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2008年8月29日 (金)

<文芸時評8月>読売新聞・山内則史記者

小川洋子氏(46)の短期集中連載「猫を抱いて象と泳ぐ」(文学界7月号~)が完結した。日本人にはなじみが薄いチェスが題材だが、その知識がなくても作品を味わえるのは、作家の関心が、チェスというゲームの中にある生の本質に触れる部分に向けられているためだろう。
「盤上の詩人」と称されたロシアのチェスのグランドマスターにちなんで「リトル・アリョーヒン」と呼ばれた、才能に恵まれた少年の生涯が描かれる。上下の唇がくっついて生まれた彼は、廃車になったバスに住む元運転手に7歳でチェスの手ほどきを受ける。だが、テーブルチェス盤の下に潜らないと次の一手を考えられない質(たち)のため、チェスのからくり人形に潜んで対局するようになる。少年は、デパートの屋上で体が大きくなり過ぎて地上に降りられず、そこで一生を終えた象に共感し、バスの中でチェスの師が体重250キロになって亡くなったことから「大きくなることは悲劇」と信じており、体の成長は11歳で止まる。
この小説世界にうごめく人々は、何らかの形で狭い場所に閉じこめられ、影から生まれ、やがて影の中へ去っていく印象がある。静謐(せいひつ)な空気の中で、奇妙に抽象化された生活を営んでいるのに、その苦楽が質感を伴って伝わるのは、少年が、八×八の升目で自在に駒を操り、チェスという回路で世界とつながり、真の自由を獲得しているためだろう。
小川作品の読者なら、『博士の愛した数式』を想起するかもしれない。宇宙の謎を解く鍵として、ひっそり発見されるのを待っている数学の定理を探求する数学者と、相手と盤上で心をぶつけ合い融合させて、一つの広大な交響曲を作り上げるチェスプレーヤーは、完全性へのクールな情熱を持ち、全き美に奉仕している点で相通じる。抽象度の高いコミュニケーションのゲームに少年の一生を凝結させる形で、この錯雑した現実から遠く離れた場所に一個の別世界を現出させる作家の筆は、鋭利さと稠密(ちゅうみつ)さを一層増している。
先日芥川賞を受けた楊逸(ヤンイー)氏(44)の受賞第一作「金魚生活」(文学界)も、コミュニケーションが重要なテーマになっている。中国から日本に留学し、中国人と結婚して出産を控える娘の手伝いに日本に来た母。そこで触れる異文化の感触と、仕事を続けるため母親に日本にとどまってほしいと考え、日本人との再婚を勧める娘のエゴイズムが物語を動かす。夫と死別した後、6年同棲(どうせい)している相手がいることを娘に言い出せず見合いに応じる母の心の揺れは、彼女が中国で世話する金魚の、ガラス一枚隔ててしか世界に触れられない孤独と閉塞(へいそく)に重なる。また、日本行きの機内で知り合った日本で20年暮らす北京出身の女性の造形、漢詩を愛好する大企業の部長と見合いし、日本語を解さぬ母が李白の詩を通してコミュニケーションを深める場面などに、作家の語る力と人間描写の非凡さを感じた。
今月は、水村美苗氏が評論「日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で」(新潮)を書いている。アメリカの大学で参加した海外作家との交流プログラムの体験や、外国語習得の個人史を踏まえ、日本語で書くことが今、どんな意味を持つのか、明晰(めいせき)で辛辣(しんらつ)な見取り図が展開される。「近代文学の終わり」という言説を、世界の言語状況においてとらえ直し、日本文学の楽観できない現状と未来を看破している点が、新鮮だった。
このほかでは、巨大化した現代の消費都市で情報に方向づけられる人間の動線を可視化したような青木淳悟氏(29)「このあいだ東京でね」(新潮)、間取りがどうで、だれが住んでいるかもよく分からない生き物のような古い木造家屋に出入りする人々のとらえどころなさを描く谷崎由依氏(30)「月のまにまに浮かぶ家」(すばる)が印象に残った。(文化部 山内則史)(08年8月26日読売新聞)

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