仕掛けに引き込まれる。
 一九七五年、現代日本の若者の感傷を疾走感みなぎる筆致で描いた「スローなブギにしてくれ」を発表、作家活動を本格スタートした。デビュー小説はそれに先立つ七三年に書いた「白い波の荒野へ」。ハワイを舞台にしたサーファーたちの物語である。
 デビュー前の時代を振り返って書いたのが、前作『青年の完璧(かんぺき)な幸福』(スイッチ・パブリッシング、二〇〇七年)。時は六六-六七年。雑誌を中心に原稿を執筆しているフリーランスの男性ライターを主人公とする短編集で、主人公はいずれも小説を書こう、書かなければと思っている。「登場人物の感じや時代背景は当時をそのまま描きましたが、僕は主人公のようにはしっかりした青年ではなかった」と笑う。
 一方でこの短編集には、片岡さん自身が小説を書くときに、どこに物語の発端を見つけるのかが示されている。
 例えば収録作の「かつて酒場にいた女」。主人公が通うバーのママは元映画女優で、酒場にいる自分を小説に書いてと求める。そのママが、急きょ映画の世界に復帰することになった。
「それまで具体的な現実の存在だった彼女が、急にスクリーンだけに映る幻の人になってしまう。存在が遠のいて抽象化されてしまうわけです。その体験が、主人公にとっての物語の入り口になるかな、という物語ですね。彼は、彼の言葉の中にしか存在しない女性をつくり出すことができる」
 女性から現実味や具体性が失われ、抽象性を帯びた虚空のイメージに変わる。記憶の中に開く風穴のような喪失感が、小説を書く原動力になる、と片岡さんは話す。
 四編を読み返し、これから小説を書こうとする主人公たちはみな幸せそうだ、と感じたという。
「書くための基本的な材料は作家の頭の中にある。小説を自分一人で書き続けなければいけない。作家は孤独だけれど、たいへんな自由が与えられている。無限に自由な状態で物語をつくっていく。これは作家の特権です。自分を材料に幻の人をつくり出すわけですから、これほどぜいたくで、自由なことはない」
 うらやましいほどに孤独で自由な駆け出しの小説家たち。題名の『青年の完璧な幸福』には、そんな主人公へのエールも込められている。 

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2008年12月 5日 (金)

第56回菊池寛賞を受賞する 宮尾登美子さん(82)

「60年前、小説を書き始めたときから耐えて前進する女性に引かれてきた。その軌跡を認めてもらったのでしょう」。芸の道を極めた「一絃の琴」や「陽暉楼」、歴史の転換期を生きた「天璋院篤姫」……ヒロインたちの凛々しさがこの人と重なる。
 「女の生き方という命題」を得たのは、専業主婦だった母が、離婚後、生き生きと食堂経営をした姿へ感銘を受けたから。大陸の難民生活や結核との闘病を経て22歳で文学の道を目指した。だが、36歳で新人賞を受賞するも10年間は鳴かず飛ばずで、「惨めでつらい挫折も経験した」。
 徹底的に文章を磨き、プロ作家になれたのは47歳で太宰治賞を受けた「櫂」。芸妓紹介業の家で育った少女時代の自分と、優しかった母がモデルだった。「今でもね、母が恋しくなる」
 NHKの大河ドラマ「篤姫」始め、作品の大半が舞台や映像になった。「24年前の本が今年、全国的な広がりとなったのは女性が社会で認められてきたからでしょうね」とほほえむ。1年前に夫が他界、「錦」の刊行後、寂しさのあまり筆を止めていた。「来年は仕事のことも考えたい」。受賞が励ましとなった。(文化部 佐藤憲一)(08年12月4日 読売新聞)

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2008年12月 4日 (木)

文芸部門で、東野圭吾さんがベスト3を独占…書籍の年間ベストセラー

 2008年の書籍の年間ベストセラー(トーハン調べ)が3日発表された。
世界的な人気ファンタジーの最終巻「ハリー・ポッターと死の秘宝」(J・K・ローリング著、静山社刊)が発行部数185万部で総合トップ。
 また、3位の「B型自分の説明書」をはじめ、「O型――」「A型――」「AB型――」と文芸社刊の血液型本がそろってベスト10入り。4冊合計だと発行部数は500万部。
 文芸部門では、東野圭吾(ひがしのけいご)さんが「流星の絆(きずな)」(講談社刊)でトップをさらい、テレビドラマや映画もヒットした「ガリレオ」シリーズの「聖女の救済」「ガリレオの苦悩」(文芸春秋刊)も2位、3位となり、同部門のベスト3を独占した。

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2008年12月 3日 (水)

貴志祐介さん「新世界より」などに日本SF大賞!

 第29回日本SF大賞(日本SF作家クラブ主催)が2日発表され、貴志祐介さんの小説「新世界より」(講談社)と、磯光雄さん原作・監督のオリジナルテレビアニメ「電脳コイル」(電脳コイル製作委員会)に決まった。副賞各100万円。
 また特別賞に6月に亡くなった作家の野田昌宏さんが選ばれた。第10回日本SF新人賞は、茨城県のクラブDJ、天野邊(ほとり)さんの「プシスファイラ」と、東京都の会社員、杉山俊彦さんの「競馬の終わり」となった。副賞各50万円。(08年12月2日20時01分 読売新聞)

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2008年12月 2日 (火)

「西日本文学展望」西日本新聞12月1日朝刊/長野秀樹氏

<今月は、医療の現場を舞台とした作品が目をひいた。>
辻一男さん「嗄声(させい)」(「詩と真実」713号、熊本市)、都満州美さん「白衣を脱ぐ時」(「海峡派」114号、北九州市)。
朝比奈敦さん「町医者」(「飃」79号、山口県宇部市)、井上明さん「遂に花開く」(「詩と真実」)。
「飃」では米田直人さん「街という名の主人公」が、高校生としては落ち着いた描写力があり、将来を期待させた。
「文学界」本年度下半期優秀作、江口宣さん「イエスよ涙をぬぐいたまえ」(「九州文学」)。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年12月 1日 (月)

文芸同人誌「文芸同人・長崎の会」第3号(東京都)(2)

【「鰤と鉄」秋田しんのすけ】
 コーヒーショップで、会計とコーヒーを作る蓮田という男。アルバイトの女子店員のなかに、ジョギングを趣味とする女の子がいて、その女店員を好きになるが、交際を申し込む手立てがない。すると、彼女がジョギング中に足を捻挫したという噂を聞いて、見舞いに行くと、見知らぬ若い男が先に来ていた。本誌3号は「グルメ・食」の特集で、前回紹介した岸知宏作品や次に紹介するあきらつかさ「糠床一代記」も同じテーマを課して書かれたものである。
 その意味で、どの作品もなかなか器用で、作家的な視点と手腕を持っているようだ。少なくとも起承転結をもってまとめる点でそつがない。なにを書いても、水準があるレベル以下にならない、というのは、頼もしいところがある。ただ、ライトノベルの読者層のことを知らないので、なんとも言えない。普通の小説読者としては、ホットコーヒーを頼んだら、そこそこの味のもの出てきたという感じで、旨いコーヒーとは言えないが、無難な味といったところがある。

【「糠床一代記」あきらつかさ】
 これは亡くなった祖母が、嫁に死に際に「ぬか」といったかいわないか、の話題から、嫁が姑の残した糠床を利用して、漬物を作るとこれがなかなか旨い。そうした話から、祖母の青春時代の過去がわかってくる、という仕組みの話。これは面白かった。特に、さまざまな素材の漬物の味わい、風味を文章で表現するところが、読むことへの快感を引き起こす。文学的な味というより、コピーライター的な風味があって、楽しめる。楽器の音色の表現などもそうだが、結構表現が単調になりやすいし、簡単ではだめで、かといって書きすぎてもいけない。やや突っ込んで、さっと引き上げるコツがむずかしいところだが、そこを楽しませるのは、たいしたものだ、とピントはずれに感心させられた。

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文芸同人誌「創」第3号(名古屋市)作品紹介(2)

【「神田川」安藤敏夫】
 淳一郎の妻の桐子が45歳で癌でなくなった。淳一郎には、娘がいるが、海外に出張をしていたこともあり、母親を理解していないことで、彼に批判的である。桐子の遺物を整理していると、手紙が残されていて、彼女が陶芸に打ち込んでいて、師とする陶芸作家と心の交流があったことがわかる。その交流は、娘も知っていたが、父親には言わなかったらしい。手紙の内容から、妻の陶芸の師である男は、桐子の死を知らない様子なので、淳一郎は葉書で妻の死を男に告げることにする。
 陶芸の歴史などの説明など、きっちりと几帳面に手堅く表現されている。ただ、手紙のやり取りの内容が、当事者同士はわざわざ、語らないはずのところを、読者のために不要なことを書くという物語の成り行きの説明を兼ねる手法が、違和感を呼ぶところがあった。

【「ワニブシ」大西真紀】
 米国人女性、メロディの英会話教室に通う「優」という有閑夫人の目を通して、そこに集まる人物像を描く。太平洋戦争中ボルネオで米英軍の捕虜の扱いなど、をしていた深水という男の戦争の心の傷も描く。ワニブシというのは、ワニを加工したものを、深水がメロディの持病とする膝の痛みをとる薬として30万円で売ったところからきている。優のめには、それはただの鰹節にしか見えない。その話の意味をどう解釈すればよいのか、わからない。

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文芸時評11月(東京新聞11月26日)=沼野充義

タイトル=谷崎由衣「ガルラレーシブへ」自分探す旅の快さ=加藤典洋・長編評論「薄れる“主人公の単一性”」=ゆっくり感に深み「同人誌優秀作」。

《対象作品》阿部公彦「スローモーション考」(南雲堂)/「文学界」同人雑誌優秀作・江口宣「イエスよ涙をぬぐいたまえ」(初出「九州文学」・文学界)/宮崎誉子「青瓢箪」(「新潮」)/谷崎由衣「ガルラレーシブへ」(「群像」)/加藤典洋「関係の原的負荷―二〇〇八、『親殺し』の文学」(「群像」/藤元優子ほか・特集「イラン女性文学」(「すばる」)。

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