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2007年12月30日 (日)

文芸時評「新年号各誌から」沼野充義

(東京新聞12月26日)《対象作品》
「新潮」=「独創2008創作特集」、「特別付録CD古川日出男選・朗読『日本現代名詩選』」。木谷有希子「グ、ア、ム」=演劇的で快調な筆の運び。中原昌也「忌まわしき湖の畔で」=書く無意味さ事故言及。
「群像」特集「いのち」。河野多恵子「いのち贈られ」=異母妹の病死/原田康子「五月晴朗」=末期癌の夫/岡松和夫「朋友」=同級生の急病死/横田創「いまは夜である」=忘年会後の若者たちの雑魚寝/前田司郎「嫌な話」=偶然引き起こされた交通事故死/中山智幸「平坦な町」=拾われたうなぎ/朝比奈あすか「天使の輪」=妊娠。
中原昌也「新売春組織『割れ目』(群像)/同「誰も映っていない」(すばる)/同「事態は悪化する」(文学界)/山城むつみ「改行の可・不可」(新潮)。

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2007年12月27日 (木)

「バカ市長」で新潮社に20万円支払い命令

 飲酒運転した職員の処分を巡り、週刊新潮が「バカ市長」と題する記事を掲載したのは名誉棄損にあたるとして、滋賀県彦根市の獅山向洋(ししやま・こうよう)市長が発行元の新潮社(東京都)に慰謝料など約2200万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は26日、1審・大津地裁判決を変更し、同社に慰謝料20万円の支払いを命じた。横田勝年裁判長は「全人格を否定したもので、論評の範囲を逸脱している」と指摘した。

 判決によると、元検事で弁護士の獅山市長は昨年10月の定例記者会見で、自己に不利益な供述の強要を禁じている憲法38条を根拠に、「公務員にだけ公務外の飲酒運転について報告義務を求めるのは職業差別」と発言。週刊新潮は昨年11月9日号の記事の中で「『バカにつける薬』は未だ、発見されていない」などと批判した。

 大津地裁は今年7月、「いささか侮べつ的で品位を欠くが、意見や論評の域を逸脱したとは言えない」として、請求を棄却した。【川辺康広】

 ▽獅山向洋・彦根市長の話 大津地裁は敗訴で0点だが、今回は20点。これだけの事をやりながら20万円の慰謝料で済むなら、悪しき前例になる心配がある。

 ▽週刊新潮編集部の話 常識では考えられない判決なので、即刻上告する。

(:12月26日、毎日新聞)

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 詩の紹介 「 故郷 」 作者 劉心心 

 (紹介者 江 素瑛)
 これは植民地の哀歌である。植民地の「祖国」は、統治者が変われば変わる。近世紀には台湾は、日本、中国の統治を経て、実質中、現在はアメリカの傘下で、台湾人総統が執政しても、多数の若者が海外移民などをめざす。

 どうしてお前の故郷は/ 何時も海の向こうでなければならないのだろう!と嘆いた作者。
 しかし、最近の傾向は、当時の若者の子供たち、即ち、海外の二世たちが、台湾へ回帰することが多いようだ。「祖国」に対する認識がたかまってきているのであろう。

  故郷    劉心心

  半世紀以前のある日/ 学校の先生が生徒に言いました/ 「今日からお前たちは皆日本人だ/ 北の方、東海の向こう/ 天皇陛下のおわす『内地』が/お前たちの忠誠を尽くすべき国家」  

  四十年前のある日/ 学校の先生が学生に言いました/ 「今日からお前たちは皆中国人だ/ 西の方、台湾海峡の向こう 中国大陸が/お前たちの愛する祖国」

 二十年前の学生たちは、友達に言いました。/「東の方、太平洋の向こうに広大な土地がある/皆一緒に移住しよう。 皆でアメリカ人になるんだ/ 我々のドリームはアメリカにある」

 今の大人たちは/ 自分のアメリカの子どもたちに言いました/ 「太平洋の向こうの/ 小さな小さな海島/ 緑濃き山々 清らかな流れ 淳朴な人々/ あそこがお前たちの故郷/ 我々の真の国土なのだ」/ 暖かい母親のふところよ/ 赤子のゆりかごよ

 ふところは何処に?/ゆりかごは?

寂しい台湾人よ!/流浪の台湾人よ!/ どうしてお前の故郷は/ 何時も海の向こうでなければならないのだろう!

 「愛する日本の孫たちへ」より(聞き手 猪股るー) 桜の花出版/発売 星雲社       
2007年4月

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2007年12月26日 (水)

07年文学回顧「6氏が選んだベスト3」(読売新聞)

○石原千秋(早稲田大学教授)
諏訪哲史「アサッテの人」(群像6月号)/玄月「眷族」(群像7月号)/墨谷渉「パワー系181」(すばる11月号)。

○加藤典洋(文芸評論家)
大江健三郎「臈たしアナベル・リィ総毛立ちつ身まかりつ」(新潮社)/松浦理英子「犬身」(朝日新聞社)/川上未映子「乳と卵」(文学界12月号)。

○川村二郎(文芸評論家)
佐伯一麦「ノルゲ Norge」(講談社)/松浦理英子「犬身」/大江健三郎「臈たしアナベル・リィ総毛立ちつ身まかりつ」。

○川村湊(文芸評論家)
桜庭一樹「私の男」(文芸春秋)/松浦理英子「犬身」/吉田修一「悪人」(朝日新聞社)。

○辻原登(作家)
吉田修一「悪人」/松浦理英子「犬身」/佐伯一麦「ノルゲ Norge」。

○沼野充義(東京大学教授)
富岡多恵子「湖の南」(新潮社)/松浦寿輝「川の光」(中央公論新社)/大江健三郎「臈たしアナベル・リィ総毛立ちつ身まかりつ」。
(読売新聞07年12月18日)

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2007年12月25日 (火)

作品紹介・同人誌「胡壷・KOKO」第6号(福岡県)

【「最後の夏」桑村勝士】
高校生の剣道部員。男子生徒の卒業前の全国大会に出場するまでの物語。体育系の部活中心主義の生活と意識が臨場感をもって表現されていて、登場人物の展開するドラマを楽しめる。この作者は、筆致に緊張感があり、その味わいが読者を物語にひきつけて興味をそらさない。
緊張した場面はもちろんであるが、それだけでなく、どの場面においても読者を引き込むテンションを持続しており、それが大いなる長所であることを実感させる。

【「像のテラス」ひわきゆりこ】
私の体験する人間関係を描く。ユウコという見知らぬ少女との出会い、サトルという恋人との出会いと別れ、アルバイトの勤務先の雑貨店の女経営者の店じまいする姿、それらはかなり希薄な関係でしかない。私という人間の粘っこさのない性格ゆえに、どろどろねちねちとした関係になりえないところに、常識の範囲での軽みと爽やかさが漂う。これも現代人のひとつの姿ではある。ただし、その代償として風になびく葦のような頼りない人間関係に寂しさが伴うことを示している。クレバーなライフスタイルの陰に、情熱を注ぐことに対するリスクヘッジをもつ侘しさを提示する。しみじみとした味わいが感じられた。

【「水の音」納富泰子】
 主人公の秋江は、両親の亡き後、実家で年下の夫と暮らしていたが、子供がなく、そのため夫は子供の産める女性と結婚さるため、彼女を捨てて去ってゆく。残されたのは、家族となった飼犬のリュウである。生活は親の資産で十分であるが、夫は幾ばくかの慰謝料を律儀に振り込んでくる。音大を出ている秋江は、自宅で歌のレッスン教室をしていたが、離婚後、気鬱のためやめていた。そのうちに、知り合いから頼まれて舜美という若い女性を引受ける。彼女は風水を習っていて、秋江の家に起こる霊現象の預言をしたり解説も行ったりする。
 なんといっても読み応えのあるのは、飼犬リュウの老衰し、足が動かせなくなったのを帯で吊り上げ支えて、その最期までの散歩と介護をする過程である。まさに生を支えるための戦いである。犬も飼い主も、いずれは死ぬ身であるが、そこまでの過ごし方がいかに重要かを示して見える。ここでの文体は泉から湧き出る水のように透明である。読者の喉を潤す。
 
人生は、いつも前向きで明るく過ごし、読み物は面白くてはならなない。たしかに、そうなのであろう。面白おかしくない本は売れない。愉快に暮らせない人生なんて意味がない。しかし、人生はそれほど面白いことばかりではない。本当は、つまらないものなのかもしれない。ほんとうに人生のすべてが面白く楽しいものであるなら、本誌に評論のあるようなグリム童話のようなものを、人は読んで過ごす必要はない。つまらない人生の彩りに童話が残ってきているのだ。面白くもない黄昏のなかに、ちょっとした光があれば生きられる。そんなことを考えさせる本誌第6号である。

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2007年12月24日 (月)

同人誌作品紹介・「奏」第15号(静岡市)07年冬号

【「アンダー・コンストラクション」小森新】
 ネットのメールを使っての交流相手に、物語をするという形式をとる独白小説。
 メールでの交流は、お互いに正体を確定することができない。メル友のみの交流関係は、リアルなものかヴァーチャルなものかは不明である。そこに述べられるものが、事実であるかそうでないかは判然としない。ここでは、to ryoではじまりfrom ynohpで締めくくられる独白が発信される。
 彼ynohpは、Pという友人のことを語る。Pは、原因究明の難しい難病にかかっている。ある期間はその病の進行に猶予が生じるという状態にある時期のPの出来事が主に語られる。Pは、作中にもあるが、すでに運命的に青褪めた馬(死)に乗っているという・・・。このようにストーリーを追っても、この作品表現の本質に近寄ることはないのだが、終章のところで、ryoが死の病に直面したPという友人というのは、語り手のynohp自身ではないのかという問いかけをしたという設定で、実はynohpは逆に並べるとphonyとなり偽者を意味することを指し示していく。
 そうなることによって、一人の人間がトリプルの人格となって物語を構成している、という見方もできる。非リアリズムの世界での、人間の存在意識を追究するのに、ちょっと洒落たスタイルにしてみようという意図も読めるような気がする。

 人間は常に死と隣り合わせにあることを意識する存在で、そこに傾斜した実存的な思索と思弁を主体にした小説になっている。ここで語られる青年Pは、生まれてしばらくして、自分が難病にかかっていることを知る。いわゆる、環境と状況に制約のある存在である。その状況からいかに主体的に人間的自由を求めていくかの過程を描く。
 いや、描こうとしているように見える。P青年が難病であることに自己責任はない。よく、○○になるために生まれてきた、と自称する人がいるが、それは何の目的もなく生まれてしまった人間が、その目的の不在に戸惑い、急いで理屈をつけたということでしかない。この「生まれる」という受身の文法すら、そのことを見事に表現している。人間の存在には、いわゆる選択不可能な存在環境が先行する。その決定してしまった環境を受容して、そこから人間的な自由を選択し、いかに自由を獲得してゆくのか、いわゆる選択可能な状況を作り出し、どのような自己実現を作り出すか? そのあたりは、この作品では、思弁を展開するまでには至っていない。まだ、短かすぎて物語に組み込むまでに至らなかったのかもしれない。
 ただ、多くの同人誌の作品が生活リアリズム中心の表現に没頭するなかで、実存意識にそった物語を意識的に創る作業過程を読むのは、ある楽しみがあるものだ。その意味で面白い作品である。

 本号には、そのほか勝呂奏と戸塚学による「井上靖生誕百年・小特集」や、勝呂奏「小川国夫『侵食』ノート」、同「藤枝静男―二つの『空気頭』」という評論がある。井上靖はいくつかの作品を読んでいるが、特に意味づけを考えたことがなく、そうなのか、と思う。小川国夫と藤枝静男に関しては、両人とも文体に独特の引っ掛かる味を持った作家という印象がある。藤枝については、何を読んだか忘れたが、妙にぎこちない文体とある存在感をもたせた風変わりな作風を感じていたような気がする。不可解な自分への自己探求に私小説を超えてしまう手法を編み出していたとは知らなかった。

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2007年12月23日 (日)

小泉今日子が選んだ今年の良書3作

読売新聞の「本よみうり堂」の今年の良書3作で、小泉今日子は次作品を選んだ。
①桐江キミ子「お月さん」(小学館、1300円)
②安東みきえ「頭のうちどころが悪かった熊の話し」(理論社、1500円)
③松浦寿輝「川の光」(中央公論新社、1700円)。
なお、彼女の本よみうり堂の読書委員は、来年も継続するようだ。

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2007年12月13日 (木)

フリーペーパー週刊漫画「コミック・ガンボ」が休刊

 首都圏の駅などで無料配布されている週刊漫画雑誌「コミック・ガンボ」が11日発行の第48号で休刊したことが分かった。
 同誌は出版ベンチャー企業のデジマが今年1月、広告などで利益を得るフリーペーパーの漫画版として約10万部で創刊。
 江川達也さん、村上もとかさんらの作品を掲載してきた。
(07年12月11日読売新聞)

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2007年12月11日 (火)

「文學界」08年新年号「同人雑誌評」担当・松本徹氏

《対象作品》
「ねずみ」井口恵之(「秋田文学」16号/秋田市)、「泣いた赤鬼」竹井律生、「消えない灯」秋森実耀子(以上「雑記囃子」5号/伊丹市)、「光の向こうに」野元正、「夏の終わりに」はぎわらようこ(以上「八月の群れ」48号/明石市)、「『カフェ・カキ』」斎藤史子、「籠り処」刀禰喜美子、「臍の緒、五つ」畑裕子(以上「奇蹟」60号/交野市)、「義弟」有間やす子(「新松柏」20号/柏市)、「背後霊」明石善之助、「犬も歩けば棒に当たる」青海静雄(「午前」82号/福岡市)、「カオル」塚越淑行(「まくた」257号/横浜市)、「穴に落ちた男」諸山立、「八時間の新婚旅行」三宅陽介(以上「まがね」46号/倉敷市)、「蛙鳥」大森盛和(「星の広場」2号/金沢市)、「音の話」衛門せろ、「海螢」秦健一郎(以上「嵐」6号/千葉市)、「お刺身と物置」浜崎勢津子(「文芸山口」275号/山口市)、「揺れる橋」難波田節子、「林檎の木」山本文月(以上「河」142号/東京都)、「惑いながら」南綾子、「誰そ、彼れ」大黒恵子(以上「素粒」5号/富山市)、「口笛少年」岩代明子(「ignea」創刊号/東大阪市)、「スカートの思い出」片山峰子(「岡山文芸」97号/総社市)、「別れ」定道明(「青磁」24号/福井市)、「昴」名賀雄造(「江別文学」70号/江別市)、「『再生国』にて―埴谷雄高へのオマージュ」水沢葉子(「はにや…」創刊号/福島市)、「リナムの花」和田信子、「遺言状」松本文代(以上「南風」22号/福岡市)、「浴衣」田中聖海(「冥王星」10号/函館市)、「蘇生の旅」図子英雄(「原点」95号/松山市)、「渓(たに)からの声」佐々木国広(「たまゆら」68号/東近江市)、「お喜與の場合―少女時代―」原あやめ(「峠」53号/名古屋市)、「神隠し」増岡康毅、「わが桶狭間」田部浩二(以上「九州文学」56号/佐賀市)、「蚊帳吊り草」中川芳子(「VIKING」681号/茨木市)、「風ひかる樹」黒川嘉正(「詩と眞實」701号/熊本市)
ベスト5は、「ねずみ」井口恵之、「『カフェ・カキ』」斎藤史子、「お刺身と物置」浜崎勢津子、「背後霊」明石善之助、「口笛少年」岩代明子。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年12月10日 (月)

「図書新聞」07年12月15日「同人誌時評」福田信夫氏

《対象作品》
「絵島夢幻」遠野美地子(「別冊 文学街」241号/杉並区)、「気になる詩人―尼崎安四―」馬渡憲三郎、「神西清日記 幻の『小野物語』」神西敦子(以上「群系」20号「<総力特集>昭和のあゆみ」/江東区)、「蜂男」杉山夏太郎、「爛れた月(第四部)―大連にて暴動の嵐―」山田賢二、「続『ルーキー作家のメモ帳』」香椎羊雪、「続シベリヤ捕虜の思想戦」吉田幸平(「文芸長良」16号/岐阜市)、「小笠原克書誌(1)」吉井よう子(「季節」4号/札幌市)、「吉田一穂さんのこと 1俳句伝授」福田美鈴(「焔」76号/横浜市)、「アルカ・ポエティカ」河底尚吾(「詩界」251号/新宿区)、「山川亮蔵寸描」山崎実(「落下傘」63号/笠間市)、「イグネア」創刊号/東大阪市、向井豊昭個人誌「Mortos」創刊号/西東京市。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年12月 9日 (日)

「週間 読書人」07年12月14日「文芸同人誌評」白川正芳氏

《対象作品》「錆びる」愛龍(「コスモス文学」11月号)、「青の旅人」燈山文久(「民主文学」11月号)、「老い」野々山一夫(「文芸シャトル」60号)、「大阪 京都そして神戸」島尾伸三(「タクラマカン」42号)、「犬の悩み」森田晴美(「雲」10月号)、「愛妻物語」原石寛(「文学街」二四二号)、「夏の終わりに」はぎわらようこ(「八月の群れ」48号)、「忘れられた歌」藤陰道子(「風の道」創刊号」)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめ)

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2007年12月 8日 (土)

詩人・秋山清をしのぶ「第19回コスモス忌」が開催される


8日(土)にいわゆる詩人アナーキスト秋山清の「コスモス忌」の集いが東京・八丁堀のマツダ八重洲通ビルで開催された。その同時代及び後輩など関係者と詩人たち約100人近い人々が参集した。ぱる出版「秋山清著作集」の全集刊行がなされ、今年「現代詩手帳」10月号では、「秋山清再検討―抵抗とはなにか」の特集が組まれている。
司会は詩誌「騒」の編集者・暮尾淳氏。詩人・西杉夫氏が「秋山清とプロレタリア詩」というテーマで、講話をされた。秋山清が仲間たちと弾圧を受けるなかで書いた詩作品には,
一種の緊張感があって優れていると感じることや、プロレタリアの抵抗詩を書いた時期の短い事、戦後のなかで写実的な作風で優れているものを書いたが、やはり戦前戦中に書いた作品が一番すぐれているのではないか、というような内容だった。
自由を得て解放された時代に入ると、作風が変わり、方向性が散漫になるのは、なにも秋山清だけの傾向ではなく、文学そのものもつ社会的文化的性格にもいえることで、その点で詩人・秋山清は文学に忠実であったことで、その宿命に殉じたのではないだろうか。いろいろ考えさせるものがあった。

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同人誌「孤愁」第2号(横浜市)

【「林檎の実が熟す頃」豊田一郎】
作者は全作家協会の豊田一郎会長。一人同人誌の2号で本作品のみ掲載の雑誌である。小説は、古代の国家的な形を取り始めたころの共同体における人間模様を描いている。作者のあとがきによると、前作「黒潮に浮かぶ島」「遥かなる日の女神たち」に続く三部作で、混乱と闘争を描いた作品を執筆した後、調和を求める作品が欲しくなりこのシリーズを書いたとある。
 ギリシャ神話を読みそこから調和への発想を得たという。ギリシャ社会というのは、家族的社会と政治的社会との区別がはっきりせず、労働と仕事の区別も明確でない。そこからあのような人間的な神話が生まれたわけである。哲学者が多く存在するが、彼らの生活を支えた筈の奴隷の存在に重きを置かない独特の社会である。都市国家内だけの自由を自由とした特異な社会はある意味で魅力的であるが、それは現代では存在し得ない社会であり、作者はそこにロマンをみたのであろうか。

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2007年12月 2日 (日)

11月文芸時評(東京新聞)沼野充義氏

《対象作品》村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)/文学界新人賞受賞作・楊逸(ヤン・イー)「ワンちゃん」(文学界)/田中慎弥「切れた鎖」(新潮)/新元良一「トマト」(すばる)。(11月28日付)。

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11月文芸時評(毎日新聞)川村湊氏

《対象作品》栗田有起「しろとちどり」(新潮)/文学界新人賞受賞作・楊逸(ヤン・イー)「ワンちゃん」(文学界)/同人雑誌優秀作・朝比奈敦「国境(はて)」(文学界)/田中慎弥「切れた鎖」(新潮)/川上未映子「乳と卵」(文学界)。(11月26日付)
《注目の一冊》「佐藤泰志作品集」(クレイン)。

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2007年12月 1日 (土)

三島由紀夫のメモ発見「あうるすぽっと」で一般公開

三島(本名・平岡公威)が使っていた教科書(右)にはさまれていたメモ 三島由紀夫(1925~70)最後の小説「豊饒(ほうじょう)の海」4部作の第1部の題名「春の雪」と、主人公の姓「松枝(まつがえ)」が、三島自身が10代に書き写した古い歌謡にそのまま出ていることが分かった。

 発見されたのは、三島が学習院高等科1年で使っていた教科書「東洋史概説」にはさんであった、半紙に書かれたメモ。薄い鉛筆書きの達筆な文字で、「松がえかざしにさしつれば/はるのゆきこそふりかゝれ」とあった。歌詞の原典は、平安末期に後白河上皇が著した芸能論「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)口伝集」にあり、該当部分は「梅が枝挿頭に挿しつれば/春の雪こそ降りかかれ」となっており、三島は「梅」の部分を「松」と表記していた。

 「松枝清顕」は、三島の思想の根幹にあった「輪廻転生」を体現する存在で、美貌(びぼう)の令嬢との禁断の恋に生命を懸け、夭逝(ようせい)する。

 東京の古書店が所有する三島の蔵書からメモを見つけた電気通信大学の島内景二教授(国文学)は「三島はこの歌を暗記し、愛唱していたと思うが、美意識に従って本文を変えていた可能性が高い。松の緑の永遠と春の雪の滅びは三島文学のテーマで、若いころの古典、うたへの傾倒に、最後の作品の種子がすでにあったことが見て取れる」と話す。

 この資料や、なぞなぞ、こばなしなどを雑誌から抜き書きした学習院初等科時代の手製の冊子「IRO・IRO」などが、12月5日から16日まで、東京・東池袋の「あうるすぽっと」で一般公開される。
(07年11月26日 読売新聞)

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