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2007年10月31日 (水)

佐藤優の「眼光紙背」から

佐藤優の「眼光紙背」第5回:守屋武昌前防衛事務次官に対する証人喚問a>

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「メディア市民革命」で,どう変わる(東京新聞より抜粋)

(東京新聞07年9月17日付)インターネットでだれでも不特定多数に向けて情報発信できる「メディア市民革命」で、政治や社会はどう変わるか。インタビューで探る。ネット経済を説明する「ロングテール」論の発案者でハイテク関連の人気雑誌「ワイアード」編集長クリス・アンダーソン氏(46)。(聞き手・池尾伸一、サンフランシスコで)
 ――マスメディアのシェア低下による影響は。
 「消費者の選択の幅が飛躍的に広がることで、マスメディアが提供してきたベストセラー小説やヒット映画などの役割は縮小する。実際、音楽業界では、二〇〇〇年に年間ベストセラーCDの一位から五位までが合計三千八百万枚も売ったが、〇五年では半分の千九百万枚しか売れていない。TVでも、昨年の冬季オリンピックの視聴率は前回大会に比べ半分近くに下がった。大人から子供までだれもが知っている曲やTV番組などは少なくなる。二十世紀型のベストセラー時代の終わりだ」
 「一方で、ネットメディアやブログにより、人々の特定の興味に対応するニッチ(すき間)的な情報発信の役割が増大する。たとえば私はレゴ(プラスチック製組み立てブロック)が趣味だが、レゴ専門の雑誌は経済的に成り立たないが、ネットなら成立するという具合で、メディアの数は無数に増える」
 ――文化への影響は。
 「米国で雑誌は七千種類発行されているが、ブログはその一万倍の七千万。TVチャンネルは数百だが、ユーチューブへの投稿ビデオは何千万本だ。CDショップで音楽は五万曲分しか売られていないが、ネットでは千二百万曲が買える。選択肢は飛躍的に広がっており、混沌(こんとん)の中から、新しいアイデアも生まれやすくなる。多種多様な意見が出てくることは民主主義にとってもよいことだ」
 ――従来型マスメディアは生き残れるか。
 「わたしが編集長をしている雑誌『ワイアード』の場合、ネットができないことをやっている。記者を何カ月も一つの記事に専念させ、未来を探るような深く長い記事を書き、斬新なデザイン、写真と組み合わせて提供している。読者の細分化した興味に応えるため、ハッカーや軍の技術など特定分野のブロガーを雇い、雑誌より多様な記事を提供。読者にも書いてもらう仕組みを作り、よりニッチ的な興味に対応している。ブログもマスメディアも入り乱れて競い合う時代に突入している」
<メモ>ロングテール インターネットを利用したネット販売では流通や在庫のコストがあまり掛からないため、企業は従来のヒット商品を大量に売る「少品種大量」の販売方法から、「多品種少量販売」に切り替えを迫られるという理論。本から音楽までさまざまな商品にあてはまることから、同名の著書は世界的ベストセラーとなった。

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2007年10月27日 (土)

文芸時評10月24日(東京新聞)沼野充義氏担当

タイトル=「似ていること」めぐる物語。
《対象作品》平田俊子「嘘つきペニス」(群像)=同姓同名の安心感/久間十義「えこえこ痣らく」(新潮)=猟奇的ななかに生の感触/桐野夏生「有人島」(新潮)=双子のモチーフ鮮やかに/円城塔「つぎの著者につづく」(文学界)=またしても極めて難解な実験的小説だが、これもある作家が別の作家に似ているということはどういうものか論じたものといえるだろう。

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同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(4)

【「黒水城異聞」白井康】
中国大陸のロシアやモンゴルが拮抗していた時代を舞台にしたSF的要素のある物語。井戸を掘るのに、そこに水があることを見つける才能のある男が、タイムスリップして大将の娘を嫁にもらって、帰ってくる。なんとなく面白く読んだ。井戸を掘れば必ず水を探り当てるという、才能を持った男という設定が、興味をそそる。なぜこれが面白く感じるか、というと、おそらく現代では、特殊な才能を持った者(野球のイチローや松坂のように)が世間で活躍するのが大ニュースになる傾向にある。
これは現代社会において、なぜその人が世間から尊重されるかが、はっきりしているからであろう。その反対に、官僚や業界などで、帝王とされる人物が幅をきかせていることが多く見られ、その人達が、必ずしも実力主義ではなく、世渡りの巧さのみで、社会的な地位や利得を得る事例が多いことの反映かもしれない。

【「火つけ」二宮大己】
 江戸時代の市井人の話で、大工の八五郎は、大工の腕ひとつで、故郷に仕送りし、独身ながら、飲み食いに不自由をしないで、のん気に暮らしている。相変わらず江戸の町は火事が多い。そのため八五郎の仕事のタネは尽きないらしい。なぜ、八五郎が有卦に入るほど火事が頻発するのかを考えさせるところで終る。時代物の形であるが、現代社会でも、複雑な利害関係のなかに、単純な仕組みがあって、メディアが問題にしないので、問題にされないという、不思議な出来事も少なくない。作品は、さらに工夫があってもよさそうだが、読者に考えさせるには、これでも良いような気がする。

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2007年10月26日 (金)

遠野美地子「絵島夢幻」(「文学街」別冊号―241号)を読む

 単行本に相当する歴史文学だが、同人誌に一挙掲載という形態は珍しい。徳川6代将軍家宣の後閣で取締役を務めた絵島が政争のなかで、歌舞伎役者との交情で、疑獄事件として処罰された史実は有名。
 作品は女性ならではの、繊細な表現で、絵島の子供ころから、幕府内で権勢を誇り、失脚するまでを、歴史的背景を手際よく示しながら、絵島の孤独な晩年を描く。春・夏・秋・冬の各章に分けて絵島の生涯を描ききる。周辺の人物をそれぞれ視点を変えて絵島の姿を浮き彫りにしている。長い物語を興味深く読み込ませる筆力には、感銘を受けた。江戸徳川時代の裏面史に興味を持つ人にも一読を勧めたい。
 大衆小説的でなく、純文学的ではあるが、中ごろから終盤にかけては、読み物としても充分に面白く読ませるものになっている。

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2007年10月24日 (水)

文芸時評10月(読売新聞)山内則史記者

《対象作品》第44回文芸賞・磯崎憲一郎(42)「肝心の子供」(文芸冬号)/円城塔(35)「つぎの著者につづく」(文学界)/同「self-reference ENGINE」(早川書房)/文芸賞・丹下健太(29)「青色賛歌」(文芸冬号)/新潮新人賞・高橋文樹(28)「アウレリャーノがやってくる」(新潮)/横田創(39)「ちいさいビル」(すばる)。

《注目の評論=田中和生(文芸評論家・法政大学講師)》河野多恵子・山田詠美「文学問答」(文芸春秋)/藤井貞和「詩的分析」(書律山田)/中村うさぎ「セックス放浪記」(新潮社)。

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同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(3)

【「あもーれ」朝岡明美】
ある海辺の町の喫茶店兼スナックのような店を父と娘が経営する。娘は医師で金持ちの息子と恋愛するが、身分がちがうという考えで、相手の親が仕組んだ細工に乗せられ別れた心の傷をもつ。ちょっと古風な人情話で、まとまっているが、話に新味はない。しかし、町の雰囲気、店の雰囲気を描くのが素晴らしい。行間でそのムードを伝えるのがじつに巧い。書き手として読んでも、うらやましいものがある。無理に物語を作らずに、物語を想像させる散文を心がけたら粋な純文学になるような気がする。

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2007年10月23日 (火)

同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(2)

【「松葉杖」安藤敏雄】
太平洋戦争の末期、日本は戦闘機用のエンジンをつくっても、飛行機の本体が調達できないほど、疲弊していたという話から始まる。13歳の脚の悪い学友の滝沢の実家は農家で、まだお米があって、滝沢と一緒に勇治と斉木がそこに買出しに行く。その帰りの列車で、滝沢は松葉杖をついているのを見て、乗客が窓際の席を譲ってくれる。ところが、その後米軍の戦闘機に列車が空襲される。何人かの死者がでたが、その時に、窓際の滝沢は弾にあたり死んでしまっていた。空襲の場面が簡潔ながら臨場感をもって描かれているのが良い。戦争の空しさ、痛ましさと友人を失った無念さが、読者に伝わってくる。

【「ドラッグ」磯部勝】
受験のため予備校に通う真奈美は、あまり勉強が身に入らず、ケイタイばかり使っているので、親から取り上げられてしまう。そんな不満から、出会い系風俗喫茶で、マジックミラーの部屋で、外側から見えるお客の呼び出しを待ち、呼び出されると話相手になる時間性のアルバイトを始める。やがて、それだけで済むわけがなく、男にだまされ、ドラッグ入り飲料をのまされ、体を奪われてしまう。その後、妊娠したのがわかり、何とか家族の目を逃れて、処理をする。それ以後、真奈美はそれに懲りて、人が変わった様に真面目に勉強し、N大薬学部に合格し、ワル娘から孝行娘になるまでの話。純文学的ではないが、話を手際よくまとめている。現代の世間でよくあるような話で、軽く書いて軽く読めるのは、やはり時代の表現になっている、ということであろうと思える。

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2007年10月22日 (月)

小椋桂のアンコール曲の「山河」がよかった

 きのう、小椋桂の公演「歌談の会」を聴いた。普段はアンコールはないそうだが、その曲がその日のなかで一番出来がよかった。ピアノ&歌の伊東えりには、流石に驚かされた。素晴らしい。居るところには居るものである。小ミュージカルか小オペラのような、歌物語も演じられたが、これも面白かった。本人はミュージカルでもやりたいのだろうか。

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2007年10月21日 (日)

日本人アーチストが、国際豆本コンペで2年連続の特別優秀賞=米国オハイオ州

文学フリマ仲間だった赤井都さんが、また豆本で快挙!
日本人アーチストが、国際豆本コンペで2年連続の特別優秀賞=米国オハイオ州

《赤井さんからのコメント》
 海岸印刷の橋目さん(海岸印刷)と赤井との出会いは、2005年11月の文学フリマ。出品されていたカードサイズの活版印刷歌集を見て、赤井が印刷を依頼。MBS受賞作『籠込鳥』の次作の計画がスタートし、活字を買いに行くところから本作りが始まりました。

 和紙は透明度がありすぎるため、裏移りしない(両面印刷可能な)、かつ豆本に適した薄さで、しなりのある和紙を求めて、二人で和紙店をはしごし、捜し歩きました。
 この本では、ページをめくっていくにつれ、黒い文字が銀色に次第に変化していきます。赤井が書いた雲のウサギのストーリーの、現実的なシーンから幻想的なシーンへの移行を、インク色のグラデーションで表現。これは休憩中の喫茶店で出されたアイデアです。

 また特装には、雲をイメージしたモヘアジャケットがかかっています。これは編み物のエキスパート濱田が、本に合わせて手編みしました。

 赤井との出会いは、渋谷のレンタルボックス「月箱」。出品されていたふわふわのマフラーを赤井が見て、これが
本のジャケットになったらと想像。ジャケットの厚みで小口が開かないよう・本を開いたときにジャケットが外れないよう・頬擦りしたくなるボリュームを出すなど、本好きの赤井からの要求を、編み物好きの濱田が叶えました。「いつまでも触っていたい」愛玩できる手触りと、「箱を開けるたびに増えてきそう」な、アーティスティックな見た目のインパクト。読書中、手のひらの中にふわふわが持続する不思議な読書体験となります。

 このように、雲のウサギの柔らかなイメージを、製本、印刷、ジャケット編み、20~30代の三人の女性が協力して形にしました。


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同人誌「創」第2号(名古屋市)作品紹介(1)

同人誌「創」は、栄中日文化センター「小説を創る」教室・発行。発行所=〒458-0833名古屋市緑区青山2-71、安藤方、「創」編集部。前回の創刊号では、前から順に読んでいて、途中で続き読むのを忘れてしまった。そこで、今回は、奥付の後ろか読むことにしよう。

【「光る眼」長沼宏之】
健康に自信のあった村岡は、会社の健診通知を開封しないで放置していた。しばららくして、開けてみたら肺に精密検査必要なものがあると、なっている。定年にあとわずかな58歳に至ってことである。そこで、今後の生き方を考えたり、過去の会社の女性同僚との思い残しなどを回想する。精密検査の結果は、がんは見つからないが、気になるものはあるので、近日中に再度検査するということで終る。面白く読んだ。

自分も58歳のときに、健診で精密検査を受けるようにいわれ、いろいろ検査の末、気になるものがあるので、生検で肉をとり、精密検査。ここに書かれているのと似たような経験がある。自分は、よく分からないので摘出してしまえと、手術。手術後、自分よりベッド脇にいる家の者のほうが、が顔色が悪いので、変だとおもっていたら、その結果はがんの宣告だったようだ。それ以来、定期検査を続けている。

この作品で、過去の仕事場で一緒の女性の思い出話があるが、これは省略して、今後の人生をどうするかを考えるところを、もっと長く書いた方がよいのでは。病気になったからといって、べつにどうしようもないので、結論など出ないのだが、その出ないのに考えてしまう過程を書くのも文学なのではないだろうか。それと検査の過程で知り合った、同病の人達に関するところを、読者としてもっと詳しく知りたい。自分も、待合室で妙に病気に詳しいひとに声かけられ、質問された。応えると「いや、それはやばいですよ」とか、「そうなら心配ないですよ」とか、医者顔負けの解説をされて驚いた記憶がある。

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2007年10月20日 (土)

同人誌「季刊遠近」32号(東京都)作品紹介

【「プシュケー」安西昌原】
中学校教師の「私」の教員生活と家族生活、若いときの生徒だった女性との交流が、地道に手堅く描かれている。妻をなくし子供とも離れて暮らすようになった晩年に、女性生徒だった昭子という人との同宿の機会をもつが、男女関係までに至らず、その後の交流が途絶えるまでを描く。流れはいかにも現実的で、自然で足が地についている。小説的飛躍のない自然主義的手法を堅持しているのが、長所でもあり、面白さに欠ける点で短所でもある。

【「日暮れまで」河村陽子】
昭和23年に篤子と善太は結婚式を挙げた。それ以降の60年にわたる家庭生活のなかでの、夫婦関係の良いあり方を模索する篤子の視点から、彼女のこれまでのさまざま工夫と感慨を描く。篤子は、かつてはビジネスにおいて、キャリアウーマンとしての生活のなかで、夫とは寝室を別にしてきた。しかし仕事を退職し、子供達が独立てみると、夫との別寝室は、なにかわびしさを感じ、寝所を同室にすることを考える。しかし、夫の善太の方は、長年の習慣に慣れて、一向にその気はないらしい。その経緯や感慨が現在形で表現されているところが優れている。しかも、文章がスピーディで、歯切れが良い。勢いのある男らしい文体が素晴らしい。この年齢層にしてこの文章を書くというのは、相当の手練であり、後輩として、学びたいものがある。

【「一粒種」柚かおり】
長年公務員として勤めてきた真面目な性格の一人息子が、突然行方不明になる。その事情を探索する母親の手記の形で綴っている。息子の恋人らしき人がいて、交際の末に息子と異なる男性と結婚していた。物語の終章で、息子が性同一性障害か、同性愛志向なのか不明だが、そうした問題で悩んでいた末の行動とわかる。いわゆる典型的な雰囲気小説で、ムードを作るのには成功している。純文学的には、半歩踏み込みが足りないかもしれない。

【「祭りの季節」難波田節子】
俳優を志す男と結婚した類子は、夫が夢ばかり追い、家庭をまかなう収入を得ようとしない。成功しない時点の「爆笑問題」の大田のような人だったらしい。離婚して女手ひとつで、娘を育ててきた娘が、片足義足の男性と結婚することを知る。男は車の追突事故を受け、妻も大怪我したが、彼女を最後まで看病したしたのが、娘でそれが縁で結婚することになったとわかる。作者の筆使いは、歯切れのよくテンポが早く、より現代的な文体になっている。人情話だが、流石に巧い。

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台風9号から40日!多摩川ホームレス小屋もリニューアル

「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。」(マタイによる福音書ー25ー)

台風9号から40日!多摩川ホームレス小屋もリニューアル=東京・大田区

旧約聖書「伝道者の書」(ソロモンの人生論)の冒頭より。「私はこの世に価値のあるものなどないと思います。何もかも空しいのです。人はあくせく働いた報酬として、何を手に入れるのでしょう」


「今あるものは、ずっと昔にもありました。これから起きることも、以前に起こっています。神様は、はるか昔にあって今は跡形もなくなっているものを、再び実現しようとしておられるのです」(旧約「伝道者の書」3-15-)

「次に、物事を成功させる原動力は、ねたみであることを知りました。これもまたばかげたことで、風をつかむような話です。ばか者は、いっこうに働こうとせず、餓死すれすれの線をさまよいます。ところが結局は、空しい一語に尽きるような労働ををするより、のんびりとその日暮らしをするほうが、ましだとわかるのです」(同4-4)

「貧乏人が金持ちにいじめられ、国中で正義が踏みにじられているのえ見ても、別に驚くことはありません。どの役人にも上役がいて、その上にさらに高官がいるからです。こうして糸をたぐっていくと、官僚政治の壁にぶつかります」(同5-8)

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2007年10月16日 (火)

これからぼちぼち読む予定の到着本

「季刊遠近」32号、3篇を読了。粒ぞろいの印象/「文学街―別冊号241号―遠野美地子「絵島夢幻」、本格的時代劇のよう。/単行本・田川肇「槿域の女」(鶴書房)槿といえば朝鮮半島でしょうね。/「創」第2号(名古屋)まだ、ちょっと拾い読みしただけだが、洗練されているような気がする。

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「週間 読書人」07年10月19日「文芸同人誌評」白川正芳氏担当

《対象作品》「遠藤周作フランス留学時の家族との書簡」(「三田文学」夏季号)、「ある獣医の期待」新谷清子(「関西文学」7月号)、「梨の消息」遠藤昭己(「中部ペン」14号)、「『いじめ予防』をめざして」浦野裕司、「学級担任教師によるふれあい指導」宗内敦(以上「琅」20号「教育といじめ」特集)、「髭男」富貴高司=中国語訳・瑠(「多島海」7号)、「芸者文化の残っている女」松尾尊正、「離婚の形」小松陽子、「椿の家」木山葉子(「木木」20号)、「井上靖氏邸訪問覚書」金子秀夫、名のみエッセイ=瀬戸口宣告司・竹内清(「焔」75号井上靖・山本和夫小特集)、「二の天守」田原洋子(「詩と真実」700号)、「カラカンダの冬と春」後藤公丸(「四国文学」86号)。(「文芸同人誌案内掲示板」よこいさんまとめ)。

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2007年10月13日 (土)

ライブドアの平松社長退任へ

ライブドアホ-ルディングス(HD)の平松庚三社長が12月に開かれる定時株主総会で退任し、後任にコンサルティング会社幹部の石坂弘紀氏が浮上。平松氏の退任は12月に任期が切れることに加え、外資系投資会社株主の意向をふまえたものと見られる。石坂氏は経済産業省出身。産業再生機構で企業再生にかかわった。
平松氏は、2006年1月、社長だった堀江貴文被告が逮捕されたことに伴い、グループ会社「弥生」社長から旧ライブドア社長に就任。07年4月には持ち株会社制に移行し、ライブドア再建の道筋をつけた。(読売新聞10月13日より)

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2007年10月11日 (木)

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「文學界」07年11月号「同人雑誌評」松本道介氏担当

《対象作品》「見るべきほどの」須崎隆志(「札幌文学」70号/札幌市)、「国境(はて)」朝比奈敦(「VIKING」680号/茨木市)、「花冷え」杉本増生、「夏の果て」安芸宏子(以上「半獣神」83号/高槻市)、「いーりーちょんつ」大洞醇(「水戸評論」115号/水戸市)、「二番手の夢」宮川行志(「詩と眞實」8月号/熊本市)、「虹のしずく」亜木康子(「湧水」37号/東京都)、「秋の曲」宗さやか、「舫い舟」片山郷子(以上「霧」4号/東京都)、「百万歩の夜」磯崎仮名子、「祇園の鐘」衣斐弘行(以上「火涼」57号/鈴鹿市)、「U字型の彼」村尾文(「文学街」239号/東京都)、「紫陽花寺」遠山あき(「槇」30号/千葉市)、鈴木楊一追悼、「距離」長谷良子(以上「凱」29号/東京都)、「ゴンタの恋」浅見圭(「じくうち」Ⅱ19号/藤沢市)、「風景―イヌイットの皮袋」山口馨(「渤海」54号/富山市)、「橋の日」岩崎芳生(「燔」14号/焼津市)、「悲しみの袋」笹山ようこ(「伊勢崎文学」27号/伊勢崎市)、「賭けごとについて」伊佐四四信(「不定期船」2号/清瀬市)、「そしてヤマは消えた」浅野太市(「留萌文学」92号/留萌市)。ベスト5=「国境」朝比奈敦、「橋の日」岩崎芳生、「秋の曲」宗さやか、「百万歩の夜」磯崎仮名子、「紫陽花寺」遠山あき。(「文芸同人誌案内・掲示板」よこいさんまとめより)。

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2007年10月 8日 (月)

同人誌「楔(くさび)」第24号(横浜市)

【「わたしたちの時代~夏子と寿美男」桂路石】
田川吾助という60代の男の回想記という体裁をとっている。昭和初期の戦争の時代、東北の地の夏子と柾人は、思秋期に出会い、交流がはじまる。柾人は兵隊にゆくが、その後、まだ学生の夏子には身籠っていることがわかる。そして男の子を生む。それが寿美男である。夏子の両親は、赤ん坊を柾人の両親に渡す。夏子の家は裕福で、養育費として500円を渡す。ところがこの寿美男が風邪がもとで死に、その後すぐ夏子が事故死するところで、(続き)で終る。連載である。
話の運びにスピードがつき過ぎて、説明・書き込み不足があるものの、会話の方言が生き生きとして、すばらしい。描写の不足を補ってリアリティと人々の存在感を表現している。また、時代の世相が良くとらえていて面白く。タイトルそのままの表現の意図は達成されているようだ。

【「銀次郎の日記―太平洋戦争の記憶と今の私」青江由紀夫】
サラリーマン生活をおくり、株式公開企業の重役になっている銀次郎の現在の日記。いま、ビジネス界において尊敬と収入を得ることを達成。太平洋戦争に関する本を読み続けている。そのなかで、過去の日本社会に比べたら、現在は極楽のような社会であるという感慨などをもち、感謝、感謝の日々を送る。重役の立場上、雑務をこなしている現役のビジネスマンの率直な感慨を面白く読んだ。
 ものを書くという行為は、若い時期には、文学賞をとれば、名を高め、尊敬と収入を獲得、出世する手段として非常に有効なものがある。
しかし、年齢を重ね、他の世界で収入と尊敬をえてしまうと、自己表現に徹した書き物となってくる傾向が、ここにも見られる。

【「巻頭言」室岡博】
これが巻末にある。現代文学を、閉塞し堕落したという視点で見ることから脱却し、「この際、思い切って、文学を枯渇した一つのカテゴリーから引きずりだし、現実という大道に叩きつけてはいかがなものか」と、石川淳スタイルで説く。それも一案ではある。
ではあるが、じつは現代文学は、充分に現実に叩きつけられており、にもかかわらず、そのなかで、さらに豊穣な実りを実現しているのではないだろうか。問題は、その人がどのポジションに立ち位置を持っているかどうかで、境遇が異なることであろう。書き手は、日の当るところに向って歩くか、陰翳のかすかな世界を選ぶか、日の当らないポジションを選ぶかの、選択する態度を決めることではないだろうか。
日本人の文学的能力は高い。10代の少年少女がケイタイ小説を書き、それが本になって、大人たちのビジネスの種を与えている。同人誌に発表する作品の質の高さはどうだ。資本主義社会では、市場がないと価値がないという評価は当然であるが、生活にはビジネス化できない文化もある。書かれた作品が、全て売れたら、文学の世界ではなくなる。時代によって、ビジネスになるものとならないものがある。なににでも、本来的な文化的価値はある筈である。

「楔」同人会事務所=〒230-0063神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-3、鶴見大学内 前澤眞理子。

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2007年10月 7日 (日)

詩の紹介  「駅」 斉藤なつみ

                           
(紹介・江 素瑛)
様々な親と子の別れが目に浮かぶこの詩。子供といえども、我がものではない。幸福な出会いの一つの形にすぎません。出会わなければ、別れもない。戦争の時代や、平和の時代、親子の別れは避けられないものです。
 行く/帰る/どっちだろう/ こころを打たれるフレーズです。
 子を見送るものの、「行ってくるよ」、はいいとしても、「帰るよ」となると動揺を覚えるも沢山いるでしょう。
 立場を換えれば、親が「行く」と言いだすと、ある意味で子はぞっとするが、「帰る」というは当然もとの暮らしの場に戻ります。
 子を送り出さなければならない、どんな運命が子を待っているか、親は祈るしかありません。
 しかし、我が家は、いつまでも親の帰れる、子の帰れる場所でいてほしいです。
              ☆ 
        駅    斉藤なつみ

肩に 大きな重たいバックをかけ/ 電車に乗り込んだ子に/ 手を振る/ 振るだろうか/ 照れた顔もしないで 振ってくれた

寒空の下/ 人影も疎らな閑散とした駅から/ 子は 暮らしの待つ遠い町へ向かっていく

行く/ 帰る/ どっちだろう

どっちにしても/ 母に背を向けなければ 子は歩み出せない

たかが/ 冬休みに帰省した子を/ 見送るだけのことなのに

駅に立つと/ 胸が一杯になり

又しても/ その 暗い胸の底から/ ー戦地へと子を送る母ならばー/ と/ 字余りとも字たらずとも/ 歌ともならないことばが湧いてきて

もの言わぬ夥しい母たちが私の傍に現れて/ 電車に乗ったそれぞれの子を見送るのだ

その母たちに紛れそうになりながら/ 子の顔を見つめ 手を振る

電車は寒空の下を/ ゆっくり 動きはじめた

夥しい母たちを/ 押し黙った石ころのように 駅に残して

                  詩誌「さちや」No. 137(岐阜市)より

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2007年10月 6日 (土)

映画「エディット・ピアフ~『愛の賛歌』」を観る

 マリオン・コティアールの演技に熱が入っていた。名演技をする俳優の場合、観ながら「おお、やっているなあ」という感じをもつことがあるが、この映画のコティアールは、比較的演技くささを感じさないものがある。(少しはある)。
銀座の数寄屋・泰明小学校ちかくに「マ・ヴィ」というシャンソニエがあるが、そこのママさんの振る舞いが、ピアフにそっくりだった。ハスキーで、だみ声、奔放さのある雰囲気。橘妃呂子さんに指摘されるまで、気がつかなかった。

シャンソン教室は花盛り!映画「愛の賛歌」でブーム再来か?}

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2007年10月 4日 (木)

花田勝氏の転進と離婚

花田勝氏の離婚がニュースなっている。
「横綱若乃花から実業家へ」、花田勝氏転進を語る(下) 花田氏の運命は、日本的伝統のなかで、制約の多いものであったが、それをすべて乗り越えて、自己実現しているようだ。その臨機応変の対応は、転進というにふさわしい。

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2007年10月 3日 (水)

「同人誌時評」「図書新聞」07年10月6日志村有弘氏

《対象作品》「真間の手児奈」葉山修平(「風の道」創刊号/東京都)、「安倍晴明異聞―龍神村」森山晴美、「五島列島紀行」伊藤文隆(以上「四人」80号/東京都)、「港の見える家」伊藤文隆著書、「安珍と清姫」原石寛(「文学街」238号/東京都)、「愛妻物語」原石寛著書、「お初天神」市川廣康(「記録文化」別冊/箕面市)、「佐々木すぐるの生涯」佐々木行綱(「そうび」3号/藤枝市)、「永遠の文学青年」池内規行(「北方人」11号/春日部市)、〔タイトル不明〕神作光一、「京都七条祥雲禅寺」小山榮雅、「カタカナ国からの旅立ち」山崎敬生(以上「千本銀杏」3・4号/市川市)、「まだ3年」天内友香里、「浮世語り」川端進、「頭蓋骨が砕かれた」増田幸太郎(以上「木偶」70号/小金井市)、「風の道」創刊(東京都)、以下追悼、鈴木楊一(「凱」29号/東京都)、北川荘平(「樹林」511号/大阪市)、野田行雄(「城」92号/みやき町)、福地誠(「水戸評論」115号/水戸市)。(「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさん・まとめより転載)


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2007年10月 1日 (月)

詩の紹介 「家族」田中順三 (詩集「あかねぞら」より)

  (紹介・江素瑛)
 現代の家族風景を書かれた作品です。核家族が抱いている様々な社会問題をさりげなく表現しています。
 古き時代の大家族、曾父母、祖父母、父母、子、孫、曾孫の構成は、今には羨ましい稀な存在であります。上の人は、下の人に教えを、下の人はそれを習い、従い、同じ屋根の下に、最期まで互いに面倒を見るのはごく自然なことです。
 休日など子の都合によって、押し付けられてきた孫の面倒を見るが、孫たちの描いた家族の絵は/おじいちゃんやおばあちゃんはいない/ そうして、老人ホームなど施設に入れられると、忘れられたように、家庭から排除されてしまう家族の祖父母たち。人の行き着く先は孤独の庭です。
                ☆
 家族        田中順三

三人の子供に五人の孫がいる/ 日曜日にはその孫たちがやってくる/ いつものように/テレビゲームをやり/かくれんぼをし/お絵かきをした

夜遅く迎えに来た親たちと帰ったあとは/妻も私もつかれ果てて/気落ちした顔をつき合わせ/お茶を飲んだ

テーブルの上の/小さな丸いガラスの花瓶に/一番下の孫娘が庭から折ってきた/
赤マンマが入っている

壁に並んでいるのは/孫たちが描いたそれぞれの家族の絵だ/パパとママそれに当人ときょうだいがいて/おじいちゃんやおばあちゃんはいない

詩集「あかねぞら」田中順三(土曜美術社出版販売)より。

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