« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月31日 (金)

宮城まりこさんと吉行淳之介(2)

友人の安岡章太郎氏は「吉行淳之介」(64年10月号群像)、「吉行淳之介と自動車の関係」(65年6月号小説新潮)で、吉行から電話があり「いまホテルの二階の窓から街の灯をみていたら、それが、ひどく綺麗である」といようなとりとめない話をしたという。
「これは、まるで高校生が恋愛病にかかったような症状ではないか。しかし、その時の私はまさか吉行が実際に恋愛しはじめたとは思いつかなかった。
私が吉行の口から恋愛について、かなり深刻な口調で相談を受けたのは、それから一と月ばかりたってからである」。《出典・山本容朗著「人間・吉行淳之介」(文芸春秋)より》

僕は、20歳の頃、吉行と宮城さんの関係を知って、作家として人間的な面を垣間見た気がして、新鮮な感じを受けたのを覚えている。吉行は性に関する小説が多いので、長く読まれるかと思っていたが、そうではないらしい。流行作家が、死んでしまうと売れなくなる作家と、死後も売れる作家がいる。読者に同時代意識をもたれている作家は、その生き方が関心をもたれている要素があるのではないだろうか。だから、死んでしまうと情報発信がなくなるので、読まれなくなる。また、松本清張のように死後も読まれている作家もいる。

| | コメント (0)

2007年8月30日 (木)

宮城まりこさんと吉行淳之介(1)

吉行淳之介の作品には宮城まりこさんとの関係を描いたらしいものがいくつかある。「闇の中の祝祭」、「赤い歳月」、「湿った空乾いた空」に登場するという。ふたりは、大田区の北千束に10年ほど住んでいたらしい。近くの洗足池は散歩コースだったようだ。その後、上野毛に引っ越す。この間、夫人と宮城さんの関係で苦労したであろうことが想像できる。吉行はこの関係をこう書いているという。

「M・Mに出会ったことは、作家の私にとって幸運であったといえる。小説の材料を掴むために、私が彼女に接近を計ったのだという噂(文芸関係のうわさではない)を聞いた事があるが、その噂はもちろん間違いである。そういう愚かなたくらみを持つ人間は、おそらく小説家にはいないだろう。なぜならそういう形で書いた作品はロクなものになるわけがないから。
 私はM・Mに惚れたのであり、惚れるということはエゴイズムにつながる部分もあるが、功利的な気持ちは入り込む余地がない。三十四年の私の作品「鳥獣虫魚」の評で小島信夫が『作者の青春が復活した』という意味のことを書いたのを記憶している。たしかに、一人の女性に惚れたとい情況が、私の文章にうるおいを持たせた。言葉を積み重ねて作品をつくりながら私ははっきりと感じていた」。(つづく)

| | コメント (0)

2007年8月29日 (水)

同人誌「安藝文学」第75号(広島市)

【「雲の向こうのメメント モリ」梶川洋一郎】
原爆投下された広島で、戦時中に青年将校であった修平と、同じ時代を生きた男たちが、それぞれの過去を抱きながら、町の将棋道場で交流する。将棋会には、それぞれの戦争の過去のトラウマが渦巻き、まさしく戦時中の精神の戦いがそこに再現されている。現在になっても戦争が終っていない老人たちの、運命への怒り、嘆き、悔恨を迫力をもって描く。妻と娘を失って生きてきた修平の怒りと悲嘆に心を打たれた。

| | コメント (0)

2007年8月28日 (火)

「文学季評」8月・辻原登(読売新聞)

《対象作品》小林信彦「日本橋バビロン」(文芸春秋)/芥川賞受賞・諏訪哲史「アサッテの人」(講談社)/佐伯一麦「ノルゲNorge」(講談社)。(8月28日付)。

| | コメント (0)

菅野昭正氏が「世田谷文学館」館長に

文芸評論家の菅野昭正氏が東京・世田谷区の「世田谷文学館」の館長に就任。前任の佐伯彰一氏は、名誉館長となった。同文学館は大江健三郎氏など世田谷ゆかりの作家を紹介したり、時宜にあった企画を実施している。
参考=”ヘッセ庭”の光と影「=世田谷文学館」

| | コメント (0)

2007年8月25日 (土)

「白雲」第24号・朱夏号(横浜市)(2)

【「くいなのおとずれ~正宗敦夫~(6)」長尾志朗】
正宗敦夫という人は、作家・正宗白鳥の弟らしい。研究者には、貴重な資料になるのかもしれない。
【「少年Mの回想記(14)―肉弾三勇士」穂積実】
太平洋戦争中の軍国主義教育に染まった少年を描く。淡々としているだけに、その時代の雰囲気と、後から考えるイメージの根本的な違いを感じさせる。
【「快男児・喜楽(1)」山本道夫】
神奈川県の溝ノ口に「大山街道ふるさと館」があり、そこで知った林喜楽という人の伝記らしい。多摩川近辺の土地の変化を記しながら、何となく時代小説になってしまう趣向。出だし好調で面白い。

《参考》文芸同人誌「白雲」は、創刊12年。ジャンルを問わず年2回(1月、7月)発行。規定は、会員は原則として毎号2頁の原稿を載せるものとする。一人最大10頁を目安とし、1頁当り3500円の掲載経費を負担する。作品の寄稿がない場合においても分担金として1人3500円を負担する。但し、同人誌「白雲」を5冊分配する。手書き原稿の場合は、規定料金のほかに短詩型1,000円。散文型2000円を加算する。事務局=〒233-0003横浜市港南区港南6-12-21、岡本方「白雲の会」。

| | コメント (0)

2007年8月24日 (金)

「白雲」第24号(横浜市)(1)

短歌と俳句が多い。しかも、それら詠み手は、いずれも熟達の手練が感じられ、ざっと読み通しても強い印象を残す。

【詩「未青年」中谷江】
ニヒリズムに陥りがちな若き日の苦悩の時代。晩年を迎えて、再び青春時代の苦悩に向かい会おうとする精神を語る。青い虚無と褐色のような虚無のイメージの転換。時代を経た人間の虚無の変質が読めて面白い。

【「銀次郎の日記―高品町の丘の上」青江由紀夫】
銀次郎の1週間の生活は、月曜から木曜日までを、東京文京区の職場に近いワンルームマンションで、金曜から日曜日までは、千葉市若葉区高品町の居宅で過ごしている。都会と千葉駅近くの郊外?との地域の違いを描く身辺雑記。文筆による青雲の志を抱いた銀次郎の遺志を記した墓碑をここに建てることを夢想しているらしい。(まだ、それは早すぎるような気にさせるが……)。何年も前の話だが、作家・伊藤桂一師に小説の批評をしてもらった時に、「まだまだ、努力が足りない」といわれ「いや、わたしも歳のせいか、生活上の仕事で疲れることが多く……」と言い訳をしたところ「なにをいうか、僕に比べたらまだ子供か弟のようなものだ」と叱咤されたものだ。実際に師は、兵役から帰還し、作家として売れるまで編集者などの仕事をしていた。その師も、90歳。しかし、今でも、合評会に一人で現われ、我々と居酒屋や喫茶店で雑談に加わってもらえる。頭脳明晰、驚異的な健在ぶりである。

| | コメント (0)

2007年8月22日 (水)

文芸時評・8月(読売新聞)

《対象作品》荻野アンナ(50)「蟹と彼と私」(集英社)/筒井康孝(72)「ダンシング・ヴァニティ」(新潮)/笙野頼子(51)「萌神分魂譜」(すばる)/宮崎誉子(35)「欠落」(新潮)/対談=四方田犬彦(54)&坪内祐三(49)「知的共同体の終わり始まり」(新潮)。(8月21日付・山内則史記者)。
《注目の翻訳》小野正嗣(作家・仏語文学研究者=イーユン・リー「千年の祈り」(篠森ゆりこ訳、新潮社)。/W・G・ゼーバルト「土星の環」(鈴木仁子訳、白水社)/オルハン・パムク「イスタンブルール」(和久井路子訳、藤原書店)。

| | コメント (0)

2007年8月20日 (月)

社会的不経済システムを経済的にすること=革命の原理

国民は政策を実行すると思って、選挙で議員を選んでいる。しかし、バカボンが再三にわたって告げているように、国会議員は不用で、官僚を選挙で選ぶ方が選挙制度としてベターなのだ。小泉政権時代の田中真紀子外務大臣も官僚は小泉と組んで、クビにした。国会議員は、官僚組織のいいなりで、彼らの忠犬ハチ公である。議員とメディアは、今回の社会保険庁の厚生省の年金窃盗、横流し、使い込み、サボタージュの罪を問うことすらできない。これは、巷間で耳にする話だが、タクシーの運転手が、あまりにも行儀の悪いお客を、乗せるのを断ったら「俺様は、社会保険庁のものだ。お前の年金なんか、出してやらないからな」とすごんだ人がいたそうだ。こうした逸話は、新聞記事にもならず、人の口から口を経て伝わるものだ。通常の独裁者は、じぶんのしていることに自覚がある。しかし、自覚なき独裁組織は自己の保身をしているだけと思い、自らを被害者とおもっている。だから自覚がない。2大政党制にして政権移動すれば、悪代官的な国会議員と密約を交わしても、ホゴになる可能性があるので、官僚組織も多少はやりたい放題がやや不便になる程度であろう。
 国民の税金を召し上げ、それを還元し収支をはかるのに、多くの無駄がでる。これは組織というものの宿命で、仕方のない面がある。封建時代の悪代官制度もそのような無駄な面が多くて、歴史的になくなっていった。フランス革命も、国民を統治するのに、貴族の使い込みが多くなって、民衆から召し上げる金を還元しなかったために民衆が蜂起したのである。革命というのは、反体制主義者がいくら気炎をあげても起きない。民衆が、何か変だと思う時間が長く蓄積したときに、あるとき一挙にマグマが噴出するようにおこるというのは歴史が物語っている。フランス革命当時も、貴族もこんなことをしていたら革命が起こると自覚していたら、もうすこし態度を変えていたろう。
 自覚なき独裁者たちが、自分たちは被害者であり、善良であると思っている間に、あるとき突然に社会に変化が起きることになるのではないか。メジャーリーグがどうしたとか、サッカーがどうしたとか、グルメがどうしたとか、それらが重要事項なのだと国民が思っている間は、まだ大丈夫だとは思うが。

| | コメント (0)

2007年8月19日 (日)

小泉今日子の書評・松浦寿輝「川の光」(中央公論新社)

読売新聞8月19日付・書評。松浦寿輝氏は「花腐し」で芥川賞、「半島」で読売文学賞を受賞している作家で学者。小泉今日子の紹介では「この物語は、川辺に住むネズミの一家が、人間の手による河川工事のために住み慣れた住処を求めて旅をする大冒険譚。夏休みの子供にもぴったりだが、大人には大人の深い読み方が出来る素敵な本だと思う」とある。感想は「この世のあらゆることをみんな同じように大切に感じることが出来るようになりたい。だから、精一杯今を、一瞬をちゃんと生きていたいと思った」。作品は、純文学的童話的読み物らしい。
メ ジャーな媒体の書評のほとんどが、読んですく何かを言わなければならない。じっくり考え吟味比較できないとこところがある。
話が飛ぶが、同人雑誌における名画や名作の評論もその辺のところを考えて、書くと価値が生まれるのではないのだろうか。

| | コメント (0)

2007年8月15日 (水)

「頌」(オード)第27号(東京・武蔵野市)

【「ジェスアルドの音楽」杉本暁】
1613年に亡くなったドン・カルロ・ジェスアルドという作曲家についての評論。自分はまったく知らない作曲家であるが、陰鬱なトーンの作風であるらしい。ちょっと聴いてみたいような気にさせる解説と思い入れが、語られている。作者の心情の理解が深まり、興味が増し、面白く読めた。

【「アレハンドロ・アメナーバル監督作品論」(2)小原優】
映画「アザーズ」(2001年)と「オープン・ユア・アイズ」(1997年)の作品について、その技法や精神が語られている。どちらの作品も見てはいないのだが、映像テクニックの解説が絶妙で、思わず小説の表現技術と比較しながら読んでしまう。創作一般に参考になる普遍性をもっているのが、ひとつの風格となっている。

【「観覧車」森野こと】
弟の僕が兄に遊園地に連れて行ってもらう。兄弟でそこで過ごす様子を弟の視点で描く。なぜか兄弟二人で生活し、弟の面倒は兄が見ているらしい。遊園地で遊ぶ様子を描きながら兄弟の愛情を表現し、かつ兄と弟それぞれの寂しさと孤独が透明感のある描写で表現されている。フランス人画家にヂュフィとかいう画家がいたが、軽快さのなかに寂しさを含む水彩画のような遊園地の描写が魅力的。

| | コメント (0)

2007年8月13日 (月)

詩の同人誌「国鉄詩人」と「騒」などを読む。

先週の日曜に、脱水症状で、救急車で運ばれた。
 そのため調子が落ちている。送られてきた同人誌のうち、まだ「安芸文芸」、「視点」、「農民文学」、「小説芸術」など、作品紹介していないものが多い。そのなかで「国鉄詩人」と「騒」や全共闘時代に生きた永井啓之の獄中記「仁王のように立ちて」(社会評論社)もある。奇妙なことに、働いて自分で学費をつくって大学に通っていた自分が、宇野弘蔵派の経済学を学び、社会科学としての政治経済、社会組織のあり方と政治形態を考え全共闘に違和感をもっていた頃、永井氏は、活動に関心と意欲をもっていたことがわかる。当時のプロレタリア的自分に比べ、思想の違いはともかく、優雅な部分に頭脳を使っていたのがわかり印象に残った。井乃川巨という詩人がいて、文学フリマの文芸同志会ブースに来てくれた。その2年後に彼は死んだ。井乃川氏について永井氏が書いていて、まあ、それがこの本との縁になっている。

| | コメント (0)

文芸時評・7月(毎日新聞)沼野充義

《対象作品》ペンギンブックス「芥川龍之介短編集」畔柳和代訳(新潮社)/大庭みな子追悼特集・1968年芥川賞受賞作再録「三匹の蟹」(群像)/山崎ナオコーラ「カツラ美容室別室」(文芸・秋号)/鹿島田真希「女小説家の一日」(新潮)/山田茂「ある言語からの報告」(群像)。(7月27日付)

| | コメント (0)

2007年8月12日 (日)

小泉今日子の書評=「夏のコワーイ 1冊」

読売新聞の読書委員が選ぶ「夏のコワーイ 一冊」特集(8月12日付)で小泉今日子は、小川未明「赤い蝋燭と人魚」(絵・酒井駒子=偕成社)を選び紹介している。曰く、
『出会いは小学校の図書室だった。本棚に古くてボロボロになった本を見つけた。「赤い蝋燭と人魚」。ロウソクって漢字で書くとなんだかおどろおどろしいな、と思いながら読み始めた。そこまでの記憶はいやに鮮明なのに、私は物語の内容を全く覚えていなかった。
つい最近、再び出会った「赤い蝋燭と人魚」は大好きな絵本作家、酒井駒子さんの装画だった。我が子を思う人魚の願い、幼い人魚の孤独、人間達の欲や差別、そして海の怒り。夜の、暗くて深い海の底に引きずり込まれるような怖さを感じる悲しい物語だった。小学生だった私には、この悲しみを受け止めることが出来なかったから、今まで心の底に封印していたのかもしれない。』

この書評、枚数制限のなかで、自分の文体とリズムをしっかり会得したいい文章である。おそらく他にも多量に書いているのではないだろうか。回数を重ねるごとに、心技体と巧くなっていくのがわかるのは、読んでいて楽しい。

小川未明の童話は、有名だから出版されるが、現在、素人がこのような作品を書いても出版されないかもしれない。それほど人間の心の闇を描いてトーンが暗い。本来は純文学なのだ。他に、童話作家で純文学なのに、新美南吉がいる。彼は、本心は純文学作家をめざしていたのだと思う。

| | コメント (0)

2007年8月11日 (土)

100歳が書いた戦争 「孫たちへの証言」第20集

 戦争体験者の高齢化が進む中、体験を風化させないために、記憶を記録に残そうとする人たちがいる。毎年、全国から募集した戦争体験記をまとめて出版している「孫たちへの証言」には、刊行20年目で初めて100歳の投稿者が登場した。ロングセラー「ガラスのうさぎ」の著者、高木敏子さん(75)も今月、「ラストメッセージ」と題した手記を出版した。
 大阪市の出版社「新風書房」は全国から戦争体験を募集し、1988年から毎年、終戦記念日前に、「孫たちへの証言」と題した本を出版している。
この20年間で寄せられた原稿は1万3373編、掲載数は1599編に上る。
 今年も第20集(税別1300円)が8月に刊行された。寄せられた347編の中から74編が収録されている。投稿数は昨年並みだったが、90歳以上からの投稿が17編もあったことが特徴。投稿者の平均年齢は77・3歳。親の日記をまとめたり、親や祖父母から聞き書きしたりした原稿も目立った。
 このうち「三十六歳、大連で現地召集され古年兵の餌食に」と題した原稿を寄せた北海道の久保田勇さん(100)は、この20年の投稿者の中で最高年齢。久保田さんは中国東北部で働いていた1944年に召集された。3人の幼い子どもと妊娠中の妻を残して入営。その後、突然済州島に移動させられ、食糧事情の悪い中、穴掘りに従事した。
 本人の原稿と共に、介護に当たるヘルパーが聞き書きした文章も寄せられていて、出版社で一つの原稿にまとめたという。
「戦後62年たっても、1編1編に戦争の苦渋が渦巻いている。『記憶を記録にとどめる作業』を、応募がある限り続けたい」と、「新風書房」社長の福山琢磨さん(73)は話す。来年3月まで募集している第21集の原稿テーマは「記録することで体験は生きつづける」。問い合わせは同社(06・6768・4600)へ。(読売新聞記事より)

| | コメント (0)

「読書人」07年8月24日号「文芸同人誌評」白川正芳氏・担当

《対象作品》「独り駆けコンサルタントの旅立ち」阪本慶二、「入れ歯」鈴木彰(以上シニア文学」5号)、「パスカルとわたし」平木アイス(「メタセコイア」4号)、「熱き血汐」小倉弘子(「土砂降り」15号)、「吉本隆明の教育論」西垣裕作、西村俊一、室伏志畔、神山睦美(以上「季報唯物論研究」99号)、「はたして小説に『人間』は必要か?」鈴木重生(「カプリチオ」25号)、「小説 斎藤茂吉」小山栄雅著書(檸檬新社)、「全作家短編小説集」(のべる出版)、「十年」玄月(「白鴉」20号)、「馬を見に」岡崎紀美子(「かいだん」56号)、「うたかたの」高橋菊子(「山形文学」93号)。
(「文芸同人誌案内」掲示板より・よこいさんまとめ)

| | コメント (0)

2007年8月10日 (金)

「文學界」07年9月号「同人雑誌評」担当・勝又浩氏

《対象作品》
講演記録「はたして小説に『人間』は必要か?―あらためてヌーヴォー・ロマンを語る―」鈴木重生、「家族写真」万リー(以上「カプリチオ」25号/東京都)、「ゆるやかなとき」塚越淑行、「海にいく道」山之内朗子(以上「まくた」256号/横浜市)、「その時、女教師は」中田重顕、「渇く大地―河南にて」松嶋節(以上「文宴」107号/松阪市)、「私の妻の名を陸燕(ルウイエン/ルビ)と呼んでください」長瀬ひろ子(「地下水」45号/山形市)、「霧の道」中沢正弘(「層」106号/飯山市)、「月の河原」園田信男、「キリハラ」立石富生、「夢のひと」長井那智子(以上「火山地帯」151号/鹿屋市)、「突堤の虫」吉田典子、「桜月夜」久我留美子(以上「サボテン通り」7号/函館市)、「ほどける幸福」桜井夏実(「文藝砂山」4号/函館市)、「不作為な自己実現」久保利通(「私人」59号/東京都)、「溶ける」岸田淳子、「漂鳥」旭洋子(「海牛」27号/津市)、「気だるい丘」沢野繭(「白鴉」20号/八幡市)、「夢童子」「大太刀」以上・青木倫子(「アンプレヤブル宣言」12号/今治市)、「珈琲館『バチスト』」宇田本次郎、「銀杏」桂城和子(以上「グループ桂」56号/小山市)、「靴下」空(「ちば文学」2号/千葉市)、「ダンケの花火」山本直哉(「文芸誌O」40号/佐久市)、「占い師」堀井清(「文芸中部」75号/東海市)、「消えないキエフ」寺村茂(「こみゅにてい」76号/和光市)、「春、浅く」小森新(「奏」14号/静岡市)、「じょうこじさん」崎村裕(「構想」42号/東御市)、「なすび」水口寿美(「樹林」509号/大阪市)、「侵入者」森静泉(「狼」50号/高崎市)、「スノーストーム」有芳凛、「イサ」猿渡由美子(以上「じゅん文学」52号/名古屋市)。
ベスト5=「ほどける幸福」桜井夏実、「家族写真」万リー、「夢童子」青木倫子、「突堤の虫」吉田典子、「ゆるやかなとき」塚越淑行。(「文芸同人誌案内掲示板」より、よこいさんまとめ)。

| | コメント (0)

2007年8月 7日 (火)

「文―BUN-」第5号・立命館大学文芸創作同好会(2)

【「抽斗」青菜月】
トタン屋根のアパートに住む母と娘。マンションに住みたいと、やりくりして頭金のお金を貯めたいと努力する。しかし、公団マンションの抽選に外れてしまう。しかたなく、ふと日常生活的には、不相応な高級菓子を買ってしまう。するとこれが得もいわれず美味しい。それ以来、病み付き煮になり、引き出しからは、買いためた高級菓子のよい香が漂うようになる。生活の一点豪華主義になる。

ここには、作品にふさわしい文体がある。同じ内容を、同人雑誌によくある身辺雑記風にしたら、これほどよい出来には成らないと思わせる。何をどのように表現するかをよく考え、創作精神にあふれた作品になっていて、読んで楽しい。

| | コメント (0)

2007年8月 6日 (月)

図書新聞07年8月11日付「同人誌時評」たかとう匡子筆

《対象作品》「時評39」池田實(「ポエームTAMA」39/日野市)、「忘年記―ざぼんとみかん もしくは白秋と中也」成田昭男(「VAVばぶ」11号/日進市)、「中也のいる風景10」瀧彰太郎(「CARAVAN」10/横浜市)、「背負う言葉」岡田晃(「AMAZON」423号/宝塚市)、「右巻き 左巻き」彼末れい子(「多島海」Vol.11/神戸市)、「ねじれの位置的俳句」上森敦代(「quatre」No.25/大阪市)、秋山基夫(「ペーパー」創刊号/岡山市)、「『三島由紀夫事件』控え帳」北原洋一郎(「淡路島文学」創刊号/洲本市。(文芸同人誌案内掲示板・よこいさんまとめ)

| | コメント (0)

2007年8月 1日 (水)

「文―BUN-」第5号・立命館大学文芸創作同好会(1)

【「月の裏側」杉山研】
僻地探索官が月に赴任し、月の住民との交流を描く。SF小説らしい。月の住民との交流を描くといっても、結局お互いに交流できないまま、終わっている。コミュニケーション不能の関係を描いたものらしい。月の人は親子断絶、ひきこもり、社会関係の作り方の巧くない人間的特性を表現したようにも読める。もうすこし想像力を働かせた部分が欲しかった。地球上の隣の家人のように描く月の人々への表現が、なんとなくユーモラスに思えた。
【「プラタナス」木林黒白】
厚志という大学生らしき若者の視点を通して、内向した情念を描く。子供の頃、天道虫を殺した記憶から、現在のバッタを集めて分解してしまう情念を中心に、好意を寄せる女性と友人とが親密になってゆくのをただ傍観するしかない厚志の、波打つ心理をからめて、暗い情念をイメージ化したもの。バッタの分解に執心するところも迫力がある。荒削りで、書き足りないところはあるが、狙った獲物に矢を射ている感じがする。プラタナスの葉が手のように思えるイメージは、それ自体は連想を呼び良いのだが、厚志の内面と外部世界との関係付けの面で、やや散漫な感じがする。
【「テンダー・ブラック」高村綾】
 小説を読むのが好きな若い女性カナエが、コーヒーショップで読書をしていると、同じ本を読んでいる婦人がいることに気付く。謎の貴婦人と店長を巻き込んで、文学好きだけがわかる作家と、ドストエフスキーのラスコリニコフやゲーテだったか「若きウェルテルの悩み」など作家がが生み出した主人公を、題材に挟みながら、物語が進行する。素朴なつくりの同人誌に似合わないスマートな内容とセンスが発揮され、面白く読んだ。

| | コメント (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »