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2008年11月16日 (日)

同人誌「グループ桂」(小山市)」59号に関するエピソード(6)

だらだらとしたコーナーになってしまったが、「寸編小説」の話はここでひとまず終わりにしよう。結論的にいうと、「グループ桂」の教師の伊藤桂一先生は、北一郎の独断的な「寸編小説」を吟味した結果、「(小説がどうかの判別は、別にして)なかなか面白い試みだな。もう少し続けてみたらどうなの?」と、今後もこの形式で掲載することを認めてくれたのである。小説かどうかは、態度不明にされたことが大きい。なにか、結論がでるようなものだったら、自分もやらないだろうから。掲載作品は、まだあるのだが、次の作品には、評価に象徴的なものあったので、これを最後にしよう。
作品は本来、縦書きである。
「寸編(すんぺん)小説から」
「夜の潮」
 ビールでも飲もうと思った。蒲田の駅ビルのレストランだった。久し振りの家族そろっての外食だった。私の眼には、妻と二人の娘たちの瞳が満足げに輝いているのが、映っていた。私は小さな世界を支配する父親だった。それなりに微かな仕合わせを演出できたらしい。その時、ゴオーッという低い音が響いた。何かしら? 妻が呟いた。娘たちの眸も私に向かって揺れた。何でもない、一時止まっていた空調機が動き出したのさ。私の言葉で娘たちは再び静かに食事をはじめた。私はゆっくりとビールを飲んだ。窓から外をみると、何時の間にか雨が滝のように降っていた。街のネオンが雨滴に流れてかすんで見えた。私達は海底に棲む深海魚のようにそこにいた。


伊藤桂一師の論評
「ま、幼稚な作品だね」。
それ以外の論評なし。

北一郎の反省=この作品は、会員に一番評判がよく、自分も書きたいと思う、という意見が多く出たし、実際にスタイルを追随して、発表している人もいる。それが時代というものではないのだろうか。じつは、これまで事例に挙げてきた「寸編小説」は、すべて作者が30歳になる前に創作したものである。新聞の印刷所の校正室で、ゲラがであがるのを待っている時間を利用して、書いておいたもの。そのときから、今はこれが理解されることはない、としまっておいたものだ。その印刷所では、田中角栄の後援会の発行する越山会の会報も印刷していた。そこには、大手新聞社の記者がやってきていて、その会報のゲラを読んで本社に記事を送っていたものだった。そのとき、自分は、「ゲラは最終校了でないかぎり、情報源として確定していないのではないか」と、疑問に思ったことを記憶している。

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