(筆者=中村治幸氏)
【小説「蝶の来る庭」大森恭子】
読み進むうちに終戦直後、焼け跡になった東京で夫の復員を待っていた雪江の前作からずいぶん歳月が経ったのだな、とわかった。
雪江はちょっとしたつまずきからいまはベッドの暮らしを余儀なくしている。息子の帰一が出張のためヘルパーさんを頼んでくれた。そうして来たヘルパーの女性が大野喜美子で、雪江は終戦の年、一時的に預かった浮浪児のキミ子のことを思い出し、喜美子の語ることのひとつひとつに昔のことと符号の合っていくのを発見していく。その過程はどきどきわくわくさせられる。
── “言うまい ”と雪江は心に言いきかせた。喜美子が知って幸せになる話ではなかった。向島の母になった人があの世まで持って行った秘密は決して言ってはいけない。生きていた、めぐり逢えたこの幸運を喜んでいよう。 という場面に胸が熱くなった。
【遥かなる遠い道 Ⅳ】行雲流水】
今回は台風から始まり、実家の兄弟、会社幹部間の軋轢があり、その人間模様を納得させるような描写力に読ませられた。
輝子が潔宅に家賃を上げてもらいに行こうと外に出ると「いつの間に降り始めたのか、漆黒の闇夜をついて横殴りの雨が激しく音をたてている。輝子はその勢いにたじろいだ」という情景が目に浮かぶ。
正月に輝子が実家に招ばれて行きそこで喧嘩になってしまう。
こうした迫力ある挿話のひとつひとつに惹かれて読み、今後の展開が楽しみだ。
【紀行文「ローカル線に乗り継いでー岩泉線と大船渡線」矢野俊彦】
はやて九号に乗るまえ、東京駅ホームにいてJRの東京電力区に勤めていたころの回想に、そこで仕事をしていた者としての誇りを感じて、すがすがしかった。
「茂市(もいち)──岩井和井内間は、昭和十七年六月開業、岩泉までは昭和四十七年二月の開通である」この歳月の隔たりに開通までの困難を思った。さらに三、四行してから、
「家の軒下に薪が積まれている。燃料に石油より木材のほうが手軽に手に入る土地柄であろう。家の周りに薪を保存しているのは、かっての農村では、普通の光景であったが今はそれすら珍しい。産油国でない日本なのにと」
この指摘がするどいと感心した。
岩泉駅待合室のノートの内容に、廃線にならぬよう願う気持ちがあり、それを作品に取り上げる作者に旅を愛する気持ちを感じた。
だから作品に旅情がにじんでいるのであろう。
【「益子にて──本物との出会いの旅」木下隆】
作者は益子焼の茶碗を「もう十年来の友、我が家の毎日の茶の時間に欠かせないものになっている」という気に入りようだ。
またSLについては「夜汽車の汽笛と粗悪な石炭(中略)戦中、戦後の厳しい生活体験と直結したものでなければ、SLの本当の醍醐味はわからない」という。益子焼もSLも生活に根ざしたものに本物があるという作者の主張にはうなずける。
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