詩の紹介 「駅」 斉藤なつみ
(紹介・江 素瑛)
様々な親と子の別れが目に浮かぶこの詩。子供といえども、我がものではない。幸福な出会いの一つの形にすぎません。出会わなければ、別れもない。戦争の時代や、平和の時代、親子の別れは避けられないものです。
行く/帰る/どっちだろう/ こころを打たれるフレーズです。
子を見送るものの、「行ってくるよ」、はいいとしても、「帰るよ」となると動揺を覚えるも沢山いるでしょう。
立場を換えれば、親が「行く」と言いだすと、ある意味で子はぞっとするが、「帰る」というは当然もとの暮らしの場に戻ります。
子を送り出さなければならない、どんな運命が子を待っているか、親は祈るしかありません。
しかし、我が家は、いつまでも親の帰れる、子の帰れる場所でいてほしいです。
☆
駅 斉藤なつみ
肩に 大きな重たいバックをかけ/ 電車に乗り込んだ子に/ 手を振る/ 振るだろうか/ 照れた顔もしないで 振ってくれた
寒空の下/ 人影も疎らな閑散とした駅から/ 子は 暮らしの待つ遠い町へ向かっていく
行く/ 帰る/ どっちだろう
どっちにしても/ 母に背を向けなければ 子は歩み出せない
たかが/ 冬休みに帰省した子を/ 見送るだけのことなのに
駅に立つと/ 胸が一杯になり
又しても/ その 暗い胸の底から/ ー戦地へと子を送る母ならばー/ と/ 字余りとも字たらずとも/ 歌ともならないことばが湧いてきて
もの言わぬ夥しい母たちが私の傍に現れて/ 電車に乗ったそれぞれの子を見送るのだ
その母たちに紛れそうになりながら/ 子の顔を見つめ 手を振る
電車は寒空の下を/ ゆっくり 動きはじめた
夥しい母たちを/ 押し黙った石ころのように 駅に残して
詩誌「さちや」No. 137(岐阜市)より
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