同人誌紹介「季刊遠近」第35号(東京都)(3)
【「編集後記」(枯)】
雑誌「文学界」の同人雑誌評が廃止されることについて、残念というか、文学精神の衰退を嘆いている。
そういう考えもあろうが、同人誌の中から純文学作家の優れた作品を見つけようとしてきたもので、その精神と環境がそぐわなくなってしまったのは、仕方がないと思う。同人誌を文学界に送る人が減っただけで、同人誌全体が減ったわけではない。
現在では、マニア的な同人誌マーケットでは、かなりの売上げを上げている同人誌もある。コミケの世界では、マーケットに持ち込まれた大量の人気同人誌が盗難にあうという事件まで起きている。自分は文芸研究の情報紙の取材で、その世界のある人に話を聞いたが、何部売れて、幾らの売上げがあるかは、秘密であった。税務署もその把握に目をつけはじめているという噂もある。
それに対し、純文学では、商業的な評価の基準が明確でないため、ポイントが絞れない分、読者層が分散して一定の売りが短期間に達成できないというのが問題であろう。
それと、近年の文芸同人誌には文学的な匂いの少ないものが多い。また人の生き方が多様化して、社会を学んで、人生の参考なるような見識というものあまり見られない。なかには作文集のようなものもある。
実情はよく知らないが、雑誌「文学界」に寄せられる同人雑誌が社会的な関係から隔離した存在の傾向になり、雑誌の存続に役立たなくなってしまったというように、自分は見る。
一般論としてマイナーな表現である文芸同人誌は、文学的な価値や成果と商業的な価値とを混同して、その盛衰を語ることが多い。今後の同人誌は、市場を意識しない作文集のような仲間内の会員サークル誌と、読者を意識したリトルマガジン誌とに別れ、リトルマガジンのなかから作家が生まれるような方向にむくのではないかと思う。
書いて表現することが生きがいで、自分のために書くというのも、自分の費用でやるので一向にかまわないと思う。また、仲間内の価値感を重視してサークル組織を維持することを優先し内容を問わない、という趣味重視の方針もよい。
その一方で、多くの人にぜひ読んでほしい。社会的な活動にしたいというのであれば、商業ベースに乗せることが近道である。本当に文芸作品に意欲を燃やすなら、ケイタイ小説が流行ればケイタイ小説に文学を盛り込んでやろうという工夫が求められる。
多くの同人誌を読ませていただいたおかげで、文芸同志会のやるべき方向が見えてきた気がするこのごろである。
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