小泉今日子の書評=変愛小説集(岸本佐知子編訳/講談社)
久しぶりに小泉今日子の書評が載った(読売新聞7月6日)。
見出しが「恋と変は似たもの同士」で、「恋愛小説集なのだと思ってなにげなく手に取った。よく見たら変愛だったので少し笑ってしまった。でもその瞬間、この本のページを開くことが一気に楽しみになった」と書く。訳された11編の変愛物語は、現代英米文学の作家たちが書いたもので、大好きな彼女から貰った手編みのセーターを着ようとして、頭が抜けなくなってセーターの“世界”から出られなくなってしまう男の話。若いボーイフレンドをまる呑みして、自分の身体の中で胎児のように育てる主婦の話などがあるという。
「どれをとっても確かに変で、残酷さや軽い狂気のようなものを感じるけれど、人が人を想う切実さや純粋な気持もまた確かなのだ。
私が一番好きだったのは、この本の最初に収められている『五月』という物語だった。近所の家の庭の木に恋をしてしまう女性の話なのだが、彼女が木に恋をした瞬間や、焦がれてゆく過程の心情がとても美しい言葉で書かれていて、私までうっとりと、その木のことを想ってしまう……。
「恋をしているときはきっと誰だって変なのだと思う。それまでの日常とは完全に世界が変わってしまうのが恋というものだ。他人からみたらバカらしい囁きも、恥ずかしい行動も、恋する2人にとってはすごく切実で純粋な想いなのだ。
明日から、近所を歩くときに人の家の庭を覗いては私の木を探してしまいそうで怖い。私はすっかり変愛に侵されてしまったようだ。」
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ここでの小泉今日子的「恋愛論」には、作家的観察眼があるし、まとめ方にはエッセイストとしての手腕が発揮されている。芸能人の生活というのは、よくわからないが、自分が大衆にどのようなイメージされるかを、常に意識して生活をするのは、大変で、変な状態である。変人感覚になるのでは。そこから感受性を鈍化させる芸風の人と、逆に磨き上げることのできる人とがいるようだ。
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