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2008年7月22日 (火)

同人誌「砂」第107号の詩評(1)

 (評・矢野俊彦)
 「砂」百七号の詩作品からは、中高年齢者のエレジーが聞こえてくる。
【「ちんけなおれの昼下がり」高橋義和】
 障害者年金しか収入のない金を借りて買い物をして、たこ焼きとポテトを食って、ねぎが少ないと文句言いたいが言えなくて、ちんけなおれの昼下がりと自嘲気味にうたう。
 不満は身近なところから生じる。幸も小さなところにあるのであろうが、幸いを感受するのには心に余裕が必要なのだが、現代は心の余裕を失わせることが多い。【「満ち干」高橋義和】 この作品だけではわからないが、以前の作品と、本編の喪中ハガキの一行で、介護していた母親を失ったのを推測し、その喪失感を思う。
【「季 節」國分 實】
 「8 涕」もまた母を亡くし七日目の息子の母を偲ぶ思いである。
 新しい 墓標の後ろに 虹は立ち 蒼穹も空に 貝殻の昼月白し と墓標の先の昼の月を美しくえがく。何歳になっても子供にとって母は絶対である。
 「9 柘榴」石榴の実を/存在をもてあまし/放射状に無償の をあける[二行略]/ギッシリト出生は並び立ちそれ自体でほとばしる酸味のわびしさ/(以下略)と見事に表現する。
 「10 音」単身赴任を命じられた男は、憤懣を飼い犬に向けて発散するしかない。その憤懣を受けた犬が夜更けまで鎖をならしている。作者は 第三者であろうが、中高年の悲哀、エレジーを心に受け止めて聞いている。

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