「辞める理由、続ける理由」(9・完) 麻葉佳那史
八月にはいって、配膳会から五十代の男性が夜担当ではいった。二十五年間、某一流ホテルで洗い場を勤めていたが、婚礼が激減してリストラされたという。
九月には外国人用の職安の紹介で洗い場経験のある中国人の女性が夜担当ではいった。
これでもう通しをすることはなくなった。
ホール係の人が昼だけでも、というとき、自分の意志を通して辞めなかったのは、辞めて新らしいバイトが見つかるかどうか不安だったからだ。いままでその困難を身をもって体験し、こんど失業の日が続いたら失業給付が受けられないので生活ができなくなってしまう。
失業していたころ、またバイトで働き出したころ、そして昼夜通しで仕事をしていたころ、夢見ていたのは早く住宅ローンを完済し、再び原稿を書きたいということだった。そのためにはいくらかの時間とかねのゆとりが必要だったのだ。その夢の一端がようやく実現できた。
年金受給手続きの通知が届き、その金額の提示を見た時、バイトを続けざるを得ないと覚悟した。年金だけで生活をしてゆくにはあまりに少ない金額であり、また蓄えもないためだ。
無料の就職情報誌をもらって、もうこの年齢では新しくバイトで雇ってくれるところのないのを知るだけだ。まれにあっても時給は少ないし、労働時間も短い。
バイト先に不満がないでもないが、いって辞めるのもつまらない。昼食は摂れ、ホール係の人と仕事以外のお喋りをできるようになり、いくらか居心地がよくなってきた。
健康に留意し、シフト制の休日を有効活用し、そうして一日でも長く働けていけたらと願ってやまない。
(注記)配膳会は客に料理を運ぶ人の他に、洗い場や調理補助などの仕事を登録して紹介する会社で数社あるようです。「ホール係の人」は一括して書いたが、洗い場のようすを主に書きたかったために、そうしました。ホール係の人も出入りが多く、洗い場に指示する人、その上司など、いままで数人が辞めているので、いちいちそこまで書いたら煩雑になるので省略しました。(2007年6月)。(文芸同人「砂」の会07年度「作品賞」受賞エッセイ)。
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