井上荒野&江國香織、直木賞受賞記念対談(分載の2)
井上 ネットの読者書評を読むと、「この人の書くものは不倫ばっかりだから気分が悪い」とか書かれていたりする。みんな不倫が本当に嫌いなんだね(笑)。でも、それは「ある」ことでしょう。恋愛も生活も、相当に不穏なものでしょう。みんな不穏なのに、そこを見ないようにしている。実生活では見ないようにしててもいいんだけど。
江國 そう。でも、小説では見えないとつまらない。私は、道も何もない「荒野(こうや)」というものが好きで、自分が荒野に立っていると思うと安心するんです。道があると道に迷うけれど、道はないと思えば、迷うこともない。けれど世の中には、道やルールがあるということで安定すると思っている人たちがたくさんいる。私はそういう人たちの心を、小説で揺らしたい。
井上 安定が不安定よりすばらしいとも思えないし。
江國 こういうふうに考えるのって、性質としかいいようがないけれど、家庭環境もあったと思う。
井上 両方とも父親がものを書く人だから、一般論じゃない言葉というか、常に自分の言葉じゃないと駄目なところがある。大体こういう風に書けばいい、ということが小学校の時から絶対許されなかった。
江國 私も小学校1年生のときの絵日記で「今日は花火をしました」と書いたら「日記は今日のことに決まってるんだから『今日は』で書き始めてはいけない」と言われた。「私は」って書いたら、今度は「私のことに決まってる」って。
井上 過酷だよね。
江國 でもあの絵日記はとても勉強になった。
井上 小説を書き始めるときって、ものすごいエネルギーがいる。決意というか、何かをグッと押し込むみたいな力が。入るときって何か風圧を感じるよね。
江國 当たり前だけれど、書き出す前には、これから書く物語はまだこの世のどこにもないから、自分でもその世界を信じられない。でも書き始めたら、現実より小説の方が本当であるような気がしてくる。
井上 そうやって、書いていて思いがけないところに行けるのは喜びの一つだよね。書くためには本を読むこともすごく大事。読むことによって書く力を得るところもある。だけど、自分が弱っていたりへこんでいたりすると読むためのエネルギーを出すのも大変。
江國 エネルギーって使わないとたまらないものね。書き続けていると、美点であれ欠点であれ、どうしても同じようなものが出てきてしまう。それとも闘わなくちゃいけないし。
井上 そう。書かないと書けるようにならないし、書いていると、勇気が少しずつ蓄積されていく。
江國 勇気か。でも、私たちはもともと物語に対してだけは勇敢じゃない?
井上 私たちはいろんなことを全部絶対的に考えるように育てられた。「隣の何とかちゃんを見てみなさい」とは決して言われなかった。他人と違うからといって不幸になることもなかったけど、安易に幸せにもなれなかったというか。
江國 私たちの家は絶対評価の家だったからね。だから、相対評価ができない。ずいぶん昔、そのことが不安で友達に話したら、「それならいつか宗教にすがるようになる」って言われて、すごく怖かったの。宗教こそ絶対的なものだから。でも、その後、絶対評価のものは宗教のほかに恋愛があるって分かった。恋愛って、周りがどうであろうと自分の評価でしかない。そう考えてみると、小説を書くということも、絶対評価かもしれないね。
井上 うん、宗教の代わりに小説を書いてる。
江國 小説と恋愛があればいいんだよね。
井上 恋愛もいっぱいしてきたし。
江國 うふふ。そのとおりです。
(08年8月8日 読売新聞)
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