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2007年8月20日 (月)

社会的不経済システムを経済的にすること=革命の原理

国民は政策を実行すると思って、選挙で議員を選んでいる。しかし、バカボンが再三にわたって告げているように、国会議員は不用で、官僚を選挙で選ぶ方が選挙制度としてベターなのだ。小泉政権時代の田中真紀子外務大臣も官僚は小泉と組んで、クビにした。国会議員は、官僚組織のいいなりで、彼らの忠犬ハチ公である。議員とメディアは、今回の社会保険庁の厚生省の年金窃盗、横流し、使い込み、サボタージュの罪を問うことすらできない。これは、巷間で耳にする話だが、タクシーの運転手が、あまりにも行儀の悪いお客を、乗せるのを断ったら「俺様は、社会保険庁のものだ。お前の年金なんか、出してやらないからな」とすごんだ人がいたそうだ。こうした逸話は、新聞記事にもならず、人の口から口を経て伝わるものだ。通常の独裁者は、じぶんのしていることに自覚がある。しかし、自覚なき独裁組織は自己の保身をしているだけと思い、自らを被害者とおもっている。だから自覚がない。2大政党制にして政権移動すれば、悪代官的な国会議員と密約を交わしても、ホゴになる可能性があるので、官僚組織も多少はやりたい放題がやや不便になる程度であろう。
 国民の税金を召し上げ、それを還元し収支をはかるのに、多くの無駄がでる。これは組織というものの宿命で、仕方のない面がある。封建時代の悪代官制度もそのような無駄な面が多くて、歴史的になくなっていった。フランス革命も、国民を統治するのに、貴族の使い込みが多くなって、民衆から召し上げる金を還元しなかったために民衆が蜂起したのである。革命というのは、反体制主義者がいくら気炎をあげても起きない。民衆が、何か変だと思う時間が長く蓄積したときに、あるとき一挙にマグマが噴出するようにおこるというのは歴史が物語っている。フランス革命当時も、貴族もこんなことをしていたら革命が起こると自覚していたら、もうすこし態度を変えていたろう。
 自覚なき独裁者たちが、自分たちは被害者であり、善良であると思っている間に、あるとき突然に社会に変化が起きることになるのではないか。メジャーリーグがどうしたとか、サッカーがどうしたとか、グルメがどうしたとか、それらが重要事項なのだと国民が思っている間は、まだ大丈夫だとは思うが。

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