「辞める理由、続ける理由」(4) 麻葉佳那史
「岡本さんが、ホール係の人が命令ばかりだというのは分からないでもないです。私にだって仕事の件のほか、いまはなにも言わないから。岡本さんは仕事のことのほかの会話をしたうえで、心の流れをつくって、それで仕事の命令を、というのはだれもそうしてもらいたいのかも知れない。
でもいわせてもらえれば、出勤したとき黙ってはいってくるし、年齢のホール係の人たちは二十代からせいぜい四十代で、彼らにすれば話しずらいのではないのですか。仕事以外の会話を望むのは、こっちから共通するような話題を振らないと無理かも知れませんよ」
私は喋ろうとしてじつはなにも言えず、ただ煙の流れを眺めながら、胸の内で話しかけているのに過ぎなかった。
十月にホール係の人から岡本さんが十五日で辞めるが、新らしく次の人がはいるから心配しないようにいわれた。
シフト表は十六日から翌月十五日までで、それが給料計算の基にもなっていた。支給は二十五日に銀行口座にはいる。明細書はその日ぐらいにシェフから渡される。
新人はすぐにはいった。安藤さんという六十歳の男性だ。バス一停留所だけ乗ってくるという近さからくるという。約一時間かけてくる私には羨ましい限りだ。新聞販売店に勤めていたが定年で辞めた。はじめは配置を自転車やオートバイでしていたが、この一、二年はもっぱら電話番をしていたようだ。岡本さんと違って挨拶はきちんとするし、まわりの人びとに客の状況を尋ねて、仕事の段取りをつけてゆく。皿類の収納場所も懸命に覚えようとしている。よい人が来たとよろこんだ。奥さんと九十八.九歳の母親と三人暮らしで、こどもはいないという。
やはり土日の婚礼のある日、馴れてきて休憩のとき、そのころは外気が寒くなってきたので更衣室で休んだ。安藤さんはたばこを吸いながら話した。
「家にいても体がナマってしまうから働こうと来たが、いゃあ忙しい所だね」というので「体がきつくてたいへんでしょう」と慰めるともなくいうと、「いゃあ、これぐらいたいしたことないさ」と強がりをいう。(つづく)
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