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2007年12月24日 (月)

同人誌作品紹介・「奏」第15号(静岡市)07年冬号

【「アンダー・コンストラクション」小森新】
 ネットのメールを使っての交流相手に、物語をするという形式をとる独白小説。
 メールでの交流は、お互いに正体を確定することができない。メル友のみの交流関係は、リアルなものかヴァーチャルなものかは不明である。そこに述べられるものが、事実であるかそうでないかは判然としない。ここでは、to ryoではじまりfrom ynohpで締めくくられる独白が発信される。
 彼ynohpは、Pという友人のことを語る。Pは、原因究明の難しい難病にかかっている。ある期間はその病の進行に猶予が生じるという状態にある時期のPの出来事が主に語られる。Pは、作中にもあるが、すでに運命的に青褪めた馬(死)に乗っているという・・・。このようにストーリーを追っても、この作品表現の本質に近寄ることはないのだが、終章のところで、ryoが死の病に直面したPという友人というのは、語り手のynohp自身ではないのかという問いかけをしたという設定で、実はynohpは逆に並べるとphonyとなり偽者を意味することを指し示していく。
 そうなることによって、一人の人間がトリプルの人格となって物語を構成している、という見方もできる。非リアリズムの世界での、人間の存在意識を追究するのに、ちょっと洒落たスタイルにしてみようという意図も読めるような気がする。

 人間は常に死と隣り合わせにあることを意識する存在で、そこに傾斜した実存的な思索と思弁を主体にした小説になっている。ここで語られる青年Pは、生まれてしばらくして、自分が難病にかかっていることを知る。いわゆる、環境と状況に制約のある存在である。その状況からいかに主体的に人間的自由を求めていくかの過程を描く。
 いや、描こうとしているように見える。P青年が難病であることに自己責任はない。よく、○○になるために生まれてきた、と自称する人がいるが、それは何の目的もなく生まれてしまった人間が、その目的の不在に戸惑い、急いで理屈をつけたということでしかない。この「生まれる」という受身の文法すら、そのことを見事に表現している。人間の存在には、いわゆる選択不可能な存在環境が先行する。その決定してしまった環境を受容して、そこから人間的な自由を選択し、いかに自由を獲得してゆくのか、いわゆる選択可能な状況を作り出し、どのような自己実現を作り出すか? そのあたりは、この作品では、思弁を展開するまでには至っていない。まだ、短かすぎて物語に組み込むまでに至らなかったのかもしれない。
 ただ、多くの同人誌の作品が生活リアリズム中心の表現に没頭するなかで、実存意識にそった物語を意識的に創る作業過程を読むのは、ある楽しみがあるものだ。その意味で面白い作品である。

 本号には、そのほか勝呂奏と戸塚学による「井上靖生誕百年・小特集」や、勝呂奏「小川国夫『侵食』ノート」、同「藤枝静男―二つの『空気頭』」という評論がある。井上靖はいくつかの作品を読んでいるが、特に意味づけを考えたことがなく、そうなのか、と思う。小川国夫と藤枝静男に関しては、両人とも文体に独特の引っ掛かる味を持った作家という印象がある。藤枝については、何を読んだか忘れたが、妙にぎこちない文体とある存在感をもたせた風変わりな作風を感じていたような気がする。不可解な自分への自己探求に私小説を超えてしまう手法を編み出していたとは知らなかった。

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