同人誌「かいだん」57号(東京)作品紹介(1)
【「戦争が終わった後で」塩田秀弘】
昭和20年8月16日。終戦の翌日である。瀬戸内海地域の工業高校には、戦火を免れるための、軍需工場の最新式工作機械が隠してあって、生徒がそれを片付ける話から始まっている。戦後の人情や生活風景を細かく述べたもので、そんなことがあったのかと、人々の運命を知ると感慨がひとしおである。
【「お花さんと出会った頃」高山柳】
これは、戦争中から戦後にかけての家族の物語を、私小説風の味わいで描く。戦争中は、兵隊や市民が死んだが、戦後になっても貧しさのなかで、たくましく生きながらも、そのなかで、多くの人々が死んでゆく。結核で死んでゆく主人公の姉。花柳界で生きて、やがて死んでゆくお花さんという女性。花柳病という称し方があったのを思い出す。
2編とも、少年少女時代を過ごした時代の記憶が再現されている。同時代の人は、みな自分の身辺で似たような体験を積んで、懐かしくも哀しい情念にかられるような作品である。
時間というのは、未来からやってくるものであるが、その未来から来る時間に、それぞれの過去の時間を繰り広げるという皮肉な作業は、どのように意味づけたらよいのか、考えさせられる。若者が恋人の一挙手一投足に意味を見出そうとするように、年配の作者たちは、過ぎ去った時間を語る。共通しているのは、その柔らかな語り口で、まるで去っていった時間の中味を、点検するように、再現していることであろう。
書き手の充足感に加え、教訓もある。しかし、現代の若者たちが、これを読んで、自分が現代に生きることの意味を考える機会はありそうにない。メディアでは、現代の若者たちの不幸が、論じられているが、どれもその不幸が、まるで降って湧いたように若者を襲っているようにとらえる瞬間論では、問題の本質が把握できる訳がない。そこに至る過程、歴史を知らないで、現代に自分が存在する理由がわかるはずがない。自分さがしなどする必要がどこにあるのか。自分たちの親のたどった歴史が自分に現れているのに過ぎない。2編の作品は、それに気がつくような素材であるが、若者に読まれることがないのが残念なような気がする。
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