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2008年3月 1日 (土)

「砂」106号の作品を読んで=中村治幸(3)

【随筆「山荘哀悼記」 望月雅子】
 山荘を手離すつらさがしみじみ伝ってくる。好きな草木を植えた愛着、家具もそのまま渡すという、その一つひとつへの思慕、さまざまな景色をみたその思い出、どれをとっても人手に渡ってしまう悲しみがあらわれている。
 息子さんが奈良に下宿していたときの、ある一人の老母のエピソードを通して、ひと事とおもえない作者の感慨に共感を覚えた。
 全編を通じて老いの悲しみが感じられるけれど、どうか気持ちを強くもって生きてください。
【小説「切腹」 牧野 誠】
 三代の殿に仕えてきた田村孫之丞は、視力が衰える年齢になり、その後任を城代家老と相談して決めたが、しかしその人達に異議を唱える佐藤平馬に「にせ侍」と面罵される。
 武士の誇りを傷つけられた孫之丞は果たし状を平馬に送る。その孫之丞の背筋を伸ばした生きかたに感動した。
 とかく事なかれ主義の風潮のある現代において孫之丞のような己を貫く姿勢に爽快を感じた。
 だがこの時代の武士の規律は厳しかったのだろう。田村家はお取り潰し、佐藤家も同じようになるようだ。それに引き換え、現代の政治家や企業経営者の狡猾さには、武士と較べようがない。
【「金木犀の花」 夢月ありさ】
 早苗の立場で話を進めてゆきながら、突然真一の視点になったり緑川茉莉の視点になったりと、視点の揺らぎがある。
 交通不便な片田舎に住まいがある、と説明しているが、真一はどのように通勤しているのだろう。早苗が泉さんに会うのにどのようにして銀座に出、そして帰ったのか。また茉莉の教室にはどのように出掛けたのか、さらに近くの自動車教習所にもどのようにして通ったのか。交通不便といいながら用事をこなしている方法と、早苗のその苦心が描けていない。車を運転できるようになり、自分で足を確保できた喜びが描かれてもよいのではないか。そのように早苗の内面があまり描かれず、出来事の流れを迫ってばかりいる。
 早苗がフラワーアレンジメントに懸命になる気持ちが描かれていない。展示会や都内の教室の場所も描かれなければ、早苗のそれに傾いていく心のようすも描かれていない。
留学はどこへゆくのか、そしてその期待のほどはどのようなのか。ところが妊娠してしまう。その喜びと落胆ぶりの表現が物足りない。
 作者は書き慣れているからこそ、これだけの面白い話を組み立てることができたのであろう。次には、ひとつひとつの場面の情景と人物の内面を描き、豊かな肉付けをしてゆくことを期待したい。
【「遙かなる遠い道」 行雲流水】
 知的障害児施設に住み込み勤務している清子が久し振りに実家に帰って来たところから、母の輝子が結婚をすすめ、騒動のすえ見合いをしてやがて施設を辞めて結婚する。そのことがあって次女の加代子は、いままで交際を続けてきた人とようやく結婚できる。
 正三郎はいままでの会社を退職し、長男の隆と一緒に新会社を設立すると、この業界に長くいて太い人脈ができていたのと、社会の景気の流れにのって会社は成長してゆく。
 昭和三十年代の三種の神器の話をはじめ、社会の出来事を記述しながら高井家の娘や息子たちがつぎつぎ結婚してゆくようすを描き、三島由紀夫の割腹自殺で今回は終わっている。平凡にみえる家族の歴史とはいえ、いろいろな事柄があると感じた。

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