文芸同人誌論に行き着くまでに(1)
文芸同志会は、「書く人のための文芸情報交流会」という主旨で、当初は月400円の会員で、「文芸研究月報」の会報を発行していた。とくに同人雑誌のために発行されたものでなく、晩年を迎えた主宰者が、社会と文芸というテーマで、論文でも書いて見ようか?という気持からそのデータを集めることが、目的であった。その担当者として鶴樹という筆名を使っている。
だから、同人誌に関してどこまで、書き進められるかわからないので、こんなタイトルにした。
現在でも、このブログに集めたデータでもって、「日本社会と文芸文化の動向」というタイトルで大学生が卒論を書けるははず、と思っている。
その主旨からして、同人雑誌というのは、日本の文芸文化のひとつの分野としてしか扱っていない。ではあるが、今年の雑誌「文学界」の12月号に同人雑誌の名簿リストが掲載されている。が、そのタイトルが、「書きたい人のための同人雑誌名簿」とかなんとかなっているのには苦笑した。結構、これを、読んでいるんでないの? と思わせるところがある。
文芸同志会の設立は2000年11月3日、文化の日である。今年で設立9年目になるということだろうか。
当初は、日本の文芸界の現状をよく知らないことから、出来るだけその文化的活動の資料を作成することであった。それには、まずジャーナリズム情報を収集し、現状を把握することである。文芸情報の収集のため、新聞や雑誌、TV番組の文芸情報をワープロに書き留めていた。
その年の同人誌「砂」の12月発行号に「文芸時事月報」として、掲載した。大学専攻がマルクス経済学であるから、それが自分なりの社会観察のフィールドノートになっているのではないか、と思ったのである。三年間ほど、継続して手作りの情報をつくり、それを根拠に社会現象の研究分析論が書けるかも知れない、と感じていた。
ちなみにこの「砂」に、同時掲載で、伊藤鶴樹「電話は夜明けに二度鳴る」という短編を発表していた。これは「砂」同人のために実作研究の材料として書いたものであった。
すると文学界の「同人雑誌評」で、松本徹氏がそのあらすじを紹介して取り上げていた。それはいいのだが、鶴樹の作品の出来そのものより、論者の松本氏の紹介する粗筋のほうが優れていたのであった。そのため、その評を読んだ同志会員から、作品を読みたいという申し入れがかなりあった。郵送料がかかって仕方がない。「作品より粗筋の紹介のほうが優れているから、読んでも仕方がないよ」と断るのに苦労したものだ。
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