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2007年4月30日 (月)

婦人文芸」50周年の集いを開催(2)

 同人誌というと、なにかアマチュアか、修業中のイメージがあるが、「婦人文芸」の会員の面々は、プロになっている人もいるし、他の会員もプロに比べ何か遜色があるという程の差異があるわけでない。ただ、売れているかいないか、だけの違いである。私は雑誌「婦人文芸」や「農民文学」、「文芸中部」などは、市販の文芸雑誌と同じ感覚で読んでいる。かえって商業文芸誌にない個性があって、作者の自己表現の手段として、身近な作風に徹底しており、こういう主張は商業誌では、逆立ちしてもできない。たしかに、自己表現専門では、売れない。自己表現から離れることで、たくさん売れる。商業誌は自己表現から離れたところで勝負する。(つづく)

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2007年4月29日 (日)

「婦人文芸」50周年の集いを開催(1)

同人雑誌「婦人文芸」の50周年を記念した集いが、池袋の会場で開催された。同誌は、戦前の婦人平和運動とも関係をつなぐ、文芸同人誌の名門のひとつである。ゲストに、文芸評論家の大河内昭爾、白川正芳、菊田均、全作家の豊田一郎、児童文学研究家の上笙一郎、遊技ジャーナル編集長久保田光博の各氏が参加した。

 胃の切除をしたという大河内氏は、体重が減ったとしながらもお元気そうなので、安心した。お顔の血色も良い。帰りのエレベーターのなかで、その印象をお伝えしたら「いや、まだ、よろけるんだよ。剣道の○段だったのにね」といささか残念そうであった。

 白川氏が週刊「読書人」で同人雑誌評をされているのは大河内氏の後を引き継いだもので、あったという。国学院大学講師をしておられる白川正芳氏とは、葉書などの交流はあったが、何年ぶりかで再会。囲碁の著書が英訳されるという話を伺った。世界に囲碁ファンが増えれば、日本よりも世界で有名になる人であろう。氏の著作に次のようなものがある。「埴谷雄高との対話」(慶応義塾大学出版会)。「埴谷雄高の肖像」(慶応義塾大学出版会)。「囲碁の源流を訪ねて」(日本棋院)。(つづく)

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2007年4月26日 (木)

詩 「ハルジョオンに」 江原茂雄 「眼」 第20号より

 紹介者 江 素瑛(投稿)
              ☆

 ハルジョオンに      江原茂雄

 君たちは/なぜ白く咲くの?/君たちをふり向く人はいないのに/白い君たちの花の中に/ところどころ/ピンクの花があるのはなぜ?
 
 目立たない君たちの中で/せいいっぱい目立とうとして/咲いているはなぜ?

「春紫苑」――。この詩を読んで、初めて春ごろにどこでもあり、見過ごしたこの花に気づきました。
 調べてみましたら学名はErigeronという、 キリシャ語の  eri は「早い」、 geron は「老人」との意味で、早春に咲く、老人の白い柔らかい髪のような毛に覆われた花。
 北アメリカ原産、大正時代に園芸植物として東京に渡来の春紫苑、大正草とも呼ばれます。今は、土のあるところであれば、かならず生えてきます。園芸ところか、雑草同様の花であります。
 キク科、沢山糸状の小花の集合でなった花。茎中空、葉は茎を抱く。つぼみは濃いピンクの花序、開花前はうなだれが特徴で、開花すると白、薄桃色、薄紫色、ピンクなどになります。
 江原さんだけでなく、雑草を題材にする詩人には、西脇順三郎もいる。
 せいいっぱい目立とうとして/咲いているのはなぜ?
 昔の栄光を取り戻したいのでしょうか?観賞植物の格をもう一度認めて貰いたいのでしょうか。平和時代の帰化植物は、この混迷の時代ではなにを意味するのでしょうか?価値観がどんどん変わります、雑草が見直される時代かも知れません。

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2007年4月24日 (火)

《文芸時評=田中和生》対象作品(読売新聞4月24日)

《小説》
吉田修一(38)「悪人」(朝日新聞社)/朝倉祐弥(29)「<鈴木少尉>の帰還」(すばる)/前田司郎(30)「グレート生活のアドベンチャー」(新潮)/幻侑宗久(50)「龍の棲む家」(文学界)/星野智幸(41)「無間道」(すばる)。

《注目の評論》
蓮見重彦『「赤」の誘惑 フィクション論序説』(新潮社)/東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」(講談社現代新書)/大西巨人インタビュー集<聞き手・鎌田哲哉>「未完結の問い」(作品社)。=田中和生=法政大学講師・文芸評論家。

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2007年4月20日 (金)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(4)

【「許容もできない」常島智央】
17歳の高校生活状況を描く。「俺」という1人称形式であるが、日記やメモのように感じさせるところがあり、説明不足のところがあるのか、世代の違いなのか不明。
【「男の子を好きになったら」(最終回)よりふじゆき】
連載だが、記憶にある。ひとつの愛の形として、情念が表現されており、ひとつの美意識をもってまとめらているので、お話として納得させてくれる。

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2007年4月19日 (木)

「週間 読書人」2007年4月20日「文芸同人誌評」白川正芳氏筆

《対象作品》「がんばれ! ひょろり君」山崎浩一(「奔馬」33号)、「連結コイル」海東セラ(第24回大阪女性文学賞受賞作「鐘」19号)、「文芸批評・吉本隆明」釈恵照(「勢陽」19号」)、「筑後風土記の筑紫の君」山中光一(「青稲」78号)、「ぼやき編集長39年」草野文良(元「日通文学」編集長、私家版)、「伊藤信吉研究」梁瀬和男(「かぶらはん」587号)、「天上に発つ前に」秋之みか(「じゅん文学」51号)、「自薦短編小説集」村尾文(「文学街」別冊号)、「空のむこう」田辺博子(「空とぶ鯨」7号)=文芸同人誌案内掲示板・よこいさんのまとめより。

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2007年4月18日 (水)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(3)

【「隣人を愛せよ」高村綾】
「萌え」や「ボーイズラブ」「やおい」の世界のオタク族の私が、井川さんという素敵な人にめぐり合い、どきどきして接近してみるとその人もオタクだった。専門用語に「注」を入れて、あっさり田中康夫を乗り越えているのが面白い。生活のなかに幻想を組み込んで暮らす、というか暮らさざるを得ないというか、若者の現在をうまくイメージ的に表現している。生活的なリアルさがありながら、70%以上を占める諧謔精神が、生きている。
【「眩暈」高村綾】
「僕」の実存的なイメージから生まれた幻想曲。筋はなさそう。自己憎悪。愛されることへの拒否感。白亜の塔への逃走など、イメージを追っていけばかなり理屈がつきそう。「やおい」小説で鍛えたようなエロイ描写力が生かされている。孤独に浮遊する自己喪失的な存在感を表現したかったのか、器用である。存在の希薄感を語りながら、存在感が強く出ているというハチャメチャ感もある。
【「Change」真愉】
いじめの標的になった話から、しばらくすると突然、他の人にいじめが移転し、私はいじめられ役から抜け出せる。いじめられる対象が次々と変わっていくらしい。構成がしっかりしていて、読んで気持ちがいい。形式に敏感な感性をしており、頼もしい。

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2007年4月16日 (月)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(2)

【「窓際の神様」木林黒白】
授業中に迷い猫のいるのに気がつく。周りの学友の描写がすこし面白い。2階の教室から眺めていると神の視点で考えたり見たりする。自己の存在から人間存在の些少ぶりなど、短い中に凝縮した思考が盛り込まれている。携帯のニュースを読むと、「北が核の発射準備」とある。絶望する。
【「生ける自殺者」木林黒白】
誰かが自殺する。自殺者がでるとマスコミが騒ぎ立てる。その後、自殺者が亡霊となって、語り手と会話、討論をする。そして自殺者の世界と語り手の世界が併合合流する。
これまでの作品で感じるのは、現在の社会のどう向き合っていくかという課題について関心が高く、表現の意欲もそこに集っているようだ。とにかく、社会という仕組みは、選ぶことが出来ずに所与存在として、若者たちの前に突き出されている。そこに植木等のスーダラ人生を予測することない。そのなかで悪戦苦闘を予感している精神が伺える。創作をするというので、そういう構えをするのかもしれない、とも思う。

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2007年4月15日 (日)

「文―BUN」第4号・立命館大学文芸創作同好会(1)

【「Fatal Defect」村上哲太郎】
私は、彼女を絞め殺す。逃亡したのち、ホームレス集団に紛れ込む。そこで、私の犯行を知ったホームレスの老人が懺悔をしつこく勧める。そこで老人も殺す。そのあと私は母親おも殺していることを読者に知らしめる。そして、自死を暗示して終る。死体が4つの話。新聞記事をコラージュしたような作品である。新聞記事と異なって文芸的なのは、老人が神をもちだすあたりであろう。現代の多量な情報が作品を生み出したといえそう。ニュースへの感受性が表現になっている。エネルギーがでている。ただ、現代の事件報道は、同じネタを幾度も大げさにして伝える。増幅作用が激しいことは事実。事件性で言えば、横溝正史の「八つ墓村」は、何十人という村人が殺された実際の事件がモデルになっているという話しを耳にしたことがある。今なら大騒ぎであろう。ただ、当時、情報量が少なかった。

【「その道中」柴崎塔人】
これは、事件性がまったくない。新幹線の座席に座って、その現象についてあれこれ思いをめぐらす。人によって生まれる芸術の本質と独立性、偶発性を論じる。受験目標と結果への見解をのべるあたり、学生らしい視点がある。要するに座席にすわったまま、これらを材料にこれだけ描くのは、結構むずかしいものがあるのに、よく話を展開しきっている。

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2007年4月14日 (土)

 岡田すみれこさん詩集より  「歩く」  紹介・江 素瑛(投稿)

岡田すみれこ・詩集「「もう帰るところはありません」(ポエトリージャパン出版)より
         ☆
「歩く」

ここは泥の海ではないはずなのに   
なかなか前へ進んで行かない 
「何故?」という無意味な疑問が   
今日も足にまとわりつき   
どうにか辿りついたのは   
コドモの病院    
彼女は何度も入院を繰り返し
わたしは数え切れないくらい通いつめた    
(コドモだった娘も十数年経って   
もうすぐ二十二歳になる) 
わたしは時々   
大きさの合わない長靴をはいているような  
気分になる    
遅遅として進まない足は    

以下・・・・、
病院からの帰リ道/リコンという岐路を眺めている/ここは泥の海ではないはずだ/見上げれば空に雲も浮かんでいる/けれどリピートされるコドモの病気/堆積された不満に漂うリコン/バクバクと大きい長靴をはいて/その靴を選ぶしかなかった自分を/憐れにも思いながら/今日もわたしは/同じような場所にいる/歩こうとすると水が入って重い/重くて冷たくて気持ちが悪い/ただ前を見ようとする意思だけが/自分を支えている/コドモの病気や/わたしたちのリコンは/すぐそこにある/のろのろと歩き出すしかない
          
  
小児から入退院を繰り返すわが娘を抱えながら、母として、人妻として、努力する。結婚してわかる調和と不調和、この世に離婚を考えない結婚生活は、果たしてあるのだろうか。心になにかの不協和音をかなでながら、歩く、歩く、前へ進むしかありません。それが人生というものなのでしょうか。
 「歩く」もそうですけれども、この詩集は、ほかにも「夫」と「わたしたち」と「恋人」織り込んで、どこでもいる熟年夫婦の有様と心理を、生き生きと絵のように表現しています。そのなかの「夫婦」は、興味深い作品です。それぞれの抱く日常の生活から愛の形を、薬草から成分抽出をするかのように取り出しみせています。


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2007年4月10日 (火)

「文學界」7年5月号「同人雑誌評」大河内昭爾氏筆

《対象作品》「ひととき」、「望郷」以上・柳谷郁子、「『鎖国』考」後藤茂、「長男の嫁だから」福本信子、「雁皮の花」三村毅(以上「播火」62号/姫路市)、「今月の窓」、「黒黴」村尾文(以上「文学街」231号/東京都)、「地下足袋」村尾文(「文学街」別冊号234号/東京都)、「夢の地層」原口啓一郎(「文芸東北」490号/仙台市)、「ヒトモドキ」(2)佐佐木邦子、「奇妙な夏」牛島富美二、「私の迫川地図」近江静雄(以上「仙台文学」70号/仙台市)、「レクイエムこもごも」松本鶴雄、「ターマの生活と意見」高テレサ、「生きて死ぬ夢」永杉徹夫、「「夏の雨の日に」冬野良、「西瓜」篠原しのぶ、「同窓会のあと」高橋秀同、「記憶に苦しむ女」野村路子、「晩い夏探し」大桑二郎(以上「修羅」54号/桶川市)、「揺れて」桐山みち代(「河」138号/東京都)、「事件」岬六平(「いぶき」57号/千葉市)、「交換ノート」井上武彦(「文芸中部」74号/東海市)、「関西風列伝」清水信、「人生の終着駅にあって」三宅千代、「時の底で」湯本明子、「虎穴を覗く男」成田哲也(以上「文芸シャトル」58号/名古屋市)、「風景-金魚-」山口馨、「犬のいる光景」上田千之、「走れ、ロシナンテ」佐多玲、「ある夏」むらいはくどう、「長い坂道」市谷博、「幻影」草野茂(以上「渤海」53号/富山市)
ベスト5は、「風景」山口馨、「揺れて」桐山みち代、「黒黴」村尾文、「夢の地層」原口啓一郎、「事件」岬六平
(同人誌「木曜日」よこいさん・まとめによる)

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2007年4月 8日 (日)

小泉今日子の日曜書評

小泉今日子の読売新聞の8日付けでは、吉永みちこ「オバハン流 旅のつくり方」(中央公論)を読んでいる。キョンキョンは、楽しむための努力が出来ない体質、とある。たしかに、大変な努力をして面白いことをしている人のTV番組も多い。みるだけで、やらないのは、やはり楽しむのも大変だとわかるからであろう。
温泉地の温泉病院で人間ドックをする方法も紹介。それも、もう10年もドッグいりしていない、という。うーん。自分も30年以上も行かないうちに、病気になってから必要事項を検査するはめに。今月もまたその後の経過を検診する月になった。それにしても、吉永さんの本の内容がわからないので書評にはなっていない。連想エッセイだね。

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2007年4月 7日 (土)

「図書新聞」年4月7日「同人誌時評」志村有弘氏担当

「文芸同人誌案内」掲示板・よこいさんまとめによる。
「図書新聞」2007年4月7日「同人誌時評」志村有弘筆です。
「ブルース Blues―杉田久女に逢う旅―」武田久子(「スクランブル」18号/松山市)、「闇の語部」蒲生一三(「文芸中部」74号/東海市)、「あしぎぬ(漢字が出ません)」京あすか(「海峡」18号/今治市)、「兵の夢」田中風、「数寄屋橋公園前の歩道では」、「再会」以上・本所太郎、「ほんとなんです」国松久良雄(以上「杞憂」9号/大田区)、「少年の時代」須田勇(「いぶき」57号/千葉市)、「敗戦記(第二話)」吉田明弘(「ストイケイオン」19号/文京区)、「神田川6―祖母の話」金井節子(「鳥」11号/さいたま市)、「野史」天路悠一郎、「童話の時代―昭和二十一年夏・鷺宮」(以上「花」38号/中野区)、「葉隠れ論語」大西文子(「玲瓏」66号/千葉市)、「占領軍の夜」東賢太郎(「ふぉとん」5号/鎌倉市)、連載「中戸川吉二ノート余話」盛厚三(「北方人」10号/春日部市)、「小野十三郎賞受賞抱負」たかとう匡子(「樹林」505号/大阪市)、「おふくろ競馬」、「おふくろ」以上・乾夏生、「夜のエチュード」仁科理、「鎮魂」増田幸太郎(以上「木偶」67・68号/小金井市)、「正岡子規ノート」笹島正史(個人誌「踏鞴通信」)以下追悼号―たにみちお追悼(「驅動」50号/大田区)、横地妙子追悼(「ナイル」110号/大田区)、滝本明追悼、「灰谷健次郎と木下順二追悼文」日野範之(以上「樹林」505号/大阪市)、岡本恵徳追悼(「駱駝」50号/練馬区)。

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2007年4月 5日 (木)

“佐藤友哉さん、島本理生さんと結婚!

(4月5日『メールマガジンファウスト』より)
  編集長挨拶
 「まだだ、まだ終わらんよ!」
 ついに再始動、『ファウスト』最新号Vol.7、今夏発売予定。
 そして特集は――そう、これをやらずして『ファウスト』は終われない!
 注目の特集は、あの“佐藤友哉”特集、「佐藤友哉のすべて!?」、です!
 一年の長きに亘った沈黙を破り、今ここに『ファウスト』を再始動できることは編集者としての僕にとって最高の喜びです。本当にありがとうございます。
 そしていきなりですが、この場をお借りしまして本邦初公開! の仰天ニュースをお届けしたいと思います。

 “佐藤友哉さん、島本理生さんとのご結婚、本当におめでとうございます!”

 佐藤さんの小説の力によって人生のカーブを切った多くの人の思いを代表して、こに心を込めて( )の花束を贈りたいと思います。佐藤さん島本さん、どうか末永くお幸せに。そしてこれからも、これまで以上に、僕たちの胸を奮わせる傑作を書き続けていってください。
 ((((((( ))))))))
 次号の『ファウスト』Vol.7は、お二人の幸せを祈る意味でも、編集者生命をさらに振り絞り、全力で最高の一冊に仕上げたいと思います。また、『ファウスト』にて佐藤さんが三年という歳月をかけて格闘しつづけてきた作品、『灰色のダイエットコカコーラ』の単行本は、5月下旬、今度こそ掛け値なしの発売予定です。
 どうかご期待ください!
 講談社『ファウスト』編集長 太田克史

 『メールマガジンファウスト』編集後記
 一年ぶりの『メールマガジンファウスト』です。いかがでしたでしょうか。
 この一年は目まぐるしいほどの出会いがあり、そして別れがあり……、しかし『ファウスト』は、つねに僕の胸の中心にありました。新しい挑戦としての講談社BOX、そして台湾版、韓国版に続くアメリカ版(!)『ファウスト』の刊行決定、そして、まだ詳しくはお話しできませんが、編集長としてではなく、“ただ一人の編集者”というもっとも身軽な立場に立ち返って参画することのできる新雑誌の立ち上げ準備……。
“機”はようやく熟しました。
 お待たせし続けてしまったファウスト賞応募者のあなたの原稿には、一年分の太田の成長をかけて取り組むことを誓います。発表を(もう少しだけ)、楽しみに待っていてください。

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豊田一郎の「孤愁」1号・作品紹介

【「八月十五日」豊田一郎】
主人公の女性は、両親は空襲で死に、兄は出兵していて戦死する。医師をしながら独身のまままである女性。戦前の日本と敗戦後の日本を眺められる立場から、天皇制をもって国家体制をたもつ日本国の本質と日本人の資質について思索する。硬派の小説である。そのなかで、戦後を通過してたどりついた現在の日本を暗黒時代だとする。主人公を女性にしたところが、ミソのようだ。常に人間を社会の関わりで描く作者の特徴がよく出ていて、自分らには読み応えを感じる作品。すぐ読み終えてしまった。
 同人誌といっても、同人は豊田氏だけで、作品はこの1作だけである。
 作者の豊田一郎氏は、「日通文学」の編集長をしていた。それが休刊となって、独り同人誌を発行したのだという。同人仲間つくっても、その年齢から、責任がもてないので一人同人誌にしたと、後記にある。さまざまな同人誌活動をしてきた経験から、選択したみちであろう。自分もみんなという抽象概念がなじめないほうなので、共感を感じた。

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