「叙情と闘争」辻井喬・堤清二回顧録―33―
読売新聞9月6日付けの今号は、ソビエトロシアの1978年時代に、ロシアの芸術展を西武美術館で開催するために、堤清二がエルミタージュ美術館を訪れる。そのなかで、ソビエトの国民の体制側にたいする面従腹背の姿勢を感じる。
そのなかに、辻井喬の「異邦人」という詩のフレーズが織り込まれている。
ふと 方向を見定めるために
獣は項(うなじ)をあげる
僕はそんな時
夕陽の差す階段に躅(しゃが)んで
仮面と
仮面との間におちた
僕の顔を探している
当時から堤氏宅には、公安の見張りがついていた話も出てくる。多額納税者と公務員という取り合わせに、おもわず笑いそうになる。この連載には、こうした真面目な風でいて、どこか風刺的な、狂言回しを演じている視線と手法がある。
前回のこの連載の紹介では、三島由紀夫の自死と、よど号乗っ取り事件を記したので、それよりさかのぼると何があったかを見てみよう。
さらに時間をさかのぼる。この前年の昭和四十四年一月十八日。東大全共闘学生五百余人は全国の反代々木系学生五百余人の支援で安田講堂、工学部列品館、法文三号館、医学部中央館に立て籠もった。加藤一郎学長代行の要請で出動した警察隊に三十時間に渡って火炎びん、劇薬などで抵抗したが、六百三十三人を検挙して封鎖を解除した。また、これと同時に東大から神田にかけて同派の学生が神田カルチェラタンなど東大支援街頭行動を行い百三十四人が検挙された。
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