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2008年9月30日 (火)

小泉今日子(女優)の書評・山本文緒『アカペラ』(新潮社)

―明日に期待していい?―
 撮影現場で、ヘアメイクのアシスタントをしている若い女の子に、何気なく「何年生まれ?」と尋ねたら「平成元年です」と、答えが返ってきた。年号が平成に変わったのなんか、私達にとっては昨日のことのようだが、その時に生まれた子供達がそろそろ社会に出て働く年になっているのだと驚いた。平成元年には若者だった私も、気付けば立派な中年世代になっている。
 3編の小説が収められた山本文緒さんの6年ぶりの新作は、3作品共通してダメな中年世代と、10代の少女の存在がある。
 「アカペラ」には、少し無責任な母親と、ユーモアたっぷりの祖父と3人で暮らす15歳の少女「タマコ」の、純情だけれど少し変わった恋心が。「ソリチュード」は若い頃に家出をしたダメ男が20年ぶりに実家に帰省し、昔の恋人の娘、小学6年生の「一花」との交流に複雑な思いを抱きながら、過去を振り返り、少しの希望を見いだす数日間が。「ネロリ」には、39歳無職の病弱な弟と2人で暮らす50代独身女性のひっそりとした日々の中に現れ、病弱な弟の恋人のような存在になる19歳の専門学校生「ココア」と彼らとの、深い絆(きずな)が描かれている。
 この本を読んで私は胸が熱くなった。社会の中でようやく現役感を感じる私達中年世代も、実はまだまだ不安を抱えて生きていて、上から叱(しか)られたり、下から突き上げられたりすることを心のどこかで期待しているのだ。圧倒的なエネルギーにやり込められたいような気持ちが何故(なぜ)だかある。この3編に出てくる少女達は、邪気のないエネルギーでダメな中年達を突き上げる。邪気がないから、残酷だけれど優しいし、壊れそうだけれど逞(たくま)しい。彼女達の存在がなんだか私には有り難くて感謝したくなった。
 自分を守るために、明日に期待し過ぎないように生きる中年世代にとって、明日を夢見る若さの輝きは眩(まぶ)しいけれど、大人として、その夢を守るという目標を持てるような気がするのだ。
 ◇やまもと・ふみお=1962年、神奈川県生まれ。2001年『プラナリア』で直木賞。ほかに『再婚生活』など。『アカペラ』(新潮社)¥1470 (本体¥1400+税)(08年9月29日 読売新聞)

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