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2007年10月 7日 (日)

詩の紹介  「駅」 斉藤なつみ

                           
(紹介・江 素瑛)
様々な親と子の別れが目に浮かぶこの詩。子供といえども、我がものではない。幸福な出会いの一つの形にすぎません。出会わなければ、別れもない。戦争の時代や、平和の時代、親子の別れは避けられないものです。
 行く/帰る/どっちだろう/ こころを打たれるフレーズです。
 子を見送るものの、「行ってくるよ」、はいいとしても、「帰るよ」となると動揺を覚えるも沢山いるでしょう。
 立場を換えれば、親が「行く」と言いだすと、ある意味で子はぞっとするが、「帰る」というは当然もとの暮らしの場に戻ります。
 子を送り出さなければならない、どんな運命が子を待っているか、親は祈るしかありません。
 しかし、我が家は、いつまでも親の帰れる、子の帰れる場所でいてほしいです。
              ☆ 
        駅    斉藤なつみ

肩に 大きな重たいバックをかけ/ 電車に乗り込んだ子に/ 手を振る/ 振るだろうか/ 照れた顔もしないで 振ってくれた

寒空の下/ 人影も疎らな閑散とした駅から/ 子は 暮らしの待つ遠い町へ向かっていく

行く/ 帰る/ どっちだろう

どっちにしても/ 母に背を向けなければ 子は歩み出せない

たかが/ 冬休みに帰省した子を/ 見送るだけのことなのに

駅に立つと/ 胸が一杯になり

又しても/ その 暗い胸の底から/ ー戦地へと子を送る母ならばー/ と/ 字余りとも字たらずとも/ 歌ともならないことばが湧いてきて

もの言わぬ夥しい母たちが私の傍に現れて/ 電車に乗ったそれぞれの子を見送るのだ

その母たちに紛れそうになりながら/ 子の顔を見つめ 手を振る

電車は寒空の下を/ ゆっくり 動きはじめた

夥しい母たちを/ 押し黙った石ころのように 駅に残して

                  詩誌「さちや」No. 137(岐阜市)より

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