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2008年10月 1日 (水)

<文学9月>戦火の絶えない「戦後」(読売新聞)

(文化部 山内則史)(08年9月30日 読売新聞)
自由求め信念貫く闘い
1945年生まれの池澤夏樹氏(63)が今月完結させた長編「カデナ」(新潮、2007年5月号~)で扱っているのはベトナム戦争。1968年、ハノイへ米軍機が頻々(ひんびん)と飛びたつ戦時下の、本土復帰以前のオキナワで、来歴も世代も異なる人々の命運が交錯するひと夏を中心に描く。
 米軍・カデナ基地に勤務する、米国人とフィリピン人の間に生まれた女性曹長、戦争で天涯孤独となった無線と模型の店の主人、地元の人気ロックバンドに加わる少年。三人三様のかわるがわるの語りから、おのおのの背負う歴史と、3人の連携で進行しているある秘密の行動、女性の恋人であるB―52のパイロットの苦悩から破滅までが明かされていく。
 戦争は攻撃される側だけでなく、攻撃する側の精神をも、手ひどく傷めつける。国家に従わざるを得ない個人は、その桎梏(しっこく)の中で、いかに自由を見いだすのか。いつ秘密が露見するかも知れぬサスペンス、巨大な力に翻弄(ほんろう)されながら信念を貫く人々のひそかな闘いに、読む側はいつか身を乗り出している。
 熱気あふれる60年代から9・11後の世界を照らし返す、ちょっとクールで繊細な反戦小説は、作家が94年から10年住んだ沖縄体験からも、たっぷり養分を吸い上げているだろう。
 高村薫氏(55)「太陽を曳く馬」(新潮、06年10月号~)には、冷戦構造終焉(しゅうえん)後にこの社会を覆った空虚と混迷、21世紀の新しい戦争の影が色濃い。高村作品おなじみの合田刑事は、別れた妻がニューヨークの同時テロに巻き込まれたと義兄から聞き、ツイン・タワーの崩落を脳裏に再生しては心のうつろに沈潜している。
 『晴子情歌』『新リア王』の中心人物、福澤彰之は、本作では死刑囚となった息子・秋道の父として、また東京・赤坂に曹洞宗の修行場を開いた僧侶として登場する。描かれるのは秋道の犯した殺人事件の回想と、修行場で起きたある出来事。その渦中で交通事故死した青年には、オウム真理教の信者だった過去がある。現代人が直面している閉塞、この社会の変質を見つめ、そこで生きる意味を言葉でとらえ得るかどうかの限界まで挑んだ、果敢な実験とも読める。あくまで言葉で時代と対峙(たいじ)しようとする作家の真摯さに圧倒された。
 中編では佐川光晴氏(43)「われらの時代」(群像)。児童福祉司として、親の虐待から子どもたちを救おうと粉骨砕身する善良な中年男がある事件でつまずき、うつ病になる。リハビリを兼ねて児童養護施設で働き始めるが、自分の胸の内をすべて見透かしているような同僚や子どもたちの悪意と邪気に満ちた声が、宿直中に筒抜けで聞こえてくる。壊れているのは周囲か、自分か。正義も倫理も信用も、確かと思われたものが揺らいで見える“われらの時代”の疑心暗鬼の様相を、平凡できまじめな中年男の日常に凝縮させた手腕がさえた。
 川端賞、三島賞の連続受賞で充実する田中慎弥氏(35)は「神様のいない日本シリーズ」(文学界)で新境地を開いた。野球チーム内でいじめにあう小四の息子に「野球を続けてほしい」とドア越しに語りかける父のモノローグ小説。ベケット「ゴドーを待ちながら」を巧みに踏まえ、3連敗から大逆転した伝説の日本シリーズ西鉄―巨人戦のあった58年に忽然(こつぜん)と消えた自分の父親への愛憎と野球をめぐる思い出、後に妻となる少女との中学時代の交流を息子に伝える問わず語りには、これまで前面に出ることのなかった作家の柔らかさと伸びやかさがあった。
 評論では加藤典洋氏(60)「大江と村上」(小説トリッパー秋号)が出色。相いれない地点から出発したかに見える大江健三郎と村上春樹が、同時代に対する距離の取り方で実はよく似通っていることを鮮やかに示し、痛快だった。

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