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2008年8月31日 (日)

月刊誌「月刊現代」が休刊へ-

 出版大手の講談社が発行する月刊誌「月刊現代」が休刊することが、30日までに関係者の話で分かった。読者層の高齢化が著しく、販売の低迷が続いたことから休刊を決断したという。月刊誌については今年5月に「主婦の友」(主婦の友社)が休刊。「論座」(朝日新聞社)が9月、「PLAYBOY日本版」(集英社)が11月の休刊を決めるなど苦境が続いており、各誌は態勢の見直しを進めている。
関係者によると8月下旬、講談社の幹部が編集部員に「9月いっぱいで編集部を閉じる」と伝えた。10月1日発売の11月号が最終号となる見通し。関係社員には9月上旬にメールで知らせるという。
同誌の内情に詳しい関係者は「読者アンケートも、回答者の多くは高齢者だった。読者の高齢化に伴って部数の減少が続いたため休刊を決めたようだ」と話した。同社では週刊誌「週刊現代」、写真週刊誌「フライデー」の編集態勢も見直す予定で、11月までに結論を出すという。
「月刊現代」は66年12月創刊で、日本雑誌協会が公表している発行部数は8万5833部(06年9月-07年8月の平均)。「早耳空耳地獄耳」「音羽人事観測所」などの名物連載がある。話題となった記事も多く、05年9月号ではNHKの番組改変問題をめぐって、フリージャーナリストの魚住昭氏が「『政治介入』の決定的証拠」「証言記録を独占入手!」と題する記事を掲載。朝日新聞記者がNHKの放送総局長(当時)らに取材した詳細な一問一答を明らかにした。
06年8月号では「平成の政商・オリックス会長宮内義彦」の記事を掲載。これに対し、宮内氏は講談社などに計2億2000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴訟を東京地裁に起こした。
休刊について、同誌の高橋明男編集長は「こちらから申し上げることではございません」と話している。(08年8月30日夕刊フジ)

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2008年8月30日 (土)

「オーマイ」ニュースに幕 「市民が記者」ネット新聞苦戦 

 市民記者による報道をうたい文句にしてきたインターネット新聞「オーマイニュース」が、8月いっぱいでニュースサイトとしての看板を下ろすことになった。2000年代に入ってネット上に次々と登場した市民メディアだが、ブログとの競合などもあり、ビジネスとして軌道に乗せるには道のりは遠いようだ。
オーマイニュースは、市民から募集した記者がニュースを書いてサイトに掲載するスタイルのメディアで、00年に韓国で創刊。現在は約6万人の記者が登録している。02年の大統領選では盧武鉉(ノムヒョン)政権誕生に影響を与えたとされる。
日本版が始まったのは06年8月。運営会社には、韓国のオーマイニュースが70%、ソフトバンクが30%出資した。登録した市民記者が書いた記事を、マスコミ出身者らによる編集部で編集。記事1本につき300円の報酬を払い、運営会社はサイト上にはりつけられた企業広告などで収入を得る仕組みで、最近ではグルジア紛争に絡みグルジア人にメールでインタビューした記事などが掲載された。
9月からは、運営会社は現行のサイトに代わって新サイト「オー!マイライフ」を開設。市民記者による投稿の仕組みは残すが、中心は、企業とのタイアップも視野に入れた新商品やサービスの体験報告などに移す。
その理由について、平野日出木編集長は「広告収入の伸び悩みを解消するための方針転換」と説明する。閲覧数などは明かしていないが、平野編集長は「自分の意見をニュースと誤解している人も多かった。事実を書くトレーニングの仕組みを作る必要があったが、うまくいかなかった」と話した。
市民記者の数も当初の目標は「06年内に5000人」だったが、現時点で約4650人にとどまる。平野編集長は「ブログの普及で、情報発信したい人がそちらに流れたことも一因かもしれない」としている。
「市民が記者」が旗印の同業者も、試行錯誤が続いている。「JANJAN」を運営する日本インターネット新聞の竹内謙社長は「当初は市民記者のニュースを中心に考えていたが、閲覧数が伸びなかった」として、現在は半分以上の記事をマスコミ出身者らで作る編集部が出している。それでも1か月の閲覧数は約1000万件と、目標の年間約2億件には届かない。
「PJニュース」の小田光康社長も、「広告収入とポータルサイトへの配信による収入は、運営費ですべて出ていってしまう」と、運営の難しさを説明する。
立命館大学の津田正夫教授(メディア論)は、「北海道洞爺湖サミットでは市民メディアが先住民族の声などを積極的に取り上げるなど、既存メディアとは違った視点が評価された」とした上で、「市民メディアは、既存メディアと対立するものでなく、補完しあうもの。市民が発信できる場があることが重要だ」と話している。(08年8月29日 読売新聞)

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「RURIKO」 林 真理子さん

当時は、田舎の小さな町にも映画館があった。夕涼みがてら家族で出かけ、美男美女が演じる華麗なドラマに胸ときめかす。「郷里の山梨で幼いころ私も垣間見た、あの世界の『におい』を出せたら」。銀幕スターが輝いていた昭和30年代。その舞台裏に恋愛小説の名手が迫った。
満州(現中国東北部)で実力者、甘粕正彦から「将来、ぜひ女優に」と見込まれた信子。帰国後、十代半ばで日活の主役募集に合格。浅丘ルリ子の名でトップ女優に育っていく。共演男優や監督と映画そのままの恋愛を重ねながら。
 本人らに取材した交友関係をもとに想像を膨らませ、「9割5分は創作」。とはいえ、石原裕次郎やライバルの小林旭、女王・美空ひばりらの栄光と孤独が交錯し、映画全盛期の熱気と人間模様が生々しく伝わるから不思議だ。「超ビッグなスターが全部つながってるのだから面白い。こんなしゃべり方だったのではと書き分けるのが楽しかった」
現在、林真理子版の源氏物語を執筆中。「1000年前も昭和の時代も、メールや携帯が幅をきかせる今にはない男と女の物語があった。テレビ全盛の時代のスターは小粒だし、ルリ子さんのような存在はもう出ないでしょうね」(角川書店、1500円)(佐藤憲一)(08年7月22日読売新聞)

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文春文庫『容疑者Xの献身』(東野 圭吾)が100万部突破

『容疑者Xの献身』(東野 圭吾)が8月5日に初版25万部で発売され、本日決定の5刷で100万部を突破、累計110万部に達した。
天才数学者でありながらさえない高校教師に甘んじる石神は愛した女を守るため完全犯罪を目論む。湯川は果たして真実に迫れるか。「自分が今まで書いてきた作品の中でまちがいなくベスト5に入る」と語る長篇ミステリー。高校の数学教師・石神は、アパートの隣人で弁当屋に勤める花岡靖子を密かに思っていた。靖子と娘が前夫を殺害してしまったと知った彼は二人に力を貸すと申し出る……。担当編集者も連載中最後まで、石神がどういうトリックを仕掛けたか予想すら出来ませんでした。男が愛のためにどんなに大きな犠牲を払ったか。その結末に涙せずにはいられません。(HT)

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2008年8月29日 (金)

<文芸時評8月>読売新聞・山内則史記者

小川洋子氏(46)の短期集中連載「猫を抱いて象と泳ぐ」(文学界7月号~)が完結した。日本人にはなじみが薄いチェスが題材だが、その知識がなくても作品を味わえるのは、作家の関心が、チェスというゲームの中にある生の本質に触れる部分に向けられているためだろう。
「盤上の詩人」と称されたロシアのチェスのグランドマスターにちなんで「リトル・アリョーヒン」と呼ばれた、才能に恵まれた少年の生涯が描かれる。上下の唇がくっついて生まれた彼は、廃車になったバスに住む元運転手に7歳でチェスの手ほどきを受ける。だが、テーブルチェス盤の下に潜らないと次の一手を考えられない質(たち)のため、チェスのからくり人形に潜んで対局するようになる。少年は、デパートの屋上で体が大きくなり過ぎて地上に降りられず、そこで一生を終えた象に共感し、バスの中でチェスの師が体重250キロになって亡くなったことから「大きくなることは悲劇」と信じており、体の成長は11歳で止まる。
この小説世界にうごめく人々は、何らかの形で狭い場所に閉じこめられ、影から生まれ、やがて影の中へ去っていく印象がある。静謐(せいひつ)な空気の中で、奇妙に抽象化された生活を営んでいるのに、その苦楽が質感を伴って伝わるのは、少年が、八×八の升目で自在に駒を操り、チェスという回路で世界とつながり、真の自由を獲得しているためだろう。
小川作品の読者なら、『博士の愛した数式』を想起するかもしれない。宇宙の謎を解く鍵として、ひっそり発見されるのを待っている数学の定理を探求する数学者と、相手と盤上で心をぶつけ合い融合させて、一つの広大な交響曲を作り上げるチェスプレーヤーは、完全性へのクールな情熱を持ち、全き美に奉仕している点で相通じる。抽象度の高いコミュニケーションのゲームに少年の一生を凝結させる形で、この錯雑した現実から遠く離れた場所に一個の別世界を現出させる作家の筆は、鋭利さと稠密(ちゅうみつ)さを一層増している。
先日芥川賞を受けた楊逸(ヤンイー)氏(44)の受賞第一作「金魚生活」(文学界)も、コミュニケーションが重要なテーマになっている。中国から日本に留学し、中国人と結婚して出産を控える娘の手伝いに日本に来た母。そこで触れる異文化の感触と、仕事を続けるため母親に日本にとどまってほしいと考え、日本人との再婚を勧める娘のエゴイズムが物語を動かす。夫と死別した後、6年同棲(どうせい)している相手がいることを娘に言い出せず見合いに応じる母の心の揺れは、彼女が中国で世話する金魚の、ガラス一枚隔ててしか世界に触れられない孤独と閉塞(へいそく)に重なる。また、日本行きの機内で知り合った日本で20年暮らす北京出身の女性の造形、漢詩を愛好する大企業の部長と見合いし、日本語を解さぬ母が李白の詩を通してコミュニケーションを深める場面などに、作家の語る力と人間描写の非凡さを感じた。
今月は、水村美苗氏が評論「日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で」(新潮)を書いている。アメリカの大学で参加した海外作家との交流プログラムの体験や、外国語習得の個人史を踏まえ、日本語で書くことが今、どんな意味を持つのか、明晰(めいせき)で辛辣(しんらつ)な見取り図が展開される。「近代文学の終わり」という言説を、世界の言語状況においてとらえ直し、日本文学の楽観できない現状と未来を看破している点が、新鮮だった。
このほかでは、巨大化した現代の消費都市で情報に方向づけられる人間の動線を可視化したような青木淳悟氏(29)「このあいだ東京でね」(新潮)、間取りがどうで、だれが住んでいるかもよく分からない生き物のような古い木造家屋に出入りする人々のとらえどころなさを描く谷崎由依氏(30)「月のまにまに浮かぶ家」(すばる)が印象に残った。(文化部 山内則史)(08年8月26日読売新聞)

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小林秀雄賞に多田富雄さん「寡黙なる巨人」

 第7回小林秀雄賞(新潮文芸振興会)は、多田富雄さん(74)の「寡黙なる巨人」(集英社)に決まった。 同新潮ドキュメント賞(同)は長谷川まり子さん(43)の「少女売買」(光文社)が選ばれた。副賞はともに100万円。

 

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優美な散文芸術 倉橋由美子作品再評価

 「小説はごちそうだと思っていますから、おいしくないのは嫌。遊び心地になれる楽しい話を書きたくなりました」
 そう語りながら死の直前まで小説を執筆した倉橋由美子さん(1935~2005)連作綺譚(きたん)『酔郷譚(すいきょうたん)』が、死後3年たって河出書房新社から出版された。
 「桜花変化」から「玉中交歓」まで7編。魔酒の効能で、主人公の慧(けい)君が、現世と冥界(めいかい)を往還、時に女性に変化し、「歓を尽くす」。
 明治大学在学中の1960年に前衛短編小説「パルタイ」で注目された倉橋さんは、『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』など精力的に小説を発表し、反リアリズムの旗手とされた。しかし、90年に左耳に自分の心拍音が聞こえる難病に見舞われ、死をおびえる年月が続いた。ようやく病気を容認できるようになってから書いた本作では、前衛さは影を潜め、理知とペーソスで死後の世界までからりと見つめる。
 今年に入って倉橋作品は、直木賞作家の桜庭一樹さんの解説で『聖少女』(新潮文庫)が出るなど3冊が復刊されている。今月1日には都内の書店で〈倉橋ルネサンス〉と題するイベントが開かれ、翻訳家の古屋美登里さんと作家で東京大教授の松浦寿輝さんが対談した。松浦さんは、「日本では文学というと、自堕落な情念や人生の苦悩などが重視されるが、倉橋作品は知性にあふれ、文章が洗練された散文芸術。日本が中流志向に向かう時代には優雅で優美な倉橋作品はあまり受け入れられなかったが、中流崩壊の現代では、むしろ再評価されるのでは」と語った。9月には『暗い旅』が河出文庫から復刊される。(鵜飼哲夫)(08年8月12日 読売新聞)

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2008年8月28日 (木)

憂楽帳:負けるな同人誌《渡辺亮一》(毎日新聞08年8月27日)

 月刊文芸誌「文学界」の「同人雑誌評」が12月号をもって終了する。全国各地の同人誌に掲載された作品の中から意欲作を取り上げ、文芸評論家が批評する名物欄。1951年に始まった。毎年、半期ごとに優秀作を選び、該当作は同誌に転載される。今年上半期の優秀作は「龍舌蘭」(宮崎市)172号に掲載された鮒田トトさんの「犬猫降りの日」だった。現在、同様の欄を持つ文芸誌はほかにない。「10年ほど前に比べ、送られて来る同人誌が半減した」(「文学界」編集部)ことが打ち切りの理由と聞いた。
 確かに同人の高齢化などにより、同人誌は全国的に衰退傾向にあるが、九州はいささか事情が違うようだ。老舗誌の再刊が相次ぎ、新興誌の台頭も目立つ。期待の若手だって少なくない。職場に届く同人誌に目を通す機会が多いが、どの作品も行間から「表現したい」「書きたい」という作者の情熱が伝わる。
 激励役の「同人雑誌評」がなくなるのは同人たちにとって痛手だろうが、めげないでほしい。同人誌での地道な取り組みが、地方の文学の地力向上につながると信じている。【渡辺亮一】(毎日新聞08年8月27日)

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西日本文学展望「西日本新聞」・長野秀樹氏

《対象作品》相加八重さん「馬の泪」(「二十一せいき」9号、大分市)、吉井恵璃子さん「あるものさがし」(「詩と真実」710号、熊本市)
「文芸山口」280号(山口市)は「創立五十周年記念特集号」、主催者である福田百合子さんの創刊時主催者、太田静一さんの思い出。堀江すすむさん「最後の少年兵たち」。
「すとろんぼり」5号(福岡県久留米市)は後藤みな子さん「樹滴」連作の五、岩下祥子さん「やごの日」。(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年8月27日 (水)

詩の紹介  「地下通路を抜けると」矢野俊彦

(紹介者 江素瑛)
この空間に患者は遺体という「物体」になる。お墓に行く出発点に運ばれたのだ。医師の無力さ、能力の限界、家族の悲痛と絶望、放心状態の漂う空間。そこで働く葬儀社の人の生活を支える場でもあるのか。
 「ストレッチャーを押す医師の手が さり気なく葬儀社の人に替わる」家族にとって、他者にゆだねる悲痛の瞬間を、保安電気係員は「かつて妻がそうだったように」と映像を重ねていたのだ。
              ☆
   「地下通路を抜けると」   矢野俊彦
  地下通路を抜け/鉄の扉を押すと/目の前に霊安室の表示/私は急いでエレベーターに向かう/エレベーターで降ろされるのは/心拍の停まった人/ストレッチャーを押す医師の手が/さり気なく葬儀社の人に替わる/かつて妻がそうだったように/この空間で患者は遺体になる/だからこそ照明は/煌々と照らさなくてはならない/電気係りの私は/交換ランプを破損しないように/硬く握る

 矢野俊彦詩集 「本郷 坂の街」(東京都文京区 東銀座出版社08 8 20)

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小泉今日子(女優)書評=『ラン』森絵都(理論社)

 もう二度と会うことが出来ない人達、亡くしてしまった人達に会いたいと願う。薄暗い舞台袖で緊張しながら出番を待つとき、私はいつもあの世の人達との交信を試みる。暗い天井を見上げて「今日も、私はここで生きています。ちゃんと見ていてね」。もちろん返事はないけれど、あの世の人達が微笑んでいる顔が頭の中に次々と浮かんで頼もしい気持ちで舞台に上がる。
 13歳で家族全員を事故で失い、その後の面倒を見てくれた叔母も失った22歳の主人公、環(たまき)は、私の何倍も何百倍もあの世の人たちに会いたいと願うだろう。この世に一人取り残されたことを恨んだりもするだろう。この世に生きる喜びや、この世の人たちと繋(つな)がり合って生きることを望まぬ環の日々を思うと胸が苦しくなった。
 引っ越したばかりの街で出会った自転車屋の紺野さんと環はどこか似ていた。紺野さんもやはり愛する妻と息子を失い悲しみの中に生きている。紺野さんが息子のために特別に作り上げた自転車、モナミ一号を譲り受けた環は、ある夜それに乗って走っていると普通の人には見えないレーン(冥界(めいかい)と下界を結ぶ連絡通路)を越えてあの世に辿(たど)り着いてしまう。家族や叔母との再会に喜んだけれど、この話はそれだけでは終わらない。ここからが長い道程なのだ。
 生者のレーン越えには条件がある。日没後、40キロもある通路を立ち止まらずに走って渡ること。そして日付が変わるまでに下界に戻ること。環はある事情から、自分を冥界に運ぶ力を持つモナミ一号を手放すことを決め、自力で40キロを走り抜くためにマラソンの練習を始める。そこで一見風変わりなマラソンチームの人達と出会い、あの世を目指していたはずが、この世と繋がることの大切さにも気付いていく。
 私を育ててくれた父親や、演出家や、映画監督はあの世で今でも私の心配をしているだろうか? 死んでまで心配させるのは気の毒だと思いながら、私は今日もあの世との交信を試みる。◇もり・えと=1968年東京都生まれ。作家。2006年、『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞を受賞。1700円(08年8月25日読売新聞)

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2008年8月26日 (火)

中央公論文芸賞にねじめ正一さんの「荒地の恋」

 第3回中央公論文芸賞(中央公論新社主催)の選考会が26日行われ、ねじめ正一さん(60)の「荒地の恋」(文芸春秋)に決まった。副賞100万円。
 受賞作は、50歳を超えて親友の妻と恋に落ち猛烈に詩を書き始める詩人と、その仲間たちの奇妙な交友関係を、詩誌「荒地」の主要メンバーをモデルに描いた。
 選考会では「男女の奔放で身勝手で生々しい恋愛関係にはとても迫力があり、一気に読ませた」などと高く評価された。(08年8月26日 読売新聞)

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2008年8月25日 (月)

ケイタイ・ヨコ書きの名作発売。漱石「こころ」太宰「人間失格」など

 夏目漱石や太宰治らの小説をヨコ書きにして単行本化した「名作文学」シリーズ(ゴマブックス)が発売され、人気を博している。
 第1弾は、1日に発売された夏目漱石「こころ」と太宰治「人間失格」。若い人にケータイ小説を読む感覚で、名作を読んでもらおうという試みだ。
 2作とも表紙は女優の写真で、活字は通常の黒色でなく、オレンジ色や若草色にしてカジュアル感を前面に出している。発売以来、計5万部以上を売り上げ、好調な出だしだ。
 作品は昨年4月から、ゴマブックスの携帯電話サイトに掲載された小説60作で、人気の高かった2作を選んだ。掲載作品は、作者の死後50年が過ぎて著作権の切れた名作ばかり。「タテ書きでは読めなかった名作が、ヨコ書きなら読むことが出来た」といった感想も寄せられ、サイト全体で毎月1億回くらい見られており、出版に踏み切った。
 タテをヨコにするだけといっても工夫が必要だった。改行だらけの現代のケータイ小説と違い、古典名作は行替えが少ないという読みにくさがあったためだ。そこで、字詰めや行間をゆったりとつくり、ルビを多用するなどして、読みやすさに配慮した。岩波書店で漱石全集を担当した元編集者で、漱石研究者の秋山豊さんは「ヨコ書きで情緒が失われることはない。結局は慣れの問題。漱石自身、メモをヨコ書きで書いていた」と話している。
 第2弾は、芥川龍之介「蜘蛛の糸 他8編」など3冊を22日に発売する。
(08年8月22日読売新聞)

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2008年8月24日 (日)

賢治賞、豪の劇作家バルバースさんが受賞

 岩手県花巻市は21日、同市出身の宮沢賢治に関する優れた研究や評論をした人を表彰する第18回「宮沢賢治賞」を、東京工業大学世界文明センター長の劇作家ロジャー・パルバースさん(64)(川崎市)に贈ると発表した。
 パルバースさんは米・ニューヨーク出身で、オーストラリア国籍。1967年に初来日して賢治研究を始め、「雨ニモマケズ」の詩を「STRONG IN THE RAIN」として海外に紹介するなど、詩や童話の英訳を数多く手がけ、著書も多数ある。

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安吾賞に瀬戸内寂聴さん

 新潟市は21日、第3回「安吾賞」を作家の瀬戸内寂聴さん(86)に贈ると発表した。瀬戸内さんは作家としての評価に加え、講演活動などで女性をはじめ、人々を勇気づけた点などが評価された。
 安吾賞は、新潟市出身の作家坂口安吾の生誕100周年を記念して2006年に市が創設。無頼派で知られる安吾にちなみ、信念を貫きながら新たなものに挑戦する個人や団体を顕彰する。

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詩の紹介   「短い物語」藤田康彦

(紹介者・江素瑛)
慕情、幻想、と美しさ。青春は胸をときめかせるもの。描いたのは、息も溶け合う一瞬。言葉の無用なひと時を夢見る。想像かどうか、ストーリはすでに始まった。始まってからすでに50年以上経っているのに、終りのない想念もある。

      ☆
「短い物語」  藤田康彦

冬の日
白い花を咲かせた街路樹の下を歩いていると
透明な飾窓の向うから
髪の長い少女が現われ
黙って
ぼくの手袋を脱ぎ取った        
 (57’年 詩集「炎と泥」) 08年 7月詩誌「さちや」 NO.104(岐阜市)より。

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2008年8月23日 (土)

上半期の出版動向=分冊百科好調、大型雑誌の休刊が目立つ

出版科学研究所の調査によると、今年上半期の創刊誌は前年比9.4%減、休刊誌は同14.4%減。創刊誌では、中高年向けの分冊百科が好調。休刊誌は、「LUCi」「ダカーポ」「NIKITA」「Boon」「zino」などの大型企画が目立つ。

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2008年8月22日 (金)

劇団青年劇場が9月に、「藪の中から龍之介」を上演

(青年劇場 製作部・広瀬さんよりの投稿)
新宿を拠点に活動している劇団青年劇場は、来る9月に、「藪の中から龍之介」という、芥川龍之介を主人公にした演劇を上演します。今回の作品は、新国立劇場などにも書き下ろし作品を提供している気鋭の作家、篠原久美子さんに委嘱したオリジナル作品です。
文豪・芥川龍之介の生きた「大正」という時代は、経済的繁栄から大不況への転落、デモクラシー運動の高揚と退潮、大震災に、深刻化する労働問題、膨大な自殺者など、まさに現代とそっくりな時代でした。今回の作品では、芥川龍之介の作品群とその生きざまをていねいに見直し、彼の生きた「大正」という時代を描くことで、現代の私たちが抱える問題を浮きぼりにできればと考えています。
ぜひ私どものサイト《参照:「劇団青年劇場」》をご覧いただき、劇場に足をお運びください。また、まわりの方々にも公演のことをご紹介くだされば幸いに存じます。

☆「藪の中から龍之介」関連イベント☆
  9月「藪の中から龍之介」に向けて、各地で様々なイベントを企画しています。他では味わえない魅力的な企画が満載!地域担当劇団員とも交流できます。お近くのイベントに出かけてみませんか?
新宿・渋谷 8/30(土)=「新宿歴史博物館」見学。
世田谷・杉並 8/31(日)=「世田谷文学館」見学&「蘆花公園」散策
千代田・中央・文京・港 8/31(日)=銀ブラ&ビア・パーティーPart2(文学者編)
○東部 8/31(日)「白樺文学館」散策&芥川作品朗読会。○南部・目黒 8/31(日)「馬込文士村」ツアー&交流会。
◎詳しくは下記にお問い合わせください◎
TEL03-3352-6922
info@seinengekijo.co.jp

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草思社、再開後の新刊2点を発売

草思社の民事再生決定後、初の新刊が8月25日に発売される。『女は人生で三度、生まれ変わる』(ローアン・プリゼンディーン著・定価1680円、初版7,000部)と『リクガメの憂鬱』(バーリン・クリンケンボルグ著・定価1995円、初版4,000部)の2点。

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2008年8月21日 (木)

江戸川乱歩ミステリー 今や「古典」

 岩波文庫に、日本の推理作家で初めて江戸川乱歩の短編集が収録された。また、長男が父・乱歩の足跡を追う豪華本も出版され、没後43年を経て日本ミステリーの父に改めて脚光が当たっている。(佐藤憲一記者)
 「岩波文庫で出す基準は古典として認められているもの。大衆文学も今は研究者の視野に入っており自然と決まった。十数年前だったらダメだったかもしれませんが」。19日に『江戸川乱歩短篇集』を発売した同文庫の塩尻親雄編集長は言う。
 ポオ『黒猫・モルグ街の殺人事件』(中野好夫訳)など海外ものは既にあるが、比較的歴史が浅く娯楽読物と見なされてきた日本の推理小説が、文学の古典と評価されたことは、画期的だ。
 初出の雑誌を底本に、1923年のデビュー作「二銭銅貨」から「D坂の殺人事件」、「屋根裏の散歩者」など代表的初期短編中心に12編を精選。乱歩の同様の傑作選は他の文庫にも多いが、森鴎外との比較論に始まり、大正末期の閉塞(へいそく)感や空虚感の中からの「乱歩登場」に文学や時代の転換を見ようとする編者の千葉俊二早大教授の批評的解説が付くのが古典文庫らしい。
 授業でも乱歩作品を取り上げている千葉教授は、「乱歩の頭の中だけにあった猟奇的犯罪が現在、現実にあふれていることの意味を考えたいとの思いもあった」と編纂(へんさん)作業を振り返る。<何の動機がなくても、人は殺人のために殺人を犯す>。
 一方、平井隆太郎『乱歩の軌跡』(東京創元社)の出版は、記録魔だった乱歩が残した『貼雑年譜』という手製のスクラップ自伝を手がかりに、立教大の社会学部教授だった著者が父の人生を読み解いた。
 少年時代は中国への密航を企て、成人後は造船所勤務、古本屋、漫画雑誌編集長、屋台のラーメン屋など目まぐるしく職や住所を変えた才気と移り気の青年時代やデビュー後の苦悩、人気作家の虚名を嫌った一面が浮かび上がる。
 著者は父親を<文学者肌と事業家肌という相反する二つの性格が同居していた>と洞察する。
 ミステリーの名編集者・戸川安宣さんは、今回の書籍化の実現は近年の乱歩の人間像への関心の高まりも背景にあるという。「隆太郎さんが社会学者としての公平な視点で父親を検証した意義ある本。今まで本にならなかったのが不思議なくらい」と話す。(08年8月20日 読売新聞)

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中部ペンクラブ主催「全国同人雑誌会議」を徳島・三好市で

三田村博史・中部ペンクラブ会長は、雑誌「中部ぺん」第15号の巻頭言において、昨年に「中部ぺん」が「第三回富士正晴全国同人雑誌賞・特別賞」を受けた際、主催の徳島県三好市・俵徹太郎市長に「全国同人雑誌会議」について次は、三好市で開催することを提案したところ、快諾をえたことを明らかにしている。これを受けて同人誌「文学街」と提携のアジア文化社「文芸思潮」が加わり、三好市の職員とも協議のうえ、10月には徳島市でプレイベントを開催する予定であるという。
 文芸同人雑誌の全国的な求心力では、中部ペンクラブが突出した実績をもっており、その連携の強化が期待できそう。

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2008年8月20日 (水)

桐野夏生さん「東京島」に4年の歳月

「逆ハーレムって、男の人も困るでしょうね」桐野夏生さんが、無人島に漂着した人々のサバイバル劇を生々しく描き出した小説『東京島』(新潮社)を発表した。「どこまで自由に無から有を生み出せるか」試みた意欲作だ。(佐藤憲一記者)

 自身最長の4年の歳月をかけ、初めての文芸誌掲載作にもなる。締め切りなど制約も多い小説誌や週刊誌での創作に比べ、「『新潮』の編集者から何をやってもいいといわれ、締め切りも縛られなかったので、自由で楽しい仕事だった」と振り返る。
 物語のヒントは、太平洋戦争末期、孤島に流れ着いた約30人の男性と一人の女性が7年間暮らし、「南島の女王蜂」などとスキャンダラスに報道されたアナタハン島事件だ。桐野さんが現代のフィリピン沖に創造した無人島には、日本人夫婦に23人のフリーター集団、11人の中国人が次々と流れ着く。
 救援の船をひたすら待つ人々が島に名づけたのはトウキョウ。日本の若者たちは、仲のいい人同士で、ブクロ(池袋)、ジュク(新宿)などの集落に分かれて、生きがい探しに走る。
 「ロビンソン・クルーソーのように何かが欠乏したり、収容所もののように閉じられた空間で人が変わっていく話が好きなんです。自分がそんな耐乏生活するのは嫌ですけど」と笑う。
 たくましく自活の道を見いだす中国人グループに比べ、強いリーダーを見いだせない日本の若者たち……。島の中にはオダイバや危険な廃棄物の捨てられたトーカイムラまである。「今時の人たちが、無人島暮らしをしたらエセ東京を作りそうだと思っただけ」というが、トウキョウは、現代の縮図のようにも見える。
 40代の一人の女性に対して30人余の若い男という逆ハーレムの状況に置かれる清子は、男たちの寵愛(ちょうあい)を受ける絶頂期と異端として排除される凋落(ちょうらく)期の間を浮遊し、やがて島と同化する。
 「力はなくても、サバイバルの本能を全開にし生き抜いていく清子のしたたかさや荒々しさを描きたかった。図らずも妊娠してしまう女という体のうっとうしさも含めて」
 実はこの1年ほど、「小説の書き方を忘れたようなスランプ」だったという。妻の壮絶な嫉妬(しっと)に苦しむ夫を実体験を元に描いた島尾敏雄の『死の棘』を別の雑誌連載の関連で再読、その「毒にあたった」からだ。「現実の怖さに比べフィクションがどれだけ強いか、虚構の中のリアリティーは何かと考え込んでしまって……」空間的に閉ざされた『東京島』の場合、深く深く掘って鍾乳洞を発見するような収穫があった」と語る。つまり、限定された舞台でも自在に物語を深める手段を得たということだ。「不自由の中の自由を知って、変われるような気がする」という作家は、楽園のような島に飽きたらず、漂流を続ける。(08年6月3日 読売新聞)

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2008年8月19日 (火)

下部温泉の「山田の湯」ホテルで涼しい「信玄の隠し湯」につかる

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暑くて汗だくのところに、冷たい温泉「信玄の隠し湯」に入ると、本当に「チョー気持ちがいい」。力が湧いて来る。
もっと、Pj_061
“避暑に最適な涼しい温泉”と宣伝すればいいのではないだろうか。1万円で、料理もいいし、部屋も静か。ほかに宿泊客が多くないのかと思っていたら、20人以上が夕食に集まった。
 下部温泉駅近くに「湯の奥金山博物館」があり、資料が充実していて役に立つ。自分は、戦国時代の金鉱と社会関係を研究しており、現在の日本社会の形成の基礎はこの時代の金山衆の生き方が大きな影響を与えていると思っている。金鉱の権利は、大名も認めており、利己的な利害関係を契約でして調整するという思想が浸透していったと考える。
 その契約の思想があるところに、西洋から神との契約の思想が入ってきた。織田信長もそれを理解していた。封建主義と契約意識を結びつけるような時代を持つ国と、それの経験のない国では、大きな違いがある。国はみな異なる歴史をもって、それが国民性になるように思う。山田の湯(山田ホテル)Pj_037Pj_062Pj_064Pj_016


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「同人雑誌評」雑誌「文學界」08年9月号」勝又浩氏

《対象作品》名村和美(「KANSO」88号/鈴鹿市)、「編集後記」、「矢車の花」寺島茂、「花びらの行方」三沢充男(以上「こみゅにてぃ」78号/和光市)、「街」、「そんなことは」山崎文男(以上「文学街」116号/東京都)、「編集後記」&「ルバング島のおじさん」青木哲夫、「往来記」青木倫子(以上「アンプレヤブル宣言」14号/今治市)、「白檀色のトーラス」森口透(「あべの文学」7号/大阪市)、「遠泳―消えた海―」高月治朗(「八月の群れ」49号/明石市)、「のれんの陰」泉紀子、「日雇いの二人」牧之島純(以上「風の道」2号/東京都)、「拍子木」笹原実穂子(「山音文学」113号/札幌市)、「雛子」伊藤千佳子(「樹林」521号/大阪市)、「シルクロードの黒い嵐(カラブラン)」山本直哉(「文芸誌O」42号/佐久市)、「幸子二題」堀坂伊勢子(「文宴」109号/松阪市)、「母親」乾夏生(「槐」26号/佐倉市)、「呼ばわり山」もりたなるお(個人誌「回転寿司考」156号/武蔵野市)、「高齢者は剛いぞ」北大井卓午、「花の寺」安西昌原、「傾いた明日」難波田節子、「密葬」柚かおり(以上「遠近」34号/東京都)、「納屋の上」由比和子(「海」66号/福岡市)、「OJI NOTE」大池文雄、「湯ヶ島にて」栗原陽子(以上「丁卯」23号/駿東郡)、「西陣と南陣」園城弘(「滋賀文学」105号/大津市)、「やなさんの快挙に」山崎文男(「顔」65号/上田市)、「ころがる石」長倉茉利(「河」146号/東京都)、「トワイライト・デイ」本多明子、「月と雨と」池田みな美(以上「法政文芸」4号/東京都)、「ガラスに映る」うえのそら初、「無題」阪井智一(以上「カム」3号/桜井市)、「天竺川」あびる諒(「白鴉」22号/八幡市)、「カプセル・タイム」大西亮(「北斗」548号/名古屋市)、「かまきり」中島妙子、「ボランティアガイド エレジー」長浜要悟、「月光」福永タミ子(「安藝文學」76号/広島市)。
ベスト5=「白檀色のトーラス」森口透、「ルバング島のおじさん」青木哲夫、「月と雨と」池田みな美、「矢車の花」寺村茂、「母親」乾夏生。
今回が勝又氏による最後の「同人雑誌評」となりました。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2008年8月18日 (月)

第21回中部ペンクラブ文学賞に、臼田慶子「ホシオさんの洒落」

第21回中部ペンクラブ文学賞に、臼田慶子さんの「ホシオさんの洒落(しゃらく)」に決まった。受賞作品は「中部ぺん」(第15号2008)に掲載されている。
 臼田慶子さんは、1947年名古屋市生まれ。主婦業の傍ら、同人誌「じゅん文学」、「TEN」などの活動をへて現在は朝日カルチャーセンター「純文章」口座で学ぶ。同講座の「文章工房」の編集に携わる。
 選考の最終候補作は、次の通り。寺町良夫「島で棲む」(「美濃文学」77号)、有芳凛「スノーストーム」(「じゅん文学」52号、臼田慶子「ホシオさんの洒落」(「文章工房」5・6号)、渡辺勝彦「ドンセコ狂想曲」(「R&W」3号)、中田瑠々「「中田瑠々個人誌」。
…………………… ☆ ……………………
テレビが新聞を読み上げる時代になりました。情報ルートが単純化しすぎています。情報の多様化に参加のため「暮らしのノートPJ・ITO」ニュースサイトを起動させました。運営する団体・企業の存在感を高めるため、ホームページへのアクセスアップのためにこのサイトの「カテゴリー」スペースを掲示しませんか。文芸同志会年会費4800円、同人誌表紙写真、編集後記掲載料800円(同人雑誌のみ、個人で作品発表をしたい方は詩人回廊に発表の庭を作れます。)。企業は別途取材費が必要です。検索の事例

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辻井喬・堤清二回顧録「叙情と闘争」30「流浪の人」から

「流浪の人」とは、辻井喬氏の妹の堤邦子(故人)の書いた小説のタイトルである。長らくパリに在住、堤系列会社のヨーロッパ代表を務めていた。
 辻井氏は妹をかなり愛していたらしく、冷静で乾いた筆致のなかに、そうした特別な愛着心がにじんでいる。81歳での回想ではあるが、それでも熱情の駆られることのないような、常に平常心的な自意識が、文学者、辻井喬と資本家の両面をこのように語れる要素なのかもしれない。
前に、日本連合赤軍・浅間山荘事件は、記したのでここでは、その以前には、新左翼(?)に何があったのか、記してみよう。
 こ浅間山荘事件至るまでの関連事件を時間をさかのぼってみよう。
この事件より2年前の昭和45年11月25日。作家の三島由紀夫こと平岡公威(45)は、主宰する盾の会会員森田必勝(25)、古賀浩靖(23)、小賀正美(22)、小川正洋(22)の四人を連れ、市ヶ谷の陸上自衛隊に突入。自死をしている。

 同じ年の昭和45年3月21日。赤軍派による日航機乗っ取り事件=羽田発板付に向かった日航機「よど号」(ボーイング727型、乗客131人)が富士山上空に差しかかったとき、乗客を装った赤軍派政治局員田宮高麿ら9人が、ピストル、日本刀、手製爆弾で乗員、乗客を脅迫して飛行機を乗っ取り、板付空港で婦女子を降ろしたあと北朝鮮に向かった。田宮ら9人のほか、別件で逮捕していた赤軍派議長塩見孝也(28)、同派中央委員前田裕一(22)もハイジャックの謀議に加わり、この事件を「フェニックス作戦」と名づけ、資金獲得、武器入手のため「アンタッチャブル作戦」、「マフィア作戦」などを計画していたことがわかり、塩見、前田ら13人が検挙された。
 この頃になると、なにかハリウッド映画のサスペンス場面のような、芝居がかった騒動の性格がより明瞭になってきていた。
 現在、日本の外務省がハイジャック犯の引渡し、で拉致問題制裁に解除をしようとしてるという、噂があるが国家間の交渉に国内事情がからむと、変なことになるものだ。

辻井喬氏の関連ニュース
詩人のための「詩論」を語る老人と文学について

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紫式部文学賞に伊藤比呂美さん「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」

 女流文学を対象にした京都府宇治市の第18回紫式部文学賞に13日、米カリフォルニア在住の詩人伊藤比呂美(ひろみ)さん(52)の長編詩「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」(講談社)が選ばれた。

 受賞作は独特の形式の散文詩で、病気がちな外国人の夫と娘、日本に残した認知症の母らとのかかわりを描いた。

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2008年8月16日 (土)

柳宗悦との関係知って 我孫子で23日講演会

 県内の高校の社会科教諭らでつくる「千葉県日本韓国・朝鮮関係史研究会」は8月23日、我孫子市の中央学院大学で、白樺派の美術評論家柳宗悦(一八八九-一九六一年)をテーマにした講演会「柳宗悦と朝鮮 我孫子からの発信」を開く。柳は我孫子市とのつながりが深く、生誕百二十周年にあたる来年は市内に石碑を建てる計画も進んでいる。

 柳は民芸運動の創設者として知られ、一九一四年から七年間、妻で音楽家の兼子と白樺派の拠点だった我孫子で暮らした。この間、朝鮮の美術や工芸に傾倒、植民地政策を批判した。

 同研究会は「多くの市民に柳と我孫子との関係を知ってもらいたい」と、石碑建立へ協力を呼び掛ける。講演会は二十三日午後二時から。「柳宗悦時代と思想」(東京大学出版会)などの著書がある清泉女子大の中見真理教授が、柳夫妻と我孫子とのかかわりなどについて話す。

 資料代五百円。当日はJR我孫子駅北口から無料送迎車を運行する予定。問い合わせは事務局の佐々木さん=(電)090(8495)8834=へ。 (東京新聞・冨江直樹記者)

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2008年8月15日 (金)

「コミックマーケット74」の「2ちゃんねる」脅迫犯逮捕

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「コミケ」に これまで行ったことがなかったので、行って見た。帰ってきたらこんなことが公式サイトに出ていた。

《「コミックマーケット準備会からの緊急のお知らせ(続報)」追加》=公式サイトより。
「2ちゃんねる」にて脅迫を行った犯人の逮捕について=東京湾岸署宛に被害届を提出しました。捜査いただいた結果、8月15日午前に、犯人の逮捕に至りました。なお、本件以外にも脅迫等がまだありますので、今回のコミックマーケット74におきましては、手荷物確認は継続して実施いたします。ご理解とご協力をお願いいたします。
炎天下に行列の風景

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コミケ74:マンガの祭典、15日開幕 手荷物検査で厳戒ムードも

 日本最大のマンガの祭典「コミックマーケット74」が15日、東京・有明の東京ビッグサイトで開幕する。17日まで。07年12月に行われた前回の「73」ではバーチャルアイドルの歌声で曲が作れる音楽ソフト「初音ミク」の関連作品やグッズが人気を集めたが、今回はどのような作品に注目が集まるか。

 コミックマーケットは、75年から始まったマンガや小説、音楽、ゲームソフトなどの同人誌即売会で、現在、夏と冬の年2回開催で今回で74回目。毎日約1万2000、3日間で計約3万5000サークルが出展、約50万人の来場が予想されている。

 1日目は、「テニスの王子様」「家庭教師ヒットマン リボーン!」など「少年ジャンプ」の作品を中心に、音楽、芸能系など、幅広いジャンルのサークルが参加する。2日目は、アニメやゲーム系がメーンで、「ひぐらしのなく頃に」で人気となった竜騎士07さんのサークルはこの日に登場する。3日目はオリジナル・創作系で、有名プロ作家も多数参加する。

 また、アニメやゲーム、マンガの関連メーカー、出版社など約130社が出展する企業ブースでは、人気作品の限定商品の販売や特製グッズの配布、声優らのイベントなどが行われる。また、コスプレーヤーが自慢のコスチュームを披露し合う「コスプレ広場」は海外からも多くの参加者が見込まれる。

 今回は相次ぐ妨害予告などもあり、33年の歴史で初の手荷物検査を実施する予定で、例年にない厳戒態勢での開催となる。【毎日新聞・渡辺圭記者】(08年8月14日)

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同人誌「かいだん」57号(東京)作品紹介(2)

【「冬日和」田川肇】
 講談社のフェイマススクールは当初は、絵画の学校教室としてあったが、その後、小説の分野でも開始し、ほどなく廃止されてしまった。これはその小説教室において、作者の講師であった作家との死をめぐる関係を書いたもの。人物や主催会社は、実名でなく変名を用いて作品化されている。講談社は音羽者になっている。
 この教室を受講するときに、それぞれ、学びたい作家を選ぶ。その作家に習作を提出して論評を受けるのである。主人公は、肺癌の手術をしたあとの御木本幸次という作家の教室にいて、肺癌の再発で死の床にある老作家を見舞うところから始まる。そうした題材を扱いなら、作者が自身の文学への姿勢を問い確かめる内容となっている。そうした作家の教室のその後の風景が描かれていて、興味深い。
 かくいう自分も、純文学系の伊藤桂一教室に通った。師の生徒に対する責任感は強く「君たちには可能な限り、指導受け持ちをするよ」と、「グループ桂」で、不肖な生徒(鶴樹のみ。他の生徒たちは文学賞を受賞している人が多いので)を指導している。
 また、娯楽小説のジャンルでは、山村正夫教室が生前に篠田節子、上田秀人、室井佑月、鈴木輝一郎などを輩出。山村氏亡くなった現在は、森村誠一氏をリーダーにして、入学希望者の絶えない人気教室になっている。
 当時、田川氏はフェイマススクールの御木本幸次(これは作中名で、あまり売れない作品を書く純文学作家らしい)とかいう作家の教室に、実際に通っていたのかも知れない。また、作者の田川氏は、編集後記に炭鉱の三井田川鉱業所の跡地について、述べており、そこに田川肇というペンネーム由来があるらしい、とわかった。
同人誌「かいだん」発行所=〒154-0071、世田谷区千歳台2-34-6、山室方。

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同人誌「安藝文學」76号(広島市)作品紹介

【「衣服は燃えて」香口真作】
8月8日、広島に原爆が落とされた時に、三菱重工の広島造船所に勤務中であった体験記である。こうした記録は、何人でも幾度でも繰り返して読んでも、戦争の悲惨さが伝わってくる。作業中に突然の衝撃を受け、緊急用につくってある蛸壺に逃げ込む。その時点では、原爆などというものは想像だにできない事情がリアルに伝わってくる。
 江波町の自宅から市の中央に向かう途中、「海から吹く冷たい風と市街から押し寄せる熱気がその場でぶつかり合い、巨大な煙の幕となって左右に拡がり中天高く昇る。上部は市の方向に大きく傾き、その壮大さに私は、声をあげる。紫の幕が空を二分している。幕の内側に一歩足を踏み入れると、熱くてとても耐えられない。私は慌てて幕の外に飛び出す。一種の巨大なエアカーテンが左右に拡がり行く手を阻む。腰を落とすと幕の下に肩幅程度の隙間があった。そこから内部が舟入町の交差点辺りまで見通せる。その先は炎が迫っていて、何も見えない」という被爆後の様子がある。また、熱線で肉体が崩れた市民のようすなど、目撃者の証言として迫力がある。

 原爆投下は、半世紀も前のことであるが、現在の世界情勢をみると、各国の人民が感情的になって、実際に核兵器を使いそうな気運があちこちに見られる。彼は、広島や長崎のことなどは知らない。ただ、憎悪をもった敵対心だけを煽られ、戦争を肯定するような雰囲気を盛り上げる勢力が各国にあるようだ。ふたたびどこかで核兵器が使われたとき、これらの記録が再認識され脚光を浴びる可能性も無きにしも非ずだ。そんなことが、なければよいのだが。
 一般的には、戦争というと、軍隊のすることだと思いがちだが、大量破壊兵器時代の現代の戦争は、女性や子どもを殺すことである。口では正義を振りかざしながら、平気で市民を殺害している偽善国家がふえつつある。核兵器の威力を実感しない指導者が駆け引きの道具に使う現代は、世界的な危機の時代といえる。
「安藝文学」発行所=〒732-0002広島市東区戸坂山根2-10-25、安藝文学同人会事務局。

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同人誌「かいだん」57号(東京)作品紹介(1)

【「戦争が終わった後で」塩田秀弘】
 昭和20年8月16日。終戦の翌日である。瀬戸内海地域の工業高校には、戦火を免れるための、軍需工場の最新式工作機械が隠してあって、生徒がそれを片付ける話から始まっている。戦後の人情や生活風景を細かく述べたもので、そんなことがあったのかと、人々の運命を知ると感慨がひとしおである。

【「お花さんと出会った頃」高山柳】
これは、戦争中から戦後にかけての家族の物語を、私小説風の味わいで描く。戦争中は、兵隊や市民が死んだが、戦後になっても貧しさのなかで、たくましく生きながらも、そのなかで、多くの人々が死んでゆく。結核で死んでゆく主人公の姉。花柳界で生きて、やがて死んでゆくお花さんという女性。花柳病という称し方があったのを思い出す。
 2編とも、少年少女時代を過ごした時代の記憶が再現されている。同時代の人は、みな自分の身辺で似たような体験を積んで、懐かしくも哀しい情念にかられるような作品である。

 時間というのは、未来からやってくるものであるが、その未来から来る時間に、それぞれの過去の時間を繰り広げるという皮肉な作業は、どのように意味づけたらよいのか、考えさせられる。若者が恋人の一挙手一投足に意味を見出そうとするように、年配の作者たちは、過ぎ去った時間を語る。共通しているのは、その柔らかな語り口で、まるで去っていった時間の中味を、点検するように、再現していることであろう。
 書き手の充足感に加え、教訓もある。しかし、現代の若者たちが、これを読んで、自分が現代に生きることの意味を考える機会はありそうにない。メディアでは、現代の若者たちの不幸が、論じられているが、どれもその不幸が、まるで降って湧いたように若者を襲っているようにとらえる瞬間論では、問題の本質が把握できる訳がない。そこに至る過程、歴史を知らないで、現代に自分が存在する理由がわかるはずがない。自分さがしなどする必要がどこにあるのか。自分たちの親のたどった歴史が自分に現れているのに過ぎない。2編の作品は、それに気がつくような素材であるが、若者に読まれることがないのが残念なような気がする。

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2008年8月14日 (木)

郵便回覧で句会、子規がまとめた句集見つかる

 明治期に短歌や俳句の革新運動を担った正岡子規(1867~1902)が、郵便で回覧する方法で毎月行っていた句会の作品をまとめた冊子「十句集」10冊が見つかった。
 見つかった10冊は、子規が所有していたものを、3年前、子規ゆかりの個人が子規の旧宅である東京・根岸の子規庵(あん)の保存会に寄託したもの。冊子は、句会で最高点を得た参加者が所有することになっていた。
 句会は十数人から二十数人の規模で、1896年から子規が亡くなる1902年まで毎月行われ、高浜虚子や河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)らの弟子も参加していた。参加者は「女」「魚」「土地」などのテーマごとに10句ずつ投稿し、幹事が各句を季節ごとに整理して写した冊子を作成。郵便で一巡させた後、各参加者から送られた選句結果を幹事が改めて朱筆で書き込み、再度郵送して回覧した。
 多摩美術大芸術人類学研究所によると、都内なら午前中に投函(とうかん)すれば午後には届いていた当時の郵便事情も明らかになったという。同大の平出隆教授は、「子規庵での句会と並んで子規が相当なエネルギーを注いでいたことが分かる。郵便制度を使ったシステムも大変なアイデア」と話した。
 見つかった「十句集」は、子規の命日である「糸瓜(へちま)忌」にあわせて、来月2日から同庵で行われる特別展で展示される。(08年8月13日読売新聞)

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2008年8月13日 (水)

「ビッグイシュー日本版」が100号に

 ホームレスの人たちが街頭販売を担う雑誌「ビッグイシュー日本版」(A4判、36ページ)の通算100号が今月、発行された。

 代表の佐野章二さん(66)が2003年9月、英ロンドンの本家のビッグイシューと契約し、大阪で創刊した。社会問題からスポーツまで幅広く扱い、販売部数は月5万~6万部。定価300円で月2回発行している。

 販売員は1冊140円で仕入れ、定価との差額160円を収入として受け取る。住居を定め、就職につなげるのが狙い。販売圏は11都道府県に広がり、76人の販売員が路上生活を脱した。(08年8月12日 読売新聞)

メモ=売っているのをみるとたいて買っているが、内容は充実していて、買って損をしたということは今までなかった。すごいことだといつも感心している。

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2008年8月11日 (月)

小泉 今日子(女優)書評「夏休みに選ぶこの1冊)

今市子著 『百鬼夜行抄』1~10巻(ソノラマコミック文庫、各590円)
 夏といえば怪談。でも私は怪談が子供の頃から苦手である。大人になってもやっぱり怖い。 この漫画の主人公は「妖魔」を見る力を持つ高校生の男の子。辛く悲しいエピソードを抱えた妖魔達が彼の前に次から次へと現れる。背筋が凍るような怖さも感じるのだが、読後感はなぜかファンタジーのよう。少女漫画風の美しい作画と、サブキャラクター達のユーモアと、人間の世界と妖魔の世界を同じものと捉(とら)える作者の優しい視点があるからなのだろう。怪談嫌いな私なのに、いつのまにか妖魔たちの抱える悲しみに感情移入してしまうのだ。(08年8月11日、読売新聞)

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2008年8月10日 (日)

文芸季評8月=文芸評論家・池田雄一氏

(読売新聞8月9日)《対象作品》平野啓一郎「決壊」(上・下=新潮社)/桜坂洋・東浩紀「キャラクターズ」(新潮社)/楊逸・芥川賞受賞作「時が滲む朝」(文藝春秋)/笙野頼子「だいにっぽん、ろりりべしんでけ録」(講談社)。

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井上荒野&江國香織、直木賞受賞記念対談(分載の2) 

井上 ネットの読者書評を読むと、「この人の書くものは不倫ばっかりだから気分が悪い」とか書かれていたりする。みんな不倫が本当に嫌いなんだね(笑)。でも、それは「ある」ことでしょう。恋愛も生活も、相当に不穏なものでしょう。みんな不穏なのに、そこを見ないようにしている。実生活では見ないようにしててもいいんだけど。
 江國 そう。でも、小説では見えないとつまらない。私は、道も何もない「荒野(こうや)」というものが好きで、自分が荒野に立っていると思うと安心するんです。道があると道に迷うけれど、道はないと思えば、迷うこともない。けれど世の中には、道やルールがあるということで安定すると思っている人たちがたくさんいる。私はそういう人たちの心を、小説で揺らしたい。
 井上 安定が不安定よりすばらしいとも思えないし。
 江國 こういうふうに考えるのって、性質としかいいようがないけれど、家庭環境もあったと思う。
 井上 両方とも父親がものを書く人だから、一般論じゃない言葉というか、常に自分の言葉じゃないと駄目なところがある。大体こういう風に書けばいい、ということが小学校の時から絶対許されなかった。
 江國 私も小学校1年生のときの絵日記で「今日は花火をしました」と書いたら「日記は今日のことに決まってるんだから『今日は』で書き始めてはいけない」と言われた。「私は」って書いたら、今度は「私のことに決まってる」って。
 井上 過酷だよね。
 江國 でもあの絵日記はとても勉強になった。
 井上 小説を書き始めるときって、ものすごいエネルギーがいる。決意というか、何かをグッと押し込むみたいな力が。入るときって何か風圧を感じるよね。
 江國 当たり前だけれど、書き出す前には、これから書く物語はまだこの世のどこにもないから、自分でもその世界を信じられない。でも書き始めたら、現実より小説の方が本当であるような気がしてくる。
 井上 そうやって、書いていて思いがけないところに行けるのは喜びの一つだよね。書くためには本を読むこともすごく大事。読むことによって書く力を得るところもある。だけど、自分が弱っていたりへこんでいたりすると読むためのエネルギーを出すのも大変。
 江國 エネルギーって使わないとたまらないものね。書き続けていると、美点であれ欠点であれ、どうしても同じようなものが出てきてしまう。それとも闘わなくちゃいけないし。
 井上 そう。書かないと書けるようにならないし、書いていると、勇気が少しずつ蓄積されていく。
 江國 勇気か。でも、私たちはもともと物語に対してだけは勇敢じゃない?
 井上 私たちはいろんなことを全部絶対的に考えるように育てられた。「隣の何とかちゃんを見てみなさい」とは決して言われなかった。他人と違うからといって不幸になることもなかったけど、安易に幸せにもなれなかったというか。
 江國 私たちの家は絶対評価の家だったからね。だから、相対評価ができない。ずいぶん昔、そのことが不安で友達に話したら、「それならいつか宗教にすがるようになる」って言われて、すごく怖かったの。宗教こそ絶対的なものだから。でも、その後、絶対評価のものは宗教のほかに恋愛があるって分かった。恋愛って、周りがどうであろうと自分の評価でしかない。そう考えてみると、小説を書くということも、絶対評価かもしれないね。
 井上 うん、宗教の代わりに小説を書いてる。
 江國 小説と恋愛があればいいんだよね。
 井上 恋愛もいっぱいしてきたし。
 江國 うふふ。そのとおりです。
(08年8月8日 読売新聞)

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2008年8月 9日 (土)

「文芸同人誌評」「週刊 読書人」08年8月22日、白川正芳氏

《対象作品》「青春の煌き」山岡早春(「コスモス文学」三五一号)、「桜並木の向こう」山田敦心(「城」94号)、「佐伯祐三の妻『米子』」(「新現実」97号)、「私小説研究」九号、「駅舎」折口真(「穀雨」二号)、「夢の人」北村順子(「婦人文芸」85号)、「港の骨董屋」川島昭子 (「ペン」三号)、「還暦」相加八重(「21世紀」八号)、「佐藤友哉とアヴァン・ポップ」(「メルキド」五号)、「Light & Dark」(「ゆ・ちゅぺる」創刊号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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井上荒野&江國香織、直木賞受賞記念対談(分載の1) 

 (08年8月8日 読売新聞)
『切羽(きりは)へ』(新潮社)で直木賞受賞に決まった井上荒野さん(47)と4年前に同賞を受けた江國香織さん(44)は、同じころにデビューし、親交を深めてきた。ともに作家の父を持つ2人に小説観、恋愛観を語り合ってもらった。
               ☆
【いのうえ・あれの】1961年、東京生まれ。父は「全身小説家」と言われた作家の井上光晴。89年、「わたしのヌレエフ」で第1回フェミナ賞。2004年、『潤一』で島清恋愛文学賞。著書に『もう切るわ』『だりや荘』『しかたのない水』『ベーコン』など。

【えくに・かおり】1964年東京生まれ。父は随筆家の江國滋。89年「409ラドクリフ」で第1回フェミナ賞。04年『号泣する準備はできていた』で直木賞。著書に『きらきらひかる』『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』『がらくた』など。

 『切羽へ』 かつて炭鉱で栄えた九州地方の島を舞台にした恋愛長編。画家の夫と仲むつまじく暮らす島の小学校養護教諭セイは、ある日東京からやってきた若い男性教師・石和にどうしようもなく引かれていく――。
               ☆
 江國 直木賞、本当におめでとう。これで二人とももらえたね。
 井上 ありがとう。私は長い間思うように書けなくて、江國さんの小説だけじゃなくて、ほかの人の本も読めない時期もあったから、こうして一緒の賞をもらえて本当にうれしい。
 江國 賞を取ると、これまで読んだことがない人も本を買ってくれたりするし。
 井上 郵便屋さんからも「おめでとうございます」と言われた。でも、すごくありがたいんだけど、これまでの作品と受賞作とそんなに部数の差が出るほど違うとは思わないから、直木賞ってすごいなあ、と思うと同時に、ちょっと釈然としないというか……。
 江國 うんうん。
 井上 最初に会ったのは、1989年のフェミナ賞の授賞式だったよね。二人とも、何に対してムッとするかというところが似ていた。食い意地がはってるところも。それと私たち、場当たり的な言葉に厳しいよね。
 江國 言葉って大事。仕事の話でも与太話でも、ちゃんとそこで考えてそこで言葉を発してほしい。結婚が恋愛の抑止にならないと思っているところもお互い似ているよね。直木賞の受賞会見で荒野さんが「夫婦だから信頼できるとか安心だということは一切信じてない。でも、私にとって夫はそれとは全く別のことです」と言ったのは格好よかった。『切羽へ』は、私は夫婦の感じがすごく色っぽいと思った。それと方言の使い方がうまくて嫉妬(しっと)した。
 井上 ふふふ。私、半分ネイティブだから。やっぱり、夫婦になると、色っぽい出来事が、ご飯を食べたり、買い物に行ったりするのと並列にあるから、いやらしいんじゃないかな。
 江國 きっとそうだ。

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詩の紹介  「FOR SEOUL」外村文象

(紹介者・江素瑛
妻の生まれた土地を見ておきたいと思う。亡妻に対して抑えきれない想念がその旅の動機である。
そこに見たのは長い年月に残った日韓関係のしこり。のほほんと軽くみる日本人とは対照的にシコリの解き難い韓国現地の人々のこころである。加害者と被害者との気持ちの処理、許される側と許す側の心境はそう簡単に溶け込むことはないでしょう。
               ☆
FOR SEOUL   外村文象
FOR SEOUL KOREA/妻の生まれた土地を見ておきたい/妻の育った環境を知りたい/京城からソウルに名前は変わって/韓国の首都は発展を続けている/幼い日に良い思い出はなかった/そのことを私の目でたしかめたい/これまで生きてきた自分自身への/ご褒美の古希の旅行/好奇心を失わずに瑞々しい/感覚を保ちつづけたい/韓国人が解放されて五十九年/市役所には古い書類が保存されているか/日本人には好意的に接してくれるか

妻の家族が住んでいたのは/朝鮮京城府長谷川町百拾六番地/父親は製紙会社の役員だった/焼野原の大阪への引き揚げは/石炭船に乗ってMPに怯えながら/幼い日の度重なる環境の変化は/彼女を多感な少女に育てた/京城には良い思い出はなかった/だから幼い日に育った地を/訪ねようとはしなかった/<私は大阪で生まれた>と/クラスメイトにも語っていた/正直者の彼女がついた悲痛なウソ

長谷川町はいま小公洞となっている/ビルが林立する繁華街だ/日本人達は戦前 戦中は/街の中心部を占拠していた/「冬ソナ」のブームで韓国を訪ねる人は多い/日本の女性達は浮かれて歩いている/だが街の人達の反応はクール/日本人を歓迎してはいない/長い年月のシコリは容易に氷解しない/心を許して仲良くなるには/過去の悔恨が風化するには/これからも歳月が必要だ
              詩集 「影が消えた日」より 07年 9月 東京・待望社

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個人誌「孤愁」第4号(横浜市)の編集後記から

 「孤愁」第4号に、豊田一郎氏の「編集後記」がある。なんでも「フリーターとしての小説家」という一文を読んだそうである。そのなかに「文学というものは、お金のためにやっているわけではないので、それでもいいと割り切るしかない。しかしそんな割り切り方をしてしまうと、売れなくてもいいというアマチュア的な気分になって、作品が独善的、閉鎖的になり、本当に売れないものしか書けなくなるおそれがある」とか、「小説家はフリーターであると同時に、独立採算の業者みたいなものだから(青色申告で妻に給料を払っている)、経営の安定のために、業務の計画を立お頃から、わたしは文学にこだわらなくなり、文学にこだわる人に特有の傲慢さと無縁になった」とか書いているらしい。
 豊田氏の説明によると、「この人は大学の客員教授として小説の書き方を教え、その教室から、いわゆる売れる小説家を輩出している」らしい。これに対し、豊田氏は、文学は自動車を作り売ることとは異なるのではないだろうか、とし、文学はそれでいいのか? と疑問を呈している。

 自分は、豊田氏の紹介している「フリーターとしての小説家」の理屈にそれほど違和感はない。売れる、売れないは、時代に合っているかどうかの問題で、車だって時代にあっていなければ売れない。ガソリン高騰で、エタノール、天然ガス、電気などをエネルギーとするものが脚光を浴びてきた。時代がそこに向いてきたからである。ただし、品質がわるいと売れない。品質がよいことが必要条件である。小説でも品質の良いことが必要である。それでも時代に合わなければ売れない。

 現代において、文芸同人誌のあり方と、文学的芸術的な行為との結びつきは、実はそれほど強くない。それを、いかにも芸術性だけを協調する人に出会えば、たいてい傲慢な人に見える。
 自分は、社会的な関心から文芸同人誌を読んできたが、日本人がものを書くということに、大変な価値を見出していることを知った。では、なぜなのか。一番大きいのは、書くことが心のツカエや憂鬱、うっぷんを解消することにあるからだと思う。精神を安定させ、充実感が得られる手段である。
 あとは、サークルの仲間意識の充足であろう。だから、出来上がった作品は、その過程で「出来てしまったもの」で、市場で売るなどということは考えていないものが、ほとんどである。そのなかで、たまたま社会的なニーズに出会ったものが売れているのである。自分は、同人誌の作品に、つまらないものや、くだらないようなことが書いてあっても、別に文句を言う気にはならない。あって当然であると思うからである。
 そういう作品を安易に批判してはいけないような気がする。その作品に自信がないからこそ、批判されると激怒することが多いようだ。自分で、書いてみれば、その気持はよくわかる。また、批評しやすいものだけを批判して、よい面を見出せない読解力不足の人しかいない文学仲間は、さびしい気がする。
 「売れる、売れない」の市場性からみると、文芸評論家や小説公募の審査員は、その芸術性の深さを見ながら、同時に小説の品質を吟味していることになる。

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豊田一郎・個人誌「孤愁」第4号(横浜市)作品紹介

【「虚飾」豊田一郎】
 主人公の「私」は、船会社に永く勤め、定年退職している。妻は亡くなっている。娘がふたりいるが、長女が費用を負担して、父親のために日本一周の10日間の船旅をプレゼントしてくれる。船旅の人たちは、老若男女の多くがカップルである。ひとり旅の「私」に、やはり一人旅で、富豪にみえる年配の女性が接近してくる。ふたりは老いらくの青春が火遊びか、肌を重ねあい、旅を楽しむ。その後、「私」は足を捻挫したときに治療に行った病院で、船旅の富豪らしき女性と再会する。しかし、その姿は、貧相でやつれ、船上での面影はない。あの船旅は彼女を雇っていたレストラン経営者が、退職金がわりに設定してくれたものだった。現在の彼女は皿洗いをしている。
 「私」は、その女性の人生と、いまは亡き妻の人生の類似点をみいだしながら、自分と妻の夫婦の関係とは何であったかを考える。
 「私」は自分の退職金を元手にして、長女と共同名義でローンを組み、マンションを買っている。そこで、知らない女性と生活を始めたことを嫌う長女からマンションを出ることを要求される。
 独立した娘と年金生活の父親の孤独を軸に、年配の男女の枯れた騙しあいを楽しむ風情がよく表現されている。書き流しているようで、伏線を用意し、さりげなく生かす。老年の現代人の、孤独を日常生活に取り込んで生活する精神を描いて、巧い。

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2008年8月 7日 (木)

米国01年「同時多発テロ」直後の「炭素菌事件」捜査打ち切り

7年前の米国の9・11同時多発テロの直後、炭素菌入りの手紙を受取った人たち5人が死亡した事件があった。アメリカ司法当局は6日、記者会見し「軍の医学研究所に、勤務し、先月自殺したアイビンズ博士の単独犯行」とした。起訴はしないで、捜査を打ち切ると発表。アメリカ司法省テーラー検事は、「アイビンズ博士が使っていたフラスコには犯行に使われた炭素菌がついていた。菌は博士が作ったものだ」と語った。博士の弁護士は無罪を主張、自殺は当局の圧力によるもの、としている。

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2008年8月 6日 (水)

文芸同人誌時評「讀賣新聞」西日本版・夕刊8月1日付・松本常彦氏

《対象作品》「燭台」<昭和2年、下関で創刊された同人誌の誌名を継ぐ。当時は泉鏡花、横光利一、北原白秋、金子みすゞなどが寄稿。>第4号、北川透の詩「亀裂についてのノート」、石田比呂志の短歌「万愚節」、上野燎の俳句「あずまはや」、星加輝光・佐木隆三・古川薫・後藤みな子の対談「九州文学と岩下俊作」、吉田静代(常夏夫人、H4年101歳で他界)の口実筆記「燭台・常夏・下関」、後藤みな子「藤棚」。「遍歴」49号、伊福満代「框の傷」、鶴ヶ野勉「中央構造線」(「文芸同人誌案内」掲示板・日和貴さんまとめ)

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2008年8月 5日 (火)

同人誌「視点」第69号(多摩市)紹介

本号は、清松吾郎「夢幻の舞」96枚、筑紫亮「ビバルディーを聴きながら」56枚、石川テイ子「邦子」20枚、矢田山聖子「おんな万事塞翁が馬・二章」37枚、香月映摩「赤い緒のわらじ・3」30枚、浜田雄治「コマチ(第4回)」57枚、萩照子の随筆、臼井明子の追悼・益真智、大類秀志「故・八橋一郎氏を偲んでー透明な糸」で構成されている。
 これは編集後記から抜粋したもので、こうしてくれると当方には、大変ありがたい。
さて、そのなかで、大類秀志「透明な糸」が、頑固一徹な文学生活者の一面を描いて、一番面白かった。文中に「昭和46年8月『日本文学』竜野主宰が急逝、急遽私が発行を引き受けることになったが、同人合議の上で、翌年7月、昭和15年創刊の『日本文学』終刊号を発行。11月の「視点」として出発した。」とあるので、「視点」の発足がわかった。
 さらに「その挨拶文を各方面に郵送した際、八橋一郎氏に挨拶文と一緒に(八橋氏の評論)「吉行淳之介論序説」の激賞の読後感も同封した。それに対する返信はなかったが、それ以来、37年間欠かすことなく、年賀はがき交換だけの……、どう表現すればいいのだろう。付き合い、交際ではないし、心の交流とでも言うのだろうか。」とある。
 その他の作品、清松吾郎「夢幻の舞」は、純文学より、娯楽小説的な身勝手な男をめぐる女性2人との三角関係を描く。手法が3人称多視点で書かれているが、そこに乱れがある。長く一人称小説を書いていた人に良く見られる現象。簡単に書けばよいところを、長く書き、長く書くところが書いてない、という不満が出る。面白ければ、気にならないものも、話とセンスがありきたりだと、気になってくるものだ。
筑紫亮「ビバルディーを聴きながら」は、思想と人生を描いたやはり3人称多視点の小説。なんとなく、面白そうで興味をそそったが、後半は、わかるような、よくわからないような自殺した男の心理。
 石川テイ子「邦子」20枚は、実際にあった女性の人生をモデルに書いたようだ。参考文献・井上源吉「戦地憲兵」とある。邦子という女性の人生をざっと整理してみた、という感じで意欲は感じるが、創作的な筆の伸びはいまひとつ。
発行所=多摩市永山5-4-9、視点社。編集発行人=大類秀志。

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2008年8月 4日 (月)

第5回小島信夫賞の村山りおん「石の花冠」を掲載。「季刊文科」41号

 第5回小島信夫文学賞が「季刊文科」(鳥影社)41号で発表され、作品が掲載された。応募総数197編。最終予選では、本賞に青木笙子「『沖みどり』をさがす旅」、村山りおん「石の花冠」、中野睦夫「山の女」、朱雀遥「家愁」の4編。岐阜県在住者・出身者を対象とした岐阜県知事賞には間宮弘子「瀬音の彼方へ」、前田明彦「いちでらんらん」、吉村登「原発ジプシー異聞」、イトカ「秒針」の4編が最終候補作になった。

 その中から本賞に、村山りおん(62才、東京都在住)「石の花冠」(作品社刊)。岐阜県知事賞に、間宮弘子(72才、横浜市在住)「瀬音の彼方へ」(新風社刊)、前田明彦(71才、横浜市在住)「いちでらんらん」(書き下ろし)の2作が決まった。
【選評抜粋】
☆堀江敏幸=小島信夫さんの御意思によって、今回から選考委員をつとめさせていただくことになりました。岐阜県の出身であり、小島さんがながく教鞭をとっておられた大学の、同じ校舎に勤務していたことが推輓の理由だと思われますが、文学的な親和もいくらかはあったかもしれない、と前向きに考えております。
 さて、私は迷いなく村山りおん「石の花冠」を受賞作として選び出していました。
 サウラ、トシン、ナスキ、アユリ、スミトウといった、カタカナで表記される男女の絡み合いを透明な筆致で描き出すこの作品の舞台は、どこか空気の薄い神話の世界におかれているような気がします。言葉はふわりと抽象の空に浮いているのに、地縁、血縁のもつ残酷さが、その自由な飛翔を許しません。心地よい矛盾です。生者たちの墓地を思わせる花冠の下の華やぎに、票を投じます。
☆ 吉増剛造=なかで、村山りおん「石の花冠」が、際立つ、……というか、宝石の稜角が不意に香りたつなと思わせるのは、作者の才気はもとよりのこと、その才気を尽くそうとする力そのものの顕現であり、一人の作家の誕生だと思う。

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「同人誌時評」「図書新聞」08年8月9日志村有弘氏

《対象作品》「時計」葉山修平(「風の道」2号/荒川区)、「該当作なし」高橋直之(「残党」27号/茅ヶ崎市)、「末期の花ー美佐乃覚書」崎村裕、「にんげんの加害力ー島尾敏雄の〈特攻待機〉体験ー」岩谷征捷(以上「構想」44号/東御市)、「とくだみ」波佐間義之(「九州文学」七期二号/中間市)、「吉備大臣変異譚」蒲生一三(「文芸中部」78号/東海市)、「真澄の鏡」吉田弘秋、長篇詩「わが代」大野文也(以上「名古屋文学」25号/名古屋市)、詩「地面の来歴」菊田守(「花」42号/中野区)、「自殺者」前田純敬、座談会(以上「久坂葉子研究」4号・生誕七十七年記念号/芦屋市)、「明治・大正期における『今昔物語集』受容状況」西山康一(「芥川龍之介研究年誌」2号/船橋市)、「阿部知二研究」15号(姫路市)、湯本明子(「文芸シャトル」62号/豊田市)、永野悟(「群系」21号/江東区)、「加計呂麻島の墓碑」&「島の墓碑」遠藤秀子(「塩」4号/佐倉市)
《創刊>「銀聲」(西宮市)《追悼》川田俊夫(「一宮文学」/一宮市)、芳地修(「うもれび」32号/京都市)、星加輝光(「九州文学」七期二号/既出)、河林満(「穀雨」2号/武蔵村山市)、都筑辰己(「山音文学」113号/虻田郡豊浦町)、阿部英雄(「東京四季」94号/八王子市)、林俊(「文芸誌O」42号/佐久市)、浜畑幸雄(「別冊關学文芸」36号/西宮市)、筧槇二(「山脈」124号/横須賀市)。(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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2008年8月 2日 (土)

西日本文学展望「西日本新聞」7月30日朝刊・長野秀樹氏

《対象作品》後藤みな子さん「藤棚」(「燭台」四号、山口県下関市)、山田敦心さん「桜並木の向こうのクニ」(「城」九十四号、佐賀県みやき町)
「九州文学」第七期二号(福岡県中間市)は「星加輝光追悼特集」。古川薫、佐木隆三をはじめ、同人の追悼文を掲載。
「燭台」(前出)の岩下俊作特集にも、星加さんの座談会(古川さん、佐木さん、後藤さんがメンバー)を掲載。
「あかね」(鹿児島市)は八〇号記念号。「『あかね』と私」というタイトルで同人の文章が寄せられている。(「文芸同人誌案内」掲示板日和貴さんまとめ)

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詩の紹介  COGITO,ERGO SUM ? 千早耿一郎

 (紹介者・江素瑛)
 前にも紹介した作者の作品「われ思う されどわれなし」と異曲同工の趣があり、身体と心が一時的に分離する精神状態を面白く感傷的に描かれている詩です。
 意識的、無意識的、潜在意識の行為によって、われが思うものが大分違ってくる。
 視覚にかんじるものや、聴覚に聞いたもの、ものがいるようでいない、いるものが脳にいなくなる。その反対語DE'・JA' VU 既視感は、はじめてのことなのに、すでに知っているような、ないものがすでに記憶していると感じる。
 ものはどこに存在するのか、本当に自分はいたのかしら? 疑う心を持たないと、追求しないと、詩と哲学が生まれないのだ。
             ☆
      COGITO,ERGO SUM ?  千早耿一郎
朝 目を覚ますと/ぼくがいなかった/昨夜はたしかにここに寝た/疲れはて倒れこむようにして寝た/たちまち深い海に引き込まれた
深夜激しく咳をした/ぼくの肉体は激しく捻れた/天と地とが咳で捩れ/千々に分裂して四散した/そうしてぼくはいなくなった

ぼくはいったいどこへ行ったのか/デカルトは言った/ "COGITO,ERGO SUM "/"われ思う ゆえにわれあり"と/いまぼくはたしかに思っているのだが
もしかしたら脱出したのだ/かのいやな三次元の世界から/四次元へそして五次元へと/光りもなければ暗黒もない/無限銀河のここは世界
"おい どうしたのだ"/気がつくと若い男の声がした/あいつだ いっしょに突撃/おれをかばって弾に当たり死んだ/お前だったか とぼくは言った

裂けた青春が集まってきた/ここには闇も光りもない/汚辱も汚濁も裏切りもない/ほら見ろ地球がいま/腐り歪んで燃えている
                  「騒」第74号より 2008年6月(町田市)
※鶴樹(注)「近代哲学の父」とされるデカルトが考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり(Je pense,donc je suis.)」(Cogito ergo sum コギト・エルゴ・スム(ラテン語訳))は有名な定義。当時の保守的思想であったスコラ哲学の「信仰」による真理の獲得ではなく、信仰のうちに限定してではあれ、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求する近代哲学の出発点を簡潔に表現。
 こうして、思うがゆえに存在するとわかった自分は、社会では、ほかのみんなが認めないと、存在の意味がなくなる。それを追求したのがヘーゲルの社会論。経済社会において、自分の作った商品が売られて価値がつくのに、作った自分は無視されるのは問題だ、と考えたのがマルクスの疎外論。人間は相手の存在をまず認めてやると、相手は自分を認めてくれる人は、認めざるを得ない。そこから社交がはじまる。

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ネットニュースの日本インターネット報道協会が発足

日本インターネットニュース社の報道協会が発足
 メモ=当会主宰のPJ・ITOや会員の穂高健一氏などが所属するPJニュース社は参加していない。ツカサネット新聞も参加していないようだ。主旨をみると、記者クラブに所属しやすいようにするものひとつの目的らしい。団体に入れば必ずしばりがでてくる。それはパブリック精神ではないことは確か。

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2008年8月 1日 (金)

流水書房、青山ブックセンターを運営の日本洋書販売が民事再生へ

洋販ブックサービスが、「お詫びとお知らせ」(民事再生手続開始申立について)と題した文書を出版社など債権者に送付。洋販が資金繰りの悪化により7月31日付で破産手続き開始の申立てをしたこと、これに伴い洋販ブックサービスは東京地裁に民事再生開始の申立てを行い、同日付で弁済禁止の保全処分及び監督命令の発令を受けたことを説明。民事再生にあたっては現在、ブックオフコーポレーションがスポンサーとして支援する意向を示しているという。洋販ブックサービスは、流水書房、青山ブックセンターを運営している。
 洋販は1953年に設立。約20カ国の出版社約150社と取引きしていた。帝国データバンクによると、92年9月期 売上高約96億3800万円を計上。03年6月(株)タトル商会を吸収。05年8月期(決算期変更)売上高は55億6300万円に減少。06年1月にはファンドが出資する持株会社インターカルチュラルグループ(株)を設立し、洋販はその傘下に入った。07年11月(同)売上高は31億2500万円と悪化。最終利益で10億6500万円の赤字決算となっていた。

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「同人誌時評」「図書新聞」08年8月2日福田信夫氏

《対象作品》「ロシアという魁偉―内村剛介の帰還―」陶山幾朗(「VAV(ばぶ)」12号/日進市)、「長い残余の生(一)」前之園明良(「酩酊船」23集/穴粟市)、「青狐の賦(上)―火野葦平の天国と地獄―」暮安翠(「九州文学」第七期第一号(通巻523号)/中間市)、「わたしの源氏物語」橘川雅子(「てくる」3号/大阪市)、「アウシュヴィッツ収容所」中村淳子(「四国作家」40号/琴平町)、創刊45周年記念号・秋田稔個人誌(「探偵随想」97号/泉南市)、「ゲーテとトルストイの『光』考」&「菫漫談」大谷いわお(「海」77号/四日市市)、「言いそびれた言葉」いとうむつみ(「私人」62号/北本市)、「残党」27号(茅ヶ崎市)、「猫恋記」西本薫、俳句「虚虫」山下定雄(以上「海馬」31号/稲美町)、「三好十郎の反戦・平和―プロレタリア作家時代」今井勇、「三好十郎論―三好十郎と葉山嘉樹(その一)」鈴木章吾、「秋元松代は三好十郎を超えたか」田中單之、「三好十郎の翻訳」鈴木美和子(以上「三好十郎研究」創刊号/横浜市)、「仮装結社」あらきこうすけ、「川端康成『弓浦市』を素読する」坂本良介(「坩堝」創刊号/青梅市)、短歌・東野登美子、田中教子、巌浩(以上「ナヅノキ」創刊号/大阪市)
<追悼号>賈島憲治追悼(「創造家(トリスメジスト)」16号/本巣町)、鴻みのる追悼(「凱」30号/練馬区)、さこう祥二追悼(「小説図鑑」18号(通巻27号)/横浜市)、八幡政男追悼(「碑」90号/横浜市)(「文芸同人誌案内」掲示板よこいさんまとめ)

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