「婦人文芸」(東京)84号・作品紹介(2)
【「夜の足音―パリ、サンドニ通り二九四」麻井さほ】
現在はパリに住む由希という女性の47歳頃の話。まず、それ以前の過去のいきさつから話が始まる。身持ちが悪くヤマ師らしい男を父親もち、母親は彼女が5歳の頃に自死し、その後は父親に引き取られる。幼少期に、母親の自殺未遂を見せられてきたことが、彼女の精神に暗い翳を刻み込んだ様子である。その後、パリに住んで、24歳になった頃、絵を描くようになった由希の作品を買った女性いた。
スイスの大学で日本文化の教授をしているマダム・ブランである。彼女を通してであろうか、日系のユミコ・アナベルという47歳頃のスイス人女性と出会う。アナベルも暗い過去があるらしく、由希との同棲し、平穏さと愛情の溢れた期間をもつ。
共に添い寝をするほどの愛情の交流があるが、性的なものを超えて、孤独を共感しあう人間の肌の触れ合いを描く。前半のもたつきも、それが後半になって伏線としていかされ、微妙で描きがたい人間の孤独を文学的味わいで見事に表現している。
【「知っている」淘山竜子】
主人公「僕」の母親は洋裁教室をしていたが、50代の若さで癌で亡くなる。母親は、生前に《僕》がどれだけ母親似であるか列挙して強調する。《僕》が父親に似ているところは何処?と聞くと、余りないようなことを言われる。しかし、成長するにつれ自分の風貌が父親に似てきていることを感じる。こうして、主人公は、自分の出生に秘密があることを感じる。
60歳を過ぎた父親は、短歌の会に入り若い女性ナツコと関係もって晩年の人生を充実させている。ところが、なくなった母親は、手紙をたくさん書き残していて、洋裁教室の生徒であった垣田という女性に、命日になったら毎年《僕》宛に発送するように頼まれている。僕は、垣田さんを突き止め、会う。同時に、父親に連れられて家に来たナツコを見たことで、彼女に惹かれ、家を突き止め関係をもつ。主人公が、父親の血筋なのか、母親の血筋なのかわからないまま、父親がその出生の秘密を話そうとすると《僕》は、「もう知っているよ」というと、「ああそうか」といって、事情をはなさない。父親への反抗心を高める。そのため読者の自分には、主人公がどちらの子供なのか、わからずに終わる。現在の両親による通常の息子とも解釈できる。読みやすく面白く、細部の描写の巧みさで、読ませる。ただ、意図はよくわからないところがあったが、独特の文章感覚が出ていて、途中経過を読ませる点で秀でたものがある。文章をさらに柔らかくさせ、感覚的に気取りを付加強調する方向に行けば、いよいよ個性的なものが期待できそう。
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