「淡路島文学」創刊号作品紹介(2)
【「春の遁走」北原文雄】
庄一は、農家の息子だが、サラリーマンをして、定年退職している。農業をはじめてはいるものの、本格的な耕作から遠ざかっているのと、性格なのかもうひとつ、やる気が出ない。草刈機を使っていると、細長いくねくねしたものがいるので、すっかりおびえて気分を悪くしてしまう。蛇を蛇といわずに、その生物への嫌悪とこだわりを表現している。ユーモアのなかに悲鳴のような心情を盛り込んで、表現を集中させた凝った作品である。このように表現することで、近隣地域関係の濃密な交流を暗示するのか。では、この細長くくねくねとする軟体はなんであるのか? それは「農の遊び人」と評される生活者の異邦人的精神の持ち主でないとわからない「あるもの」であることなのであろうか。
【「もとの水―成山花橋『西遊日記』戯注の試み」島田陽】
阪神神戸大震災では、淡路島は直撃をうけ、その断層が保存されているのをTVニュースで見たことがある。そこにある古家が筆者の実家であるという。棟札には「文政三庚辰夏五月四日上棟」とあるという。文化財である。最近の台風被害を検証するなかで、成山花橋の日誌の資料を仔細に読み取っていく。そのなかで、仙崖の賛から「島原大変」の様子など、貴重で興味深い当時の様子をアナログ的な味のある筆致で追求をしてゆく。筆者はロシア文学の専門家であるのだろうか、ゴーゴリの「死せる魂」や「現代の英雄」のレールモントフの登場などもある。ぼんやり読み始めて、読み進むうちに目が覚めた。連載である。
「『三島由紀夫事件』控え帳」北原洋一郎」
1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊拠点に入り演説の後に割腹自殺した事件について、36年後の今、その内情を振り返る。川端康成との交流も指摘している。川端も自死しており、不思議な因縁をあらためて考えさせる。もうはや自衛隊駐屯地も再開発され、痕跡もない。同時に、自己の存在を自意識で装飾する文学も遠いものとなってきてるようだ。
【「往時片々―昭和二十二年暮れとわたし」三根一乗】
筆者の父が、新聞「淡路タイムス」にコラムを執筆していた。そのなかで、食糧営団の配給体制の不備を指摘、活動の民営化を主張、食料営団不要論を述べた。すると、連合軍最高司令部民間検閲出版演芸放送検閲局昭和二十二年十一月十八日民間検閲部出版演芸放送検閲局検閲官から出頭命令を受ける。マッカーサー司令部の指令に依る日本出版法第2条に違反するのだという。その部分とは、
三、該箇所は次の箇所にありたり こうりゃん配給と食糧営団「我々は今更らしく敗戦国日本の憲法など当てにはしない……来たらん日には吾人は吾人自らの力に於いて……巻き起こされるであろう一大旋風下に於いて団結し、以って解決の道を拓かねばならぬ」。
筆者はこのとき、大阪に行く父親について行かされたが、話がついて戻ってきた時は、上機嫌だったという。その後、食糧流通に関する法改正があったことから、筆者は、父の主張が正しく評価されたされたことを伺い知るのである。
新聞の編集権について、昭和二十一年五月十九日に起きた「食糧メーデー」対して、同年五月二十に出されたマッカーサー司令部の声明を徳富蘇峰著「終戦後日記Ⅱ」(講談社)から引用するとして、次の様な趣旨の一文を紹介している。
「米国においては新聞の編集方針は社長、編集局長を中心とする協議会によって決定され、編集局長の責任はいかなる理由の下においてもこれを回避することは許されず、これはそのまま編集局長の権利である。……しかしここに区別すべきは、記事の報道と署名に意見の表明との相違である。個人の権利は公論にまたずして侵害さるべきではない……」
署名記事は執筆した本人に責任があり、その編集者は及ばないというもの。
したがって、筆者の父が検閲にかかっても、淡路タイムスという新聞は継続されたのであろう、としている。
編集者と著作者の責任問題は、微妙なものがある。
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