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2008年2月29日 (金)

同人誌「砂」106号の詩を読んで(2)=矢野俊彦

【「匂い」 江 素瑛】
 匂いの記憶になってしまった母。その母の衣類も洗濯され石鹸の匂いに消されてしまったと嘆く。母を失った喪失感が迫ります。
【「カレーライス」 江 素瑛】
 母が日常に書き残した筆跡を見つけては、在りし日の母を、そして父を偲び、弟を思う。生前は何気なかった、メモや汚れ物が亡き人のものとなり、かけがえの無いものとなる。根底にあるのは愛情である。一昨年「砂」の新年会に娘さんに連れられて、お見えになった、ご母堂 ・張呉色星さんは2007年8月8日逝去。
【「銀杏並木にて」 たちばなりゅう子】
 落ち葉の銀杏並木も、ふたりで眺める今は芽吹きの春を予感する。
【「思い出の濃淡」 北川加奈子(望月雅子)】
 あれほど思った夏の日も、今では淡い思い出になった。「真実を述べるのだ」「書く事は良く見る事だ」と教えてくれた人も今は亡くなり、思い出だけだ。人生で充実出来るのは一瞬だと、輝いていた日々は遠くなると病んだ身で思う。
【「風」 秋好 修】
 風は偉大である/この一行だけ示されたら脱帽である。よけいな理屈を付記して詩を消してしまった。

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「砂」106号の作品を読んで=中村治幸(2)

 【詩「匂い」 江 素瑛】
 生前の母を「微かな焼き立てのような/パンの匂いが漂っています」というふうに象徴しているのが温かい。その母の入院時の持ち物の「紙ぶくろの中身は/きれいに洗濯されていて/丁寧に畳んでありました/ああ それは石けんの匂い/母の匂いではありませんでした」という表現に母の逝った悲しみが伝わってくる。
【詩「旅の記憶 秋」「十和田湖畔にて」 矢野俊彦】
「紅葉には遅い季節だった/来週にはクローズします」というホテルの今年最後の客だという。その静かさは晩秋に似合っているよう。
「ひときわ際立つ/今宵湖畔の月光」という表現が気に入った。
「詩「風」 秋好 修」
 風のもついくつかの表情を描き、「風こそ神なのだ」といい、/時代を変え、歴史の頁をめくる者は/風雲児と呼ばれるのだ」と訴えてゆく展開が面白いと感じた。

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2008年2月28日 (木)

 「砂」106号の作品を読んで=中村治幸(1)

【詩「砂町」 高橋義和】
 青春を回顧して、往時の憧れのマドンナに同窓会で会わないでよかったのかも知れない。
「あの砂町の灰色の風景は/わが青春の憧れの君と重なって/今でも/懐かしい想い出に満ちている」という感慨に共感をした。
【随筆「ミルク色のチュウインガム」 渡辺千葉】
 おどろいたのは畑の畦道へ、チッソ会社からの工場廃液が流れていた、ということだ。そしてそれを小学生らがチュウインガムのように口に入れ、噛んでは透明な風船をつくって飛ばしっこして遊んでいたとは。───
 可愛がってくれた伯父が水俣病の諸症状を発して亡くなりながら、他の原因などを主張する研究者がいて、公式に確定されなかったのはむごいことだ。
 水俣病を子供の立場で描いたことが、いたずらに構えずに読めたのがよかった。
【随筆「むしとり」 荻野広明】
 子供のころはよく虫捕りができた場所があったが、いまはなくなってしまった。という郷愁がよく描けている。その虫たちを 沢山の友人 と呼ぶ作者の心根がよい。だから、最終文節で あいつら という言葉に共感を覚える。
 バッタの害をしかし「蝗害」という字を当てることで、イナゴこそいい迷惑だ、というところにも作者の心情を感じる。
 ただ「筆者」という語が十五も使われているが、「私」でいいのではないだろうか。

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同人誌「砂」106号の詩を読んで(1)=矢野俊彦

「砂」誌に掲載された、詩作品に評とも呼べない感想を書いてきたが、鶴樹さんのインターネットブログの『文芸同志会通信』に私の拙い文が転載されていた。会員だけでなく、不特定多数に読まれるブログである。心して書かなくてはと改めて思った。
【「砂町」高橋義和】
 灰色の似合う町、砂町。憧れの人が住んでいた町。いつも心の中で世の中に怒っていた青春時代。今はその怒りさえ懐かしい思い出になっている。
【「残暑」「宵 ひとり」「宵 ふたり」高橋義和】
 残暑の駅前広場に黄昏がせまる時刻、己の老いの焦燥感をかすかに感じながら、辛丹波(酒の銘柄) を置く居酒屋に入る。料理は市販品らしいし、辛丹波のお銚子も合わないが、店の雰囲気は悪くない。「残暑」に続く時間として呼んだ。「宵 ふたり」は別な時間、別な居酒屋。息子と二人でカラオケのできる店に行く。息子はサザンの歌を三曲熱唱する。父親の私は、私の世代の歌を歌う。下町の見えない、おじん、おばん、居床寝(うたたね)をするおっちゃんの姿さえ詩の内に捕らえる。
【「季節」 國分 實】
 山の宿での1、晩秋の2、湖の風景からの4、どの章も生の内に内在する死の翳を伝える。とりわけ3章の「冬」に描かれた官能の色彩は強烈です。

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2008年2月27日 (水)

文芸時評・読売新聞<文学2月>山内則史記者

(2008年2月26日、読売新聞)=お涙もの 安易さを問う
《対象作品》諏訪哲史(38)芥川賞受賞第1作「りすん」(群像)/津村記久子氏(30)「婚礼、葬礼、その他」(文学界)/佐伯一麦(かずみ)氏(48)「ピロティ」(すばる)/中沢けい氏(48)「マミヤ6」(すばる)/横尾忠則氏(71)連作「ぶるうらんど」が「聖フランチェスコ」(文学界)で完結。

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2008年2月26日 (火)

オーラの泉にロス疑惑の三浦氏はでるのだろうか

視聴率が取れると思うけど。

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2008年2月24日 (日)

三浦元被告]「サイパンなら身柄拘束ないだろう」

(08年02月24日、毎日新聞) 「三浦元被告逮捕」の連絡は23日午後5時ごろ、サイパンの土産物店の男性から、三浦容疑者の告白本「ネヴァ」を出した東京都台東区の「モッツ出版」(高須基仁社長)に入った。男性は「三浦さんは『サイパンは米国領ではないから、身柄拘束はないだろう』と話していた」という。
 高須社長によると、三浦容疑者は昨年末、「ロス市警に話し合いに行く」と言って米国に渡航した。「米当局が昔の話に興味を持っている。(ロス疑惑は)無罪に決まっている。私はそれを証明する」と話し、ロサンゼルス市警や検察当局に自ら「出頭」の形をとって出向いたという。
 三浦容疑者は「結局、あれは決着をつけなければいけない。自分の逮捕はありえない。ただし、捜査は近い」と話したという。高須社長は「日本の法制度は米国司法の下にあるのか。既に日本で決着がついているのに今さら逮捕はおかしく腹立たしい」と批判した。
 また三浦容疑者と親しい関係者によると、三浦容疑者は夫婦で18日ごろから1週間の予定でサイパンに旅行していた。「米国では(ロス事件関係の)裁判があるから、拘束されてもいけない」と米国には行かないようにしていたという。関係者は「前の日本の裁判で無罪になったから、今度もたいしたことにならなければ」と心配していた。23日には帰国予定だったという。

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ロス疑惑の三浦氏米国での逮捕と人物監視体制

 アメリカで三浦氏が逮捕されたらしい。アメリカでは空港を出入りする要注意人物の見張りをする部署が州ごとにいて、クセのある行動範囲や行き先があると、コンピューターに記録し関係部署に通報されるシステムというのをミステリーで読んだことがある。どうも事実に近いらしい。三浦氏も、変わった人だ。

 三浦氏は、行方不明でまだ生きているかもしれない妻の貯金を、300万円だったかな?どんどん引き出してつかっているようだ。
 日本の裁判官は、気にしていないようだが、個人意識の強いアメリカでは、もし、どこかに生きて居るはずの妻の貯金を勝手に使ったら、夫といえども犯罪だという意識があるのではないだろうか。もし妻が戻ってきたら大騒動だ。
 したがって、三浦氏の行動は、妻が死んでいることを知っていたから出来た、と判断するのではないだろうか。行方不明で何処に居るかわからない妻の死を知っているのは、誰か? が問題であろう。

 これは見解の相違である。ただ、以前に、強姦殺人だったか、内容は覚えていないが、裁判官が「容疑者の話は細部まででじつに詳しく、信憑性がある」と容疑者を無罪にしたのを新聞で読んだ。

 バカボンは、同人誌の小説でも、もっともらしく細部までよく書けている部分は、これは創作だなと思う。嘘だからばれないように作者が用心をするのだ。そして、ざっと書き流してる居るところは事実あったことだろうと解釈する。
 事実あったことだと、作者が安心して細部まで書かないでも大丈夫、だと無意識に思って雑に書く傾向が、書き手にはある。
 したがって、もっとらしく細部を語ったとすれば、それは嘘であり、バカボンは前記の容疑者を有罪とするであろうね。

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「頌(オード)」第28号(東京・武蔵野市)作品紹介

【「杉本暁の詩・評論」小原優」
杉本氏は亡くなったようだ。「地獄のデスメタル・ギタリスト」の作品には、記憶がある。詩人の死を惜しむ気持ちを持ちながら、客観的に評論している。同時に理解の出来ていないところも記す。自己表現者は、表現を理解されることを望みながら、完全に理解されることを望んでいるとは限らない。自分で自分が理解できない場合もあるからであるかもしれない。その意味で、距離を取った論評は作者を喜ばすことであろう。
【「美しい女たち」木野晴海】
<ノミの息>、<港>、<花火の記憶>の三章からなる女性の視点から、男の裏切りに愛想をつかして自立する状況を描く。いわゆる社会的な慣習である「女らしさ」に従ってきた経過になかで、男の裏切りに追い詰められて自立を選ぶという設定が、作者の視線をよく表現していると感じられた。

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2008年2月23日 (土)

「主婦の友」休刊へ。91年の歴史に幕。

 1917年(大正6年)2月創刊の老舗女性誌「主婦の友」(主婦の友社)が今年5月発売の6月号(通巻1176号)で休刊することが、12日分かった。購読層や読者のライフスタイル、関心が多様化する中、部数が低迷したのが理由と見られる。「婦人倶楽部」「婦人生活」「主婦と生活」とともに4大婦人雑誌として人気を集めたが、他の3誌が80年代から90年代にかけて次々と休刊する中、最後の1誌となっていた。同誌は、主婦向けに生活情報や教養を提供する婦人総合誌として「主婦之友」の名称で創刊。健康や家計、料理などの実用記事だけでなく、大正期にいち早く女性の社会進出や参政権といった話題を取り上げるなど、幅広い内容で女性の生き方をリードしてきた。53年に現在の名称に変わり、戦後のピーク時には約70万部を発行したと言われるが、93年には生活情報誌へ誌面を刷新。生き残りを図ったが、長引く雑誌不況の中、近年は部数が低迷。昨年の日本雑誌協会のマガジンデータによると、毎号の平均発行部数は、約16万部に落ち込んでいた。(08年2月13日読売新聞)

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2008年2月22日 (金)

 詩の紹介 「千の風」 作者 桑原真夫 

(紹介者 江 素瑛)
この詩は、死者がどこにも行かずに、そこに存在することを語る。
 如何なる方法にしても、生きている誰でも立証できない死後の世界、想像しか存在しない死後の世界。遺灰が安置されたお墓には、死者は生前に居たようには居ない。 
 しかし死後はどこに行っても構わないが、生者に対してお墓という「有」の形に残れば、名残と慰めになる。
 お墓の中に居るにしろ、居ないにしろ、愛する者に対する想念は、変わらない。
            ☆
   「千の風」  桑原真夫
南風椎が千の風を日本語に翻訳して早十ニ年が経つ/今ではすっかり有名になった千の風/知人の父の通夜に流れていた/グレゴリオ聖歌のような真宗高田派の読経/その後に千の風のピアノが流れる・・・・

 私の墓石の前に立って/涙を流さないで下さい。/私はそこにはいません。

伊勢神宮の鬼門の後背に/内宮を包み込むような朝熊山/その山頂に九世紀建立の古刹、金剛證寺がある/林立する卒塔婆のあいだに/いくつもの苔生した墓石/そのひとつに思いもかけない歌

死にはせぬ/何処へもいかぬ/此処に居る/呼べば答ふる/山彦の聲

焼かれ砕かれて灰になる/そして私はどこに行くのであろうか/あるいはどこにも行かぬのであろうか

ふと目をあげると/その遺影が/にこやかに笑っていた

  詩誌  岩礁134 より ( 2008春 )  三島市・岩礁の会

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2008年2月21日 (木)

第13回中原中也賞は、京都大学生、最果(さいはて)タヒさん。

優れた新鋭の現代詩集に贈られる第13回中原中也賞(山口市主催)は16日、京都大学生、最果(さいはて)タヒさん(21)(本名非公表、兵庫県西宮市)の詩集「グッドモーニング」(思潮社)に決まった。

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2008年2月18日 (月)

3時間で完走すると、バナナ不足もトイレ問題もなし!法大生が語る「東京マラソン2008」

3時間で完走すると、バナナ不足もトイレ問題もなし!大学生が語る「東京マラソン2008」

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ゴールは近い!ダンサーの白肌に目の保養の余裕があるの?東京マラソン2008

ゴールは近い!ダンサーの白肌に目の保養の余裕があるの?
17日開かれた「東京マラソン2008」。ゴールが近い東京ビッグサイト・ロードサイドでは、白い肌もあらわなサンバダンサーが熱い踊りを披露していた。しかし、40キロを走り抜けてきたランナーたちは、それを目の保養に楽しむ余裕があるのか。ランナーの幾人が、ダンサーに目を向けたか、カメラで観察してみた。時間帯は午後2時ごろで、ちょうど東国原宮崎県知事がゴールしたころである。

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詩の紹介 「思い出の中で」  伊藤昭一

                                (紹介者 江 素瑛)

 祖父の様々な思い出を綴るエッセーにより、祖父が重病で死ぬ前にやっと作者から餅を美味しくい頂いたが、長い間に粥しか与えられなかった、衰弱した祖父の胃は、餅を受け付けなかったかも知れない。夕方に昼間の食べたものが全部吐いて、夜中に死んだという。お通夜を描いた詩。
 貧しい家の貧しい食卓だが、粥しか食べられない祖父は、粥以外のもの、皆と一緒に食べたかったのだ。現代ならどこでも食物が過剰だが、自宅で病人食を作れず、限られた貧しい食べ物で、消化できなかった患者にとっては、餓死とも言えるだろう。
         
  思い出の中でー「通夜」   伊藤昭一
  通夜/重い灰色の雲が/しょぼしょぼと雨を降らせ/「ああ、なみだ雨だね」と言わせ/暗い部屋に、ぼぉっと白い棺/ぼぉぁん みょぅほぅれんげきょぅ/かんぜぉんぼぅさつふもん・・・・/ぼぉぁん/罪悪感を持たなければいけないのだろうか?/いや湧き上がるのは悲しい怒り/人間はこんなにみじめではいけないのだ/生まれて来た以上絶対にこんなではいけないのだ。/ぼぉぁん そくじゅぅざあきへんだんぅぅへん
/白い棺が流れる/時間のうしろへ/白い棺が流れる   
「すがお」 第二号より 昭和37年 発行所 雲の会
          ☆       ☆      
これは文芸同志会主宰の昭一、17歳ごろの作品の一部である。江氏がなぜ載せないと抗議をしてきたので出す。廃棄するつもりで出した過去の古い同人誌を江氏が読んで、抜き出したものだ。この時代には、昭一は自己否定、社会否定、人間否定の気分に取り付かれていて、心の底にそうした憂鬱症状を抱えて、そのまま、社会人になった(防衛庁のレーダーを組み立てる工場の職工であった)。20歳を過ぎてから夜間大学に通うようになり、会社の残業が出来なくなったので、会社から追及され、辞めてアルバイト生活に入った。――表面的には普通に見せながら、内面は暗かった。ただ、それでも自殺をしなかったのは、現状に不満なだけで、我がままな自分が、自分で気に入るような良い境遇にあれば、このような否定的な気分にはならないであろう、という浅はかな自分を意識していたからであろう。これから3年後、マルクスの共産党宣言、経済哲学本を読んで、衝撃を受ける。自分がどうあろうと社会は変化して進む。それじゃ、その社会の変化を観てみようか。そう思ったら勉強がしたくなり大学を受験した。

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踊る!応援歌「ポレポレ・世界中から集いしランナー」茅場町付近=東京マラソン2008

踊る!東京マラソン応援歌「ポレポレ・世界中から集いしランナー」、茅場町付近=東京マラソン2008
17日行われた「東京マラソン2008」。レース後半に入った中央区茅場橋から蛎殻町付近では、ランナーの疲労があらわれるらしく、休息とカツ入れに脚を止める参加者が相次いだ。夫に脚をサポートしてもらっている間に栄養補給をする妻のアメリカ人カップル。札幌から参加したという。

 様子をきくと「大丈夫、大丈夫」と流暢な日本語でレースに復帰していった。そこには、東京マラソン応援歌「ポレポレ(ゆっくり)・世界中から集いしランナー」をリズムよく踊って、気合を入れるヤングパワーの熱演があり、その効果もあったようだ。【

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2008年2月16日 (土)

若松、荻上両監督が受賞 ベルリン映画祭 '08/2/16

【ベルリン16日共同】第五十八回ベルリン映画祭で十六日、日本から出品の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(若松孝二監督)が最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)などを、「めがね」(荻上直子監督)が芸術性の高い作品に贈られる「ザルツゲーバー賞」をそれぞれ受賞した。
 「連合赤軍」は一九七二年に起きたあさま山荘事件を劇映画で再現した。出演はARATAさんら。国際芸術映画評論連盟賞(CICAE)も併せて受賞した。
 「めがね」は旅に出た女性が、南の島で出会った人々との触れ合いを通じて癒やしを手に入れる物語。小林聡美さんらが出演した。
 山田洋次監督「母べえ」などが主要各賞を競うコンペティション部門の審査結果は、同日夜(日本時間十七日未明)に発表される。

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2008年2月14日 (木)

森村誠一さん、講演で宇宙人的発想に遭遇

作家・森村誠一氏「人生と小説を講演!防弾チョッキ着用の逸話も

 森村さんは、「私は埼玉の熊谷市で生まれ育ちました。この地域の荒川や秩父の山々は、作家としての精神的風土を培養してくれました。荒川で泳ぎ、上流から流れてくるものを見ては、そこに住む人々を想像し、下流を見てはその先の光景に夢を馳せました。少年時代の心の風景の地です」とし、「小学生時代に乗っていた秩父沿線の駅名は、ほとんど覚えていますよ。ここで、言ってみましょうか」と次々と駅名挙げて、地元聴衆の喝采を浴びた。

 こうした少年時代。太平洋戦争で、広島・長崎原爆投下の後、米軍機B29の空襲が熊谷市にあった。避難先から見た、炎上する町と上空を飛行するB29機の編隊。不謹慎ではあるが、呆然とする少年の目には、美しくさえ映った。やがて市内の星川には火焔によって窒息死した死体で満ちた。血を流さず無傷の外見で、並んで浮く死者達の中には、知人や密かに思いを寄せた人の顔もあった。それが、現在の森村さんの憲法九条擁護などの反戦精神を支えているという。

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2008年2月12日 (火)

赤井都さんの豆本、メディアに引っ張りだこ

「赤井さんのレポート」(メールマガジンより)

日本放送の「高嶋ひでたけの特ダネラジオ」夕焼けホットラインに出演しました。レポーターは「ちっちゃな噂ハンター」廣田みゆきさん(かわいかったです)。個展会場に並んだ豆本を一つ一つ熱心に手に取られていました。
私もとても楽しんで参加することができました。短いコーナーでしたが、インパクトあったと好評です。

■読売新聞日曜版で紹介されました
讀賣新聞「日曜版Y&Y」1、2面『夢塾』のコーナーに取り上げられました。紙面面積はもうたいそう大きく… 「あたしんち」より大きい!それだけの記事ですから取材も非常に丁寧で、記者さんとカメラマンが自宅に来て、かなり時間をかけてインタビューを、その間、カメラさんは豆すがでした。どうぞ、どこかある所で読んでみてください。
読売新聞をウィキペディアで調べてみると、公称1000万部以上、世界一の発行部数で、10人に一人ぐらいが読んでいる計算になるのですが私の身近には読売新聞を読んでいる人が皆無のようで「見ましたよ」と知人の誰からもまだ聞きません。見た方からの通販申し込みは、さっそく数件入っています! ありがとうございます。

日本人アーティスト国際豆本コンペで2年連続特別賞受賞

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2008年2月10日 (日)

「読書人」08年2月15日「文芸同人誌評」担当・白川正芳氏

《対象作品》
「子包日記」君島有純(「零文学」5号)、「タイドテーブル」松本智子(「三田文学」冬季号)、「澁澤龍彦の見たサド裁判」安西晋二(「國學院大学雑誌」十九年十二月号)、「正岡忠三郎のこと」久田修(「海」76号)、「知っている」陶山竜子(「婦人文芸」84号)、「口笛少年」岩代明子(「イグネア」創刊号)、「夜道」柳沢藍(「まくた」二五八号)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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深水黎一郎さん新作『エコール・ド・パリ殺人事件』


(講談社、メールマガジンより)
こんにちは深水黎一郎です。
 このたび『ウルチモ・トルッコ』以来10ヵ月ぶりの新作、『エコール・ド・
 パリ殺人事件』をお届けできることになりました。今回はタイトルからも想
 像がつくかと思いますが、美術ミステリです。 エコール・ド・パリとは、1920年代から40年代にかけて、パリで活躍 した異邦人の画家たちのこと。その世界的コレクションで知られる銀座の一流画廊の画廊主が、密室で刺殺体で発見されるところから物語ははじまります。思い切り<本格>しています。
 ところで私は薀蓄系のミステリを読むのが大好きです。物語を愉しみながら、あるジャンルについての体系的な知識を得ることができるからです。良質の薀蓄系ミステリを読むと、一粒で二度美味しいではありませんが、何だかすごく得した気分になります。そこでこの小説では、成功しているかはさておき、本格ミステリをみなさんに愉しんでもらいながら、同時にエコール・ド・パリとその周辺の美術について通暁していただくことを理想としてみました。本格ミステリも美術書(画集)も、それぞれ単独でも需要があるわけですから、一冊でその両方を愉しめる本が作れたら良いな、というのが出発点でした。
 本作は、事件に関する通常のミステリ小説の部分と、その被害者が生前に出版したという設定の(架空の)美術書の部分から構成されています。「ミステリの続きを早く読みたい!」という方もいらっしゃるでしょうが、どうか途中の美術書の部分も、飛ばさずに読んでいただきたく存じます。その理由は、最後までお読みいただければわかると思います。今回は、片岡忠彦さんの素敵な装丁を得ることができました。できれば書店で装丁だけでも御覧になってください。

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2008年2月 9日 (土)

能力低下で妄想多し。

同人誌「季刊遠近」、「頌(オード)」、会報「さわさわ」、同人誌「新現実」など、到着しているが、眼を通しても紹介記事がすぐ書けない。能力の低下が激しい。眼も疲れやすく、ない時間パソコンを睨んでいられない。
バカボンのリハビリにすこし駄文を記そう。100年ほど前に書かれた、トロツキーの「革命と文学」を読んでいたら、「中国は、今は眠れる獅子で、間もなく世界に台頭するであろう。日本は闇の中から忽然と現われた国だ。」とし、その将来を予測していない。日露戦争になっても、もともと眼中にない様子だ。これは、いまでもロシア人のアジア観とあまり変わらないのであろう。ロシアにとって日本は、わけのわからない国でしかない。中国はトロツキーが間もなくと感じてから、100年経って、やっと経済成長をしはじめた。長い間、中国は経済成長がなかった。ひとつは他国の侵略と収奪。イギリスが一番貪った。アヘン戦争など歴史的に見たら、英国が一番の国際的強奪国家である。次は、国の役人が国家の資産や税金を盗んで国外逃亡したからであろう。現代は、中国共産党の権力でそれが抑制されたようだ。が、それでも党員の役人が近年だけでも4兆円を盗んで国外逃亡をしているという。
彼らは金持ち中国人として他の国に住んでいる。朝鮮半島は、中国とロシアの池に住む魚のようなものだろう。両国次第で運命が変わる。
中国もロシアも長年、皇帝が法律であった。真実がどうだとか、事実がどうだとかは、問題ではない。皇帝に都合のよいことは正しく、都合の悪いことは間違っている、という価値観が根強い。いまでも、ロシア、中国、朝鮮半島の価値観は、自分に「都合が良いものは正しい」、自分に「都合が悪いから間違っている」という主張をすることが多い。
これまで、中国は「反日」は、中国共産党に都合がいいから、「正しい」としてきた。しかし、世の中、変化のスピードが早くなり、なにやら「反日」が都合が悪くなった気配だ。しかし、事情が変われば、それもまた変わる。
日本でも政治家や役人が、都合が良いことを正しいと主張し、都合が悪いものは、間違っていると言い出した。衰亡する前兆である。このままだと、盗める金が国家にある間は、彼らは住み続け、衰亡すると逃げ出すのかもしれない。バカボンの妄想だといいのだが。

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新型インフルエンザとパンデミック

新型インフルエンザでパンデミックになたったりすると世界の首脳が倒れ、世界情勢が一変するかもしれない。パンデミックの本によると、第一次世界大戦の兵士は、かなりの兵士が戦闘でなく、豚を媒介する豚インフルエンザの犠牲になったらしい。そのうちに鳥インフルエンザの文学作品が出てくるかもしれない。
「新型インフルエンザ」対策と品川医師会の調査

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「文學界」08年三月号「同人雑誌評」担当・松本徹氏

「写真」&「抜け殻」吉満昌夫(「埋火」42号/東京都)、「絆」藤沢辰雄(「雑踏」65号/大和郡山市)、「花野を行く」三原遥子(「河」143号/東京都)、「村にて」花島真樹子、「里桜」桂城和子(以上「グループ桂」57号/小山市)、「茅葺の家」二階堂英子(「文邪」7号/函館市)、「シコクイワナ」青木哲夫(「アンプレヤブル宣言」13号/今治市)、「六月のまるい夜」夏当紀子(「飢餓祭」30号/大和高田市)、「十年」万リー(「短篇集 そして」5号/鎌倉市)、「海の音符」藤原伸久(「教育文芸みえ」25号/津市)、「水の音」納富泰子、「象のテラス」ひわきゆりこ(以上「胡壷」6号/福岡市)、「月と大黒さん」石原卓(「樹林」516号/大阪市)、「失格」上田美佐江(「市民文藝」47号/帯広市)、「コラボレーション」滝沢玲子(「あべの文学」6号/大阪市)、「掃除屋風情」一畑耕、「神南備山のほととぎす―テクストとの対話」諸井学(以上「播火」65号/姫路市)、「春のゆき」長井那智子、「死亡適齢期」酒井久志、「夜は笑う」立石富生(以上「火山地帯」153号/鹿屋市)、「忘れていた体育着」関幸子(「湧水」38号/東京都)、「東へ」米沢朝子(「蒼空」12号/高知市)、「愁傷の白い花」浅田修(「鬼子」63号/神戸市)、「むすこの結婚」中原美枝子(「海塔」42号/大和市)、「神乃道」秋田しんのすけ(「シグロ ビエンテ」創刊号/多摩市)、「ヒガンバナ」若林亮成(「時間と空間」60号/小金井市)、「付句」田口耕平(「ふゆふ」8号/幕別市)、「菊日和」桑原昭(「VIKING」684号/茨木市)、「あの夏の日」田中洋(「教育文芸とやま」13号/富山市)、「山河微笑」野上周(「エプシロン」18号/三島市)、「送る人々」井坂ちから(「じゅん文学」54号/名古屋市)、「アンダー・コンストラクション」小森新(「奏」15号/静岡市)、「月夜の蟹」北里美和子(「海」65号/福岡市)、「男同士」野中麻世、「知っている」淘山竜子(以上「婦人文芸」84号/東京都)、「薄日」西垣ゆき(「きなり」65号/名古屋市)「桃色自転車」木村華奈美(「青の時代」34号/函館市)
ベスト5は、「シコクイワナ」青木哲夫、「コラボレーション」滝沢玲子、「十年」万リー、「六月のまるい夜」夏当紀子、「東へ」米沢朝子。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめ)

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2008年2月 8日 (金)

東京・大雪の日、「グループ桂」57号、合評会に師がテキスト指導

2月3日の思ったより雪のふりしきる午後、同人テキスト誌「グループ桂」掲載作品の伊藤桂一師の批評をきき、合評会をする日であった。電車が運行停止だとか、朝のニュースで伝えていたが、90歳になった師は、こういうことに影響されないので、遅れてはまずいな、と思いつつ、雑用をしていたら遅くなってしまった。着いてみると、師やはり先に着いていて、「いやあ、思ったより降ったね」と澄ましている。一時、血圧の高い時は夫人同伴であったが、最近は元気で、いつもひとりで出かけてくる。

 57号の特別巻頭に師は、「枯野」という、詩を掲載している。中国大陸の兵役から帰還して、戦場から戻って、故国の枯野を歩く時の高揚した気分をうたっている。それが昭和16年12月の日付である。
「先生、この詩は気力にあふれてエネルギーに満ちていますね。戦場の緊迫感を背負ったものが出てますね」と例によって先生の作品を評した。さらに「いまの日本の軟弱な精神と根本がちがいます。僕はこの翌年の2月に生まれたんですよ。」というと「うん。キミが生まれる前に、戦争を経験して、それからまた戦場に行ったのだからね。まったく、時代がちがって、話の合わないキミたちと付き合うのだから、こっちも大変な筈だよ」というのには笑ってしまった。

 作品評は、花島さんの「村にて」は、褒めていながら「タイトルが悪い。これじゃエッセイの題だよ。結局、その精神が、作品の詰めを甘くしてしまうのだ」と、評。桂木さんの「里桜」も、良く書けていて。いままでいろいろ失敗してきたものが、それでも書き続けているために、難しいところを難なく潜り抜ける能力を獲得した。巧い。――と、しながらも「もうひとつ突き抜ける必要があるね。それが何かは、誰も知る事がない。書いたあなただけが知っているのだ」と厳しい。一同、うなる。

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「図書新聞」08年2月9日 「同人誌時評」

「神無備山のほととぎす 『新古今和歌集』秘話」諸井学(「播火」65号/姫路市)、「愁」但馬山平(「雑記囃子」5号/伊丹市)、「琴霊」蒲生一三(「文芸中部」76号/東海市)、「こわっぱ・竜太」佐武寛(「文芸誌O」41号/佐久市)、「武尊は荒れて」宮乃井八千代(「海塔」42号/大和市)、「桶屋さん」崎村裕(「構想」43号/東御市)、「クライスパーストリング」栗原治人(「京浜文学」11号/横浜市)。
各誌特集=「雨」特集(「だりん」56号/船橋市)、田辺聖子の文学特集(「樹林」514号/大阪市)、詩人小山正孝特集(「感泣亭秋報」2号/川崎市)、「戦後俳句論争」特集(「豈」42号/杉並区)、島尾敏雄特集(「タクラマカン」42号/芦屋市)
編集後記 T・M生(「文学草紙」121号/西東京市)。短歌=「調やさしき」中園倫(「文学街」243号/杉並区)、同氏(「新現実」95号/荒川区)。俳句=「モンテンルパ戦犯死刑囚と短歌雑誌「アララギ」」市村勲(「大衆文芸」68巻1号)。詩=「生かされて」牧野徑太郎(「新現実」95号/荒川区)、「憂国の士と市民運動家」いわた としこ(「京浜文学」11号/横浜市)、「小田実さんの思い出」加藤万里(「象」59号/名古屋市)、「泥んこ」菊田均(「鳥」13号/さいたま市)
記念号・創刊号等=「アララギ」「新アララギ」通巻百年記念号、「九州文学」新創刊(中間市)、歌誌「弦」創刊(富山市)。追悼=堀畑妙子(「青磁」24号/福井市)、畠中哲夫(「東京四季」93号/八王子市)、藤井田鶴子・笠置八千代(「婦人文芸」84号/品川区)。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめ)。

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2008年2月 6日 (水)

柳美里さんの幼児虐待告白ブログ

「息子ひっぱたき、学校休ませた」 作家柳美里がブログで「告白」

私小説で売ると、小説にするために行動をするようになるか、このような曖昧なポジションで、話題性をまず作っておいて作品に反映させるのではないだろうか。

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2008年2月 4日 (月)

貴志祐介さん。『新世界より』読者へのコメント

1997年『黒い家』で第4回日本ホラー小説大賞、2005年『硝子のハ ンマー』で日本推理作家協会賞長編賞を受賞。『十三番目の人格――ISOLA』『黒い家』『青の炎』が映画化されるなどの貴志祐介さん。3年半ぶり書き下ろし長編小説『新世界より(上)(下)』発売にあたり、講談社「ミステリーの館」読者のためにコメント。

 構想二十五年と謳っているのはけっして誇張ではなく、一番最初にアイデア の原型を思いついてからは、三十年近くたっています。まず、120枚ほど の短編で某コンテストに応募し、さらに700枚ほどの長編を起こしました
 が、いずれも、あまりに壮大なテーマの壁に跳ね返され、ものになりません でした。前作『硝子のハンマー』の脱稿後、最後の挑戦が始まり、途中何度 も煮詰まって頭が爆発しかけましたが、ようやく、ここに完成しました。こ の物語だけは、書かずに死ねるかという思いでした。かつてハラハラドキド キしながら読んだ、黄金時代のSFをイメージして書きました。冒険、ファ ンタジー、ホラー、成長小説など、様々な要素が膨らみ、最終的に1760
 枚を超える過去最長の作品となりましたが、一気読みのエンターテインメン トに仕上がったという自負があります。SFファンも、あまり読んだことが ないという方も、変貌した千年後の世界で、ひととき現実を忘れていただけ
 れば、作者冥利に尽きるというものです。<貴志祐介>

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2008年2月 3日 (日)

多摩川河川敷ホームレス「税金?そんなの関係ねえ」とはいえ雪の日は寒いだろう

優雅で自由な一風景。多摩川河川敷ホームレスと都鳥

多摩川河川敷は、寒い時は寒い。「雪女」という怪談は、昔、多摩川河川敷に避難小屋があって、そこで夜を過ごした釣り人が見た幻影だったろう、という説もある。

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2008年2月 2日 (土)

中国製ギョーザ]「穴」報道で日本中傷 中国のネット上で

 こんな記事が出ている。中国人は、反日教育を受けているので。100年や200年くらいのスパンでその影響がありると見ればいい、当然である。また、他国への怨みつらみを国家ポリシーに掲げる国は、放っておいても自己崩壊するので、心配することはない。中東の壊滅的混乱を見れば、わかることだ。私バカボンは、中国、朝鮮半島への脅威論をとくとくと述べる評論家の声を聞くと笑ってしまうよ。歴史観のない人々だ。3000年の体質が高々、60年で変わると思うのか。ロシア、中国と朝鮮半島は共通した大陸体質をもつ。つかず離れずの付き合いが、適切だろう。
 そもそも、他国の人件費が安いからといっても、それはその国の人民の貧しさの犠牲によるものだ。そこにつけこんで、安物を食おうという日本人の精神が貧困なのである。生協は日本の農家が心をこめて作った、作物を高くとも生産を依頼し、購入する共同組合を作るべきなのだ。社会的なポリシーのない生協は、だだの悪徳スーパーに過ぎない。

[毎日新聞(08年02月01日)
 【北京・堀信一郎】兵庫県でギョーザ包装紙に穴が開き、「メタミドホス」が注入された可能性があると日本で報じられたことについて、中国のネット社会では1日夕から「悪意のある日本人の犯行」など日本批判の書き込みが始まった。情報閉鎖社会の中国では、書き込みが「世論」となって独り歩きすることもある。中国のネット上で再び「反日」が広まる恐れもある。
 若者に人気のポータルサイト「QQ」では「日本の警察が袋に穴が開いていたと発表」と日本のニュースが紹介された後、日本人を非難する書き込みが相次いだ。
 ポータルサイト「捜狐(SOHU)」には、包装紙に穴が開いていたというニュースが昼過ぎに掲載された。すぐに「このニュースを載せ続けてほしい」という書き込みがあり、関心の高さを示した。「日本のマスコミが謝罪するかどうかを観察しよう」という書き込みもあった。


 一方で「推測だけで話しても仕方ない。真相がはっきりしてから討論すべきだ」と過激な意見を戒める書き込みもあった。

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2008年2月 1日 (金)

同人誌「孤帆」12号(東京都)作品紹介

【「ドレイ・アッフェン」奥端秀彰】
東京のホテルで働く若者のその仕事ぶりと、環境を描いている。安ホテルらしいが、外国人も少なくない。主人公の屈辱的感情へこだわりが、こだわるためのこだわりで、物語の味付けにしているような書き方。ホテルの内の出来事が、異国の出来事のように見えて、面白い。都会に働く人間の窒息感との戦いが色濃く描かれている。
【「影の微笑」北村順子】
主人公の礼子は、事務機メーカの支店に勤めて25年。最近まで母親の介護をして暮らしていたが、その母も亡くなる。古い住み慣れた団地は、高齢化がすすむ。同じ団地で一人暮らしをしていたらしい絵沢さんという82歳の老女は、出かけたきり行方不明になって、福祉担当者がさがしている。ある日、灯りの見えない絵沢さんのところの窓に光がともる。彼女が戻ってきたのかと行って見ると、彼女と40年来の付き合いだという80歳の女性が留巣を守って、入りこんでいたのだった。よく話を聞くと、礼子がラジオの投書を読む番組を好きで聴いていたが、そのなかの味わいのある投書の主は、江沢さんとその友人とが、相談して物語を作って投書し、放送されるのを楽しみにしていたという。日常生活の小説として、じつに面白い。礼子の母親を亡くした喪失感に映る人生の悲哀や温かみがしみじみと伝わってくる。出来事がありそうでありながら、小説的なのが惹きつけて読ませるものになっている。
【「いつも誰かが見ている」塚田遼】
 高校生の頃からの生活のなかで、破目を外しそうになると、誰かの視線を感じて、やりすぎを避けることが出来ている。社会人になっても、誰かが見ていると感じることで、破滅寸前のところで思いとどまる。そうした出来事が繰り返され、郷里に戻ったときに、母親から自分の出生の秘密を知らされ、いつも自分を見ていたのが誰かがわかるという物語。オカルトミステリー風な味わいがあって、とても面白い。特に、誰でも体験せざるを得ない、また起こしやすいミス、魔がさすような危ない縁を渡ることが少なくない。その状況設定が実に巧みで、効果を上げている。自分もいつも誰かに見られているのかも?と思えて楽しい味わいがある。
【「わたしのいた時間」淘山竜子】
 晴子という若い女性の仕事と男女の肌の手触りの伝わる交流関係を緻密に描く。ある時は、気分の流れにまかせて、しかし大志や冒険にかかわることのない女性像をリアルに描く。現代の風俗の描写として、見事な表現力をもつ。しかし、その先の展望が見えない。もっとも、それが現代人の姿でもあるのかもしれない。作中の人物よりも、作者が小説に傾ける情熱を感じ、読者として、それを受け止めることのほうが小説より面白いというのは、ある意味で困ったものがある。


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