雑誌「中部ぺん」第15号・座談会「日本の戦後文学の再検討」の意味するもの
中部ペンクラブ発行の雑誌「中部ぺん」には、座談会「日本の戦後文学の再検討」が連載され今回で15回目になる。
今号の、対象作品は、椎名麟三「永遠なる序章」、安岡章太郎「遁走」「海辺の光景」、梅崎春生「幻化」。
出席者は、秋野信子(多気文学)、伊藤益臣(個人会員)、桐生久(矢作川)、
久野治(胞山)、高田杜康(北斗)、野々山久夫(文芸シャトル)、堀井清(文芸中部)、水岩瞳(個人会員)、紫圭子(宇宙詩人)。
コーディネータは、国司通(顧問)、堀内守(個人会員)。司会者は、駒瀬銑吾(宇宙詩人)。
この座談会は、出席者各人の多角的な視点と感受性による指摘が、豊富に開陳されている。プロの評論家が独りで、論評するよりも、明らかに多彩な意見と指摘があって、毎回非常に充実している。
戦後文学は、戦争が個人個人に与える不幸を描き、その根底に戦争否定の思想が据えられているものが多い。
ベトナム戦争の後、9・11をはさんでアフガン戦争とイラクとの2度の湾岸戦争は、歴史というより同じ時空の出来事として考えることができる。そしてグルジアの沿岸ではロシアとアメリカの軍艦がにらみ合いをしているのが現在である。
日本はアフガン戦争に自衛隊を派遣している。給油だけという名目で。戦争の最多の仕掛け国のアメリカは、常に防衛のために戦争をしていると主張している。歴史的に戦争をするのに、自衛のためと称さないことがあったのか。
すでに「戦争」という言葉の意味性さえ変わってしまった現代において、戦争を徹底的に人道的な人間の「悪徳」と心の芯から問い詰めてゆく、文学者の発言は、もう世界のなかで、日本の文学雑誌「中部ぺん」だけとなってしまっている、というのは私だけの妄想であろうか。
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