文芸時評10月(毎日新聞10月27日)川村湊(文芸評論家)
《対象作品》中村文則「なにもかも憂鬱な夜に」(「すばる」)/新潮新人賞・飯塚朝美「クロスフェーダーの曖昧な光」「新潮」)/すばる文学賞・天埜裕文「灰色猫のフィルム」(すばる)/青山七恵「かけら」(新潮)。
《対象作品》中村文則「なにもかも憂鬱な夜に」(「すばる」)/新潮新人賞・飯塚朝美「クロスフェーダーの曖昧な光」「新潮」)/すばる文学賞・天埜裕文「灰色猫のフィルム」(すばる)/青山七恵「かけら」(新潮)。
(紹介者 江素瑛)
トイレに飾ってある鴨の俳画を、気持ちよく用を足しながら目の保養。狭い空間になんと贅沢な時間があるのだろう。そして場所は上野の不忍池に移る。江戸時代に琵琶湖を見立てて作られた不忍池だが、茂った笹、出会い茶屋、よく男女の逢引に利用された場所かもしれない。はるか昔、庶民の場でもあった森を、庶民に返す「恩賜公園」の名は、確かに違和感を持つ人もいるであろう。しかし、神代の時から連なる大君の、民衆を愛す心を素直にいただく民衆もいるであろう。いずれにしても野鳥たちと自然体に融和できるなら、場所の名前はどうでもいいことかもしれない。
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「 あやかしの胡蝶の木 其の壱 厠から恩賜公園へ 」 原 満三寿
わが陋居のトイレで大きい方の用をなすものは/ どうしても壁にかざった俳画をみることになる/「厠にて鴨の着水考える」のわが腰折れに彩墨俳人の浅尾靖弘さんが/画面にあふれるほどの表飄逸な鴨を描いてくれたもの/ 用をすませた客人が/けっこうなものでげすな/ などと世辞をいうこともある/ さんざんみられた俳画なのだが/ 世間より十年ほど遅れて世帯をもった次男がいなくなると/ なぜかにわかに鴨の着水がみたくなって/ 上野の不忍池にきてみた
だがついたとたん不快になる/ <上野恩賜公園・不忍池>の名称が江戸っ子じゃねえが気にいらねえ/ 「恩賜」たなんだ/ 天皇から下賜されたものをさすことだろう/ 公園ばかりじゃなく恩賜林なんてえのもある/ いつから公園や林が天皇のものになってたのかい/ 「下賜」たぁなんだ/ ほんらい君主から家臣がものを拝領することだ/ するてえとおれたちは天皇の臣下かい/ ざけんじゃない 不快/ と まず加齢難癖をぶつぶつ
「騒」第75号より(08年9月 騒の会 町田市本町田)
昨年4月に創設された、「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」1回受賞作は、松本寛大さんの「玻璃の家」に決定。作者の松本寛大氏は、1971年北海道生まれ、札幌在住。
島田先生選評(抜粋)
「一読、この作品はもう充分に傑作の領域にあると感じて、このような高度で緻密な本格ミステリー作品が、福ミスのような地方の小賞に投じられてきたことに感謝した。本賞受賞作は、この作以外にはないであろう。」
松本さん受賞コメント
「今回の受賞を本当に光栄に思っています。島田先生・羽田市長をはじめ、ばらのまち福山ミステリー文学新人賞の実行にたずさわった関係者の方々には感謝の言葉もありません。私のつたない作品が福山市の発展のために少しでも寄与できれば望外の喜びです。
今後ともこの栄誉に対するせめてもの恩返しとなることを信じ、受賞者の名に恥じない作品を書けるよう精一杯努力し続けたいと思います」
受賞作の出版は2009年3月(予定)
作品は今後、島田先生の指導のもとに推敲され、2009年3月に講談社から発表される予定。すでに傑作の域にあるとまで言われるこの作品が、さらに磨きをかけられて世に送り出されることになる。
優秀作「罪人いずくにか」(水生大海)
今回は応募作品のレベルが高く、島田先生のご要望もあって、特別に「優秀作」として水生大海(みずきひろみ)さんの「罪人いずくにか」が選ばれた。出版が前提ではありませんが、来年3月の表彰式には水生さんもご招待する予定。
(文化部 山内則史記者) 携帯さえあれば話せる。便利な道具を手にした反面、現代人はじかに話し、接触する「直接性」から遠ざけられている。今月は文芸誌3誌に新人賞が出そろったが、文藝賞の喜多ふあり氏(28)「けちゃっぷ」(文藝冬号)は、そんな時代の感触をよく伝えている。
親の仕送りで暮らすニートの女性〈私〉は、3か月誰とも話さず、自分の考えや妄想をひたすらブログに書いている。〈私〉のブログにコメントを書き込んだヒロシが目の前に現れても、会話はブログを介して。〈私〉には、テレビの中もネットの中も現実の世界も、〈自分との距離が等間隔の同じ一つの世界〉としか感じられなくなっている。
ヘラヘラ笑いのブログ文体で疾駆するこの小説の、ある種のばかばかしさの中で、世界の速度を停滞させるかのような映像のもたらす重苦しい不安が、〈私〉にも読者にも、一段と切実に迫ってくる。
「野ブタ。をプロデュース」でデビューした白岩玄氏(25)は、4年のブランクを経て受賞第1作「空に唄う」(同)を書いた。23歳の僧〈海生(かいせい)〉と、病死した同い年の女性の霊との交流と別れを描くゴースト・ストーリー。その女性の通夜の席で、住職である祖父の脇で経を上げた海生は、死んだはずの彼女の姿を棺の上に見る。見えているのは海生だけ。自らの死を実感できない彼女には、海生と自分の声以外に音が聞こえない。
リアルな感覚から大きくはずれていかないのは、ネットやゲームの仮想世界と現実が併存する現代と、あの世とこの世がつながっている小説世界が、似通っているからかもしれない。バーチャルとリアルを行き来することは、現代に生きる人々には日常になっているのだから。
今月は、親子関係を見据えた秀作が目立った。津村記久子氏(30)「ポトスライムの舟」(群像)は、昼間は化粧品工場のライン労働、夜はカフェで給仕のパートとデータ入力の内職、土曜はパソコン講師といささか働き過ぎの30歳前の独身女性が主人公。母親と住む奈良の古い大きな家に、離婚騒動で学生時代の友人が幼い娘連れで転がり込んできたことから、やがて働くことに縛られた生活に変化が兆す。工場の同じラインの同僚など、市井の人々の生活の根っこにまで届いている作者の目線は細やかで、そこから暮らしのにおいが立ち上ってくる。
父と娘の隔靴掻痒(かっかそうよう)の感情を巧みに切り取ったのは青山七恵氏(25)「かけら」(新潮)。父とふたり、サクランボ狩りの日帰りツアーに参加するはめになった20歳の大学生が、まともに話したことのない父との気詰まりな時間の中で、これまで目にしたことのない、愛想のよい父の顔を発見する。親子ではあるが他者でもある肉親という存在の両面性を照らし出す上で、カメラという小道具が利いていた。
磯崎憲一郎氏(43)「世紀の発見」(文藝冬号)では、石油掘削設備の技術者として海外でも長く働いた中年男が、少年時代の不思議な出来事を思い起こし、親にとっては子供の存在だけが〈人生の時間を現実に繋(つな)ぎ止めておく担保〉になっていることに思い至る。デビュー作「肝心の子供」にもあった、脈々とつながっていく命の連続性への意識が、小説の時間の中でゆったりと息づいていた。(文化部 山内則史)
「読売ウイークリー」は、 12月1日発売の同14日号で休刊する。同誌は1943年5月に「月刊読売」として創刊。52年に「週刊読売」に誌名変更し、週刊化した。2000年に「Yomiuri Weekly」に、05年に現在の名称になった。新聞社系の週刊誌の草分け的存在だったが、最近は発行部数約10万部。販売不振と広告収入の減少、コスト増などで65年の歴史に幕を閉じることになった。
小学館は29日、幼児向け月刊誌「マミイ」を来年1月31日発売の3月号を最後に休刊すると発表した。少子化に伴う発行部数の減少が理由としている。「マミイ」は0~2歳児を対象とする幼児誌で、1972年2月創刊。最盛期の84年には約24万5000部発行したが、最新号は約10万部に落ち込んでいるという。(08年10月29日 読売新聞)
政府は28日、2008年度の文化勲章受章者8人と文化功労者16人を発表した。文化勲章の受章者には、数学の伊藤清(93)、指揮の小澤征爾(73)、ともに素粒子物理学の小林誠(64)、益川敏英(68)、海洋生物学の下村脩(80)、小説の田辺聖子(80)、日本文学のドナルド・キーン(86)、スポーツの古橋広之進(80)の8氏が選ばれた。
文化勲章受章者は文化功労者から選ばれるため、ノーベル化学賞の下村氏は今回、文化功労者も顕彰される。
キーン氏はニューヨーク市出身の米国人。外国籍での受章は、今年のノーベル物理学賞受賞者で米国に帰化後に受章した南部陽一郎氏(1978年)、アポロ11号で月面着陸に成功したアームストロング船長ら3人(69年)の例がある。元競泳自由形の選手で日本オリンピック委員会会長も務めた古橋氏は、運動選手としては初の受章。
文化功労者は、発生生物学の浅島誠(64)、生物有機化学・応用分子細胞生物学の磯貝彰(66)、作曲の一柳慧(75)、工芸の奥田小由女(71)、俳句の金子兜太(89)、電子工学の榊裕之(64)、応用物理学・学術振興の霜田光一(88)、彫刻の澄川喜一(77)、経済社会学・社会変動論の富永健一(77)、情報工学・学術振興の長尾真(72)、言語学の西田龍雄(79)、狂言の野村萬(78)、バレエの牧阿佐美(74)、作曲の船村徹(76)、歌舞伎の中村富十郎(79)の各氏。
《対象作品》座談会=柄谷行人・黒井千次・津島裕子「『蟹工船』では文学は復活しない(文学界)/対談=原武史・秋山駿「団地と文学」(群像)/天埜裕文「灰色猫のフィルム」(すばる文学賞受賞作)/飯塚朝美「クロスフェーダーの曖昧な光」(新潮新人賞受賞作)/喜多ふあり「けちゃっぷ」(文藝賞受賞作)/安戸悠太「おひるのたびにさようなら」(同)。
《対象作品》「命根」相馬庸郎(「AMAZON」431号/宝塚市)、「現人神」諸知徳(「あてのき」34号/金沢市)、「くたばれ忠臣蔵」逆井三三(「遠近」35号/練馬区)、「庄屋の職分―摂津国高浜村・押領吟味一件」穂積耕(「法螺」59号/交野市)、「桃の花びら」武野晩来(「青稲」81号/松戸市)、「見る聞く歩く学ぶ―江戸」野村敏雄、「上野のお山」郡順史(以上「八百八町」8号/板橋区)、「闇の森心中」湯本明子(「文芸シャトル」63号/豊田市)、「迦陵頻伽」大掛史子、「巣林一枝」山本十四尾(以上「墓地」63号/古河市)、「フォールアウト」伊藤眞理子、「記憶」河野洋子、崔龍源(以上「COALSACK」61号/板橋区)、「国の歩み」下川浩哉(「九州文学」525号/中間市)、「葦の地帯」千早耿一郎(「騒」75号/町田市)、「十五歳の夏」天路悠一郎、「武田隆子さんはかけがえのない詩人であった」菊田守(以上「花」43号/中野区)、「出征の日が初対面往きしまま耳不自由な年嵩の従兄」滝口悦郎(「未来」680号/中野区)、「被爆者の手記に報復の記録なし深き悲しみを思はざらめや」矢野伊知夫(「新アララギ」11巻9号/千代田区)、暮尾淳、瀬山由里子、中里夏彦(以上「鬣」28号/前橋市)、特集「あの俳人の今」(船団」78号/箕面市)、「春はいいですね……」武田隆子(「りんごの木」19号/目黒区)、石鍋トリ追悼(「荒栲」3巻5号/台東区)、高橋徹追悼(「GAIA」25号/豊中市)、中西泰子追悼(「塔」644号/左京区)。「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)。
読売新聞社が4~5日に行った全国世論調査(面接方式)によると、この1か月間に本を1冊以上読んだ人は54%だった。
昨年の48%を6ポイント上回り、本に親しむ人の割合は高まった。
本を読む理由(複数回答)は「知識や教養を深めるため」47%(昨年比8ポイント増)、「面白いから」32%(同1ポイント減)、「趣味を生かすため」27%(同3ポイント増)――などの順で多かった。知識や教養を身につけることを目的に本を読む人が増えたことは、最近の教養新書ブームを反映したものともいえそうだ。
本の選び方(複数回答)は「書店の店頭で見て」49%が最も多く、「ベストセラーなどの話題をきっかけに」「新聞の書評を読んで」各25%などとなった。
「子供のころに本を読む習慣を身につけることは大切だと思う」と答えた人は97%に達した。本を読むことの良い点(複数回答)では「知識が豊かになる」65%、「想像力が豊かになる」54%、「物事を深く考える力がつく」50%が目立った。(08年10月26日 読売新聞)
【「立ちつくす季節」堀井清】
堀井氏の作風は、文学的な気風に満ちた独自の表現性をもつ。ちょうど、音楽がつくりあげる時間の雰囲気を味わうように、読書する時間のなかに一つの雰囲気を作り上げるのである。雰囲気小説とでもいうのだろうか。作品のなかにもオーディオ装置の話が出てくる。ここで聴く音楽は、ラジオカセットやipodではいけない。ハイファイコンポーネントで、コンサートホールを上回るような、楽器の切れ味が、良くあじわえる装置でなければならない。
主人公は、オーディオルームで独り、古今の名曲に聴くような、やや憂鬱症の男のタイプである。加齢による頻尿に睡眠がよくとれず、老妻と認知症になっているかどうかが、夫婦の話題になる高齢者である。息子夫婦と孫と同居している。
家族で同居しているのは、独り暮らしに人からみれば、幸せそうだが、いざ当事者となればそうはいかいない。家庭のなかで、除外されるだけでなく社会から除外される存在となった立場を示し、いいしれぬ孤独感をもっている。
過去の罪深い行為と、思い出さずにはいられない恥辱感が、思弁の展開をともなって語られる。何十年も生きているから、そのタネには困らない。後半では、調子を変えた2人称で、店のアルバイトの店員に採用して欲しいと申し入れるが、老齢を理由に断られるエピソードがあり、ついに店員から「あんた死臭しているよ」といわれるまでになる。若いときは、仕事の束縛から自由になりたいと切に願ったはずである。現在はその束縛を求めて仕事につきたいと願うが、それもかなうことがない。アウトサイドに立った人間の孤独を描いて終わる。自分なども社気的な存在の希薄となる昨今、これから自分は、どのような時間を過ごせばよいのか、選択の余地のない迷路のなかで、立ちつくすような思いをすることがある。読者である、自分自身にとっての問題提起と実感のこもった作品に読める。本誌には、作者の「ずいひつ~音楽を聴く」の連載があり、音楽とオーディオ装置と芥川賞作家・諏訪哲史氏の創作論に関する話がある。
【「光と影」井上武彦】
直木賞候補になった経歴をもち、クリスチャンである作者が、遠藤周作との出会い、瀬戸内寂聴との交流、文豪といわれた丹羽文雄の主宰する文芸同人誌「文学者」に執筆するなど、文学的遍歴と信仰の葛藤を描く。そのキャリアを知ると、かなりの年配であることがわかり、その力量に感嘆させられる。職業作家になる道が目の前にありながら、そこに歩みを進めなかったのは何故なのか、別の興味も湧く。
それに応えるように、瀬戸内寂聴から、作家になりたかったら「あなたは、家庭を捨てなさい。女房子供を捨てなさい。そして創作一筋に打ち込みなさい」と、諭される場面も描かれている。
文学にすべてをかける姿勢を示すことが、編集者に支持される時代であったことがわかる。スポーツ根性と同じ精神主義である。
井上氏はしかし、そうした決意というか、決断をしなければならないことに、ぴんとこない。そのときすでに井上氏が次元の異なる精神構造をもっていたことがわかる。「作家的根性」は作家になるには必要条件であるが、文学芸術的には、そうとは限らない。ただ、出世の手段としての職業作家になるという意味では、現代にも通用するとは言える。瀬戸内寂聴は、作家に出世したあとに出家してしまった。これは、作家道を歩んだ末の自然の流れかもしれない。
現代でも車谷長吉のような「私小説作家的根性」の精神構造の作家が存在する。あと何年かするとユーモア小説の作家とされるのではないか、とも思われるほど時代錯誤に満ちた作風が、人気があるようだ。笑われてなんぼの大阪芸人の雰囲気に似て、人気の理由もわかる。
それはともかく、作者は、60年安保騒動時代に労働運動のリーダーをしていたことも語り、宗教、文学、生活など、すべてが光と影の混沌のなかにあることを語る。
まさに、その混沌のなかに、総合的な文学芸術の舞台があるのではないか、そのような示唆を与えてくれる力作であった。
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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例
連携サイト穂高健一ワールド
【「2階のマエストロ」朝岡明美】
12室ある共同住宅の住民である新婚の「私」の視点で、近所付き合いの様子が語られる。マエストロと称される住民が、ショパンという飼い犬を追って、自分が車にはねられて亡くなってしまう。なかなか退屈な話を軽妙な筆致で展開している。その軽妙さの背後に、日常生活のなかの無常観が表現されている。
【「縄文人が私を生きる」藤村文雄】
縄文時代の貝塚の発掘にかかわった若い女性が、タイムスリップして、縄文時代に入り込み、再び現在にもどる話。古代にはロマン的な想像力をかきたてる何かがあるようだ。
【「おもかげ」川口務】
主人公は若くして病弱な体質で、療養に適した土地である期間過ごす。そこで、通院する。転地療養が流行ったころであろう。病院で知り合った若い看護師と知り合い、プラトニックな愛が生まれる。そうした恋心よく表現したゴールズワージーの小説「りんごの木の下」に魅了され、その本をさがす物語。思春期の初恋は多くの人が書いているが、この作者の語りは、読む者の心をほのぼのとさせる。楽しく読ませる味のある表現力がある。貴重な資質ではないだろうか。天性のもので、人柄なのかもしれない。
泉鏡花は、江戸川乱歩やベルヌらと並んで好きな作家の一人だ。その名を冠した賞に決まり、「過去の受賞者はすごい人ばかり。僕は初の“ド素人”受賞者ですよ」。アトリエで、ちゃめっ気たっぷりに語った。
受賞作『ぶるうらんど』(文芸春秋)は、死後の世界をこの世にも似た穏やかで不思議な世界として描いた短編集。きっかけは、知り合いの編集者の「小説を書きませんか」という一言だった。「そのときはすぐ笑って断りました。でも、寝る前にふと気になって」。翌日、1編目を一気に書き上げていた。
兵庫県西脇市出身。かつてはグラフィックデザイナー、今は画家として、聖と俗、夢と現実が混在する独特の画風を確立し、世界的にも評価は高いが、昨年、「隠居宣言」。今は気持ちの赴くままに絵筆をとる。その合間につづった受賞作を、村松友視選考委員は「軽やかで柔らか。ここに今の横尾さんの精神の中枢がある」と評した。
次作について聞くと、「上手におだててくれたら、書くかも分からんよ」。古希を超えてなお少年のような笑顔を見せた。(文化部 金巻有美)(08年10月24日 読売新聞)
ブックオフは今年8月から川崎モアーズ店と渋谷センター街店で、「本のアウトレット」と銘打ち出版社の再販指定を外れた「自由価格本」を試行販売。その後、10月に開店した町田東急ツインズ店にも導入し、現在3店で実施中。さらに、11月から自由価格本コーナーの名称を「B★コレ!」に統一し、11月中に81店に導入する予定。2009年3月末までには200店での展開を目指す。11月中までに導入する店舗はすべて直営店。2009年3月末の売上げは200店で5000万円(うち直営店は3500万円)を目指す。2010年3月期には、200店で3億円(うち直営は1億円)の売上げ計画を立てている
「騒」75号(町田市「騒の会」発行)は、30頁ほどの薄いものだが、文字が小さいので、内容は濃い。しかも評論も充実し、毎号読み応えがある。書評として、坂上清「坂上清詩集」を新倉葉音が「小鳥の棲む社会派詩人の狙うところ」がある。坂上氏の詩風は、単純な素材とやさしい表現のもが多いが、それが幾重にも重ねられた寓意を含むために、じつは難解であるという特徴がある。そのなかで小鳥に託した作者のイメージとビジョンがあることを、ここで降り起こしている。その他、千早執耿一郎「慎太郎氏のイチャモン」、7月に亡くなった詩人・梅田智江さんの追悼記、暮尾淳「梅田智江さんのこと」がある。
「夜明け前」159号(北群馬郡「群馬詩人会議」発行)は、73才で農家をし、先ごろ農民文学賞の詩部門の受賞者でもある大塚史朗氏の発行。毎号「野の民遠近」を執筆し、元気である。評論・エッセイで、久保田穣「群馬における私的詩史ノート」(68)という長期連載。梁瀬和男「萩原朔太郎の郷土詩人の思い」(下)が興味深い。
「さわさわ」5号は、森本忠紀発行の「重信房子さんを支える会(関西)会報」であるが、支援者の短歌や俳句の掲載が多い。重信房子「私の京都・大阪物語(5)」がある。組織の国際部に所属したことで、パレスチナ解放運動の情報を得るまでのいきさつが記されている。国内活動のときに彼女を逮捕した刑事が、後日、検察庁にいてそれが、最近朝鮮総連の建物の取引で逮捕された緒方元検事であったという話題もある。
「新・原詩人」20号は、現代詩人文庫「坂上清詩集」(砂子屋書房)を(抄)にして特集を組んでいる。この「新・原詩人」は、井之川巨(故人)の主宰する反戦詩人グループ「原詩人」のあとを、江原茂雄氏が継承したもの。井之川氏は、その時代から、獄中の重信房子氏に発行物を送付していたようだ。生前の井之川氏は、第2回文学フリマの文芸同志会コーナーに訪れて、それから間もなく亡くなった人だ。
氏家篤子、荻悦子、鈴木正枝の3人による詩誌。各氏が2作づつ全作品で6作品だけが掲載されている。
萩悦子「ポゾゾル」は、地球の寒冷地の地下の存在するものに思いを馳せる。温暖化で地球が炎上しても生き残れるのか、とも想像させ、微生物的世界から宇宙にまで意識を誘う。同「翌朝」落雷の夜明けに小鳥の幼鳥が死んでいるのを見る。日常の生と死の意識を表現。
鈴木正枝「路肩」老いた病身の、孤独に思いつめた心情を描く。愛憎の情念を生きる力にかえて、どこまでも生きる。同「じかんを じかんを」我々の漂う時間は、その時々にのび縮みする。生きることは時間との戦いである。思弁的世界に引き込む作品。
氏家篤子「海の扉」朝の海の潮の香りを漂わせた光景と夕べの海の無関心さとを、人間的心情を窓をあしらって、さらりとギリシャ的に描く。同「秋」カマキリ、ドングリ、雹でも降ったのか、突然われたガラス扉。ダイナミックに秋を感じさせる。
【「羽音」松蓉】
鳥きらいな男が、嫌いなゆえに、バードウオッチングのようなことをせずには居られない男を皮肉に描く。嫌いであるという視点から繰り広げる鳥の生態のウンチクが面白い。人間の愛憎の機微を風刺に転換している。
【評論「意味の異化と無化―笙野頼子『二百回忌』論」藤田充伯】
作家・笙野頼子の作品をそれほど読んでいないので、このような視点で論評されたものは、勉強になる。恐山のイタコの呪文に似て、言葉の礫により、読み手の心理的な空白域を突いて、そこに充実感を生む手法を浮き彫りにしている。
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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例
講談社は22日、月刊のマンガ雑誌「モーニング・ツー」の1か月前の発売号をネット上で期間限定で無料公開する試みを始めた。
同誌は「モーニング」誌の増刊で06年夏から発売。雑誌の部数は約5万部で、1、2巻計100万部を超す「聖☆おにいさん」など連載作の単行本がヒットしている。しかし、雑誌の流通システムの問題もあって、都市部以外の書店では同誌を入手しにくいとの苦情が多い。そこで、今月の第15号から12月の17号まで、それぞれの発売日から1か月間限定で前号をネット上で見られるようにした。(08年10月22日 読売新聞)
日本文藝家協会は、10月16日付で、「出版社各位」に宛てた文書を配布。アマゾンジャパン「なか見!検索」、グーグル「ブック検索」など書誌情報だけでなく本文も読めるサービスについて、「販売促進」の範疇を超えて「読了」できるレベルのものがあり、「過大な公開を避けてほしい」との意見が理事会であがっていると説明。出版社に作品掲載の許諾を出す場合にその範囲に留意してほしいと伝えるとともに、出版社によっては著作者の許諾を得ていないことも指摘し、必ず許諾を得るよう要請している。同協会によると、文書は517社に配布した。
中経出版と新人物往来社は10月10日、新人物往来社の出版部門の営業権を譲渡することで基本合意。新たに中経出版が100%出資の新会社「新人物往来社」を設立し、12月1日から同社の出版事業を継承する。
新人物往来社の社員が出版活動を担っていた姉妹会社・荒地出版社についても、引き継ぐ方向で話し合っている。新会社では、新人物往来社の菅春貴社長を除き、役員・社員は原則として雇用を継続。
中経出版は「ビジネス書、語学書、学習参考書、一般書、文庫に、人気の高い歴史分野を加え、さらに中高年市場で支持をえていきたい」と説明。来春には、歴史小説を中心とした「新人物往来文庫」シリーズを計画、“歴史市場”の強化をする。また、今年に中断していた「歴史文学大賞」を、来年に復活する。新人物往来社=1955年創業・資本金1億0300万円・年商8億円。
京阪神エルマガジン社の「Lmagazine(エルマガジン)」は、12月発売の2月号を最終号とすることを発表した。1977年創刊、関西の地域密着型情報誌として「エルマガ」の愛称で定着していた。「発行部数は安定していた。広告収入の不振が決断の理由」としている。9月に女性誌「Richer(リシェ)」を創刊、東京地区でもムックを販売するなど、新たな展開をする。
日本文学振興会は15日、直木賞の選考委員に作家の宮部みゆきさん(47)が新たに加わると発表した。退任する人はなく、来年1月に予定されている第140回から選考委員
アメリカのサブプライムローンから始まった信用不安は、世界恐慌への恐怖を撒き散らした。
マルクスの経済理論では、資本主義の資本が世界経済システムの矛盾を累積させるとし、昔の国際関係が国際連合などによって協調ができるという理想主義批判してきた。資本の本質を昔から指摘してきたが、一般の経済雑誌にその理論を基礎にしたものが載ることは少ない。
銀行が国営化されるということは、資本主義がその矛盾を解決するために社会主義化したということである。
資本主義社会がその矛盾を埋めようとすると、その活動を社会的にコントロールする社会主義的な修正をしなければならなくなる。
べつに革命など起きなくても社会主義化するのである。
自由主義経済というのは、私が電車に乗ろうとしたら、一駅130円に10円足りない場合に、駅員に120円に負けてくれないか? と交渉する余地があるということである。
そうした話合いの余地や交渉の余地がないのは、資本主義がすでに自由経済でなくなっていることを示している。個人の要求を満たしていると手間がかかり、電車が便利でなくなる。社会の多くの人の都合を優先するシステムにせざるを得ない。社会主義化してきているということである。中国は経済システムから見ると、社会化した資本主義に遅れて到達した国である。
ただし、経済システムと国家における政治権力闘争とは関係が深いが別物である。政治闘争はどこまでも政治闘争である。
宝島社は、 累計145万部発行の人気生活実用書シリーズ「おばあちゃんの知恵袋」を核に、本と関連商品のコラボレーションフェアを展開。第1弾テーマは「収納用品」。同シリーズで紹介する収納ノウハウにスポットを当て、対象商品と併せて販売する。フェアは10月10日、東岸和田サティ(大阪)と広島サティ(広島)でスタートした後、三田ウッディタウンサティ(兵庫)、防府サティ(山口)、鴻池サティ(大阪)でも実施。テーマも「美容」「掃除」など拡大する予定。
《対象作品》「山帰来」菅礼子(「北門文学」10号記念号)、「『まぼろしの邪馬台国』映画化こぼればなし」宮崎和子(第七期「九州文学」三号)、座談会「日本の戦後文学再検討」(「中部ペン」15号)、詩「落下水」文月悠光(個人誌「月光」創刊号)、「涅槃月」衣斐弘行(「火涼」59号)、「吉村昭研究」三号、「名古屋市芸術賞記念号に寄せる」棚橋鏡代(「北斗」九月号)、「河林満さんのこと」高橋光子(「群青」73号)、「初秋吟」松雪彩(「木木」21号)。(「文芸同人誌案内」よこいさんまとめ)
作家の佐木隆三氏が、テレビのインタビューで「三浦氏のことをある精神科医が演技性人格障害だといっていたが、言いえて妙だ」というコメントをしていた。
「ロス疑惑報道の95%は嘘だ」三浦和義氏インタビュー集
この佐藤学記者のインタビュー記事にはーー、
三浦氏は、幼少時代には、撮影所に自由に出入りしていたと語る。(第6回冒頭)
「疑惑の銃弾」裁判については、お金も十分にあり、億万長者であることをインタビューで語っている。
また、お金に関しての細かい話をよく記憶している。記事の6回のうち、毎回お金の話がでているのに注目。
三浦氏の自死は、ニュースでは事実だが、これが同人誌の小説の物語であったら、あまりにも唐突すぎるとか、リアリティにかけるとか批判され、信用されないであろう。
事実と真実らしさ、もっともらしさとの違いは、ここにある。俳優の演技も、もっともらしさ、真実らしさをもとめられるのであって、事実らしさを示すものではない。
同人誌の合評会などで、リアリティがないといわれても批判ではないのである。気にしないことだ。
第15回「電撃大賞」の小説部門は川原礫氏の『アクセル・ワールド』、イラスト部門はゲま氏の「シャープエッジ」が各部門の大賞に輝いた。これを含め金賞、銀賞、選考委員奨励賞などの贈呈式は11月6日、東京・港区の明治記念館で行われる。
第56回菊池寛賞(日本文学振興会主催)が決まった。「櫂(かい)」「一絃の琴」「錦」など日本の伝統文化や歴史の中の女性を描いてきた作家、宮尾登美子さんら5個人・団体。その他の受賞は次のひとたち。(敬称略)▽安野光雅(「繪本平家物語」「繪本三国志」刊行など多方面の業績)▽北九州市立松本清張記念館(水準の高い研究誌や多彩な企画展)▽かこさとし(児童文学者としての活動と「伝承遊び考」の完成)▽羽生善治(永世名人など将棋界の数々のタイトルの獲得)。副賞100万円。
(08年10月9日 読売新聞) 【ストックホルム=本間圭一】スウェーデン・アカデミーは9日、2008年のノーベル文学賞をフランスを代表する作家、ジャンマリ・ギュスタブ・ル・クレジオ氏(68)に与えると発表した。
授賞理由は「詩的な冒険と官能的な恍惚(こうこつ)を表現し、現代文明の表裏に潜む人間性を探求した」。
ル・クレジオ氏は、英国人医師の父親とフランス人の母親の間に仏南部ニースで生まれた。8歳の時、一家でナイジェリアに移住した体験がその後の作家活動に影響を与える。帰国後、英国のブリストル大留学を経て、エクサンプロバンス大で修士号を取得。英仏2言語を自由に操る。
言語が持つ力を探究した23歳で執筆した第1作「調書」でルノード賞を受賞。その後、「発熱」(1965年)や「大洪水」(66年)などを発表、西欧社会の大都市に潜む混乱や恐怖を描くとともに、「戦争」(70年)などの作品で自然や環境への興味を示した。また、アルジェリア人労働者を主人公にした「砂漠」(80年)で、欧州社会が持つ野蛮性を痛烈に告発、代表作の一つとなった。
最近では、70~74年にメキシコや中米で過ごした体験などを基に、「メキシコの夢」(88年)などを執筆、西欧社会とは対照的な神話の世界を追い続けている。2006年に39年ぶりに来日、奄美大島を旅行したほか、友人で作家の津島佑子さんの案内で北海道を訪れ、アイヌの人々と話し合った。
賞金は1000万スウェーデン・クローナ(約1億4400万円)で、授賞式は12月10日にストックホルムで開かれる。
第36回泉鏡花文学賞(金沢市主催)の最終選考会が9日、東京・赤坂で開かれ、受賞作に南木佳士(なぎけいし)氏の「草すべり その他の短篇」(文芸春秋)と、横尾忠則氏の「ぶるうらんど」(同)の2作品が選ばれた。
石川県白山市が主催する「第15回島清(しませ)恋愛文学賞」の受賞作が8日、発表され、作家の阿川佐和子さん(54)の小説「婚約のあとで」(新潮社)が選ばれた。
【「欅道」山本進】
語り手は、自分の恋人を兄に奪われ、嫂となった女。やがて兄は、病死。語り手は嫂を我がものとする。平べったく言えば簡単であるが、男の鬱屈した暗いエロスと情念を、作者はかなり高度な文章力で、句点を多用し、読点を省略した独自の文体で陰影をつけ、強く浮き立たせることに成功している。しかも、語り手が認知症か、妄想症をもつようなニュアンスを取り込み、朦朧とした物語に作り上げている。創作意欲の横溢した挑戦的な作風に新鮮さがある。
【「グランマにあらず」斉木ユカル】】
高齢出産した女性の子育てのなかの憂鬱を描く。公園デビューとかいうのか、やっと授かった子供を公園に遊びに連れて行っても、まわりの母親たちが若いので、コンプレックスを感じてしまい、周囲をコンプレックスでゆがめてみてしまう話。丁寧な筆致で、一部に当事者のみが抱く感情にリアリティがあるものの、小説として読むと、長すぎて単調に感じた。後半では智という子どもに障害でもでそうな陰鬱さが全体のトーンになっている。産後ウツを長く引きずってしまった母親の話に思える。ドキュメンタリー的な色彩強く、創作的要素がやや負けている感じがした。
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テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例
《対象作品》「教室はやり唄」亜木康子、「砂漠の雨」冬樹美緒(以上「湧水」40号/東京都)、「山葡萄のねじれ」篠原しのぶ(「修羅」57号/桶川市)、「アトランティックウエザー」塚越淑行、「彼岸桜の家」島永嘉子(以上「まくた」261号/横浜市)、「卯の花腐し」鈴木比嵯子、「秋の気配」田瀬明子(以上「ガランス」16号/福岡市)、「不惑」高橋綏子、「皇紀二六〇四年の中学生日記」木村和彦(以上「海峡派」113号/北九州市)、「大気圏外への孤独」佐伯敏光(「VIKING」691号/茨木市)、「妖精の庭」高田恵子(「だりん」57号/船橋市)、「残された本」酒井敏子、「クローズィング・ツゥナイト」大重道子(以上「私人」63号/東京都)、「かたすみの向日葵」田中信子(「樹林」523号/大阪市)、「地裏より―藪睨み能舞台―(五)」西澤建義、「平林彪吾とその仲間たち(十)―私抄『文学・昭和十年前後』―」松元眞(以上「文芸復興」19号/船橋市)、「成人男子のための『赤毛のアン』入門」山川浩介(「砂」108号/東京都)、「母の頼みごと」楠本耀子(「葉風」7号/東京都)、「こよなく愛すインターナショナル」竹原素子(「シリウス」18号/水戸市)。
ベスト5=「教室はやり唄」亜木康子、「山葡萄のねじれ」篠原しのぶ、「不惑」高橋綏子、「母の頼みごと」楠本耀子、「卯の花腐し」鈴木比嵯子。(「文芸同人誌案内」よこいさんまとめ)
「第5回親鸞賞」が7日、作家立松和平さん(60)の小説「道元禅師」(東京書籍)に決まった。 本願寺維持財団(京都市山科区)の主催で、賞金は200万円。授賞式は12月9日、京都・東山浄苑で行われる。
柳楽優弥が原案の小説「止まない雨」(SDP出版)が、11月5日に発売されることがわかった。
物語は宅配会社のドライバー松本桂二とカフェのウェイトレス立花理美の愛の物語を軸に描かれる。アパートで同棲生活を送る二人だが、職場のトラブルで解雇された桂二は酒におぼれ、ドラッグに手を染め、闇の世界で暗躍してしまう。しかし、彼を信じて待ち続ける理美にも病魔が襲いかかり、桂二は理美との愛を取り戻すために彼女のもとへ駆け付けるという純愛物語だ。
本小説の原作者となる柳楽は、本作についての思いを「僕も18歳になって、いろいろな経験をしてきました。人に言えることや言えないこと、いろいろあります。今回の小説のストーリーは、今まで見たりしたことなどが多いです。それと想像。桂二という名前にも思い入れがあります。1番好きだけど、1番嫌いな名前でもあります。複雑な思い入れなんです。なぜ、桂二という名前にこだわったかと言うと、複雑な思い入れのある名前を自分が演じたいと思ったから。僕が桂二という名前の役を演じて、誰かに何か感じてもらいたかったから。もし、ほかの俳優が桂二という名前を演じていたら、嫉妬します」と語り、主人公の桂二に自分の姿を投影した渾身の作であることを語った。
柳楽といえば、記憶に新しいのが急性薬物中毒で病院へ搬送されたことで今後の動向が注目されていた。一時は自殺とうわさされたが、家族と言い争いをしている最中に、処方されている安定剤を衝動的に飲んでしまい、自ら救急車を呼んだとオフィシャルサイトで公表し復帰が待たれるところだった。
一部報道では、柳楽の薬の常用を疑うものもあったが、今回の小説では、あえてドラッグにおぼれる主人公を描くという挑戦的な創作物を発表した、彼の勇気と事務所の決断を評価したい。
役者としても繊細でありながらもかつ大胆。自分の現在の人格や生き方を役に投影していくタイプだ。本作の創作にあたって「複雑な想い入れのある名前を自分が演じたいと思ったから」と動機を語る柳楽が桂二を演じる姿を見る日はそう遠くはないかもしれない。
「止まない雨」は原案・作:柳楽優弥、執筆協力:井上凛、11月5日発売 1200円+税(予価)SDP出版刊
(紹介者・江素瑛)
人の目にはゴミであるかもしれないが、自然の摂生として肥料である蝉の死骸は、後祭りの「埋葬に来る蝉はいない」。野垂れ死にする人間の場合は、どうなるのか?鬼籍に入るには、早く生者の世界から身を引き、灰になれ、墓の一隅に静かに入ろうと。「人の死は片づけられるもの」「そのまま夜を迎えるなどあってはならないこと」。それはそうだ、と言いたくなるが、重い話です。
☆
その1 「埋葬に来る蝉はいない」 関 中子
埋葬に来る蝉はいない/ 彼が行きたがったところをお前は知っているか/ 生前の彼を知るも
のがどこかにいてもーー 埋葬に来る蝉はいない
夕暮れは物の姿をおぼろにするが/ 自分の身の安全をはかれるとしても/ 埋葬に来る蝉はいない
待っても 待っても 意味はない/ 蝉の死骸を見る/ 埋葬に来る蝉はいない/ 「これが現実だ」/ 埋葬に来る蝉はいない
なのに 夕暮まで/ そうしてもう少し夕暮れが深まるまでと時を延ばし/ 蝉の死を見つづける/やがて蝉の姿は闇に包まれるだろう/ わたしはそこに決断を曖昧にする口実を探し求めるのか
あわれ そうしたいのか
その2 「あってはならぬこと」 関 中子
蝉のように腹を見せて人が死んでいる/ その死体を見捨てて人が彼の坂道をのぼるなどあってはならぬこと/おう/ 人が蝉のように路上に転がって死んでいる/ そのまま夜を迎えるなどあってはならぬこと
都会での日常的な死は人目に長く晒されない/ 人の死は片づけられるもの
彼が死者になるために彼を速やかに時から離籍せよ/ 多くの人の眼が彼の肉体に注がれ続けるなどあってはならないこと
きょう わたしは見知らぬ人の葬儀にであった
それが都会での最初のできごと
それはまた珍しいこと/ 都会の多くの死のひとつに遇うこと
人よ/ もし いつまでも憧れとして残りたいのなら/ その身を早くかくしたまえ
そして 永遠を飾りにできるように物語に身をひそめよ
2008年秋「岩礁」136号(静岡市三島)「蝉の話」より抜粋
(「詩人回廊」 関 中子の庭サイト)
今週の本棚:沼野充義・評 (毎日新聞 08年8月17日 東京朝刊)
◇現代文学の頼もしい案内役
文芸時評はもう要らないのではないか、という懐疑的な意見をよく耳にするようになった。しかし、文芸時評はまだ着実に続いているだけではなく、それが持続し、積もり積もると時代の記録としてかけがえのないものになる。かつての文芸時評の巨人、平野謙や江藤淳の例は引き合いに出すにはもはや遠すぎるとしても、最近でも、『産経新聞』に掲載された時評をまとめた荒川洋治の『文芸時評という感想』(四月社)、『東京新聞』などの新聞三社連合で配信された時評をまとめた菅野昭正の『変容する文学のなかで』(全三冊、集英社)といった優れた仕事がある。そこに新たに付け加わったもう一つの雄弁な声が、本書にほかならない。
これは川村湊氏が『毎日新聞』に掲載してきた文芸時評を集大成したもので、十五年間休むことなく続けられた結果、二段組で六三〇ページを超える大冊となった。索引を見ると、言及された人名が八百名を超え、作品数は千六百点以上。壮大な現代日本文学のパノラマがここにある。富岡幸一郎氏がすでに指摘しているように、いまだに書かれていない現代文学史に代わる記録として本書が持つ意味は大きい。
川村氏の時評の際立った特徴をあげると、第一に、主な批評の対象をその月の文芸誌に限るという一貫した姿勢がある。これは本来、文芸時評の基本のはずだが、最近は文学概念の拡散の結果、マンガやケータイ小説もあわせて論ずる批評家もいるくらいだから、川村氏の方針は禁欲的にさえ見える。この「ぶれない」姿勢のおかげで、「奇をてらわず、定点観測を心がける」という川村氏の初志がみごとに貫徹された。
第二には、作品中心主義。社会的な状況が論じられないわけではないが、作品の読解と評価があくまでも中心になっている。たとえば大江健三郎がノーベル文学賞を取っても、「直接的には『文学』の問題と関(かか)わりない」と判断して時評では触れないのに、その数ケ月後に完結した大江氏の長編『燃えあがる緑の木』については大きなスペースを割いて論じている。こんなふうに時の話題という誘惑を振り払うのは時評家にとって容易なことではない。
第三には、現代日本における多言語的・越境的要素やアジアに対する目配りが優れていること。新しい日本文学の光景を切り拓(ひら)いてきた笙野頼子、多和田葉子、車谷長吉、町田康、舞城王太郎といった作家たちの仕事を丹念に追っている一方で、在日朝鮮人作家、金石範、沖縄の作家、崎山多美、アメリカ出身の日本語作家、リービ英雄などにも一貫して光が当てられている点が注目に値する。
『文芸時評 現状と本当は恐(こわ)いその歴史』(彩流社)という浩瀚(こうかん)な研究書を刊行した吉岡栄一氏によれば、最近の時評は「甘口」になっているというのだが、最後に川村氏の時評のもう一つの特徴を付け加えれば、決して甘口ではなく、手放しで褒めているものが意外に少なく、たいていの場合欠点の指摘や苦言が盛り込まれている、ということだ。昔の文芸時評が言いたい放題の悪口や個人的趣味の誇示のせいでより辛口に見えたのは、仲間内で成り立つ「文壇」という制度に支えられていたからではないか。しかし、作品の長所と欠点の両方をバランスよく示す優しくも厳しい川村氏の言葉は、文壇崩壊後の時代に、仲間内ではない読者に向けられた開かれたものだ。だからこそ、この文芸時評は現代文学の頼もしい案内役として、まず読者に必要なのである。
《対象作品》深田俊祐『スエ女覚書き』(梓書院)/「火山地帯」創刊50周年記念号(155号)から立石富生「履歴書もどき」 。(「文芸同人誌案内」日和貴さんまとめ)
鋭い国際感覚で知られる作家・堀田善衞(1918~98)が、終戦前後に上海に滞在した際の日記が発見された。
日記には当時の上海の様子とともに、後の小説にもつながる体験が数多く記されている。
日記は1945年8月6日から46年11月まで、ノート3冊に断続的に書かれている。昨年夏に遺族らが遺品を調べ2冊が判明。今年6月には、神奈川近代文学館(横浜市)に堀田家から寄贈されていた資料の中から3冊目が確認された。
同時期に上海にいた武田泰淳らとの交流が描かれ、芥川賞受賞作「広場の孤独」「漢奸(かんかん)」などのエピソードに似た記述もある。
資料を調べた紅野謙介日大教授は「国際派作家・堀田の視座を作る体験が詳細に記されている」と語った。
日記は、4日から同館で展示され、11月には「堀田善衞上海日記」(集英社)として刊行される。(08年10月3日20時14分 読売新聞)
本誌は日本民主文学会東京南部支部誌である。同人であった芳賀庄之助追悼特集となっている。遺作の戦時中に特攻隊の基地となった知覧市を描いた「知覧行」絶筆が巻頭に掲載されている。左翼系であるが、純文学にミステリー、ライトノベルと混沌とした文芸の時代には、思想的にはっきりしたものが、かえって着実な文学の道を歩むような印象を受ける。
【「宿題」鏡政子】
戦前に満州にわたって、苦労をしたおばあちゃんに孫が宿題のテーマに、話を聞きにやってくる。孫にやさしく語る思い出話が、次々と展開される。国策として満蒙開拓女子報国隊に編入され、それに同調しないと、国賊扱いにされた雰囲気。少年義勇軍も結局、戦争に狩り出される。日本で食料不足だったので、満州にいけばおいしい物がたくさん食べられるといわれて、現地についてみれば、米は軍隊に徴収され、粗食しか口にできなかった実情。それでも、侵略民としての事実はかわらない経緯が語られる。昭和時代の語りべ的な意義がある作品。
【「新橋にて」仙洞田一彦】
労働運動の活動家であった、主人公は昨年末に定年退職し、地区の組合活動から離れてしまっている。そのなかで、過去の組合活動で、ガリ版刷りのアジビラ作成を長くやってきた。ビラは街頭でどんどん撒くので、次々と書き上げなければならなかった思い出がよみがえる。整理しているところに、新橋駅前で集会があると連絡がある。あまり気がすすまないが、やはり気にかかって、出かけてみることにする。現場では、集会に来た人々の数は多くない。かつての労働運動の盛んな時期と較べるまでもない。新橋から日比谷公園の野外音楽堂に集まると、初めて参加したと思われる労働者にまじって、過去の自分がガリ版を書き起こすときの鉄筆の音が耳に響く。小説のうまさは抜群で、現在社会の無思想的な混沌の現状を描く。
【「爺さん」磯野ひじき】
オレが福岡から故郷の島に帰ってみると、母親が見知らぬ爺さんと暮らしている。大柄で体格の良い母親にくらべ爺さんは小柄で貧弱である。誰かと訊くと、2度目の父さんであるという。オレの本当の父親はすでに亡くなっている。爺さんは65才で、島に観光にきたのだろうか、途中で夏の暑さに当って行き倒れしているところを、母親に助けられたという。ノミの夫婦で母親と仲良くしている。オレは、福岡で3人の彼女と同時交際していた。人類すべてを愛してしまう傾向にあるらしい。
方言が正統派的で、整理してあってよい雰囲気を出している。短いが文句なしに面白く読める。ただ、物語の構造からすると、母親とオレは人類愛豊かであるところが、筋が通っているが、オレの彼女たちとの間が破局的になったままのように扱われているのが、バランスが悪い。3人の彼女の誰かが、ほかの2人を出し抜いて、オレへの愛の獲得に動く気配があれば、母親と爺さん、オレと彼女というバランスがとれて安定した構造になるように思う。
【「アニキ」鰺沢圭】
ライトノベル小説で、高校の運動部の応援団長の男らしさに、入れあげてみたら、同部の男子生徒と良いなかになっていた、というオチのある話。やおい系(ヤマなし、オチなし、イミなしの同性愛的な物語)だが、ヤマもオチもイミもあるので、ライトノベルになのではないか、と思う。
【「資源管理型麻雀」鰯藤悟朗】
阿佐田哲也なみの、麻雀パイ図入りで、ゲームの成り行きが表示される。何が資源管理型なのかと思ったら、資源であるカモを、根絶やしにせずに、海の漁獲量管理のように、収穫調整しようという話で、ミイラ取りがミイラになる話。面白いが、なんとなく前述と同じ作者の風味を感じる。
幻冬舎は、10月1日、東京・日比谷の帝国ホテルで広告代理店などに向けて、創刊説明会を開催。ポスト団塊ジュニア世代といわれる20代後半~30代前半の女性をターゲットに、今までの雑誌の切り口とは違うファッションやコスメなどの情報を提供するほか、スクープ・インタビューや人物特集など読み物企画も充実させる。創刊号の部数は20万部を予定。編集長は主婦の友社で「Ray」「ef」の編集長や「mina」の創刊編集長を務めた片山裕美氏。体裁はL判・300ページで、毎月23日発売。
第4回池之端詩人会(北岡善寿会長)では、9月29日、鴎外荘水月ホテルに詩人・入沢康夫氏を招いて、作品の解釈と自作解説を聴講した。池之端詩人会は、「東京詩話会」が解散したあとに、活動継続を求める有志によって結成されたもの。
入沢氏の作品「放心の午後」について、大井康暢氏の評論(詩誌「岩礁」134号掲載「手帳・17詩人は組織し行動できるか」より)の紹介があり、その後、入沢康夫から詩作品「ワガ出自」の自作解説が語られた。
なお、次回は、小柳玲子氏の講演「冥界の画家リチャード・ダッド」を日本橋兜町の日本ペンクラブ会議室にて開催される予定。
《対象作品》河合愀三さん「川の匂い」(「竜舌蘭」174号、宮崎市)、青海静雄さん「蛍火」(「午前」84号、福岡市)
「火山地帯」155号(鹿児島県鹿屋市)は創刊50周年記念号。同誌より迫田紀男さん「模型飛行機」、立石さん「履歴書もどき」、倉津和良さん「鳥を飼う」
「ガランス」16号(福岡市)よりミツコ田部さん「深紅のエルサレム」副題「小説『死海文書』」
第七期「九州文学」3号(福岡県中間市)より宮崎康平夫人の宮崎和子さん「こぼればなし」
出版は由比和子さん『月兎慕情』(花書院)、浜崎勢津子さん『帰宅』(株式会社マルニ)、暮安翠さん『ある英国作家の肖像-グレアム・グリーンの生涯』(葦平と河伯洞の会)。
☆
「讀賣新聞」9月5日夕刊・時評・松本常彦氏
《対象作品》高崎綏子『マーガレット日記』(発表社)は同人誌「海峡派」に発表した作品を収めたもの。
「文芸山口」(280号)は創刊50周年特集号。桑原伸一をはじめ、福田百合子など同人諸氏の回想記。
(「文芸同人誌案内」日和貴さんまとめ)
《対象作品》笙野頼子「八幡愚童訓」(「すばる」)/特集=新約・超訳「源氏物語千年紀記念」(「新潮」)江國香織(夕顔)、島田雅彦(須磨)、桐野夏生(柏木)、角田光代(若紫)、金原ひとみ(葵)/佐川光康「われらの時代」(「群像」)
(文化部 山内則史)(08年9月30日 読売新聞)
自由求め信念貫く闘い
1945年生まれの池澤夏樹氏(63)が今月完結させた長編「カデナ」(新潮、2007年5月号~)で扱っているのはベトナム戦争。1968年、ハノイへ米軍機が頻々(ひんびん)と飛びたつ戦時下の、本土復帰以前のオキナワで、来歴も世代も異なる人々の命運が交錯するひと夏を中心に描く。
米軍・カデナ基地に勤務する、米国人とフィリピン人の間に生まれた女性曹長、戦争で天涯孤独となった無線と模型の店の主人、地元の人気ロックバンドに加わる少年。三人三様のかわるがわるの語りから、おのおのの背負う歴史と、3人の連携で進行しているある秘密の行動、女性の恋人であるB―52のパイロットの苦悩から破滅までが明かされていく。
戦争は攻撃される側だけでなく、攻撃する側の精神をも、手ひどく傷めつける。国家に従わざるを得ない個人は、その桎梏(しっこく)の中で、いかに自由を見いだすのか。いつ秘密が露見するかも知れぬサスペンス、巨大な力に翻弄(ほんろう)されながら信念を貫く人々のひそかな闘いに、読む側はいつか身を乗り出している。
熱気あふれる60年代から9・11後の世界を照らし返す、ちょっとクールで繊細な反戦小説は、作家が94年から10年住んだ沖縄体験からも、たっぷり養分を吸い上げているだろう。
高村薫氏(55)「太陽を曳く馬」(新潮、06年10月号~)には、冷戦構造終焉(しゅうえん)後にこの社会を覆った空虚と混迷、21世紀の新しい戦争の影が色濃い。高村作品おなじみの合田刑事は、別れた妻がニューヨークの同時テロに巻き込まれたと義兄から聞き、ツイン・タワーの崩落を脳裏に再生しては心のうつろに沈潜している。
『晴子情歌』『新リア王』の中心人物、福澤彰之は、本作では死刑囚となった息子・秋道の父として、また東京・赤坂に曹洞宗の修行場を開いた僧侶として登場する。描かれるのは秋道の犯した殺人事件の回想と、修行場で起きたある出来事。その渦中で交通事故死した青年には、オウム真理教の信者だった過去がある。現代人が直面している閉塞、この社会の変質を見つめ、そこで生きる意味を言葉でとらえ得るかどうかの限界まで挑んだ、果敢な実験とも読める。あくまで言葉で時代と対峙(たいじ)しようとする作家の真摯さに圧倒された。
中編では佐川光晴氏(43)「われらの時代」(群像)。児童福祉司として、親の虐待から子どもたちを救おうと粉骨砕身する善良な中年男がある事件でつまずき、うつ病になる。リハビリを兼ねて児童養護施設で働き始めるが、自分の胸の内をすべて見透かしているような同僚や子どもたちの悪意と邪気に満ちた声が、宿直中に筒抜けで聞こえてくる。壊れているのは周囲か、自分か。正義も倫理も信用も、確かと思われたものが揺らいで見える“われらの時代”の疑心暗鬼の様相を、平凡できまじめな中年男の日常に凝縮させた手腕がさえた。
川端賞、三島賞の連続受賞で充実する田中慎弥氏(35)は「神様のいない日本シリーズ」(文学界)で新境地を開いた。野球チーム内でいじめにあう小四の息子に「野球を続けてほしい」とドア越しに語りかける父のモノローグ小説。ベケット「ゴドーを待ちながら」を巧みに踏まえ、3連敗から大逆転した伝説の日本シリーズ西鉄―巨人戦のあった58年に忽然(こつぜん)と消えた自分の父親への愛憎と野球をめぐる思い出、後に妻となる少女との中学時代の交流を息子に伝える問わず語りには、これまで前面に出ることのなかった作家の柔らかさと伸びやかさがあった。
評論では加藤典洋氏(60)「大江と村上」(小説トリッパー秋号)が出色。相いれない地点から出発したかに見える大江健三郎と村上春樹が、同時代に対する距離の取り方で実はよく似通っていることを鮮やかに示し、痛快だった。
《対象作品》黒川創「世界文学の構想」(「すばる」)/田中慎弥「神様のいない日本シリーズ」(「文学界」)/佐川光康「われらの時代」(「群像」)/特集=新約・超訳「源氏物語千年紀記念」(「新潮」。
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