文芸同人誌論に行き着くまでに(3)
読売新聞の23日に、井上ひさしが菊池寛について「作家の生き方」という講演を青山学院で行ったという記事があった。
そこで、古典的な同人雑誌の同人の精神的な葛藤を描いた「無名作家の日記」のことが記されていた。なんでも最近は岩波文庫になったそうだから、読めるらしい。
この作品は、菊池寛や芥川龍之介、久米正雄たちが作っていた「新思潮」という同人雑誌時代のことがモデルになっている、といわれている。
当時、菊池寛は在京の芥川や久米たちとちがって京都にいた。そうした事情は作品のなかの設定に似ている。
まず、日記を書く「俺」は、自分が文学芸術の才能がないのに、やってきたのではないかと、内心悩んでいる。青年時代に文学を語り、文壇に野心を持っていた男が、何時がきても世に出ないというのは寂しい、と無名に終わることの懸念を語る。そして、俺は今日偶然、同じクラスの佐竹という男と話をした。「僕は、実は昨日150枚ばかりの短編を、書き上げたのだが、どうも満足がいかなくてね」とかを語る。さらに「600枚ばかりの長編と1500枚ばかりの長編を書きかけているのだ」ともいう。俺は、この男の話に仰天する。自分は70枚の戯曲を書くのがやっとだったからだ。
そこで、どうやってその大作を、一流の雑誌に載せてもらえるのか、ときくと先輩作家のコネがあるからだという。その非現実的な話で、おれもばかばかしくなる。そのほか、自信満々で、大言壮語し、作品のレベルが低いと「おれ」の作品をけなす男。競争相手の同人誌が出来上がると、駄作しか書けていませんようにと祈る。俺は、わずか7枚の戯曲を、教授の関係している文学部の教授にびくびくしながら差し出す。雑誌に掲載してほしいのだ。だが、それが言い出せない。教授は受け取るが読みもせずに、世間話をする。
ところが、その7枚が「群集」という雑誌に載った。それをみた大作しか書かないという佐竹は、目の色を変えてこういう。
「何だ!こんな短編か!」と彼は吐き出すように言った。「この雑誌は一体誰が経営しているのだ!一人として碌な奴が書いていないじゃないか!」と雑誌を罵倒する。
俺は、俺の僅か7枚の短編が、これほど佐竹を激昂させたことに驚いた。
こうして、いろいろな同人誌仲間の言動をつぶさに見て、自分は才能不足と知り作家になることをあきらめる。
菊池寛の人間観察のすごいのは、ここに描かれた作家志望者の人間像は典型として現在でも存在するところであろう。こういう人いるいる、と思えるので、一読を薦めたい。
また、「入れ札」という短編があって、これは国定忠治が代官に追われ、山に逃げるときに、だれが同行するかを、子分たち同士で投票して決める。そこに自分の名を書いてはいけない決まりだ。しかし、冴えない子分の男は、見栄で、自分で自分を推薦する札をいれてしまう話。これは、文学賞の対象作品の選考のときの心理をモデルにしているとされている。
たたし、菊池寛は作家になるには、特別な才能は必要ないと、主張している。それは芸術的でなくても、内容のある小説が書ければ作家になれるという考えからきている。小説作品の芸術価値と内容的価値のものがある、という考えをもっていたらしい。
| 固定リンク
コメント