「辞める理由、続ける理由」(3) 麻葉佳那史
九月になると土日祝日は婚礼があり、そういう日は昼夜を通して岡本さんと一緒に仕事をした。私は朝六時十五分ごろ出勤し、まず二階の客室から掃除をする。新郎新婦や両親、親戚の方々の化粧や着替えの室となり、広いバーラウンジは式がはじまるまえの招待客の控え室になるのだ。それから洗い場にはいる。岡本さんは十時四十五分ごろやってくる。十一時から従業員昼食になり、十一時半ごろから披露宴の食事開始になる。
十五時ごろ私はトイレ掃除にゆき、岡本さんが洗い物の残りをする。そして十六時から従業員夕食である。十五時から十六時の一時間が休憩なのだが、馴れないうちは休憩もとれずに働き続けなければならない。二十一時に終ったとして、約十五時間、立ち働きをすると、さすがにぐったりと疲れる。
それでもやがて馴れてくると、休憩がとれるようになる。ゴミ置場が休憩場所で、まだ暑さを含んだ風をうけながら、岡本さんはたばこを吸う。はじめ話をしているが、私は疲れて首がまえに垂れる。
岡本さんは、「ホール係の人は命令ばかりするだろ、だがおれは自販機でもロボットでもない。なぜ、ふだんの会話もしないで、仕事のことしかいわないのかな。それがいやでしょうがないよ」と不満をいう。私は、はいったばかりなので仕事を覚えるのにいっぱいである。「はいってどのくらいになるんですか」と聞くと、「去年の十月にはいったから、もうすぐ一年だよ」と答えた。「私は五十七歳ですが、岡本さんは?」「おれは五十五だよ」「同じ五十代だし、一緒に仕事をしているから話が合うんですね」
岡本さんはいぜんどのような仕事をしていたのか、と考えた。じつは岡本さんの出勤は、私が仕事をしていると、ぬうとまわりの人たちになんの挨拶もなくはいってくるのだ。この職場ではその日、出勤すると時間帯に関わりなく「おはようございます」と互いに言い合っている。ところが岡本さんは無言なので、私がシンクで皿をスポンジで洗いラツクに並べ、洗浄機に入れ体を動かすと、そこに岡本さんがいるので慌てて、「おはようございます」というと、「やっ、おはよう」と返事をくれる。そこでまえの職場でもそのように無言でもよかったのかな、と推察したのだ。私のいぜんの職場では「おはようございます」といいかわしていた。(つづく)
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