桜の季節だから花便り
まず、最新の穂高さんのものから、工夫をしてますね。
超有名スポットで、有名でない桜=東京
PJ・ITOは、行き当たりばったり。
桜満開!建立400年記念行事の五重塔と万両塚
春爛漫!人との出会いの見て歩き=上野公園
開業記念!新交通「日暮里・舎人ライナー」で、見沼代親水公園駅に行ってみた
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B 浪漫主義
浪漫主義はまた今も言うごとく自我解放の文学であった。革命によって、今まで抑えつけられていた者が自由の空気を吸えるようになったので、その喜びが確かに文学の中に滲み出ている。しかし、今までの古典主義文学が極端に自我を押し隠して、ひたすら客観的にあろうとし、厳重な法則の中に自我を埋没させていた反動として、自我の姿を赤裸々に露わし、法則を破壊し、形式に拘泥せぬ文学を作ろうとした。すべて自己の叫びを阻むような桎梏を取り除いた。実際フランスの詩人達は自我解放の喜びにひたり過ぎるくらいだった。
浪漫主義は前述したごとく、ドイツではゲーテ、シルレルの青年時代に既に彼等を激情の嵐で吹きまくったことがあった。「群盗」や「若きウェルテルの悲しみ」は実に浪漫的な感情の所産である。
フランスでは革命で国に追われた貴族達が諸外国を放浪し、再び帰国した時は、イギリスに渡ったものはウォルタ・スコットを持って帰り、ドイツに行った者はドイツ浪漫派の諸作を持って帰った。例えばフランスのスタール夫人はドイツを流浪して「ドイツ論」を書いた。これがフランスの浪漫主義運動を即頓させた原因に数えられている。かくしてヨーロッパの諸国は19世紀に入ると一様に浪漫主義に化したのである。各国を通じて最も著しい特色は過去の文学と絶縁して、自我を解放したことと、叙情趣味を昂揚したことである。
書店部会に所属する14法人・1161店舗を対象に実施した万引き調査の結果から、書店側の費用対効果を算出。「新古書店で換金できない仕組み」の構築などを目的にICタグのシステムを導入すれば、万引き防止の実効や防犯対策費の減少などから、2年目以降に費用対効果が得られることが分かった。
この結果を受けて、同部会はコミックスを発行する出版社にICタグ装着を要請していくほか、他の書店や取次会社、ICタグの機器メーカーなどにも働きかけていく考え。
万引き調査の結果によると、調査店舗の売上高に対するロス額の割合(平均ロス率)は1.91%、うち万引きによる平均ロス率は1.41%に上ると推定。さらに、現行犯などで顕在化した万引きの実態をみると、金額・冊数ベースともに、コミックスがトップ。その7割が新古書店での換金が目的と推察している。同委員会は日本出版インフラセンター(JPO)内の研究組織。同部会では2009年にICタグの導入を目指している。(新文化)
B 浪漫主義
古典主義は17、8世紀の間ヨーロッパを風靡したが、18世紀末のフランス大革命は均斉と調和を喜び秩序と典雅を愛する精神を根本的に破壊した。実際大革命は政治的、社会的な変革ではなく、精神的な大革命をも促したのである。窮屈な法則一点張りの古典主義は「旧制度」とともに亡ぶべき時が来たのだ。
ドイツの哲学者ヘーゲルが、あるところで芸術の進化を論じているが、それによると、芸術の発展段階を3つに別けて、第1は象徴的とも名付けようか、物質の力が精神の力に打勝つ時代、第2は古典的ともいうべきもので、物質と精神の二つの力が、巧く平均した時代、第3は浪漫的時代、つまり精神の方が物質を押えつける時代、大体こんな具合に大別している。
これで見ても古典主義が浪漫主義と正反対のことをしようとする運動であることは分る。一旦文芸復興につれて覚醒された精神の自由が、一度古典主義によって中止したが、19世紀に入るとこれが再び元気よく唱え出された。ルソーが「自然に帰れ」と叫んだことは余りにも有名であるが、人々が自分の信ずるままに活動してみたい、それにはいろんなこれまでの窮屈な着物を脱ぎ捨てて、裸のままの自然にもどらなければいかぬ。自分を解放して真の自我の上に生きる文学、ここに浪漫主義の文学が生れたのだ。
18世紀末に都会中心の古典主義文学に息をつまらせたルソーが初めて眼を自然に転じた。彼は「エミール」で従来の人工的な紋切型の教育でなく、自然の中に伸び伸びと育てようとする新教育論を唱えた。ベルナルダン・ド・サンピエールは有名な「ポールとヴィルジュ」を書いて、インド洋上の孤島の自然描写をした。ルソー、サンピエールとともにイギリスの湖畔詩人達の影響を受け、19世紀の浪漫主義詩人が新鮮溌溂たる自然や地方色を文学の中に取り入れたことは一つの特色としてあげるに足る。
【「同行二人」森當】
耕介という男の、農業を50年以上続けてきたその人生をたどる物語。家出をして都会に住むが、また実家に帰って農業に落着く。人生の晩年になって、夫婦で巡礼をするが、その途中で浩介は倒れ、死にむかところまでが描かれている。庶民の生活と終焉を描く。終章に巡礼をする途中での突然の死は、唐突ではあるが、現実にはそういうこともあるかと、命のはかなさを感じさせられる。
【「土の舞~連載3回」木村芳夫】
農家の後継ぎの真吾は、同じ農家の娘、涼子と恋仲になる。涼子には兄がいるが、家を出てしまっている。そこで両親は涼子に婿をもらうことを考えている。真吾は、跡継ぎであるから、涼子を嫁に迎えたい。両家の親の思惑を気にしていたのでは、ふたりは結ばれない。また、涼子の兄は、親の土地を売って自分の商売の資金にしたくて、家にいないのに権利だけを主張する。そこで、涼子と真吾はすべてを捨てて駆け落ちをする。まだ連載はつづく。農家の現状を手堅く描き、登場人物の描き方もしっかりとしていて、しかも恋愛ドラマをかみ合わせて、面白く読める。
【「略取」濱中禧行】
昭和31年頃の名古屋。会社に勤め四畳半で生活している峰村の下宿に、母親が妹を連れて彼のところにやってくる。峰村の父親の夫との仲が悪く家出してきたのであった。両親は、長男の峰村が老後の生活の面倒をみてくれることを期待しきっている。アパートの隣人の誰かの2号さん、大家さんとのやりとり。職場の同僚との恋愛に多くの分量がそそがれ、そのなかで恋人の仁美との交流がある。しかし、いざ結婚となると、仁美の母親もまた老後の生活を娘に頼っていた。長男と長女の悩みである。それを押し切って、峰村は仁美と結婚する。日本の家族の姿を凝縮した形で描かれている。随所に物語を引き立てるエピソードが組み込まれ、現代はここから何が変わっているのか、考えさせる。
【「海の果て」堀井清】
「私」の日記による告白体で、綴られている。すでに現役を退職している「私」は、2階に住み、妻は1階に住む、家庭内別居というほどでもないが、関係は希薄になっている。東京に勤める長男が会社の金を持ち逃げして姿をくらます。「私」は、東京に出て息子の勤めていた会社や下宿を訪ねてみるが、確たる情報を得ることができない。家に戻ると、息子から連絡があって、とにかく無事でいることがわかる。老いて家族関係の希薄なった現代の情況に、主人公の孤独癖の心を重ね合わせた、筆致に文学的に一味抜き出た味わいを示す。精神が浮遊するような雰囲気を漂わせる語りが巧み。作者は随筆で「音楽を聴く」を連載中で、音楽の鑑賞を追体験させるような味わいがあるが、この作品でもその資質が活かされている。
《対象作品》平野啓一郎(32)「決壊」(新潮06年11月号~)/松本圭二(42)「あるゴダール伝」(すばる)/宮沢章夫(51)「返却」(新潮)/リービ英雄(57)「仮の水」(群像)/瀬川深(34)「猫がラジオを聴いていたころ」/作家・評論家11人「ニッポンの小説はどこへ行くのか」。
八月にはいって、配膳会から五十代の男性が夜担当ではいった。二十五年間、某一流ホテルで洗い場を勤めていたが、婚礼が激減してリストラされたという。
九月には外国人用の職安の紹介で洗い場経験のある中国人の女性が夜担当ではいった。
これでもう通しをすることはなくなった。
ホール係の人が昼だけでも、というとき、自分の意志を通して辞めなかったのは、辞めて新らしいバイトが見つかるかどうか不安だったからだ。いままでその困難を身をもって体験し、こんど失業の日が続いたら失業給付が受けられないので生活ができなくなってしまう。
失業していたころ、またバイトで働き出したころ、そして昼夜通しで仕事をしていたころ、夢見ていたのは早く住宅ローンを完済し、再び原稿を書きたいということだった。そのためにはいくらかの時間とかねのゆとりが必要だったのだ。その夢の一端がようやく実現できた。
年金受給手続きの通知が届き、その金額の提示を見た時、バイトを続けざるを得ないと覚悟した。年金だけで生活をしてゆくにはあまりに少ない金額であり、また蓄えもないためだ。
無料の就職情報誌をもらって、もうこの年齢では新しくバイトで雇ってくれるところのないのを知るだけだ。まれにあっても時給は少ないし、労働時間も短い。
バイト先に不満がないでもないが、いって辞めるのもつまらない。昼食は摂れ、ホール係の人と仕事以外のお喋りをできるようになり、いくらか居心地がよくなってきた。
健康に留意し、シフト制の休日を有効活用し、そうして一日でも長く働けていけたらと願ってやまない。
(注記)配膳会は客に料理を運ぶ人の他に、洗い場や調理補助などの仕事を登録して紹介する会社で数社あるようです。「ホール係の人」は一括して書いたが、洗い場のようすを主に書きたかったために、そうしました。ホール係の人も出入りが多く、洗い場に指示する人、その上司など、いままで数人が辞めているので、いちいちそこまで書いたら煩雑になるので省略しました。(2007年6月)。(文芸同人「砂」の会07年度「作品賞」受賞エッセイ)。
【ロンドン=本間圭一】23日付の英各紙によると、ベストセラー小説「ハリー・ポッター」シリーズの作者J・K・ローリング氏(42)は、20歳代にシングルマザーになってから抑うつ状態となり自殺を考えていたことを明らかにした。
推定資産約5億4500万ポンド(約1000億円)の世界有数の作家の下積み時代の苦労が浮き彫りとなった。
ローリング氏は、ポルトガル人の夫と離婚後、英北部エディンバラで生まれて間もない娘と暮らしたが、アパートの保証金も払えない困窮ぶり。エディンバラ大関係者のインタビューで同氏は当時について、「私は本当に落ち込んでいた。自殺という考えがあった」などと語った。だが、「認知行動療法」という治療を受け、自殺を考えなくなったという。同氏はその後、「ハリー・ポッター」の執筆を本格化させ、貧困から脱した。
現在は再婚したローリング氏は「本当に困難な時を乗り越えて誇りに思う」と振り返った。(08年3月24日、読売新聞)
配膳会から五十代の女性が、土日祝日の手伝いに来てくれた。毎週同じ人なので、仕事が日を追って馴れ、昼と夜のあいだの休憩がやがてとれるようになった。また洗浄機に入れる皿類やナイフ等をのせるラツクのそののせ方の工夫をその女性が教えてくれた。いままでカレーショップや社員食堂などで働いていたとのことだ。
休憩のときその女性は、「時給千二百円というから暇かなと思ってきたのに、この忙しさでは時給が安すぎる」と文句をいう。「私は時給千円ですよ」というと、「あなたは専属で、長時間働いているからいいの、わたしは臨時で来ているのだもの」とわかったようなわからないようなことをいう。
そういうこともあり、疲れはさらに蓄積してゆく。
その女性は平日の私の休日のときにも出勤するようになったが、病気で入院手術をし、退院して復帰してくれたが、体調が思わしくなく、ホール係の人が不親切だといって辞めた。入院まえと変りない仕事を望まれたのが回復期の体によくなかったようだ。
配膳会から新しい女性が来てくれた。
十一月になっていた。ホール係の人に今年いっぱいで辞めたいといった。後日、新年から昼だけでもしてもらえないかと提案されたので、受け入れた。
十二月二十一日から二十五日のクリスマスの書き入れ時は、毎夜配膳会から別の人が来た。二、三十代の男女も来て、このような単発の仕事を転々としているという。フリーターの存在を知っていたが、実際一緒に仕事をすると、彼等の生き方に不安を感じた。
新年になって大学四年の男性がバイトで夜を担当したが、三月初めに就職先が決まると辞めた。
配膳会の女性が突然の病気で辞め、別の女性が来た。六十七歳の血色のよい人だ。
再び忙しい日だけという条件で夜もするようになったが、いつか毎日になったので、七月にまた辞めたいというと、昼だけにしてくれた。(つづく)
恐怖の体験。18歳から自殺は何度も考えた=新井満さん
日本ペンクラブの広報i委員になっている穂高さんが、バイタリティをもって情報発信している。有意義な記事が多いので、大いに活用させていただこう。最近の穂高さんの動向は知らなかったが、やはり力があるわ。
それにしても、我がバカボンの人生はどうだ。相変わらず地を這うような日々を送っている。こんなことでは、しょうがないなあ、とは思うものの、成り行きまかせの日々が続く。今日は「農民文学」280号の森當「同行二人」と「文芸中部」77号の西澤しのぶ「君は好きか 落ち葉踏む足音を」を読んだ。読んでも紹介記事にするのを忘れることがあるので、日記にしておこう。
(紹介者 江 素瑛)
☆
「 しゃっくり」
おれがおれに
びっくりしてるんだ
ひとには意識と潜在意識で、多少違う性質の人格が持っている。水面下に隠れる二重人格のようなものである。しゃっくりするとき、きっと水面下の人格がにゅっと頭を出しているのだ。
☆
「 秋 」
葉が落ちる
落ちることによって
世界を美しくしている
葉が落ちる、美しく悲しく死んでいる。なぜか、樹木が1年の眠りに入っていくだけなのに、死を感じるほど哀愁がある。人間の死と同じに感じる秋のひと時。人は死んで世界を美しくすることがあるのか。どこかで、いまも血を流し合う人々よ。
☆
「 将棋と人生 」
なるほどそういう手もあるか
さんざん思案した末の一手もあれば、考えずに思わず指してしまった一手もある。人生の道はそれぞれ、どんな手でもローマに通るのだ。
2008・3 「眼」21号より(世田谷)「眼の会」。
火曜に出勤すると、「土曜に来た人から、もう来ないと電話があったのですが、よかったら新人が来るまで、昼夜通しでしてもらえませんか」とホール係の人に頼まれた。私は富田さんが来ないのはわかっていたので別になんとも思わなかった。それに昼夜通しの件については承諾した。
昼だけではたいして疲れなかったし、夜もすれば収入も増え、また夕食も摂れる。いままで新人は早く来てくれたからそれまでの辛抱だとたかをくくっていた。
二千一年(平成十三年)六月に、生れてから住んでいた鳥越の長屋の借家を引っ越し、蔵前のマンションに移った。住宅ローンを組み、早期退職金はすべてその返済にあてたが、まだかなりローンが残っていた。その返済と生活費を稼がねばならなかった。住宅ローンを組んだ時は、定年後は嘱託として給料は下っても働けるものと予定していた。リストラされるとは思ってもみなかったのだ。
引っ越しの時、両親はすでに他界し、妹は嫁いでいて、私は一人暮らしなので身軽だった。
昼夜通しになり、はじめはラクに感じたが、しだいにツラくなってきた。家は寝るだけ、休日は洗濯、掃除、炊事、そして晩酌で終った。脚がきつくなった。階段の昇り降りにらせん階段以外の場所には手摺りがない。緊張しているから脚をあげさげしていられるが仕事を終え外に出ると歩みがのろくなる。足裏が痛くなり、信号の所や駅で障害者用の突起の出ている箇所に万一そこを踏むと飛び上った。仕事場から電車の駅までゆるい上り坂になっているので、暗いまちをゆっくり歩いて行った。
土日祝日の婚礼のある日は朝四時に起床するが、前の晩、仕事を終えて帰宅すると零時前後になるので寝る間がいくらもない。出勤の電車で仮眠をし、乗り越してしまったこともあった。
だからといって時給はかわらない。朝六時ごろタイムカードを打とうと、また二十三時ごろ仕事を終えても割増給があるわけでもない。昼と夜のあいだに休憩のとれない日があろうと給料計算上では休憩をとったことになっている。そういうことを考えると、肉体の疲れのほかに精神の疲れがじわじわ背中にひろがってゆくのを感じた。(つづく)
二、三日して土曜日がきた。昼夜、婚礼のある日である。午前十時半ごろホール係の人が若そうな男性を連れて来た。「きょうあした一緒に通しでやり、月曜はこの人が通しでします。そして火曜からは夜を担当するので、この二日間でいろいろ教えてあげてもらいたい」といわれた。新人は富田ですと名乗った。
月曜は私が休みなので、かわりに新人がしてくれるという。
そこで富田さんに洗浄機の準備からはじまり仕事の流れを教えながら、一緒に作業をした。若いだけあって積極的に動いてくれた。
十五時を過ぎて一緒にトイレ掃除にゆくと、
「え、こんなことまでするの」と驚いていた。
それを終えて洗い場に戻ると十六時で、もう従業員の夕食だ。食器と料理道具を洗って片付けていたら、披露宴の料理開始になる。
富田さんが「休憩は?」と聞くので「もうスタートだから、休憩はない」と答えた。すると「そりゃおかしいよ、どこだって昼と夜の営業のあいだには最低でも一時間は休憩するものだよ。それがないだなんて、ああ、疲れたよ、いつになったら帰れるんだよ」と喚く。「九時ごろには終ると思う」と返事をする。「え、そんなにするの。疲れたよ。早く上ろうよ」という。若いように見えるが、じつはけっこう年をくっているのだろうか。それともいまどきの若い人は体力がないのかな、と考えながら、もう答えることばのないまま黙った。
二十一時に洗い場を上り、更衣室に行った。着替えながら富田さんが「このような仕事をするのなら、もっといい店があります。百円の就職情報誌があって、そこにはいいところが紹介されてますから、そういう所に移ることをすすめます」といって急いで去っていった。四十一歳だと年齢をいって。それは私が五十八歳といったからだ。
翌日、ホール係の人から富田さんはかぜで来られないと電話があったといわれた。また「月曜日は、富田さんが来るかどうかわかりませんが、麻葉さんは休日なので、休まれてかまいません」といってくれた。(つづく)
年が明け一月は客の少ない日が続いたが、二月になると土日は婚礼がはいっている日がある。従業員の昼食ののち披露宴の料理開始までの少し間のある時、安藤さんが、「こないだ、ナイフやフォークの拭きが甘いといわれて、洗い直すようにいわれたが、タオルが少ないからすぐ濡れちまってしょうがねえじゃねえかなあ」とぼやくので、「ほんとですね、私もいわれたんで、タオルを増やしてもらいたいっていったんです。そしたらホールで使う布を寄越したんですが、その布は地が厚いんで拭き辛いですよ」と同意のつもりでいった。すると「ホール係はわかってねえなあ、なんでも文句をいえばいいって思ってがる」と憤慨のようすだ。私はうなずいた。
昼の仕事が終り、夕食までの休憩のとき、安藤さんは更衣室で休まず、外に出かけた。一時間でも気晴らしに歩いてくるという。少しのあいだでも建物内にいるのが鬱陶しくなったのだろうか。
三月半ばになって、夜に立食パーティがある日、昼の仕事が済んで更衣室で休んでいると安藤さんが出勤して来た。「おふくろの具合が悪いんで、今夜、仕事ができないっていいに来たんだ。医者が親戚を呼ぶように、というから、どうなるかわからない」といい、部屋を出た。ホール係の人にその旨を伝えて帰るという。
翌日ホール係の人が「安藤さん、来てくれますかね」と聞くから「さあ、わからないですね」と答えた。「でも、もう来ないんじゃないかなあ」と胸の内でいった。なにかそのような気がした。
電話番で椅子をあたためていた人が、四、五時間から八時間の立ち仕事にかわったら体がよほどきつかろうと想像できた。ましてや六十歳になってからではなおさらだろう。
母親がいい口実になった。
それにしてもナイフやフォークの拭きの甘さを指摘されたことが、安藤さんの中で強く響いたのだとすれば、私にいわなかったか、聞き流してしまった不満がもっとあったのかも知れない。約六か月の勤務ががまんの限界だったのだろうか。(つづく)
昨年9月、大麻の所持で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた嶽本野ばらさん。昨年末刊行の「幻想小品集」には短編7編が収められている。悪魔崇拝、性愛、睡眠導入剤など幻想的なものが主。刊行の延期や執筆の自粛、引退なども考えたが、読者や編集者のアドバイスもあって、書き続けることで、審判を受けたいと考えている。(07年12月26日、東京新聞)
「岡本さんが、ホール係の人が命令ばかりだというのは分からないでもないです。私にだって仕事の件のほか、いまはなにも言わないから。岡本さんは仕事のことのほかの会話をしたうえで、心の流れをつくって、それで仕事の命令を、というのはだれもそうしてもらいたいのかも知れない。
でもいわせてもらえれば、出勤したとき黙ってはいってくるし、年齢のホール係の人たちは二十代からせいぜい四十代で、彼らにすれば話しずらいのではないのですか。仕事以外の会話を望むのは、こっちから共通するような話題を振らないと無理かも知れませんよ」
私は喋ろうとしてじつはなにも言えず、ただ煙の流れを眺めながら、胸の内で話しかけているのに過ぎなかった。
十月にホール係の人から岡本さんが十五日で辞めるが、新らしく次の人がはいるから心配しないようにいわれた。
シフト表は十六日から翌月十五日までで、それが給料計算の基にもなっていた。支給は二十五日に銀行口座にはいる。明細書はその日ぐらいにシェフから渡される。
新人はすぐにはいった。安藤さんという六十歳の男性だ。バス一停留所だけ乗ってくるという近さからくるという。約一時間かけてくる私には羨ましい限りだ。新聞販売店に勤めていたが定年で辞めた。はじめは配置を自転車やオートバイでしていたが、この一、二年はもっぱら電話番をしていたようだ。岡本さんと違って挨拶はきちんとするし、まわりの人びとに客の状況を尋ねて、仕事の段取りをつけてゆく。皿類の収納場所も懸命に覚えようとしている。よい人が来たとよろこんだ。奥さんと九十八.九歳の母親と三人暮らしで、こどもはいないという。
やはり土日の婚礼のある日、馴れてきて休憩のとき、そのころは外気が寒くなってきたので更衣室で休んだ。安藤さんはたばこを吸いながら話した。
「家にいても体がナマってしまうから働こうと来たが、いゃあ忙しい所だね」というので「体がきつくてたいへんでしょう」と慰めるともなくいうと、「いゃあ、これぐらいたいしたことないさ」と強がりをいう。(つづく)
【「クリオネとクランツウェルツノガエル」藤澤美子】
学生時代に、クリオネを飼う「私」の友人の里穂と蛙を飼う武郎のことから始まり、35歳になってガンで亡くなる里穂を描きながら、武郎をめぐる熾烈な心理的な戦いを想像させる手法の作品。風変わりなペットを登場させることで、意味深長な人情を比喩的に転換している。
【「こだま戯譚―木曾式運材物語」吉村登】
木曾の御嶽山麗に立つ樹齢700年の木の霊が、戦国時代に伐採されて、木を木曽川で筏流しする人々の仕事ぶりを描く。よく調べていて、昔の木材運搬に係る民衆の、事故死あり恋愛ありのエピソードをからめて歴史を描き面白く読めた。
九月になると土日祝日は婚礼があり、そういう日は昼夜を通して岡本さんと一緒に仕事をした。私は朝六時十五分ごろ出勤し、まず二階の客室から掃除をする。新郎新婦や両親、親戚の方々の化粧や着替えの室となり、広いバーラウンジは式がはじまるまえの招待客の控え室になるのだ。それから洗い場にはいる。岡本さんは十時四十五分ごろやってくる。十一時から従業員昼食になり、十一時半ごろから披露宴の食事開始になる。
十五時ごろ私はトイレ掃除にゆき、岡本さんが洗い物の残りをする。そして十六時から従業員夕食である。十五時から十六時の一時間が休憩なのだが、馴れないうちは休憩もとれずに働き続けなければならない。二十一時に終ったとして、約十五時間、立ち働きをすると、さすがにぐったりと疲れる。
それでもやがて馴れてくると、休憩がとれるようになる。ゴミ置場が休憩場所で、まだ暑さを含んだ風をうけながら、岡本さんはたばこを吸う。はじめ話をしているが、私は疲れて首がまえに垂れる。
岡本さんは、「ホール係の人は命令ばかりするだろ、だがおれは自販機でもロボットでもない。なぜ、ふだんの会話もしないで、仕事のことしかいわないのかな。それがいやでしょうがないよ」と不満をいう。私は、はいったばかりなので仕事を覚えるのにいっぱいである。「はいってどのくらいになるんですか」と聞くと、「去年の十月にはいったから、もうすぐ一年だよ」と答えた。「私は五十七歳ですが、岡本さんは?」「おれは五十五だよ」「同じ五十代だし、一緒に仕事をしているから話が合うんですね」
岡本さんはいぜんどのような仕事をしていたのか、と考えた。じつは岡本さんの出勤は、私が仕事をしていると、ぬうとまわりの人たちになんの挨拶もなくはいってくるのだ。この職場ではその日、出勤すると時間帯に関わりなく「おはようございます」と互いに言い合っている。ところが岡本さんは無言なので、私がシンクで皿をスポンジで洗いラツクに並べ、洗浄機に入れ体を動かすと、そこに岡本さんがいるので慌てて、「おはようございます」というと、「やっ、おはよう」と返事をくれる。そこでまえの職場でもそのように無言でもよかったのかな、と推察したのだ。私のいぜんの職場では「おはようございます」といいかわしていた。(つづく)
岡本さんに十六時まで教えてもらいながら一緒にできるのかと思っていたら、十時半ごろホール係の人が岡本さんに上るようにいい、あとは私一人になった。岡本さんは夜担当なので十六時ごろ再び出勤するといって帰って行かれた。
十一時から従業員の昼食がはじまる。プラスチック製の皿や椀などが戻り、また調理道具の鍋やボール、おたまなどが来、それらを洗う。洗っているうちに、客の前菜の皿や銀製のフォーク、スプーンが来る。営業が始ったのだ。
額に汗をためて作業をし、食器や道具の収納場所をホール係の人に聞きながら片附ける。段差の多い床のうえに、高所にある棚もあって、いちいち椅子や台に乗らねばならない。
従業員通用口をはいると、そこは地下一階で、客用正面玄関が一階にあり、調理場は一階にあるが、その一階も平坦ではない。
皿を収納する場所を探すのと歩くのとの両方に緊張させられる作業だ。
だが失業の一年間、交通費を浮かそうとなるべく歩いていたので、脚にはやや自信があった。
十六時ごろ、ホール係の人に呼ばれ、翌朝出勤してからの仕事の順序を教えられた。それからタイムカードを打って上った。たいして疲れていない。前の会社では倉庫で入出庫作業で動きまわっていたので、それがよかったようだ。
翌朝の仕事のことを考え、八時半ごろ出勤することにした。
翌朝は、だが一人ですると思った以上に時間がかかり、あくせくしなければならなかった。洗浄機が動くよう準備してから、掃除機で階段を二階に上り、廊下、客室を掃除し、次にトイレ掃除をする。掃除が済み洗い場にはいったら十時半になっており、前夜の分の皿やコーヒーカップ、ナイフやフォークも多く、十一時になっても食事どころではないが、急いで食事を済ませ、下がってくる食器や調理道具も洗いかつ拭かねばならない。そうして収納だ。こういうことではたしてこれから続けていけるのか心配になった。
だから十六時に上ってタイムカードを打ったときはほっとひと息ついた。
営業は昼は十一時半から十五時半まで。夕食は十八時から二十四時までと分かり、岡本さんが上ったあと食器やナイフなどが多く戻るのだ。
また会社は年末年始のほか休日はなく、従業員が交代に休むシフト制で、その出勤表が壁に貼ってあり、それを見て私も休日をとるよう岡本さんに教えられた。休日は一日で、朝ゆっくり起きて、家事などしたらたちまち終ってしまうのだった。それでも仕事をしているからこその休日の有難さを感じた。(つづく)
フランス料理のレストランで掃除と洗い場の仕事を、アルバイトで勤めている。二千四年(平成十六年)八月二日にはいって、この八月で丸三年になる。よく続けてこられた、と思う。またこれからもひき続き働いてゆきたいものだ。
一緒に働いていた人が数人、辞めていった。その人たちのことを振り返ってみたい。
二千三年(平成十五年)七月末で、約三十年勤めた会社をリストラされた。五十六歳だった。それから失業給付を受けながら再就職活動をした。正社員で雇ってくれる会社を職安の端末で探す。
翌二千四年(平成十六年)七月はじめの就職相談のとき、「正社員になろうとするのは困難です。パート、アルバイトでも厳しい。でもまだやや採用され易いです」といわれた。「そういうことは、もっと早くいってくれればいいのに、また若いのだから見つかります、とずっといっておいたくせに。なにも、一年経っていわなくても……」と言いたかった。しかし、いえないで、失業給付が今月はじめで打ち切りになるので、早く仕事を探さなくては、パート、アルバイトでもかまわないという、切実さの方に気持ちを向けている。そういう自分に腹を立てた。
それで面接を四社受け、いまの職場の採用をもらうことができた。このときは嬉しかった。またほっとした。ようやく仕事ができる、そして収入を得ることができる、と。
さてそれが求人票を見て、仕事は先に書いたが、時間給は千円、「その他の手当等付記事項」の欄に「食事付」とあるのが独身者としては魅力であった。
「就業時間」は選択になっており、「九時~十六時」と「十六時~二十時」とあるので、長く働ける前の方を選んだ。
八月二日の月曜から働いた。その日、十時出勤といわれたので九時半ごろゆくと、ホール係の人が更衣室とロッカーを教えてくれ、そして作業着を渡してくれたので、下着の上に黒ズボンと白いコートを着た。上下共調理師さんと同じものだ。白いコートは地の厚い布地で長袖、ボタンはダブルの背広のようになっている。袖をまくり上げて洗い場に連れてゆかれた。掃除を終えてきた岡本さんを紹介され、仕事を教えられた。洗浄機を動かすための準備から始まり、皿をシンクに移し、水道の蛇口をひねって湯を出しながら液体洗剤をしみ込ませたスポンジで皿を洗いラックに並べ、ラックを洗浄機に入れ、機械が止まるとラックの皿にシャワーを浴びせてラックを出し、皿をタオルで拭く。そして皿をそれぞれの大きさや柄によって収納してゆく。(つづく)
直木賞作家の熊谷達也さんが、「小説すばる」(集英社)の昨年12月号に発表した小説「聖戦士(ムジャヒディン)の谷」に、フォトジャーナリスト・長倉洋海(ひろみ)さんの複数の著書から表現などを無断で使用していたことが15日分かった。同誌は、熊谷さんのシリーズ連載を中止することを決め、17日発売の4月号に「経緯とお詫び」を掲載する。
同誌編集部などによると、アフガニスタンを舞台にした同小説について、長倉さんは「自著の表現を無断使用している個所が複数ある」と抗議。編集部が調べ、熊谷さんと協議したところ、長倉さんの「マスードの戦い」などの著作に依拠しており、参考文献の域を超え、一部が著作権侵害に当たる可能性が高いと判断した。同誌上で熊谷さんは「設定・描写などを利用したことを深く反省している」と、陳謝している。(08年3月16日、読売新聞)
A 古典主義(承前)
古典主義の特色として、統一均斉、調和、明晰、沈静、古雅、節度、簡素が喜ばれ、形式と技巧とが極度に重大視された結果、内容がうつろで物足りなく、理智と客観が冷たく支配して、個性は全然息の根をひそめてしまった。コルネイユ、ラシイヌ、モリエール、ラ・フォンテーヌの17世紀古典主義最盛期を過ぎて、18世紀に入ると、もう法則だけが残されて、内容は見るに堪えるものがなくなった。英国では古典主義作家はドライドン、ポープ、アヂソン等があるが、中でもポープは作物に、不自然極る、一間滅茶とも思われるほどの模倣が目立って、擬古主義の旗頭といわれていた。
文学の形式は更新されなかったが、18世紀は革命の胚胎期でモンテスキュー、ディドロー、ヴォルテール等の啓蒙主義が盛んに行われた。英国でもヒュームやロックの理神論が起った。17世紀が文学芸術の世紀であったのに反し、18世紀は観念的なものが特に顕著に見えるのである。こうした空気はドイツに伝わり、啓蒙主義の思潮を詩的に表現したレッシングはまたドイツ国民文学の建設者であった。と同時、レッシングはギリシャ、ローマの文学的教養を積み、ドイツにおける最初の古典主義芸術家でもあった。彼は創作家であり、思想家であり、芸術批評家であり、シェイクスピアの偉大さに初めて著目し、師表と仰ぐべきことを力説した。「ラオコーン論」は造形美術との区別を論じたものだが、ドイツ古典主義の聖典となった。
レッシングとともに古代ギリシャに心酔し、典雅沈静の趣きを伝えたのはウィンケルマンで、後のゲーテに影響を与えた。ゲーテ、シルレルはシュトウルム・ウント・ドランクの時代にむしろ浪漫的な激情に駆られたが、両者とも中年期に達して、ドイツ古典主義を大成した。ゲーテは「どこからどこまで卒のない作品こそ真個の古典だ」と言ったが、ドイツの古典主義はゲーテ、シルレルが出て、黄金時代を現出した。永遠なもの、永続的なもの、合法的なもの、人間的なもの、偉大なもの、高尚なもの、調和と均斉と形式美を具備したものへとドイツの文学は転向した。
「海のくれた贈り物」藤野秀樹】
42歳になる主人公は、離婚して今は独り者である。車で釣をしにいくと、釣り客の集まる場所で、物売りをする若い女性と親しくなり、彼女の親類ともあって婚約までするという、男の夢を実現したハッピーエンド小説。
たまたま15日に国立人口問題研究所が、06年に単独世帯が1471万になり複数世帯を抜いて、一番多くなった。一番2020年までに75歳以上の独居老人がダントツで多くなるという調査結果を出している。その現象が、同人誌文芸にはどう表現されてくるか、興味深い。
もっとも自分もその頃は、85歳を越えているので、頭も身体も健全に存在してるかどうかわからない。今でも健全ではないから。
同人誌「砂」に、このブログの狙いと、方向性や体験したことを手記にして寄稿をし始めた。カタチはどうあれ精神は継続させたいと思うので。
【「独り暮らし」森田明】
東京に出て就職していた正彦は、会社のリストラを機会に58歳で早期退職し、故郷で農家をするつもりになる。生まれ故郷の茨城県のT市に戻り独り暮らしをしている。妻の千恵子が、刺激のない田舎暮らしは厭だというので、都会暮らしを気楽にしながら、たまにT市にやってくる。
久しぶりに独身生活になった正彦だが、夫を亡くした未亡人が同窓会仲間にいたり、図書館で知り合った中年女性と出会うなど、農作業はこれからというのに、そのほうは発展してゆく。その間に現在の農家の現状が地道に描かれる。いかにも農民文学らしい土の匂いの漂う逸話がでる。地味で単調な作風だが、いかにもそれらしいところが、読ませる。その生活も妻の千恵子が癌になり余命いくばくもないと分かって、茨城の病院で手術。妻の介護に全力を尽くそうとする正彦の気持を示して終わる。
【「沈む村で」乾夏生】
戦後まもない村社会のなかで、登という少年の体験を語ることで、村の共同体の中の軋轢を描く。村がダムになるというので、浮き足立つ住民。戦争から帰ってきて、脚を悪くした父親になじまない登は「でかぶつ」という番長のイジメにあうが、それを誰にも告げられず、その境遇から脱出することが、最大の関心事になる。登は、村のお婆から父親の脚が不自由になった理由を告げられる。しかし、その内容を登は知るが、物語では読者には分からない。そのような工夫をする必要があるのか、疑問に思うが、村社会と時代の雰囲気はよく表現されている。整然とした部分と漠然とした部分が混在する複雑な味わいの1編である。おどろおどろした表現力には、存在感があり、雰囲気が良く出ている。
【「いやしの書-親鸞からイエス」井上武彦】
裕は新聞記者をしていたが、半年前に定年退職したことによる空虚な違和感を抱いている。クリスチャンである主人公が、合同聖会の信者たちの前で、「あかし」を語らせられる。そこで、親鸞の教えとイエスの教えの共通性があることを語る。それを聴く信者の反応などを描きながら、信仰と文学の関係について触れている。信者として「あかし」の様子はわかるが、文芸作品としては、まさに触れるだけに留まったという感じ。
信者としての信仰を背負っていることの意識が強いためなのかどうかは、不明だが、冒頭の無心で描く夜のコンビニの描写が冴えているだけに、なにか信仰心と小説とのスタンスが説明不足なのではないだろうか。神父さんを描写力で信仰心を表現しているようなところもあるのに残念、という感じがした。
信仰のいろいろについては、それぞれの個別的な考えがあるであろう。信仰というものは、日常的な平板な視線から、奇跡をも信ずる精神的な飛躍をしたことである。それを固定的な思想とすると、心の流動する部分を捉える、文学作品として組み込むのは、この手法では難しいのかも知れない。信仰心が心の中でどのように変貌を遂げているかを、描けば文学作品と信仰心の融合した作品になるのかもしれない。
【「ルソーの奇妙な絵」北川朱美】
高木レイコが留守の間に、泥棒が入り窓のところにすだれを置くのは、泥棒が隠れやすいので無用心であるという手紙を残していく。レイコはそれに返信をして、それからも侵入が続く。しばらく読みすすむと、レイコの幻視、妄想であろうと思わせる展開が続く。ディテールは良くできているが、その脈絡がわからない。個性的なイメージを優先した奇妙な小説であった。これだけでは、判断が不明。
10日、東京地裁に民事再生の手続きをした。新オーナーを決め、再建に向けて動きだした。2月21日から事業を停止していたが、27日にスポンサーとなる支援企業が決定した。来週にも東京地裁に民事再生の申立てをする予定。3月上旬をメドに事業の再開をめざす。現時点の負債総額は14億~15億円とみられている。著者などは民事再生について、おおむね了解しているという。事業停止については、「破産も視野に入れながら、スポンサー企業をギリギリまで探していたため」と日暮哲也社長は説明。また、今回の事態に至った理由については「昨年10月に企画を厳選し、1点1点の実売をあげるよう出版方針を大きく変更した際に、月次の収支が悪化した。そのため今年1月31日にメインバンクからデフォルトをかけられ、取次会社から入る現預金を動かせなくなった。下期(10~3月)の売上計画では9億2000万円、通期では17億~18億円と増収になる予想だったが、メインバンクの理解を得られなかった」としている。
《対象作品》「北国街道」瀬沼晶子(「銀座線」13号)、「小説 辛口診療余話」北川健(「群獣」8号)、「ケアマネージャー、がん病棟に入院」下村雪絵(「夢類」16号)、「派遣労働」わだしんいちろう(「クレーン」29号)、「生かされて」牧野逕太郎、「『死霊』をめぐる」村岡功(以上「新現実」21号)、「小田実さんの思い出」加藤万里(「象」59号)、「あの日は遠くに」島泉(「詩と真実」七〇四号)
《単行本》「島尾紀」寺内邦夫(和泉書院)、「文学って何だろう」崎村裕(かりばね書房)、「『悪い仲間』考」青木正美(日本古書通信社)、「夢前川」堀江朋子(図書新聞)。(「文芸同人誌案内」掲示板より、よこいさんまとめ)
(赤井都さんメールマガジンより)「言壺 赤井都 豆本展」は、2月29日に無事終了しました!たくさんのお越し、どうもありがとうございました。なんと、112冊の豆本が買われてゆき、106冊の言壺カタログが出ました。これだけ売れれば手作りの限界です…。個展では、アンケートを行いました。アンケートに答えてくれたのは96人の方です。3~5人に一人ぐらいが書いてくれたと考えると、300人以上の入場者があったのでしょうか。ありがとうございます。男女比は、男性一人に対し女性が三人ぐらい、年代は三十代を真ん中にした山になっていました。「言壺の豆本を持っている」という言壺ヘビーユーザーも多数いらっしゃいましたが、「言壺の豆本を初めて見た」方の割合が全体で高く、個展をしてよかった、と思った次第です。ご好評に答えて、個展会場となった「ギャラリーショップ ノラや」では、現在、言壺豆本は常設コーナーに置かれています。どうぞ高円寺へもお出かけください。
■イベント予定をまとめてお伝えします
3/11(火)~16(日)三越千葉店8階・特設会場「カルチャーセンター千葉フェア」に豆本を出品
3/20(木)-23(日) 福岡の手作り豆本展「ふくまめ」出品
福岡市中央区ギャラリーセレスト 11~19時 092-771-7144 入場無料
4/27(日) 豆本作りワークショップ+茶話会+プチ朗読「豆本の午後」
高円寺ギャラリーバーノラや 13~16時 4500円 参加申し込み・お問い合わせ >>このメールにリプライでOK
5/2(金)-12(月) 「活版凸凹フェスタ2008」主催:朗文堂 アダナ・プレス倶楽部11:00-18:00(最終日は17:00まで)CCAAアートプラザ/ギャラリーランプ2・3東京都新宿区四谷4-20 四谷ひろば(旧四谷第四小学校)A館「弘陽」ブースより新作『寒中見舞 Greetings from Here』を出品予定
5/25(日) 朝日カルチャーセンター千葉公開講座「豆本の楽しみ」三井ガーデンホテル千葉 12時半~15時 会員2500円 一般2800円 教材費1400円 043-227-0131
5/31(土), 6/1(日) 世田谷文化生活情報センター生活工房「大人のものづくりワークショップ」「言葉をつづる 豆本作り」キャロットタワー4F 13時~17時 3500円 往復葉書で生活工房へ応募
■言壺便りについて
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本誌は、随所に伊豆地方の風土の匂いのする作品に満ちた同人誌である。
【「あなたの心の片隅に」岩越孝治】
麻紀が家に帰ると、兄が父親を殺してしまっていた。兄は麻紀の幸せを願って刑務所に入る。それが序章で、この麻紀をめぐって、様々な人情話的な物語が展開される。60ページに及ぶ物語で、随所にドラマチックな過去をもった人物が登場する。いわゆる若者の世代に流行っているライトノベルやキャラクター小説のジャンルで、起承転結はきっちり仕上がっている。
大塚英志「キャラクター小説の作り方」(角川文庫)で、=特に東浩紀くんが指摘したように今日の作り手の大半は「ギャルもの」なら「ギャルもの」の既存パターン、ファンタジーならファンタジーの既存パターン中のみの順列組み合わせにのみに固執してキャラクターを作ろうとする傾向にあります。だからこそそのリストにない、パターンを「作り出す」のではなく過去の作品から「発見」することが出来れば、「スニーカー文庫のような小説」というジャンル内では充分に通用する「オリジナリティ」となるのです。=と記している。同時に大塚氏は、そのなかで、評価される作品には、その人にしか生み出せない何かあるとも説いている。
それが何かが、問題だが、この作品には、これから発展させることが可能であろうと思わせる才気が感じられる。
純文学的な小説作法から判断に、こだわらずに創作を追求することも重要である。ウィリアム・マッキバーンという作家は、読み捨てのペイパーバック用のハードボイルド小説パターンから登場したが、そのパターンのまま、「殺人者はバッジをつけていた」、「明日に賭ける」などで、悪徳警官、人種差別の感情の坩堝を描き純文学を超える作品を書いた。
【「幻の金」深水一翠】
トンボ採りの少年たちに、男はその分類や性質などを教えている。それが、面白い。そして、男は自分が少年時代に、夏休みの宿題に昆虫採集をしてコンテストに3等の赤紙に入賞したことを思い出す。その翌年は、金賞をとってやろうと、懸命に標本作りをする。ところが、家に置いてあるうちにネズミに食い荒らされて、壊されてしまう。50年後の今でも残念さが消えない、というもの。読んでいても残念無念さが伝わってくる。風土記としても秀逸。こういうものは、読者の作品の印象にも、やはり強く残るものだ。
【「リスちゃんにお小言」ひらたまさこ】
可愛いと思っていたら、タイワンリスが害獣化している話。ニホンザルが居なくなったそうで、生態系の変化には激しいものがある。
【「職場で思うこと」日吉睦子】
観光客相手の仕事なのであろう。昔と違って、年寄りから若者まで、刺々しい感情を持つ人が多いことを実感するもの。日本は、経済大国になって、失ったのが心の平穏である。
これを読んで思うことがある。やれ「アメリカが日本を軽視するから大変だ」。「中国経済に乗り遅れると大変だ」、「資源を確保しないと大変だ」と騒ぐが、「日本人の心が病んでいるから大変だ」とは騒がない。ジャパンパッシング結構ではないか、戦争に巻き込まれずにすむ。世界の流れに乗り遅れて結構ではないか。日本の文化は徳川300年の鎖国で、300年世界の流れに遅れたから出来た。今はそれを切り売りし、世界に売るものがなくなってきたのである。もう一度鎖国をして文化を充電する必要があるのではないか。
《対象作品》「編集後記」「狂い咲」間宮武、「姉妹」道林はる子、「キャンプ日記」かんばらみさお(以上「文学草紙」121号/西東京市)、「帰り道」沖山明徳、「或る手紙」伴田六和、「幼年時代」赤星虎二郎、「耳掃除」坂上七郎(以上「回帰」復刊9号/東京都)、「メーデー、メーデー、メーデー」広坂隆治、「あの日は遠くに」島泉(以上「詩と眞實」2月号/熊本市)、詩「寂しい町」他二篇・伊藤伸太朗、「「ダニーとその仲間たち」岡村弘史、「記憶の中の仏たち」中山茅集子(以上「クレーン」29号/前橋文学伝習所)、「家」森静泉(第二次「狼」51号/高崎市)、「見合い」「みいら」中嶋英二、「雲のファイル」鹿嶋清一郎(以上「江南文学」55号/流山市)、「手貸し屋さん」しん・りゅうう、「やまがた俳諧物語(その二)」星合昭、「「夕晴れ」笹沢信、「負傷兵の記録」高橋脩輔&牧野房(以上「山形文学」94集/山形市)、「犬猫降りの日」鮒田トト、「カケトイさん」久保輝巳(以上「龍舌蘭」172号/宮崎市)、「昭和の子供」「編集後記」大塚滋、「父と子」枡谷優、「敗殘」杉山平一、「墓」竹谷正(以上「文学雑誌」83号/大阪市)、「切腹」牧野誠(「砂」106号/東京都)、「熊蝉の鳴く日」くもくみこ(「AMAZON」427号/宝塚市)、「愛生」誌745号(瀬戸内市)、「影の微笑」北村順子、「わたしのいた時間」淘山竜子(以上「孤帆」12号/小金井市)、「荼毘に付す」祖川悦人(「ペガータ」7号/川崎市)、「鉄瓶」村尾文、「窓」森啓夫(以上「文学街」」244号/東京都)、「秩父困民党(第一章)」与市園隆三、「世ニ慣レザル(上)」出水沢藍子、「六月灯」相星雅子、「長すぎた滞在」福迫光英、「神々たちの火祭り」福元早夫、「飛び石踏み」宮田俊行、「ヤドカリ」山之内まつ子、「八月の赤い薔薇」森田一政(以上「小説春秋」20号/鹿児島市)、「登美という歌びと」市川一雄(「黒馬」35号/岡谷市)、「大久野島」大高みのり(「翼」32号1/宝塚市)、「Rアイランド・フーガ」高壱文吾、「富士さんとわたし」山田稔(「VIKING」685号/茨木市)
ベスト5=「犬猫降りの日」鮒田トト、「帰り道」沖山明徳、「家」森静泉、「影の微笑」北村順子、「姉妹」道林はる子。(「文芸同人誌案内」掲示板より、よこいさんまとめ)
「 自費出版大手の「新風舎」(東京)が民事再生を断念した問題で、同社の保全管理人・川島英明弁護士は6日、やはり自費出版を手がける「文芸社」(同)との間で、事業譲渡契約を結んだと発表した。新風舎は来週にも破産手続きが開始される見通しという。
新風舎を巡っては、出版契約を交わしながら本が完成していない未出版の著者が約1000人に上っている。川島弁護士によると、今後は、文芸社が著者に費用の追加負担などの条件を提示し、改めて契約を結び直すかどうかは著者側が判断することになる。既に出版された本の在庫約600万冊については、著者が約60万冊を買い取ったが、残りは廃棄されるという。(08年3月6日、読売新聞)
【随想「銀次郎の日記―パソコンは無用の長物か」青江由紀夫】
会社の重役として、社員教育などの仕事をしながら、短歌、川柳をたしなみ、宗教書など難しい書物を読破することを自らに課している。かなりの知識欲の衰えない知識人生活を描く。デック・ミネや詩人・佐藤惣之助、西条八十の作詞の曲に思いを寄せる。パソコンを2年前に買って、使い始めたのだが、自らの名前をヤフーで検索すると、ペンネーム5件、本名で40件ほどなので、なんとか文筆で100件は件数が出るようにしたいと思う。とにかくラップ調のノリの良さで、現代シニア層の生活の一端がよく表現されている。
【「ワラシ・ファミリー」坂本梧郎】
中年夫妻のペット犬がワラシーである。ワラシーの出産から、仔犬の生育状況まで、家族と同様の存在として描く中編小説。人間の生活をこのスタイルで描いたらどうなのだろう、という感想も湧く。ペットとの生活が大変な努力が必要なことがわかる。人間は時間の過ごすのに必ずしも楽な道を選ぶとは限らないものらしい。
【「ジャック・ポット」石谷富士夫】
冒頭からこうある。「38年間、ひた走りに走り続けてきた特急列車は、終着駅のプラットホームでぴたりと停まった。そこから線路はなかった。北九州小倉のKホテルで取締役支配人だった石戸はついに運命の日を迎えたのだ――」。
こうして主人公の定年後の生活ぶりが描かれる。お話の出だしに、分かりやすい工夫があるので、その先を期待して読める。ゴルフが好きで3カ月で50万円を使ってしまい、反省したりするので、かなりゆとりのある生活である。
そのあたりから、話しは昨年あたりからの政局の動向を逐一書き留めていく。安倍元総理の躓きの元として、本間、佐田、松岡、赤城とそれぞれメディアを賑わした面々の経過は、「ああ、そんなこともあったな」と読むほうも感慨が生まれる。そして、福田総理からTV番組で「みのもんた」が発信する「世論」を評価する。その間に、小説を書く。創作には、息抜きも必要で、ヒマをみてはパチンコに行く。その日はフィーバーして大当たり。勝ち組になる。すると、そこに、有り金をスッてしまった負け組みの女性から、資金を目当てに、お遊びに誘われるのである。さて、これはどうしたものか?と迷うところで、終わる。読後、さて、自分ならどうするか?と考えてしまう。その意味でなかなか余韻のある終わり方である。
【「ハンモックのある庭」難波田節子】
英国に渡って、マイケルと結婚した日本人女性の「私」が主人公。ロンドンで10年程暮らしたあと、夫のマイケルの希望で、とある田舎町に引っ越す。マイケルは気晴らしのない「私」に気を使ってくれて、リラックス用のハンモックをプレゼントしてくれるが、興味を示せず倉庫に入れてしまう。
「私」は信仰心の厚い近隣の人々と早く親しくなろうと努力するなかで、太平洋戦争中に日本軍の捕虜となり、ビルマ鉄道の労役で死んだらしい人の家族の憎しみに出会う。そのなかで、町の人々の理解を得て、催事の大きな役割をもらって彼らにとけこんでいく努力の様子を描く。英国の田舎町と風土がすっきりとした文体で表現され、流れも自然で面白い。夫のとの関係の様子が物足りないが、短編としてのまとまりのため省略はやむを得ないかも。巧さに感心する。
【「手賀沼は本当にきれいになったか」北大井卓午】
千葉県我孫子市に手賀沼はあり、かつては水の汚れの全国ワーストベストテンに入るほど汚染されていた。しかし、現在は見違えるようにきれいになった。
これはその市民活動者からの視線から市政の状況を描く。主人公は、シニア情報アドバイザーの資格をもち、パソコン教室を開いており、そのなかの交流のなかで、市会議員の選挙活動ぶりや、市民交流の様子を描く。おそらく現実はもと、相当な要素に満ちていると思われるが、手際のよい取捨選択で、地域市民の一端が活写されている。自分は、同志会員の紹介で、一時期、手賀沼から少し離れている湖北台の「ティ・フォー・トゥ」という喫茶店と熱帯雨林ギャラリーを運営している鈴木さんのところに発行物を置かしてもらいに行ったことがある。そのときに、地元の文芸人で手賀沼学会員の下藤さん達とお話をした。文化人が多いという印象だった。手賀沼マラソンも有名である。我孫子や手賀沼と言えば、志賀直哉など白樺派の活躍の舞台で、そのような風土なのは当然なのかも知れない。大きな整備道路とその脇の曲がりくねった路地とが共存するのどかな町の印象がある。
(【講談社ミステリーの館】08年3月号より)講談社ノベルスより『零崎曲識の人間人間』が刊行される西尾維新さん。今回ミス館読者のために西尾さんよりコメント。
☆
西尾維新です。夢のない話ですけれど、僕は世の中に起きる不思議な出来事はすべて偶然で説明がつくと思っていて、しかし、いよいよ僕の作家生活もいよいよ6年目に突入するというこの不思議な出来事にだけは、さすがに驚きを禁じ得ません。まあこの『驚きを禁じ得ません』という文章もタイピングミスで生まれた偶然の産物なのかもしれませんけれど。
そんなわけで6年目の西尾維新最初の単行本『零崎曲識の人間人間』が発売される運びとなりました。2007年に発売された『メフィスト』に掲載していただいた3本の小説に、書き下ろしの1本を加えた連作短編集です。前
作の『零崎軋識の人間ノック』同様、オマケにトレーディングカードが付属します。豪華ですね。講談社ノベルスだけで数えても21冊目の本になりますが、しかしこれもまたひとつのデビュー作のつもりで挑みたいものです。
それではよろしくお願いします。<西尾維新>
文芸同人「砂」の会2007年度「砂」賞を次のように決定した。
☆創作の部「タラスに陽は落ちて」(102号から104号) 山川浩介。
選考評=中国で発明された紙の製法が、唐代の無名な紙漉き職人によって、中近東イスラム圏に伝えられた。この歴史的事実をもとに、兵卒として故国を離れなければならなかった紙漉き職人の、流離の物語として、時間的にも空間的にもスケールの大きなドラマに創作した、山川氏の想像力と、筆力は素晴らしい。
☆詩の部「公園にて」(105号) 高橋義和。
選考評=介護する母を伴い、公園でまどろむひと時、平凡に見える平穏な日常を、人生の貴重な一瞬であると詩に定着させて見せる。
☆随筆の部「鶴爵」(105号)國分實 & 「辞める理由、続ける理由」(105号) 麻葉佳那史
選考評=「鶴爵」老いの品格。……おしゃれであること。奢らぬこと。感動する心を失わぬこと。心が健康であること。……キザでいいのだ。不良でいいのだ。詩の達人は、散文でも達意の表現をする。
選考評=「辞める理由、続ける理由」=現代の中高年労働者の実態を、格別の怒りや告発でなく、感情過多な嘆きでもなく率直に写していく。多くの非正規雇用の若者の実態にも似たようなものがあるのでしょうが、なかなかこうは書けない。
☆奨励賞「金木犀の花」(106号) 夢月ありさ
選考評=健全な家庭小説。これは褒め言葉として使っています。現代は健全な家庭小説が書かれることはまれなではないのか。浮気、不倫が小説の定番、いや小説だけでなく現実に親殺し、子殺し、妻殺し、夫殺し等、家庭崩壊のニュースを聞かない日は無く、感覚も麻痺している現代、留学を思いとどまり、家庭に入る早苗の決意は、作者の健全さであり貴重です。(記録 矢野)
なお、「辞める理由、続ける理由」(105号)は、作者・麻葉佳那史(あさは・かなし)さんの許可を得て、このブログに連載で掲載します。麻葉さんは、日本の永井荷風、徳田秋声などに影響された私小説的な作風が持ち味で、地味なものですが、今ではその古風な作風が、混迷する現代をよく表現し得ることを証明したものとして、鶴樹も評価するものであります。
ある企業家が「箱の中の林檎の一つが腐ると、みんな腐ってしまう」といっていた。中国はGDPゼロ成長時代が長く続いた。税金が社会のために使われず、盗まれていたからだ。日本も当分経済成長はないだろう。バカボンは、こういうポストをそのまままにして、誰でも抽選で、このポストにつける宝くじを発売したらどうかと思う。仕事はしていないし、誰がポストについても大丈夫。クジは売れるし、国家収入にになる。この程度の税金は、すぐ回収できる。
「厚生年金振興団:天下り情報隠す 最終官職や役員報酬など」(毎日新聞 2008年3月2日) 板垣博之記者
厚生年金会館などを運営する財団法人「厚生年金事業振興団」が、公務員制度改革大綱で定められた天下り役員の最終官職や役員報酬の公開を、独自の判断でやめていたことが分かった。元社会保険庁長官らを役員で受け入れながら、名簿には「学識経験者」と記載。総務省の調査には「公開している」と回答していた。天下りの受け皿となっている公益法人の隠ぺい体質に、批判が集まりそうだ。
同振興団は▽理事長に吉原健二・元社保庁長官▽常務理事に元厚生省児童家庭局長、元国立医療・病院管理研究所長、元社保庁地方課長--の計4人が就任している。しかし、最終官職は数年前から非公開にした。
また、役員報酬は公務員制度改革大綱が01年に閣議決定された後いったん公開していたが、06年4月に「理事長が別に定める」と規定を変え、公開しなくなった。
同大綱は公益法人に対し、国からの天下り役員の最終官職や、役員報酬・退職金の支給水準などを公開するよう定めた。同振興団総務課は「個人情報保護法ができたので、役員の個人情報を守るため公表をやめた。規定や役員名簿自体は公開しているので、公開と回答した」と説明する。
ただ、役員報酬については、所管する社保庁の指導を受けて3月1日付で規定を改め、支給水準を明らかにした。それによると、理事長の年間報酬は手当を除く本俸だけで約1300万円、常務理事は同約1100万円。総務省の06年度調査では、国が所管する公益法人の有給常勤役員の平均年間報酬額は、400万~800万円が約34%で最も多い。
同振興団は全国で厚生年金会館やウェルサンピア、病院などを運営しているが、06年度決算は約22億円の赤字だった。公益法人の指導監督基準では、常勤理事の報酬は法人の収支状況などと比べて不当に高額にしないよう定められている。
社保庁企画課は「給与水準だけでなく、最終官職も今後公開するように指導したい」と話している。【板垣博之】
(紹介:江素瑛)
われの定まれる姿を否定する「無我相」という「金剛経」にある仏教思想を思い出される詩。われがありながら、われはいない。
脳細胞のニュ-ロンの思う通りに引きつられて、いるかいないかは、考え一つであるようです。
詩全体の流れは、人間の考えと行動の矛盾さをユーモアに描かれて、考えさせられる作品です。
☆
われ思う されどわれなし 千早耿一郎
朝 目を覚ますとぼくがいなかった/時計を見ようと手を伸ばしたら手がない/布団をめくって足を見ると足がない/そう言えば胸も腹もない/洗面場に行って鏡を見たら/そこにぼくの顔はなかった
いやな顔だと思った/貧相で知性のかけらもない顔/早く別れたいと思っていた/ぼくのそんな思いを察してか/あいつは不意にいなくなった/手や足や胴体まで引きつれて/深夜ひそかに逃亡したにちがいない
それでも いなくなったとなると/なんとなくさびしい/それにしても/さびしいと思っているのはだれなのか/ほら デカルトは言った/COGITO ERUGO SUM/ーーわれ思う ゆえにわれあり/まぎれもなくおれは思っているのに/それでもおれはいない/ーーわれ思う されどわれなし
目がさめた/あれは夢だった/なんとなくホッとした/そして鏡を見たら/そこにぼくはいなかった
いなくなったぼくを探して/今日もぼくはさまよっている
詩誌 2007年 「騒」第72号より 騒の会(町田市)。
鶴樹(注)=禅の修行者が好んで学ぶのが「無我相」。万物が変化するということは、実体が定まった形をもっていないから変化ができる。万物は、無我の相(我のない形・我という形はない)をしているとするもの。それをセンチメンタルに感受したのが、「諸行無常」である。しかし、禅では変化のなかに永遠と真実があると積極的に感受する。
【随筆「山荘哀悼記」 望月雅子】
山荘を手離すつらさがしみじみ伝ってくる。好きな草木を植えた愛着、家具もそのまま渡すという、その一つひとつへの思慕、さまざまな景色をみたその思い出、どれをとっても人手に渡ってしまう悲しみがあらわれている。
息子さんが奈良に下宿していたときの、ある一人の老母のエピソードを通して、ひと事とおもえない作者の感慨に共感を覚えた。
全編を通じて老いの悲しみが感じられるけれど、どうか気持ちを強くもって生きてください。
【小説「切腹」 牧野 誠】
三代の殿に仕えてきた田村孫之丞は、視力が衰える年齢になり、その後任を城代家老と相談して決めたが、しかしその人達に異議を唱える佐藤平馬に「にせ侍」と面罵される。
武士の誇りを傷つけられた孫之丞は果たし状を平馬に送る。その孫之丞の背筋を伸ばした生きかたに感動した。
とかく事なかれ主義の風潮のある現代において孫之丞のような己を貫く姿勢に爽快を感じた。
だがこの時代の武士の規律は厳しかったのだろう。田村家はお取り潰し、佐藤家も同じようになるようだ。それに引き換え、現代の政治家や企業経営者の狡猾さには、武士と較べようがない。
【「金木犀の花」 夢月ありさ】
早苗の立場で話を進めてゆきながら、突然真一の視点になったり緑川茉莉の視点になったりと、視点の揺らぎがある。
交通不便な片田舎に住まいがある、と説明しているが、真一はどのように通勤しているのだろう。早苗が泉さんに会うのにどのようにして銀座に出、そして帰ったのか。また茉莉の教室にはどのように出掛けたのか、さらに近くの自動車教習所にもどのようにして通ったのか。交通不便といいながら用事をこなしている方法と、早苗のその苦心が描けていない。車を運転できるようになり、自分で足を確保できた喜びが描かれてもよいのではないか。そのように早苗の内面があまり描かれず、出来事の流れを迫ってばかりいる。
早苗がフラワーアレンジメントに懸命になる気持ちが描かれていない。展示会や都内の教室の場所も描かれなければ、早苗のそれに傾いていく心のようすも描かれていない。
留学はどこへゆくのか、そしてその期待のほどはどのようなのか。ところが妊娠してしまう。その喜びと落胆ぶりの表現が物足りない。
作者は書き慣れているからこそ、これだけの面白い話を組み立てることができたのであろう。次には、ひとつひとつの場面の情景と人物の内面を描き、豊かな肉付けをしてゆくことを期待したい。
【「遙かなる遠い道」 行雲流水】
知的障害児施設に住み込み勤務している清子が久し振りに実家に帰って来たところから、母の輝子が結婚をすすめ、騒動のすえ見合いをしてやがて施設を辞めて結婚する。そのことがあって次女の加代子は、いままで交際を続けてきた人とようやく結婚できる。
正三郎はいままでの会社を退職し、長男の隆と一緒に新会社を設立すると、この業界に長くいて太い人脈ができていたのと、社会の景気の流れにのって会社は成長してゆく。
昭和三十年代の三種の神器の話をはじめ、社会の出来事を記述しながら高井家の娘や息子たちがつぎつぎ結婚してゆくようすを描き、三島由紀夫の割腹自殺で今回は終わっている。平凡にみえる家族の歴史とはいえ、いろいろな事柄があると感じた。
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