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2008年6月15日 (日)

同人誌作品紹介「槐」第26号JUNE(千葉・佐原市)

【詩「栄螺(さざえ)」、「赤梨」丸山乃里子】
 「栄螺(さざえ)」は、人間存在の本質を、装飾を剥ぎ取って、ひとつの生命体として観る視線の深さを感じて、印象に残った。サザエ採り風景が、こわいくらいに、エロかっこよく感じられる。「赤梨」は、夜の列車に疾走する馬が衝突するイメージ。大地の赤梨とマシンと馬。個性のある、美的な生命表現に長けている。

【「居眠り」江時久】
 音の種類によって、聞こえ方が異なる聴力をもつ「ぼく」の夢の中の走馬灯のように浮かぶ過去と現在。それは、難聴の一種らしく、補聴器をつける。老婆に、電車の行き先を幾度も訊かれて困惑するところなどは、老婆がカフカのように思えて面白かった。ここはもっと長く引っ張って欲しいところだったが、読者が何を面白く思うかに無関心なのが、同人誌の小説で、それは贅沢かもしれない。難聴や小説を書くことへのこだわりを、面白く表現している。

【詩「不安な箱」、「庭園」野澤睦子】
 「不安な箱」人間は、生きている間は、嫉妬心に振り回される。逃れたいけど、逃れられないのが悲しさを表現したか。「庭園」夜桜の花びらか、蝶の舞か。しんしんとした庭の心象風景。静寂と美。つかめない時を惜しむ感覚が欠落感を呼ぶらしい。

【「雨上がりのギャロップ」木下伊津子】
 美和子は庭で転んで骨折したとある。その後の美和子の青春時代の回想が続いて、回想の途中で終わっているように受け取れた。

【「母親」乾夏生】
 主人公の犬飼は、幼児期に父を戦争で亡くし、母親に育てられる。彼は家庭を持ち、娘二人を成人させている。88歳になる母親は、彼の家庭のすぐ近くのアパートに住んでいる。母親はひたすら息子の世話をやくことに生きがいを見出している。その気持を充分理解しながら犬飼は、迷惑に感じてしまう。そんな自分を身勝手だとも思っている。犬飼の仕事場、妻のこと、嫁姑の葛藤、娘のことを、細部まで分かりやすく書き込んで、犬飼の境遇と環境が良くわかる。盛りだくさんの話題を、巧みに処理して、現代のある男の生活を浮き彫りにしている。
 犬飼は、母親が若い未亡人であった頃に、好きな男と交際していたことがあるのを記憶している。あの時、母親が再婚していたら許さなかったであろうと、犬飼は思っている。息子の身勝手な思いであるが、今、つれなくしていながら、そこに母と息子の愛情が表現されている。母親だって、息子のことを思って再婚しなかったのであろう。
 今も、母親は彼の家の門灯をつけたままにしおいて、彼が帰宅すると門灯を消すのを見て帰宅するのを知るのである。年老いた母親の切ない心である。
 嫁姑の葛藤が起こるもととなる些細な事柄もエピソードが具体的にかかれ、苦笑させられる。また、二人の娘との関係も説得力をもって、描かれている。特に、長女の鬱屈した両親への思いがよく描かれている。
 長女というものは、物心がついた時期に、下の妹が生まれ場合、それまでの自分が両親の愛情を独占していたのに、赤ん坊に両親の関心を奪われ、初めて孤独な寂しさを体験する立場にある。そのため、教育的には、下の子が生まれたら、姉の方を倍以上かわいがって、甘えさせることが良いそうである。赤ん坊は、両親が姉をいくらかわいがっても、まだそれがわからない時期なので、問題ないそうである。
こんなことを、私が知っているのは、長女に妹が生まれてから、口元が不機嫌に、への字なることが多く、不審におもっていたら、教育に詳しい友人にそのことを教えられて合点がいった経験があるからだ。その時期に、ユーモアのある「ひとまね子ざる」とかいう絵本を買い与えたが、長女は、その本のことを「寂しい絵本をかってもらった」と語る。娘ふたりと父親の関係も、この作品に似たようなところがある。
 家庭というものは、物心をついたら、家族が難破船に乗っていることに気づくようなところがある。どこかゆがんでいるものだ。
それはともかく、この作品はフラットな心境で、現代における、ひとつの家族の愛情関係を見事に描き出している。手法的にも大変優れたものがあると思う。

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