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2007年11月30日 (金)

11月文芸時評(朝日新聞)加藤典洋氏

《対象作品》文学界新人賞受賞作・楊逸(ヤン・イー)「ワンちゃん」(文学界)/川上未映子「乳と卵」(文学界)/森内俊雄「火星巡暦」(新潮)/曽野綾子「月光と消失」(すばる)/田中慎弥「切れた鎖」(新潮)/栗田有起「しろとりどり」(新潮)/高瀬ちひろ「ムジカ」(すばる)/辺見庸「たんぱ色の覚書」「ミルバーグ公園の赤いベンチベンチで」(毎日新聞社)/橋本治「双調平家物語」(中央公論新社)/同・研究編「双調平家物語ノートⅠ」/同「権力の日本人」(講談社)。(11月28日付け朝刊)。

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2007年11月27日 (火)

季刊「農民文学」279号(群馬県)作品紹介

【「彼岸獅子舞の村」前田新】
主人公・津村惣一の村は50戸のうち農家は40戸を数えるが、専業農家は3戸だけになっている。その専業農家以外はすべてが2種兼業の農家となり、農地を手放して農家で亡くなった者が5戸、老齢と転業で農地を委託した者が13戸、死につぶれの空家が1戸、村を出て空き家になった者が2戸、さらに一人暮らしから施設にはいって空家になっているのが1戸、建屋の数はまだ47戸あるが、80歳を超えた一人暮らし、老夫婦だけの家族、それに施設入り空家などの合計が11戸である。
 村の男たちも、40歳を過ぎてもまだ独身の者が5人、離婚をして現在独りでいる者が4人である。
 このような現実のなかで、村に伝わる伝統芸能「彼岸獅子舞」の行事を行おうとするのだが、その相談の村の総会にも人が集まらず、決定すべきことがあっても決まらない。
 淡淡とした筆致で、過疎化、貧困化し、補助制度で借金漬けになり、自殺者まででる経緯を物語る。
面白いとか、どうかという前に、この日本の現実をつきつけられて、身にしみる作品である。

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2007年11月22日 (木)

村上春樹さん第1回早稲田大学坪内逍遥大賞の授賞式

「貧乏も続かなければいい部分も」坪内大賞の村上春樹さん(07年11月19日、 読売新聞より)

 第1回早稲田大学坪内逍遥大賞の授賞式が19日、東京都新宿区のリーガロイヤルホテル東京で開かれ、作家の村上春樹さん(58)に大賞が贈られた。

 国際的な知名度を誇る村上さんだが、国内で公の場に姿を現すことは極めて珍しく、今年1月の朝日賞贈呈式も欠席していただけに注目を集めた。

 本人の強い希望で、マスコミ関係者の写真撮影や質疑応答は一切禁止の式典だったが、村上さんは「特にマスコミ嫌い、人嫌いではないが、人見知りをするだけです。ありがとうございました」とあいさつ。

 1968年から7年間早大第一文学部に在籍した当時はお金がなく、行く場所といえば文学部の食堂と演博(坪内博士記念演劇博物館)だったという話を披露。「シナリオを書きたかったから演博で古いシナリオを読み、白日夢を見るように自分の映画を頭の中でこしらえた。そのことが、小説家になって役立ったと思う」と語った上で、「貧乏はそういう意味でもいいと思う。あまり長く続くと、どうかと思うけど」と、ウイットをきかせた。

 同賞は、早大創立125周年を記念し、文化芸術活動顕彰のため創設された。

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2007年11月20日 (火)

単行本「槿域の女」田川肇(鶴書院)紹介

 同人誌発表作品の単行本化小説集である。あまり、すいすいと読むことができる文体ではなく作品は、時間をかけてゆっくり読むことを求めているようである。
 副題に「朝鮮半島小説集」とあるが、著者は日本人である。四つの短編かなり、それを読み合わせると、両親が戦前に朝鮮半島に渡り、作者はそこで生まれ、戦後引き上げてきたらしい事情が読み取れる。従って、昭和初期の日本と朝鮮との関係を全人格的に体験したところか生まれたもので、その時代の緊張感をそのまま溶解させずに文体に反映させているところに特徴がある。日本人としての歴史的な加害者意識と自らの故郷意識と朝鮮民族の被害者のはざまで、現代の韓国人との交流を描く。被害者の痛みに敏感に反応し、同化してしまう微妙なところを描くことで、独自の文学的表現を達成している。

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2007年11月19日 (月)

同人誌「獣神」31号(埼玉県)作品紹介

【「石のある風景」澤田よしこ】
戦時中に、農村の医師となった直弘の視点で、村の人々の素朴で平和な生活を描く。戦争の気配を遠くに置くことで、平和な生活を浮き彫りにしている。冒頭の澄んだ川底の描写がすばらしく美しいのが印象的。

【「たんぽぽ」伊藤雄一郎】
栄養士の女性が、末期がんの男の頼みで、男がかつて、恋人でありながら見捨てしまった、女性の墓参を頼まれ、墓に咲いていたタンポポを摘んで帰り男に渡すと男はそれを胸に息を引き取る。ちょっと変わった味の短編。

【「雪に坐る」通雅彦】
昭和30年代の病院勤務の医師の実態が、人間くささを強調した手法で、詳しく描かれ、興味深く面白く読んだ。

【「愛しい人」野田悦基】
皇居を守る皇宮警察官の視線で、老彫刻家とその娘の生活ぶりを描く。闊達な文章で、尾崎士郎の「人生劇場」を読むような面白さである。

【「銀次郎の日記―友人の病気と人の寿命~」青江由紀夫】
 入れ歯と費用と寿命の話から始まり、文学の善し悪しと売れ行きの関係まで、話題は幅広い。石川啄木は死後50年経って短歌や詩が売れるようになったので、自分の詩歌が大勢の人に読まれていることを知らない。そんなことなどを思い起こした。
「獣神」発行所〒埼玉県所沢市上安松1107-4、編集責任者・伊藤雄一郎。

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2007年11月18日 (日)

同人誌「文芸中部」76号(東海市)作品紹介(3)

【「恵太のいる町」藤澤美子】
捨てられた子犬が、放浪し子供達は、拾って飼い犬にしようとするが、それぞれ家庭の事情があって、決めるには時間がかかる。その間に迷い犬なってしまい交通事故に会い大怪我を追う。子犬の運命が、そのまま小さな命の大事さを感情移入して伝わってくる。独特の語り口に味わいがある。不思議な作風の作品。

【「琴霊」蒲生一三】
吉備真備の81歳の晩年の死に至るまでの回想記。

【「インド旅行メモ」川口務】
インドに行くと、カルチャーショックをうけるそうであるが、文化、生活のどこにそのようなものが潜んでいるのか、興味深く読んだ。わかるような部分がある。

【「あるカメラマン」井上武彦】
新聞記者だった主人公が。同僚のカメラマンがいまだに元気で活動していることを知り、そのカメラマンの真摯な仕事への姿勢を語る。生き生きとした人柄がよく描かれている。驚いたのは、当時、赤福の浜田益種社長にあって記事にしており、その時に、赤福の味は伝統的なものと変わっていないのか?という質問をし、社長が言葉につまる場面がある。
 今読むと、意味深だが、消費者意識のジャーナリズムの時代の変化を感じる。もっとも、消費者の意識が変わったのではなく、メディアの姿勢が変わったのだと思うが。

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2007年11月16日 (金)

同人誌「文芸中部」76号(東海市)作品紹介(2)

【「ハイハイ学校」朝岡明美】
待子は50歳代後半か。5年前に分かれた夫の義郎は、いまだに復縁をして欲しくて会いにやってくる。しかし、彼女は、生まれてきた子供が障害をもっていると、姑に彼女の家系を問題にされたことや、交通事故で娘が亡くなってしまったこと。実家の兄の事業がうまくいかなくなると、夫が彼女に実家の債務が及ぶのを恐れ、離婚をしたらどうか、という話を切り出した。それを機に離婚する。女性の所属場所の喪失を描く。独りになると30になる息子が出入りし、元の夫も出入りするような曖昧な生活をしている。そのなかで友人から催眠商法に参加することを教えられ、一時の陶酔感を味わう。地に足がついているのかいないのか、不明な現代人の宙ぶらりんな精神状況を表現したようだ。
 最近、妻が夫への積年の鬱屈に、恨みを爆発させ殺害する事件が報じられている。女性は結婚すべき、夫の家風に従うべき、離婚しても実家に戻れない、そういう環境のなかで、この小説の主人公は、そうした疎外感の高まりを薄めようとする努力をしているのかもしれない。

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2007年11月12日 (月)

同人誌「砂」105号の詩作品寸評(3)

(筆者・矢野俊彦氏)
【「キャバクラ」高橋義和】
 居酒屋でキャバクラに勇さんで出かけていく兄ちゃんを暖かく見送る作者、これは心の余裕か、好運に恵まれることはめったにないと知る、経験者の激励か。
【「公園にて」高橋義和】
 介護する母を連れて、柔らかい五月の風に包まれた公園にやってきた。そこには若い母親たちが子供を遊ばせている。犬を連れて散歩している男性がいる。命の瀬戸際にいる母の車椅子を押す身には、平凡な日常が輝いて見える一時をとらえて示す。
【「病棟にて」高橋義和】
 母を介護する息子の日々を、穏やかに書いているが、どのような葛藤があったことか、葛藤があることか。平穏で安穏な日常が貴重なのだと知らされる。本号の高橋氏の3作品、いずれも作者の筆が暖かいのに救われる。
(注・文芸同人「砂」の会は、会員が全国に散在するために、合評会に参加できない人が多い。そこで、合評会の様子をレポートする他、同人有志が作品寸評を会報に掲載している。11月会報よりの転載したものです)。

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2007年11月11日 (日)

同人誌「砂」105号の詩作品寸評(2)


(筆者・矢野俊彦氏)
【「屋根は古里」北川加奈子】
 眼下に広がる屋根を見続け、古里を偲び、若き日の憧れを思う。屋根の下の暮し、その下で繰り広げられる人生にも思いを馳せ、健やかであれと祈る。作者の諦観と祈りを感じさせる。
【「えび」江 素瑛】
 釣り客から貰ったえびが水槽に増えるばかり、その戸惑いと困惑を書く。少し工夫してユーモラスなものにすれば良かった。
【「縁組」江 素瑛】
 一年生の娘が登校中に拾った子猫を、担任の先生が育ててくれた。その娘もいまや大学生。娘と先生の間に流れた歳月を、猫が繋いでくれている。小久保先生の優しい人柄が伝わる。
【「母今日も生きている」江 素瑛】
 詩というより、病院で母を介護する者の叫びである。安全のためにとベルトで拘束され、安定剤を飲まされる医療、医者不足、看護士不足の実態をこうした作品から知らされる。

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2007年11月10日 (土)

「文學界」07年12月号「同人雑誌評」担当/松本道介氏

さて、「文學界」の12月号といえば、新人賞の発表とともに、同人雑誌優秀作の発表でもあります。候補作は、「それぞれの深紅」遠野明子(「槐」)、「家族写真」万リー(「カプリチオ」)、「夢童子」青木倫子(「アンプレヤブル宣言」)、「過ぎゆく日々の向うで」中嶋英二(「江南文学」)、「国境(はて)」朝比奈敦(「VIKING」)、「橋の日」岩崎芳生(「燔」)、「天国泥棒」鮒田トト(「龍舌蘭」)
《同人雑誌優秀作》&《奨励賞》優秀作=「国境(はて)」朝比奈敦。奨励賞=「それぞれの深紅」遠野明子、「過ぎゆく日々の向うで」中嶋英二。
次いで、今月分です。

「文學界」07年12月号「同人雑誌評」松本道介氏筆
《対象作品》「天国泥棒」鮒田トト、「いないいない、バー」鶴ヶ野勉(以上「龍舌蘭」171号/宮崎市)、「高齢者劇団発足」重本恵津子(「群青」71号/武蔵野市)、「海に放る」鷹宮さより(「りりっく」17号/川口市)、「お前の旅の記録」Jiraux(「河」141号/東京都)、「北の弟」「編集後記」竹原素子(「シリウス」17号/水戸市)、「論理の乱れ」山吹恵(「ん」第9集/広島市)、「からだの来歴」遠野明子(「時空」28号/横浜市)、「柿の実と矮鶏」塚越爽子(「木木」20号/唐津市)、「川」佐佐木邦子(「仙台文学」71号/仙台市)、「このゆびとまれ」佐伯晋(「あるかいど」35号/大阪市)、「文芸時評」下澤勝井、「梅の話」来住野彰作(以上「土曜文学」3号/立川市)、「聖母」吉田慈平(「風の道」創刊号/東京都)、「心の刺」久保三也子(「柳絮」73号/吹田市)、「くれない坂」大谷史(「じゅん文学」53号/名古屋市)、「降らずみの空」山名恒子(「游」18号/東京都)、
ベスト5=「天国泥棒」鮒田トト、「梅の話」来住野彰作、「聖母」吉田慈平、「このゆびとまれ」佐伯晋、「柿の実の矮鶏」塚越爽子
(「文芸同人誌案内掲示板」よこいさんまとめより)

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同人誌「砂」105号の詩作品寸評(1)

(筆者・矢野俊彦氏)
 詩について批評ともいえない感想を、毎回書いているが、今回は感想をなかなか書けずにいた。今日の新聞にこんなことが書いてあった。
 夏目漱石のところへ訪ねてきた学生が「俳句とはいったいどんなものですか?」と質問をしたという。漱石はごまかさず、テレもせず、まじめにこう答えたという。「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」
 「花が散って雪のようだ、といったような常套な描写を月並みという」。こういう句はよくない。
 要領を得た見事な説明を聞いた学生はその後、生涯俳句を作り続けたという。この学生が寺田寅彦だ。(「夏目漱石先生の追憶」)
(朝日新聞十月六日付けde欄、教師1、昔も今も、磯田道史より)
 この俳句の箇所を詩に置き換えると、そのまま通じる話である。もっとも私は言葉のレトリックだけで、実感の伴わない詩は好きではないが。

【「おとなになった日」たちばな りゅう子】
 微妙な女性心理と、女性の生理を通じ、母と娘は、女としてのライバルでもあるとの心理を鮮やかに伝える。
【「貝殻は耳」北川加奈子】
──わたしの耳は貝の殻、遠く、波の音を懐かしむ──というジャン・コクトーの詩がある。(堀口大学訳)が、北川さんは日本の少女の感受性で、貝殻を見事に日本の情趣の世界に、自家薬窶中ともいえる、己の美意識の世界に写し代えている。

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2007年11月 9日 (金)

同人誌「文芸中部」76号(東海市)作品紹介(1)

【「追いかけて」堀井清】
定年退職し、子供は成長し家を出ている。夫婦だけの生活をしている男の日記形式の物語。冒頭で、余生を楽しむ風情の日常生活ぶりを淡々と語る中に、縁側の一部が腐って崩れ落ち、通り抜けようとした主人公は弾みで庭に転落する。
また友人の自殺の一報が入り、その心境を忖度する。これが、気楽そうに見える生活に見えるなか、不安を警告する微弱音が流れるような出来事で、これに呼応するように、人間というのは、特に目的があって産み出されてしまった存在ではなく、ただ生きる努力を強いられている存在であり、後付けで目的を作るしかない運命にあるという意味のことを考える。
微弱音が実存的な音色をもって次第に拡がりを持ち始める。じつに巧く計算された仕掛けである。やがて、唐突に妻の早苗から離婚を切り出される。妻との離別は、もう2度と会わないというような過激なものでなく、用事があればやってくるような別れだ。長い結婚生活の間に広がった溝がそのまま広がった形のようだ。主人公は、行方の知れない息子の消息を追う事を決心する。これは、我が物であると思っていた事の喪失の物語である。 タイトルは喪失されたものを追いかけざるを得ない人間性を示すものか。
 微弱音を序として、うねりながら音色が強くなる。そしてその音楽は拡散してしまう。ホールの隅で音楽を鑑賞するような感じの味わいがある。それというのも、現在形で物語を進行させているからで、音楽は現在の時間のなかに存在する表現形式であることによるのかも知れない。

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2007年11月 8日 (木)

文芸誌「照葉樹」4号(福岡県)

【「ともがき」水木怜】
洋輔、王丸、青木などの中学生たちの話。いたずら好きで、悪がきの仲間のように見えるが、それぞれ親が離婚した母子家庭など、恵まれた家庭ではない。それぞれ、水の洩れる難破船の海水を外に汲みだすように、それなりに母親との関係を維持しようとしている。
 子供の視点から、現代の親の世代の問題を描き出す。洋輔の父親の性格が、いかにも自己中心的で、現代的なのが面白く表現されている。こどもにとって、親は選べない、その親を思う心を軸に、先の見えない人生を、それでも希望をもって生きて行こうとする、中学生の姿をけなげな姿勢をもたせて描く。時々、大人びた部分が描写に顔をだすが、味わいのある作品。

【「階段」水木怜】
 聡子の夫は、45歳で亡くなり、13回忌を済ませたばかりの2年前に脳梗塞で倒れ、身体がきかなくなる。さらに息子が25歳の若さで、交通事故で死んでしまう。彼女は、2階に閉じこもりヘルパーさんの世話になっている。夢うつつに、毎日夫と息子の幻影をみて、会話を交す日々。
 そうした生活から、ヘルパーさんや知人との交流をとおして、気鬱から抜け出し、階段を下りて外界との交流を開始じはじめる。年老いて、生活の夢を奪われ、身体が不自由なった状態の心理をていねいに描く。それだけのことだが、ただひたすらに生きることの意味を示した、手堅い短編である。こうした場合、あなたはどうする?という問いかけも内包している気もする。

【「朝戸風」垂水薫】
両親の期待を裏切って、高校を中退してししまった明日香。法律事務所に勤めながら、弁護士を志望する父親は勉強に明け暮れる。
 その父親を立て、逆らわないようにし、家庭の平和を維持しようとする母親。明日香は、家に閉じこもるため、母親依存性が強まり、母が家にいないと不安になる。
 母親は、スープのタネに鶏の骨ガラだと思って、買ってみたら鶏の頭の集めたものだった。母親は驚いて捨てるが、明日香は彼女が外泊する夜、独りになった夜、その鶏の頭部を煮込んでスープをつくってみる。
 切り落とされた鶏の頭の集まりと、その目は社会的な外部からの視線に重なるものなのか、このエピソードが面白い。いずれにしても、お互い依存しあう関係のなかで生きている。命と人間愛の火は、個人のみの単独者の世界では生まれない。薪が燃えるには、酸素と火種に依存して生まれる。家族の人間関係において、相互依存で生きる人間の原点をさし示してみせたようにも読める。
3篇とも、丹精こめて書いた好短編で人生の諸相がゆっくり楽しめる。

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2007年11月 7日 (水)

「週間 読書人」07年11月9日「文芸同人誌評」白川正芳氏、他

《対象作品》「つかまり立ち」横川英一(「残党」26号)、「我、生い立ちの記(少年期)」佐々木博也(「シニア文学」7号)、「自分史つれづれ草」中里富美雄(「文芸広場」10月号)、「身辺雑記」成瀬良孝(「四人」80号)、「口笛少年」岩代明子(「イグネア」創刊号)、「底まで、もうすぐ」宮内はと子(「カム」二号)、「丸亀の妖怪」柴田宗徳(「流氷群」50号)、「熊平軍太郎の舟」筆名不詳(「Mortos」創刊号)

■「図書新聞」07年11月10日同人誌時評」たかとう匡子氏筆
《対象作品》「特集 室生犀星の俳句」暮尾淳・中里夏彦・青木陽介(「鬣」24号/前橋市)、座談会「日本の戦後文学再検討」(「中部ペン」14号/名古屋市)、「佐多稲子ノート(2)」松原新一(「すとろんぼり」三号/久留米市)、「志賀直哉その光と影」荒木公輔(「土曜文学」三号/立川市)、「鍋を磨く女」木村誠子(「あるかいど」35/大阪市)、「北の弟」竹原素子(「シリウス」十七号/水戸市)、「風船蔓」森ミキエ(「ひょうたん」33/板橋区)、「刺繍するという行為」椿美砂子(「空の引力」25号/南蒲原郡)
(「文芸同人誌案内掲示板」よこいさんまとめより)

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2007年11月 6日 (火)

同人誌「砂」第105作品寸評(2)

(筆者=中村治幸氏)
【小説「蝶の来る庭」大森恭子】
 読み進むうちに終戦直後、焼け跡になった東京で夫の復員を待っていた雪江の前作からずいぶん歳月が経ったのだな、とわかった。
 雪江はちょっとしたつまずきからいまはベッドの暮らしを余儀なくしている。息子の帰一が出張のためヘルパーさんを頼んでくれた。そうして来たヘルパーの女性が大野喜美子で、雪江は終戦の年、一時的に預かった浮浪児のキミ子のことを思い出し、喜美子の語ることのひとつひとつに昔のことと符号の合っていくのを発見していく。その過程はどきどきわくわくさせられる。
── “言うまい ”と雪江は心に言いきかせた。喜美子が知って幸せになる話ではなかった。向島の母になった人があの世まで持って行った秘密は決して言ってはいけない。生きていた、めぐり逢えたこの幸運を喜んでいよう。 という場面に胸が熱くなった。

【遥かなる遠い道 Ⅳ】行雲流水】
 今回は台風から始まり、実家の兄弟、会社幹部間の軋轢があり、その人間模様を納得させるような描写力に読ませられた。
 輝子が潔宅に家賃を上げてもらいに行こうと外に出ると「いつの間に降り始めたのか、漆黒の闇夜をついて横殴りの雨が激しく音をたてている。輝子はその勢いにたじろいだ」という情景が目に浮かぶ。
 正月に輝子が実家に招ばれて行きそこで喧嘩になってしまう。
 こうした迫力ある挿話のひとつひとつに惹かれて読み、今後の展開が楽しみだ。

【紀行文「ローカル線に乗り継いでー岩泉線と大船渡線」矢野俊彦】
 はやて九号に乗るまえ、東京駅ホームにいてJRの東京電力区に勤めていたころの回想に、そこで仕事をしていた者としての誇りを感じて、すがすがしかった。
「茂市(もいち)──岩井和井内間は、昭和十七年六月開業、岩泉までは昭和四十七年二月の開通である」この歳月の隔たりに開通までの困難を思った。さらに三、四行してから、
「家の軒下に薪が積まれている。燃料に石油より木材のほうが手軽に手に入る土地柄であろう。家の周りに薪を保存しているのは、かっての農村では、普通の光景であったが今はそれすら珍しい。産油国でない日本なのにと」
 この指摘がするどいと感心した。
 岩泉駅待合室のノートの内容に、廃線にならぬよう願う気持ちがあり、それを作品に取り上げる作者に旅を愛する気持ちを感じた。
 だから作品に旅情がにじんでいるのであろう。

【「益子にて──本物との出会いの旅」木下隆】
 作者は益子焼の茶碗を「もう十年来の友、我が家の毎日の茶の時間に欠かせないものになっている」という気に入りようだ。
 またSLについては「夜汽車の汽笛と粗悪な石炭(中略)戦中、戦後の厳しい生活体験と直結したものでなければ、SLの本当の醍醐味はわからない」という。益子焼もSLも生活に根ざしたものに本物があるという作者の主張にはうなずける。

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2007年11月 5日 (月)

同人誌「砂」第105作品寸評(1)

(筆者=中村治幸氏)
【随筆「鶴爵」國分 實】
 まず冒頭が良い。「文は人なり、という。(中略)どんな綺麗ごとが書かれていても、いっこうに香気の感じられない作品がある。(中略)作品の気品というものは、生きた恐ろしいものなのだ」同感する。
 さらに「私は酒が大好きである」と書かれ惹かれて読み続けると(黄鶴楼)という漢詩の引用があり、仏典の「自受法楽」「衆生所有楽」の解釈があり、教養の広がりを見ることで作者の人生の年輪と文章に気品を感じた。
【随筆「子供のジャングル」望月雅子】
 三女暁子が長姉の小学六年生のころの優子が 初めての西洋料理に「オムレツとキャベツの千切り」等を作った時のことを懐かしくかつ暖かに語っている。その姉が早逝したことがなおさら作者の身に染みる思い出になったのに違いない。

【小説「対 決」牧野 誠】
 柳 金吾は御継子問題のため、江戸表一派の実子擁立論を掲げる葉沢十三郎と決闘する。その中にあって、竹馬の友と命の遣り取りをしなくてはならない侍の宿命に非情なものを感じる。その江戸表一派が敗れると、江戸上屋敷の筆頭家老、安藤但馬守は主君の甥、綾太郎十歳と雪姫八歳の婚礼の後、真壁出羽守に遺恨晴らしのため斬りつけて倒し、但馬守も出羽守の小姓の一人に討たれる。剣戟の場面の描写に迫力がある。金吾の視点を通して侍の愚かしさを描いている。

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2007年11月 4日 (日)

小泉今日子の書評=沼田まほかる「猫鳴り」(双葉社)

(読売新聞11月4日付、以下全文)
《人間の心の中の暗闇を灯りももたず手探りであるかされているようで、なんだか少しビクビクしながら読み始めた本だった。
 やっと授かった子供を流産してしまった40歳の主婦は、空っぽになってしまったお腹のなかに小さな秘密を隠している。父親と二人暮らしの不登校の少年は、自分の心に潜むブラックホールから沸き出る衝動を恐れている。妻に先立たれた孤独な老人は、愛猫の最後を看取りながら自分にも必ず訪れる死の準備をしている。三つの物語を貫くのは1匹の猫「モン」の存在だ。
 「モン」には、暗闇も日溜りも関係ない。ただ生まれ、生き、死んでゆく。その自然な命の姿は人間が忘れかけた何かをしっているように見える。猫は人間を救ってはくれない。ただ、暗闇に光る猫の眼が行き先を示してくれるかも知れない。希望の光は暗闇を知ってこそ、見えてくるのだろう。そう思いながら、穏やかな気分で私はこの本を閉じた》

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2007年11月 3日 (土)

詩作品の紹介  「昔と今」鄭 順娘 

  (紹介・江 素瑛)
 鄭順娘さんは、元台湾通草拓殖株式会社の社長を勤めた父と、三番目夫人の間に昭和三年、台湾新竹で生まれました。
 「昔と今」は世代間の溝、地域差、という永遠のテーマを思わせる作品です。ビルの樹林、青い空は遮られる、のみならず、排気ガス、煤煙に汚染される都会のねずみ色空。
 戦争の爪跡が軽く、自然の中にのびのびと成長した裕福な台湾のその世代と、平和なのに、窮屈な電子グッズに囲まれ、狭い室で育てられた今の世代。
 蛍を見たことのない孫たちに、どうやって、自分たちの経験した世代の良さを伝え残せられるのでしょうか
                ☆
  昔と今      鄭 順娘

ほんのりと紅を帯びた夜空/ 捜せど月も星も見えない/ 都会の空は立ち並ぶビルに遮られ/ 広い夜空は見られない 

蛍の飛び交う樹の下/ 広い庭でウチワを手に蛍を追った/ 幼い頃が思い出される/ 年寄りたちはお茶を飲みつつ/ 星を数えている/ 満天の星 月を仰げば今日は十三夜/ あさっては十五夜とわかる

毎晩テレビに向かって/ 天の川も雲も見えない室の中で/ 孫たちと折り紙の飛行機を飛ばす/ 蛍を見たことのない孫たちに/どんなおとぎ話をしようか と考えている。

~「二つの時代に生きて」により  財団法人鄭順娘文教公益基金会~,2007年9月(台湾 台中)

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2007年11月 1日 (木)

小泉今日子の近況・映画「てれすこ」の話題

「小泉今日子、日本はすごく綺麗な国なんだと思えた」


《つぶやき》
新聞社の記事は、しばらすると読めなくなることが多いので、記事の写しを記録した方がよい。ライブドアのニュースは、いつまでもそのまま下がっているようだ。不思議といえば不思議。

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文芸時評10月(毎日新聞)・川村湊氏

タイトル「批評の言葉は届くのかー創作現場との間に感じる断絶」
《対象作品》昭和文学ベストテン(「三田文学」秋季号)/墨谷渉「パワー系181」(すばる)/高橋文樹「アウレリャーノがやってくる」(新潮)/円城塔「つぎの著者につづく」(文学界/原田ひ香「はじまらないティータイム」(すばる)/堀江敏幸「果樹園」(文学界)/西村賢太「小銭をかぞえる」(文学街)・
《注目の一冊》松浦理英子「犬身」(朝日新聞社)。(毎日新聞10月29日付夕刊)

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