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2008年8月27日 (水)

小泉今日子(女優)書評=『ラン』森絵都(理論社)

 もう二度と会うことが出来ない人達、亡くしてしまった人達に会いたいと願う。薄暗い舞台袖で緊張しながら出番を待つとき、私はいつもあの世の人達との交信を試みる。暗い天井を見上げて「今日も、私はここで生きています。ちゃんと見ていてね」。もちろん返事はないけれど、あの世の人達が微笑んでいる顔が頭の中に次々と浮かんで頼もしい気持ちで舞台に上がる。
 13歳で家族全員を事故で失い、その後の面倒を見てくれた叔母も失った22歳の主人公、環(たまき)は、私の何倍も何百倍もあの世の人たちに会いたいと願うだろう。この世に一人取り残されたことを恨んだりもするだろう。この世に生きる喜びや、この世の人たちと繋(つな)がり合って生きることを望まぬ環の日々を思うと胸が苦しくなった。
 引っ越したばかりの街で出会った自転車屋の紺野さんと環はどこか似ていた。紺野さんもやはり愛する妻と息子を失い悲しみの中に生きている。紺野さんが息子のために特別に作り上げた自転車、モナミ一号を譲り受けた環は、ある夜それに乗って走っていると普通の人には見えないレーン(冥界(めいかい)と下界を結ぶ連絡通路)を越えてあの世に辿(たど)り着いてしまう。家族や叔母との再会に喜んだけれど、この話はそれだけでは終わらない。ここからが長い道程なのだ。
 生者のレーン越えには条件がある。日没後、40キロもある通路を立ち止まらずに走って渡ること。そして日付が変わるまでに下界に戻ること。環はある事情から、自分を冥界に運ぶ力を持つモナミ一号を手放すことを決め、自力で40キロを走り抜くためにマラソンの練習を始める。そこで一見風変わりなマラソンチームの人達と出会い、あの世を目指していたはずが、この世と繋がることの大切さにも気付いていく。
 私を育ててくれた父親や、演出家や、映画監督はあの世で今でも私の心配をしているだろうか? 死んでまで心配させるのは気の毒だと思いながら、私は今日もあの世との交信を試みる。◇もり・えと=1968年東京都生まれ。作家。2006年、『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞を受賞。1700円(08年8月25日読売新聞)

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