同人誌時評「図書新聞」08年6月7日たかとう匡子氏
《対象作品》「古典と現代詩」藤井貞和、「劉震雲『携帯電話(手機)を読む」劉燕子、「戦後の竹中郁の方向性―第七詩集『動物磁気』を中心にして」冨上芳秀、「孤高をめぐって―金素雲おぼえがき(1)」倉橋健一、岩成達也、新井豊美、北川透(以上「イリプスⅡnd」創刊号/香芝市)、「私の作家論」庄司肇(「文学街―別冊・第四巻/東京都)、「漂白」&「あとがき」豊田一郎(「孤愁」三号/横浜市)、「軍医と戦争」千早耿一郎(「象」60号/名古屋市)、「生還(泥だらけの青春)」千田一郎(「風」10号/太宰府市)、「階段の尽きるところ」荒井隆明(「出入口」7/東京都)、「草の葉」荻悦子(「るなりあ」潤・0/相模原市)、「高千穂神楽 神いますなら神いませども」美濃和哥(「彗星」Ⅲ号/掛川市)。なお、たかとう氏は「文學界」同人雑誌評の打ち切りについて、冒頭と末尾で下のように書いておられます。
冒頭
「たまたま、半世紀以上もつづいた月刊文芸誌「文學界」の同人雑誌評が年内で打切られるのを読売新聞の記事で知った。理由は高齢化がすすみ老人雑誌になったことと、寄せられる雑誌の数が減ったからだという。近代社会の中に出てきた同人雑誌は、もともとそれ自身が自立しており、この雑誌評の消滅によって、力をなくしてしまうとは考えにくい。」
末尾
「冒頭に書いた「文學界」の同人雑誌評、年内打ち切りは、商業ジャーナリズムによって文壇予備軍としての同人雑誌が役割を果たせなくなったと思うほうがよい。こういうときだからこそ、ここでゆっくり腰を落ち着けてやるべきだと思う。私は詩を書くのでその立場からいうと、詩の同人雑誌はけっして老人雑誌になっていない。若い人の雑誌はたくさんある。」(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんの投稿より)
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