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2007年11月10日 (土)

同人誌「砂」105号の詩作品寸評(1)

(筆者・矢野俊彦氏)
 詩について批評ともいえない感想を、毎回書いているが、今回は感想をなかなか書けずにいた。今日の新聞にこんなことが書いてあった。
 夏目漱石のところへ訪ねてきた学生が「俳句とはいったいどんなものですか?」と質問をしたという。漱石はごまかさず、テレもせず、まじめにこう答えたという。「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」
 「花が散って雪のようだ、といったような常套な描写を月並みという」。こういう句はよくない。
 要領を得た見事な説明を聞いた学生はその後、生涯俳句を作り続けたという。この学生が寺田寅彦だ。(「夏目漱石先生の追憶」)
(朝日新聞十月六日付けde欄、教師1、昔も今も、磯田道史より)
 この俳句の箇所を詩に置き換えると、そのまま通じる話である。もっとも私は言葉のレトリックだけで、実感の伴わない詩は好きではないが。

【「おとなになった日」たちばな りゅう子】
 微妙な女性心理と、女性の生理を通じ、母と娘は、女としてのライバルでもあるとの心理を鮮やかに伝える。
【「貝殻は耳」北川加奈子】
──わたしの耳は貝の殻、遠く、波の音を懐かしむ──というジャン・コクトーの詩がある。(堀口大学訳)が、北川さんは日本の少女の感受性で、貝殻を見事に日本の情趣の世界に、自家薬窶中ともいえる、己の美意識の世界に写し代えている。

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