伊藤桂一氏、文芸同人誌に見る世相を憂うことなど(C)
言及が遅れたが、「グループ桂」58号の巻頭にある伊藤桂一師の特別寄稿詩「短章」は、稀代の傑作である。人間の孤独な心の奥を、ここまで奥深く追求するものなか、と沈黙するしかない。その奥にまだ思想があったかと思わせる見事な表現である。他の凡百の詩人とレベルが違うとは、このことだ。
それはともかく帰りに、みんなが師とお茶を飲もうということになって、秋葉原トリムの2階に行った。師は好奇心が強く、「先生、事件だけでなく、秋葉は店舗の構成も様変わりしているのですよ」と、ざっと概略を説明すると「ほう、ほう」と面白がって聞いている。
そこで、自分が、
「文学界の同人雑誌の評論というのは、良ければ雑誌に載るという前提があるので、全国から集まるわけで、それに評論家先生への報酬費用も負担しているでしょ。もし、そういう権威のある人がタダでその作業をやってくれるというのなら、それだけで発行物ができるけど、そんな人がいますか」と訊くと、
「それはいないだろうね。大変な作業だからね」という。
ひとしきり時間を過ごすと伊藤先生は「秋葉原を散歩してから帰るから、先に失礼するよ」といって、一人で杖をついて帰られた。自分の思うに、伊藤先生は、現在も文学賞や詩の賞の選者をしているので、世間の動きに対してはアンテナが鋭い。
東京新聞の大河内昭爾氏のインタビューで、「季刊文科」も活用して、文芸同人雑誌のネットワークを作りたい意向を示している。たしかに、そうすれば雑誌が売れるかもしれない。ただ、同人誌を集めたり、整理する事務手続きの大変さを計算に入れてのことであるなら頼もしい。
記事のなかで、大河内氏は文芸同人誌について「いまは合評会もやらずに、集まった作品を全部載せたり、なかには到着順に掲載するといった雑誌あって、それを見たときにはカルチャーショックだったなあ。こうなると同人誌というより、単なる発表誌であり、教室文芸と呼ぶべきですね」という。
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