同人誌作品紹介「照葉樹」第5号(福岡市)
現在、紹介者も同人誌向けの作品を書いているので、他者の作品への言葉は、みな自分に突き刺さってくる。どうしても、批評的な視点が不足しがちだ。自分も書くという視点では、その作品の長所があれば自分も真似したいという気持がどこかにある。そういう視線では、文芸批評的なものは、成立しないのである。今回の「照葉樹」の二作は、真似したくなるところが多くあり、参考になる。
【「不器用な愛しさ」水木怜】
語り手の「私」は、夫が他の女のもとに去り、別れている。捨てられた思いで、幼い子どもを連れ、母のいる実家に帰る。父親は戦死している。時代は1960年代後半か。実家で肩身せまくして暮らす。すると40代まで独身であった佳子叔母が、50歳過ぎの絵描きさんと結婚し、独身でいた時よりも幸せとは見られない状況にあることを知る。また、隣に住む母親の兄の純一郎は医師で、戦場を体験したことから独特の死生観をもち、それに従う妻の志津代の姿も描かれる。
不幸の影のさす中で、「私」の夫の宏志が、反省してよりを戻そうとする様子が描かれる。それらの出来事から、好しにつけ悪しにつけ、女性の運命は男の生活ぶりの影響下にあることが示されている。
後半に入ると、佳子叔母の女友達が、超能力を売りにした宗教を持ち込み、佳子叔母はそれにのめりこむ。やがて彼女は精神に変調をきたし、ついに人格が崩壊してしまう。志津代叔母は、夫の独自の死生観から、ガンになっていても知らされず、手遅れになって亡くなってゆく。
この二人の女性にくらべ、夫が子どものもとに戻り、「私」の円満家庭の再現と母親の幸せ生活のはじまりを描く。
小説のスタイルとしては、導入部がもたもたししているが、その分、後半での生活のなかの修羅場がイキイキとし、表現力が光る。オーソドックスな純文学作品。
なかで、印象的なのは、自分の与えられた環境に殉じて、忍従の生活をして死んでいく志津代の姿である。作者の費やした文字数は、それほど多くないが、その精神の美のようなものを表現している。字数を多く費すことだけが表現のすべてではないことが、ここに示されている。
【「中有の樹」垂水薫】
どういうわけか、語り手は森の中の大樹の枝に宙吊りになっていることに気づく。どうやらそこは霊界と現実の交差する幽界付近らしい。
そこで語り手は、38年にわたる自分の人生を見つめなおし、洗い出しをする。
うまい手法を編み出したものである。この手法であるからこそ表現できた作品と思わせる。作者の樹木好みの嗜好がよく感じられるし、世俗的な生活では、意識下にある死と隣接した感覚をうまく表現している。幻想的でありながら、森のイメージのディテールがリアルで、清涼感と森林浴感覚に満ちている。いつも大木に宙吊りというわけにいくまいが、森林浴感覚の新境地が期待できる。大江健三郎の初期作品には、四国の森林浴感覚の作品があるが、またべつ風味の森林浴感覚作品が期待できそう。
「照葉樹」発行所=花書院〒811-0852福岡県久留米市高良内町2347-182。℡/fax0942-43-9089。
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