同人誌「楔(くさび)」第24号(横浜市)
【「わたしたちの時代~夏子と寿美男」桂路石】
田川吾助という60代の男の回想記という体裁をとっている。昭和初期の戦争の時代、東北の地の夏子と柾人は、思秋期に出会い、交流がはじまる。柾人は兵隊にゆくが、その後、まだ学生の夏子には身籠っていることがわかる。そして男の子を生む。それが寿美男である。夏子の両親は、赤ん坊を柾人の両親に渡す。夏子の家は裕福で、養育費として500円を渡す。ところがこの寿美男が風邪がもとで死に、その後すぐ夏子が事故死するところで、(続き)で終る。連載である。
話の運びにスピードがつき過ぎて、説明・書き込み不足があるものの、会話の方言が生き生きとして、すばらしい。描写の不足を補ってリアリティと人々の存在感を表現している。また、時代の世相が良くとらえていて面白く。タイトルそのままの表現の意図は達成されているようだ。
【「銀次郎の日記―太平洋戦争の記憶と今の私」青江由紀夫】
サラリーマン生活をおくり、株式公開企業の重役になっている銀次郎の現在の日記。いま、ビジネス界において尊敬と収入を得ることを達成。太平洋戦争に関する本を読み続けている。そのなかで、過去の日本社会に比べたら、現在は極楽のような社会であるという感慨などをもち、感謝、感謝の日々を送る。重役の立場上、雑務をこなしている現役のビジネスマンの率直な感慨を面白く読んだ。
ものを書くという行為は、若い時期には、文学賞をとれば、名を高め、尊敬と収入を獲得、出世する手段として非常に有効なものがある。
しかし、年齢を重ね、他の世界で収入と尊敬をえてしまうと、自己表現に徹した書き物となってくる傾向が、ここにも見られる。
【「巻頭言」室岡博】
これが巻末にある。現代文学を、閉塞し堕落したという視点で見ることから脱却し、「この際、思い切って、文学を枯渇した一つのカテゴリーから引きずりだし、現実という大道に叩きつけてはいかがなものか」と、石川淳スタイルで説く。それも一案ではある。
ではあるが、じつは現代文学は、充分に現実に叩きつけられており、にもかかわらず、そのなかで、さらに豊穣な実りを実現しているのではないだろうか。問題は、その人がどのポジションに立ち位置を持っているかどうかで、境遇が異なることであろう。書き手は、日の当るところに向って歩くか、陰翳のかすかな世界を選ぶか、日の当らないポジションを選ぶかの、選択する態度を決めることではないだろうか。
日本人の文学的能力は高い。10代の少年少女がケイタイ小説を書き、それが本になって、大人たちのビジネスの種を与えている。同人誌に発表する作品の質の高さはどうだ。資本主義社会では、市場がないと価値がないという評価は当然であるが、生活にはビジネス化できない文化もある。書かれた作品が、全て売れたら、文学の世界ではなくなる。時代によって、ビジネスになるものとならないものがある。なににでも、本来的な文化的価値はある筈である。
「楔」同人会事務所=〒230-0063神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-3、鶴見大学内 前澤眞理子。
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