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2007年11月 9日 (金)

同人誌「文芸中部」76号(東海市)作品紹介(1)

【「追いかけて」堀井清】
定年退職し、子供は成長し家を出ている。夫婦だけの生活をしている男の日記形式の物語。冒頭で、余生を楽しむ風情の日常生活ぶりを淡々と語る中に、縁側の一部が腐って崩れ落ち、通り抜けようとした主人公は弾みで庭に転落する。
また友人の自殺の一報が入り、その心境を忖度する。これが、気楽そうに見える生活に見えるなか、不安を警告する微弱音が流れるような出来事で、これに呼応するように、人間というのは、特に目的があって産み出されてしまった存在ではなく、ただ生きる努力を強いられている存在であり、後付けで目的を作るしかない運命にあるという意味のことを考える。
微弱音が実存的な音色をもって次第に拡がりを持ち始める。じつに巧く計算された仕掛けである。やがて、唐突に妻の早苗から離婚を切り出される。妻との離別は、もう2度と会わないというような過激なものでなく、用事があればやってくるような別れだ。長い結婚生活の間に広がった溝がそのまま広がった形のようだ。主人公は、行方の知れない息子の消息を追う事を決心する。これは、我が物であると思っていた事の喪失の物語である。 タイトルは喪失されたものを追いかけざるを得ない人間性を示すものか。
 微弱音を序として、うねりながら音色が強くなる。そしてその音楽は拡散してしまう。ホールの隅で音楽を鑑賞するような感じの味わいがある。それというのも、現在形で物語を進行させているからで、音楽は現在の時間のなかに存在する表現形式であることによるのかも知れない。

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