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2007年9月23日 (日)

報道における真実と事実

バカボンが、まだ比較的安定したサラリーマン生活をしていた頃、同僚で20年間医者にかからないという鉄人がいて、健康保険組合から表彰されていた。「すごいですね」と驚くと、「俺は知っているんだよ。君は知らないのか? 病院に行く人間は、死亡率が極端に高いという統計があることをー。だから、俺は病院に行かない」というのだ。

 このところ読売新聞の「地球読む」というシリーズで、評論家や教授が「テロ特措法」を指示する意見を述べている。それはそれで、面白いが、このような意見は、自民党新聞でやれば一番似合うような気がする。これを面白く読んでいたが、素朴な疑問がでる。「テロとの戦い」を始めて、どれだけテロがなくなったのかという事実の検証がないことだ。前提とした、事実の報道がない。これらの有識者の意見は、彼らが真実だと思っていることをのべているに過ぎない。事実は検証可能だが、真実は人によって異なるので、多様である。まして、メディアが「真実を伝える」主張するのを目にすると笑いたくなる。お前の勘違いで信じている「真実」なんて聞きたくないよ、と思ってしまうバカボンなのだ。メディアは事実だけが報道できる。しかし、その事実を報道しないで、真実を報道したがるのは困ったものだ。
 9.・11テロで、5000人とも言われる命が奪われたが、その後アメリカは国民をテロから守るといって、アフガン・イラク戦争で、それ以上の自国民兵士の命とアフガン・イラク人の命を失っている。もし、国民の命を守るイラク戦争をしなかったら、もっと多くの人が死んだというのだろうか。誰も死なないで済んだのではないのか? 

 ついでに、メディアで評論家が主張する「米との安保条約があるから日本が安全だ」、「軍隊は国民を守る」信じて疑わないようだ。ミサイル攻撃を日本が受けて、防ぐ方法があるのか? そんなことは、ないのでは? それどころか、復讐に立ち向かって、また自国の国民兵士と相手国の国民を死なせるだけではないのか? 軍隊の兵隊は国民でないという前提がないかぎり、軍隊が国民をまもるという論理は、間違っているのでないだろうか。三連休の居眠りバカボンの寝言である。

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