辻井喬・堤清二回顧録「叙情と闘争」30「流浪の人」から
「流浪の人」とは、辻井喬氏の妹の堤邦子(故人)の書いた小説のタイトルである。長らくパリに在住、堤系列会社のヨーロッパ代表を務めていた。
辻井氏は妹をかなり愛していたらしく、冷静で乾いた筆致のなかに、そうした特別な愛着心がにじんでいる。81歳での回想ではあるが、それでも熱情の駆られることのないような、常に平常心的な自意識が、文学者、辻井喬と資本家の両面をこのように語れる要素なのかもしれない。
前に、日本連合赤軍・浅間山荘事件は、記したのでここでは、その以前には、新左翼(?)に何があったのか、記してみよう。
こ浅間山荘事件至るまでの関連事件を時間をさかのぼってみよう。
この事件より2年前の昭和45年11月25日。作家の三島由紀夫こと平岡公威(45)は、主宰する盾の会会員森田必勝(25)、古賀浩靖(23)、小賀正美(22)、小川正洋(22)の四人を連れ、市ヶ谷の陸上自衛隊に突入。自死をしている。
同じ年の昭和45年3月21日。赤軍派による日航機乗っ取り事件=羽田発板付に向かった日航機「よど号」(ボーイング727型、乗客131人)が富士山上空に差しかかったとき、乗客を装った赤軍派政治局員田宮高麿ら9人が、ピストル、日本刀、手製爆弾で乗員、乗客を脅迫して飛行機を乗っ取り、板付空港で婦女子を降ろしたあと北朝鮮に向かった。田宮ら9人のほか、別件で逮捕していた赤軍派議長塩見孝也(28)、同派中央委員前田裕一(22)もハイジャックの謀議に加わり、この事件を「フェニックス作戦」と名づけ、資金獲得、武器入手のため「アンタッチャブル作戦」、「マフィア作戦」などを計画していたことがわかり、塩見、前田ら13人が検挙された。
この頃になると、なにかハリウッド映画のサスペンス場面のような、芝居がかった騒動の性格がより明瞭になってきていた。
現在、日本の外務省がハイジャック犯の引渡し、で拉致問題制裁に解除をしようとしてるという、噂があるが国家間の交渉に国内事情がからむと、変なことになるものだ。
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