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2007年3月31日 (土)

「婦人文芸」83号作品紹介(4)

【「かげろう」音森れん】
知的な発達が遅れたまま大人になった元治という男。親が暮らしに困らない資産を残していってくれたが、亡き後にその資産を狙ってさまざまな人が現れる。一人の女性と結婚したが、妻に資産を持ち出されても、そうは思わない男。しかし、元治の周囲の人の彼を見る目はあたたかい。ひと昔前は、たしかにそうであった。弱者をいじめる者がいれば、それをたしなめる者の方が多かった。目先の効く抜け目なさを争う社会のなかで、鈍重ではあるが、一途な人間の心を描く。元治は、海難死をした息子に会いに嵐の海に沈んで行く。知恵者は死の恐怖におびえるが、元治の心は動じないようだ。作者の創作精神の進化も読み取れるところがある。
【「たったこれだけかよ」駒井朝】
中越地震の襲われた地域の人の同窓会の集まりの話。年々集る人がいなくなる。「たったこれだけかよ」は、その人数の少なさに発する言葉だが、人生への嘆きにも受取れる。
【「殺したい相手」淘山竜子】
専業主婦から地域で、ホームページ作成のIT事業を起業し社長をする美佳と、それを支援する大学同窓生の亜矢子。地域産業の零細企業の実態を背景に描き、商工会議所の富永という男が、亜矢子にセクハラ的行為をする話に重点が移る。ビジネス的には、富永を必要とすると考える亜矢子は、富永の行為を黙認する。しかし、富永の亜矢子に対する行為が、盗撮写真で暴露され、富永は社会的信用を失う。このようにストーリーを述べてもあまり意味をもたないのような、純文学的表現の技能的面白さが随所に感じられる。まぎれもなく現代のある種の平和のなかの精神的不協和が、描かれている。

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「婦人文芸」83号作品紹介(3)

【「天・地・人」福島弘子】小学生時代に、西風(ならい)という男子生徒がいたという。私は海辺育ちなので、西風(ならい)、東風(こち)は日常用語であった。しかし、「ならい」という苗字の存在は知らなかった。その男子は俳句が得意であったが、お寺の家であったにもかかわらず、20歳ごろ自死してしまった話。もう一人の男子学生も絡んだエピソードがあるが、この西風(ならい)君の活躍していながらも、どこか運命的に影の薄いところを描いて、味わいがあるし、何故自死したかを忖度させるところに、深みが出ている。

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2007年3月30日 (金)

徳田秋声「仮装人物」と山田順子-8-

 当時の順子に対する世間の評判は良くない。
榊山潤は、「順子はたしかに美しかった。あの時期の美女伝を書くとしたら、彼女は筆頭十人のなかに入れなくてはなるまい。自分の美貌を十二分に意識していたから、どんな男でも誘いこむ自信はあったろう。相手が徳田さんであろうと、そういう魂胆を持った以上、尻込みするする女ではない。彼女が徳田さんをほしがったのは、文壇進出の足場としての、利用価値であった」(前掲書)
とし、徳田夫人として納まりたいという虚栄心があった、とする。だから、彼女が小説「女弟子」で、まるで自分が被害者のように書いているのは、阿保らしく読め、秋声はワナに落ちたのだと語る。

当時、ジャ-ナリストで身近にいた榊山がそう言うのであるから、世論というものもそうであったに違いない。榊山は、秋声を尊敬しており、順子と関わり合うことで秋声の名声に傷がつくことを心配していた。それだけに、傍からみた順子の真意を、事実と真実のズレなど生じようもないと思わせるほど明解に観察している。
 いったい当事者であった秋声は、こんな単純そうな「恋愛事件」の真実をどう描くのか、興味がわくのではないだろうか。「仮装人物」の「恋愛事件」は、私小説という形態に束縛されていたからこそ生れた。小説の主人公としての葉子は、現実の順子の言動に制約されており、当事者がその中の真実を見出して、読者に提示するというのは、結構大変なことであろう。自分の意図した人物像を、思想や感性で作り上げるのと、根本的にちがう。

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「早稲田文学」雑誌版が復刊

05年5月で休刊していた雑誌「早稲田文学」が、4月から復刊し、秋からは季刊で発行していくという。復刊に合わせ、4月28日PM2時40分から、早大創立125周年記念講演会が小野記念講堂で開催される。フリーペーパー「早稲田文学」は、今後も継続されるという。

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2007年3月29日 (木)

「第9回小学館文庫小説賞」募集

時をも忘れさせる「楽しい」小説が読みたい!
【応募規定】
〈募集対象〉ストーリー性豊かなエンタテイメント作品。プロ・アマは問いません。ジャンルは不問、自作未発表の小説(日本語で書かれたもの)に限ります。
〈原稿枚数〉A4サイズの用紙に40字×40行(縦組み)で印字し、75枚(120,000字)から200枚(320,000字)まで。
〈原稿規格〉必ず原稿には表紙をつけ、題名、住所、氏名(筆名)、年齢、性別、職業、略歴、電話番号、メールアドレス(有れば)を明記して、右肩を紐あるいはクリップで綴じ、ページをナンバリングしてください。また表紙の次ページに800字程度の「梗概」を付けてください。なお手書き原稿の作品に関しては選考対象外となります。
〈締め切り〉2007年9月30日(当日消印有効)
〈原稿宛先〉〒101-8001 東京都千代田区一ツ橋2-3-1 小学館 出版局「小学館文庫小説賞」係
〈選考方法〉小学館「文庫・文芸」編集部及び編集長が選考にあたります。
〈当選発表〉2008年5月刊の小学館文庫巻末ページで発表します。賞金は100万円(税込み)です。
〈出版権他〉受賞作の出版権は小学館に帰属し、出版に際しては規定の印税が支払われます。また雑誌掲載権、Web上の掲載権及び二次的利用権(映像化、コミック化、ゲーム化など)も小学館に帰属します。
〈注意事項〉二重投稿は失格とします。応募原稿の返却はいたしません。また、選考に関するお問い合せには応じられません。

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2007年3月28日 (水)

「婦人文芸」83号作品紹介(2)

【「ヌブーさんの舞踏会」菅原治子】
1950年代のフランス留学時代の話。前号の82号で「屋根裏の少女」では、洋裁学校での朝鮮人の学友とのエピソードを述べている。小味な短編であった。今回は、フランス人の舞踏会に和服姿で出席し、ただひたすら時間の経つのを願って、次々と変わるパートーナーとダンスをする話。こいうのは、社会生活への訓練にもなっているのか、気疲れのする状況がよくわかり面白い。終わりに、妹が疲れて先に居眠りをしているところで終えるのが、象徴的でうまい。

【「カルチャーショック」中村翔】
戦後に、長男が戦友を家に泊まらせる。関西からやって来た人だが、それが関西人らしいサービス精神旺盛で、「あかしや・さんま」のようであった、という話。印象に残ることは、なんでも読ませる話になるものである。

【「心めぐる旅」斉田陽子】
肝臓がんが出たり消えたりする状況にある筆者が、養護施設に入ったので、見舞いに行くが、90歳を越えた叔母は、親しかったにもかかわらず、誰だかわからない。友人のTさん家族の話などを交え、時の流れを強く意識する領域からの思いが語られ、肝臓に再度がんが発生したこと記して終る。エッセイだが、タイトルそのもの。生きてきた道を壁画にしてみるような精神の遍歴を描いた小説にも読める。

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「JOMO童話賞」公募

募集内容 「心のふれあい」をテーマとした創作童話。
応募作品は未発表のものに限る。
400字詰め原稿用紙で5枚以内。ワープロ原稿は20字×20行のタテ書き。
応募資格 アマチュアに限る。
応募区分 一般の部(中学校卒業以上)
中学生の部
小学生以下の部
区分は、5月31日時点の学年に基づきます。
応募方法 郵送とネット応募の2通り。

郵送の場合
400字詰原稿用紙で5枚以内。
ワープロ原稿は、20字×20行のタテ書き。
作品は、原稿用紙を二つ折りにし、順番に重ねたうえ、右上を綴じてください。
作品には表紙を付け、郵便番号・住所・氏名(本名のみ受付。中学生の部および小学生以下の部の応募者は保護者の氏名併記)・年齢・性別・職業(学生の方は5月31日時点での学年)・電話番号・作品名を必ず明記してください。
作品を受付け次第、受領ハガキをお送りします。
なお、応募作品は返却しませんので、あらかじめコピーをとられたうえでご応募ください。
【作品送付先】
〒137-8691
東京都江東区新砂2-4-23
新東京郵便局私書箱142 号「JOMO童話賞係」
【問い合わせ先】
株式会社ジャパンエナジー「JOMO童話賞」係
フリーダイヤル : 0120-150-106(行こうジョモ)
受付時間 9:00~17:00(土日・祝日を除く)

ネット応募の場合
(Wordもしくは一太郎をお持ちの方を対象とさせていただきます。)
20字×20行のタテ書きで、5ページ以内。
作品を受付け次第、受領メールをお送りします。受領メールが届かない場合は、記入されたメールアドレスに間違いがある可能性が考えられます。その場合も応募完了画面にて受付番号が表示された時点で作品の受領は完了していますのでご安心ください。
※原稿作成には、Microsoft Word6.0以降または一太郎7以降をご使用ください。
※一太郎はジャストシステムの登録商標です
Macintoshをお使いの方でInternet Explorer 4.x(4のつくバージョン)以下のバージョンをご使用の方は、ネット応募で不具合がおこります。恐れ入りますが、郵送でご応募ください。

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2007年3月27日 (火)

第87回オール読物新人賞は奥山さん、島崎さん

第87回オール読物新人賞(文芸春秋主催)は、奥山景布子さん(40)の「平家蟹異聞」と島崎ひろさん(34)の「飛べないシーソー」に決まった。奥山さんは名古屋市の主婦。横浜の主婦。賞金は各50万円。

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文芸雑誌の発行部数

041118AM【雑協が400誌の印刷部数を公表/「文学界」1万2千525部など】
 日本雑誌協会は、加盟92社のうち50社、400誌の最近1年間の印刷部数に基づく平均発行部数を、「マガジンデータ2004年」(発行所℡03-391-0775)で初めて公開した。
 部数データには、発行と実売の2種類があり、最近の実売は金額ベースで発行の7割弱。実売部数は日本ABC協会が年2回、出版社を調査しているが、対象は130誌ほど。その他は雑協が年一回公開する発行部数が尺度となる。が、発行側の自己申告で数字が多めになりがちだったため、広告主側がデータの透明性を求めていた。

 03年9月から04年8月発売の印刷部数を平均したもののうち、文芸雑誌については、次の通り。「小説現代」(39,416部)、「小説新潮」(35,518部)、「小説すばる」(24,000部)、「新潮」(12,525部)、「文学界」(12,525部)、「群像」(8,458部)、「すばる」(8,166部)。=朝日新聞2004年11月18日付=文芸研究月報2004年12月号(通巻48号)より。

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高齢文学賞受賞事例「神奈川新聞文芸コンクール」

 文学賞は商業ベースを考える主催者ほど若い人を受賞者に選ぶ。未来が期待できるから当然ではあるが。しかし、味わいとか落着きとか重視するところではかえって年配者を選ぶところもある。

 確かに高齢者には物理的未来が乏しい。しかし、10年単位ぐらいで考えると、60歳の人でも70歳までになんとかすればいいわけで、それほど未来性がないわけではない。
 12歳の文学賞があるくらいだ。12歳までに文章修行をしたとしても、産まれてすぐ言葉は覚えられないから、せいぜい4・5年のキャリアである。すると60歳から小説修行を10年みっちりやれば70歳で、文壇デビューできるかもしれない。
 8歳のひとが18歳で文学賞を取ることめざして努力することと条件は同じなのだから。

第36回神奈川新聞文芸コンクールの入選作、佳作が決まっているが、短編小説の入選は岩本清さんの「聞き役稼業」。現代詩は草野早苗さんの「影」。岩本さんは歴代小説入選者の中で最高齢。詩の草野さんは、詩、小説を通じて初となる二年連続入選の快挙。

 応募者の年代は、小説、詩とも十代から、上は小説が八十代、詩は九十代まで。現代詩は小学生、中学生がそれぞれ一人、短編小説では大学生一人、主婦三人が佳作に入る。

 また、現代詩佳作の宮本ありささん、加藤ハツエさん、短編小説佳作の三浦まゆみさんは昨年も佳作に入っている。

【短編小説入選者経歴】
 いわもと・きよし
 1923年、東京都生まれ。公認の隠居で趣味は酒とたばこ。小説は昨年まで茅ケ崎市内同人誌「つるみね」の同人。茅ケ崎市下町屋。
 (ひとこと〉「人生は晩年に算盤(そろばん)が合う」ということわざがある。若い時に苦労を尽くしたからこそ、いま平穏な余生を妻と楽しんでいる。この大きな賞を頂いて感謝しています。
【現代詩入選者経歴】
 くさの・さなえ
 1954年、東京都生まれ。企業で海外営業従事の傍ら、日・蘭・英語の翻訳業。趣味は映画鑑賞、旅、詩作。高校時代から詩作を始め、過去十年、三年に一度、東京で写真家と詩と写真のコラボ展を開催。横浜市保土ケ谷区狩場町。
 〈ひとこと〉秋の日に届いた入選通知。自分が大好きな詩での入選はこの上ない喜びです。ありがとうございました。
【佳作】
「パニック」三浦まゆみ〈三浦真由美〉横須賀市/「Alone」丸山栄之〈浮谷秀之〉 藤沢市/「過剰な反応」中本あきら〈三平誠〉横浜市港北区/「ゆきむし」鈴木安芸 川崎市宮前区/「短い手紙」草山律子 秦野市/「花盗人」青木万利子 横浜市港南区/「チョコレートバー」本間英治 逗子市/「夕日座のこと」福田加代子 横浜市南区/「どこかにある森」菅原奈々絵 横浜市都筑区/「浜辺に建っている白い家」古川悠紀 大和市/「歯茎の行進」杉澤加奈子 三浦市/「虫捕りなでしこのささやき」倉形和信 川崎市中原区/「しもやけ」宮本ありさ 平塚市南原/「みる」仁波尚〈久保田尚子〉横浜市保土ケ谷区/「作法の前後」平嶺一昭 茅ケ崎市/「冬のラクダ」加藤弘子 横浜市戸塚区/「イタリアの旅が出来るかも知れない」加藤ハツエ 相模原市/「みかんの香せり」栗田尚美 横浜市神奈川区/「ハンカチ」杉浦晶子 大和市/「私はここにいるよ」漁淵麻結 三浦市。

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2007年3月26日 (月)

第18回 東北北海道文学賞 小説募集

●平成十九年九月末日締切 当日消印有効
● 東北北海道地域の出身者、在住者等地域に関係ある新人の未発表小説原稿とする。人間の生き方を真摯に追求した作品であること。ただし非商業雑誌(同人誌)に発表したことのある作品は可。(同人誌名を付記のこと)
● 作品枚数:四百字詰原稿用紙で五十枚以上百枚以内。手書きの場合、コピーは不可。ワープロ、パソコン印字の場合は換算枚数明記のこと。
● 入選作品は「文芸東北」に掲載する。
● 原稿には郵便番号、住所、氏名、電話番号、年齢、職業、略歴を明記のこと。
● 応募原稿は一切返却しません。
● 選考経過は随時「文芸東北」誌上に発表。尚、選考に関する問い合わせには応じられません。
● 受賞作版権は当会議に帰属する。
● 入選発表 平成二十年三月の「文芸東北」誌上と報道機関に発表
●送り先:980-0822 仙台市青葉区立町25-4-103 文芸東北新社内 東北北海道文学賞会議事務局(事務局長・井上洋)
TEL:022-223-0333

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2007年3月25日 (日)

徳田秋声「仮装人物」と山田順子-7-

  当然のことであるかも知れないが、秋声はここで、この小説によって 『事実』より『真実』の姿を描く可能性を示唆している。事件をただ語るのでなく、仮装的存在の人間像を描いて、文学的成果を上げようという意図が見える。

 同時に、秋声の表現には〈物にはいろいろの見方があるので、どれが真実かは判然としない〉という姿勢が反映されている。多様な見方のいれにも与せず、態度保留をするのである。「事件の粉飾され歪曲された――或はそれが自身の真実だかも知れない」としながら、自分の視点で書くのである。(自分の視点に真実があるかも知れない、と自信をもっているらしい)。これが作家としての資質でもあるようだ。その文体は、考えを手さぐりに進めながら、曖昧さのなかに主旨をいくつも盛り込んでゆくのに適している。

 これをもし、ハ-ドボイルド的に短文を積み重ねたならば、細部のニュアンスが削げ落ちて、語り手の曖昧さが目立つことになるだけかも知れない。

 この時代には、文学的追及によって、人間の真実が明らかにされるという思想が根本にあり、秋声は自分の文学に対して一面的であることを認めながら、そこに真実の姿を見いだせないか、挑戦しているとも読める。
 そうだとすると、真実は事件の当事者それぞれの立場から、多層的に存在すると言うことになる。
          ☆
「仮装人物」で秋声が「真実」を描くことを狙いに入れていたとすると、そこに、事実に対して誇張や省略があっておかしくない。

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小泉今日子が会った叶姉妹の印象記

読売新聞の本よみうり堂の書評担当で、この人いいね、と思ったので、40歳記念出版の「小泉今日子の半径100m」(宝島社)を読む。その中に、映画「空中庭園」のプロモーションでTV局へしばしば行く話がある。そこで叶姉妹と出会う。
――誰にいちばん興奮したかというと、叶美香さん!豊満なオッパイに釘づけさ。なだらかな美しいウエストラインに垂涎さ。わざわざ私の楽屋までご挨拶にきてくれたよ。「はじめまして」と頭を下げる美香さんから、ほんのりと芳ばしいが。しばらく残り香を楽しませていただきました。なんか私、変態みたいになってきちゃった? なんかさぁ、同じ女に生まれてさぁ、こんなにも生き方っていうか、歩み方っていうか、なんだろう? とにかく次元が違う感じなんだもん。
 100円ショップって行ったことあるのかな? 居酒屋で生グレープサワー飲んだことあるかな? ・・・・――。

同じ芸能界にいても、叶姉妹が大衆文学なら、キョンキョンは純文学畑であるという感じをだすのに、瞬時に平談俗語文体へ切り替える、この辺のセンスが非凡といえば非凡。

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2007年3月24日 (土)

「婦人文芸」82・83号の秋本喜久子さんの2作

83号掲載の「その日シカゴの月は溶けて」(秋本喜久子)は、まず、独白的な個性のある文体が気持ちよい。ユーモアの中に乾いたペーソスを漂わせ、アメリカでの生活が描かれる。実に日本のW・サローヤン的な味わいがある。アルメニア人のサローヤンの小説は、小説らしくない小説が多いが、この作品も、生活日記風のスタイルでありながらヒューマンな生活ぶりが説得力をもって描かれる。
主人公は更年期障害で、自律神経失調に悩まされながら、アメリカ・シカゴへ向う。息子の真吾はアメリカでウクライナの女性、ナターシャと結婚、生まれたばかりの子どもの世話をして欲しいと、頼まれたからである。英語をたしなみ、アメリカの風土を理解している主人公だが、ウクライナ出身の息子の妻は、また独自のカルチャーをもっている。ストレスで自律神経を乱しながら、孫の世話をする過程が描かれる。
周囲の人物の描き方の距離感の良さ、適切さは天下一品のものがある。異邦人同士で生活するのが当たり前のアメリカ社会が見事に活写されている。

―――と、以前の私のメモにある。他に、「屋根裏の少女」(菅原治子)、「介護一」(和田聖子、「望郷」(野中間世)、「あにき」(中村翔)などが印象にあると、記録している。そのうちに作品紹介しようと思っていたら。「婦人文芸」83号が到着した。
きっと好評で、続編をかいているのではないかと、開いたらあった。そこでまず、読んだのが「ナターシャために」(秋本喜久子)である。前編で素直でストレートな心情のままに、頑張って生活するナターシャが来日する。それを支える姑である主人公の暖かい心情をベースにし、数々のエピソードを紹介する視線が感動を与える。グローバルな人間関係による日常のなかの非日常を描く。とにかく面白いし、読後に心豊かな余韻を残す。(つづく)

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徳田秋声「仮装人物」と山田順子-6-

 この「或はそれが自身の真実の姿だかも知れない」における『真実』という言葉に注目しよう。作品にはこの真実という言葉が多用されている。先に、この序章のなかで、葉子との出来事を秋声が『事件』としていることに触れた。もしそれが、事件を純粋に語るのであるなら『事実』の姿でなければならない。
 裁判における争点に代表されるがごとく、世俗の事件は「事実認定」をもって、判断の基準とするのである。
 では「事件」についての「事実」と「真実」とは、どこが違うのか。

 木村毅という文学博士がそのことに関し、次のような説を述べていたと記憶する。
『たとえば、少しも精神に異常のない男が勤め先がひけて家に帰ると、いきなり妻を射殺したというような事件の生じたとき、新聞はただそれだけの記事を掲げる。

 しかし、正気な男がそんなことをする筈がないということは常識でも判断がつくから、この記事だけみたのではその男の心理に対して一種の疑念の起きるのを抑えることが出来ない。この疑念を抱かせる限り、その報道はたとえその事実を語ったものだということは出来ても、断じて真実を語ったということは出来ない。この話を真実とするつもりならば、書き手は、まず事件をこのような結末に導かざるを得なかった原因のすべてを究明することがなにより大切である。事実が我々にしっくりと合点がゆくまで了解されて、はじめて真実となる』

 この項は、木村毅著「小説研究十二講」という古い本にあったと記憶している。その本の旧さからして、おそらくこの考えは、徳田秋声が活躍していたのと同時代の見識であったろうと推測した。
また、これも記憶によるが、モーパッサンは頼まれて、作家志望者の作品を読んで指導をすることがあったらしい。その時、あまり感心しない浮いた部分があらうと「これは、さぞかし実際にあったことなので、このように書いたののでしょうな」と皮肉を言ったというエピソードを読んだことがある。 
 
 物事において、起きた現象の『事実』があるとすれば、それは変化しない。しかし、『真実』は時代や環境によって変化する可能性がある。ある人にとって、神や霊魂の存在は「真実」であるかもしれないが、事実かどうかはわからない。ガリレオ以前の地球は宇宙の中心にありそれは皆が納得する『真実』であった。しかし、現在はそれを「真実」とはしていない。
 とにかく『現代では『真実』の定義が難しいので、ここではとりあえず『その時代における』という前提のついたものとしたい。

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2007年3月23日 (金)

徳田秋声「仮装人物」と山田順子-5-

 文が重層しているので、その意を分けて考えてみよう。
 第一にこの事件は、語らない方が望ましいのである。なぜ望ましいかは、はっきり示されていない。また、それなのに、(それを語らないのは)惜しいのである。何が惜しいのかは書いてない。
 そのことは察してくれというのか。とにかく、ここは読んだ人間の推察まかせるということになる。一九三五年頃の六十五歳の作者の言い分を、いま忖渡するとどうなるか。
 A、何故、語らないのが望ましいのか?
一、過ぎ去った事件だから、水に流さなければいけないことを今更のように堀り返し、公表するのは作家のエゴであると非難される可能性がある。
二、事件当時非難された経緯のあることを、後年言い訳がましく披露するのは、みっともないと言われる可能性がある。
 B、何故、惜しいのか
一、自分の身に実際に起きた折角の花のある恋愛事件を、黙っているのは惜しい。いい思い出もあるので語ってみたい。読者もさぞかし知りたいであろう。(普段は生活に追われ、地味な暮らしをしている我々と同じに見た場合)。
二、小説の材料として、取材不要な自分がモデルそのままの事件、華やかな小説的題材であり、自分の文学的手腕をもってすれば、意欲的な芸術作品にできる可能性がある。これで、文学的に人間の真実追及ができるはずである。それに使わないのは惜しい。
 まあ、こんなところか。
 こうした心境を示しておいて、作者はその後、彼女に会いダンスをした時の気持ちを記す。
『彼は癒えきってしまった古創の痕に触られるような、心持ちの痛痒いような感じで、すっかり巷の女に成り切ってしまって、悪くぶくぶくしている彼女の体を引っ張っているのが物憂いかった』とし、
この物語にはっきりとした終わりがあることを示しつつ、序章に区切りをつけている。

 ここでは、モデル順子のその後の変貌を示し、作者は、もう彼女には未練がありませんよ、ということか。
 ここで秋声は、私小説作家として、周囲に気配りし、そのうえ更に、文学的野心をも満足させようという作家魂を示している。言い切ったかと思わせて、ひるがえし、また言ったかと思うと別の主旨を語る。政治家的で、いまなら、食えない男である。(その点、現代の私小説作家、柳美里は単純で、モデルともろにガチンコして、裁判沙汰になっているのは、直接的で判りやすい)。
 しかし、その一方で、作品の手法に注目すると、秋声のこうした姿勢には、文学的にかなり考え抜いたところがある。それは「仮装人物」の序章に「粉飾され歪曲された―― 或はそれが自身の真実の姿だかも知れない」と示されているところに読みとれる。

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2007年3月22日 (木)

徳田秋声「仮装人物」と山田順子-4-

 小説の冒頭で『庸三はその後、ふとしたことから踊り場なぞへ入ることになって……』とある。いきなり「その後」とあるので、何の後かと思うと、この小説の題材になった『事件』の後らしい。いかにも、読者の先入観を意識している書き出しである。

『庸三はダンスホ-ルのクリスマスで仮装舞踏会へ幾度も出て、幹事から否応なしにサンタクロ-スの仮面を被せられ当惑しながら煙草を吸おうとしたら、マッチの火が髭の綿毛に移って、めらめらと燃え上がったことがある』。

このような、ちょっとした機会があるたびに、しばしば思い起こす印象的な事件なのである。凝りに凝った、非常に象徴的なイメ-ジだ。いま、読んでも力んでいるのがわかる。その後に、これからその事件を語ろうとすると、粉飾され歪曲された――どっちがどっちだか分からない、真面目くさい道化姿の自分を思い浮かべ、苦笑せざるを得ない、というのだ。要するに自分の恋愛事件は、いま考えれば莫迦げた道化であったかも知れない、と照れているとする。のっけから韜晦な文脈で展開される。

なお,『その事件について語ろうとするのは、何もそれが楽しい思い出になるからでもなければ、現在の彼の生活に差し障りをもっている訳でもないようだから、そっと引出しの隅でも押し込めておくことが望ましいのであるが……』とし、
『だがそのまま埋ずもらせてしまうのは、正直なところ惜しいような気もする』という。

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2007年3月21日 (水)

徳田秋声「仮装人物」と山田順子-3-

 何故なら、小説「仮装人物」の物語は一つの「事件」をもとにしているからだ。この『事件』という表現は「其の事件について語ろうとするのは」と作中にある。つまり、秋声の頭の中には、このとき既に「事件」意識があったのである。この辺について、時事新報の新聞記者から作家になった榊山潤は、次のように記録している。
『政治部に小野敏夫という記者がいた。山田順子が結婚した増川才吉とは東大法科で一緒だった。小樽で増川と暮らしていた順子が、自伝小説「流るるままに」を持って上京した時、最初に小野に頼ったのは、そういう関係によるものである』。ところが無名作家の長編をおいそれと出してくれる出版社など、めったにないのであった。『小野は困って妹の美智子に相談した。美智子は作家を志して、順子流にいえば、徳田さんの女弟子の一人であった。「流るるままに」は美智子から徳田さんの手に渡り、徳田さんから、徳田家に出入りしていた聚芳閣の社長足立欣一に渡った』〈榊山潤著「馬込文士村」(東都書房)〉。
 この足立社長の力添えで大正十四年、それは出版された。
 順子は「女弟子」のなかで足立が役得のように順子の身体を要求したと書いているが、「作品を出版するという約束で、聚芳閣社長と関係を結んだ」というのが、榊山や当時の周囲の見方のようだ。浅見淵著「昭和文壇側面史」、野口富士男「徳田秋声伝」にもそう書かれているという。
「流れるままに」が出版される過程で、順子の夫増川は破産、順子は離婚し、秋声とも恋愛関係が出来ていたようだ。翌年の大正十五年、秋声夫人はま子が脳溢血で急死。それを知って直ちに順子が駆けつけてきた。
 その間の順子と秋声との関係を朝日新聞が記事にし、巷間の話題になっている。時事新報の記者であった榊山は、二人の関係を目前にしながら、秋声に親しかったあまり、記事にしなかったので社内の立場が失われた(前掲書)とある。
「仮装人物」においては、ここで過去に世間を賑わした『事件』の真相を語ってやろうという姿勢を見せ、読者の興味をそそろうとしたと読める。

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「文芸思潮」エッセイ賞公募

 文芸思潮では広くエッセイを募集します。日々の暮らしなかでの思い、様々な体験、ユニークな視点、痛烈な批判、残しておくべき重要な記憶・記録など、自由な随筆作品をお寄せ下さい。聞き書きのような、他の人の語りをまとめたものでもけっこうです。短文の世界に言葉の自由な翼をひろげて多くの人に語りかけてください。優れた作品は、「文芸思潮」誌上に発表し、インターネットにも載せて、永く保存します。
主旨●随筆文学の賞揚によって文芸創作エネルギーを顕彰する。短文学の才能や稀有な人生体験・世界観を掘り起こし、それぞれの生活に密着した記録を保存するとともに、広く社会に知らしめ、文芸の興隆に寄与する。
募集内容●オリジナルのエッセイ作品。ただしこれまで同人雑誌に発表したものを改作したものも可。一人一篇に限る(複数応募者は失格とする)。
応募資格●不問。応募規定●400字詰原稿用紙5枚~10枚。
 ワープロ原稿はA4用紙40字×30行で印字。必ず閉じること。
別紙に①応募部門(「文芸思潮」エッセイ賞応募作品と明記のこと)②タイトル③本名およびペンネーム④年齢・生年月日⑤〒住所⑥電話番号⑦職業・略歴⑧400字詰換算原稿枚数を記したものを添付。
1次予選通過者には通知し、希望者はインターネット・ホームページに掲載する。
応募原稿は返却しないので、必ずコピーを取ったうえで送付のこと(コピーも可)。
応募先●〒158-0083東京都世田谷区奥沢7-15-13アジア文化社
    「文芸思潮」エッセイ賞係
    ℡&Fax03-5706-7848 E-mail asiawave@qk9.so-net.ne.jp
賞●エッセイ賞■賞状・トロフィー・賞金3万円
    優秀作■賞状・賞メダル・賞金1万円
    奨励賞■賞状・記念品
選考委員●三神弘・福岡哲司・水木亮・五十嵐勉
発表●予選通過作品発表は2007年8月発売の「文芸思潮」18号、またインターネット・ホームページでも行なう。受賞作は2007年10月発売の「文芸思潮」19号に発表掲載。優秀作・奨励賞なども順次「文芸思潮」に掲載する。
締切●2007年4月31日(当日消印有効)

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2007年3月20日 (火)

徳田秋声「仮装人物」と山田順子-2-

 徳田秋声といえば、日本近代文学史でも自然主義作家の代表的存在である。したがって彼の作品に関する評論は多い。
 しかし、私はそれらに評論について殆ど読んでいない。第一にそれらの著作物は、今や書店に姿はなく、大きな図書館でも行かなければ、読めないであろう。例外として、大杉重男著「小説家の起源―徳田秋聲論」(講談社刊)が昨年に出版されている。この書の第四章に「自然主義の荘厳について―『仮装人物論』がある。日本近代文学全般を俯瞰した上での評論である。本書に眼を通したが、正直なところ、難しくてよくわからなかった。本稿はもっと単純平俗な話なので、他の高邁な論の後追いになることはないであろうという、妙な自信をもったのであった。
 一方、作品「仮装人物」そのものは、今も岩波文庫と講談社文芸文庫で発売されている。本文においては、講談社文芸文庫によった。新かなづかいとふりがな付加版である。
 我々、同人誌に書く者は、自分の過去をたどたどしくなぞることが少なくない。秋声の老練な表現力は、学んであり余るところがある。なにしろ六十五歳でこの重厚な作品を創りあげたのだ。書店の棚になければ、取り寄せてもらってでも、読む価値はある。とにかく第一頁だけでも、熟読してみることを薦める。
 ここでは、山田順子が美人で男遍歴の激しかった女流作家であるから、面白い存在であろうという、TVのワイドショ-番組的興味を付加してまず論じてみようと思う。それでは当初の志において、いささか格調が低いのではあるが、こうした視点による「仮装人物」の読み方は、必ずしも不当ではないのである。

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2007年3月19日 (月)

「北日本児童文学賞」公募

第5回北日本児童文学賞の作品を募集します。同賞は、子どもたちに物語の楽しさを伝え、夢と感動にあふれる個性豊かな作品と作家を発掘するのが目的です。
 最優秀賞(1編)に記念楯と副賞50万円、優秀賞(2編)にはそれぞれ記念楯と副賞10万円を贈ります。
 選者は「ズッコケ三人組」で知られる児童文学作家、那須正幹氏です。

《応募規定》題材 自由。ただし小学校高学年までを対象にした内容とし、未発表作品に限ります。枚数 400字詰め原稿用紙に縦書きで上限30枚とし、ワープロ原稿は20字×20行の印字とします。本文とは別に表紙を付け、題名、筆名(かな)、本名(かな)、住所、電話番号、職業(学校名)、年齢(学年)、性別、略歴を明記します。本文1枚目にあらためて題名を記し、原稿には通し番号を付けて、折らずに右肩をひもでとじます。表記は日本語とし、応募は1人1点に限ります。締め切り 平成19年6月30日(消印有効)
あて先 〒930-0094 富山市安住町2-14
北日本新聞社編集局文化部「北日本児童文学賞」係
発表 平成19年10月下旬以降の北日本新聞紙面
賞 最優秀賞 1編 ・・・ 記念盾と副賞50万円
優秀賞   2編 ・・・ 記念盾と副賞10万円
選者 那須正幹氏(児童文学作家)
問合わせ=北日本新聞社「北日本児童文学賞」係まで。電話:076(445)3449FAX:076(445)3366メニューここから第5回

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文芸同人誌評・対象作品リスト(よこいさんまとめ)

「週間読書人」2007年3月16日第2679号「文芸同人誌評」白川正芳氏筆
「我が青春の暗餓記」ドラゴン(「シニア文学」2or3号)、「クリスマス」平由美子(「環」11号)、「観望に波紋あり」岡正基、「黄塵万丈」塚沢正、「四谷界隈交遊録」北川健(以上「群獣」6号)、「評伝 三好学」水野恭平(「胞山」15号)、「青春の図書館」原田康子(「北海文学」93号)、「高見順の航跡を見つめて」宮森正雄、「会話力は健康ですか」岡田史郎(以上「マスコミジャーナリズム論集」14号)、「全作家」65号による「火山地帯」紹介、「望郷」柳谷郁夫(「播火」62号)、「噴火口」越智龍生(「文脈」137号)、「地つづき」荒木田修(「あての木」31号)、「廃墟の月」伊藤礼子(「八月の群れ」47号)

「図書新聞」2007年3月17日第2814号「同人誌時評」福田信夫氏筆
「武田泰淳・『審判』を原点にして」野口存彌、「『チャタレイ夫人の恋人』-発見前の伊藤整役を読む」高比良良直美(以上「群系」19号/江東区)、「都留重人氏への感謝」小沢芳治、「緊急提言『死ぬな、殺すな」金子哲也、「『父渡せ』-寺山俳句と京武証言」栗林浩」、「哀歓抄(五)-死を超えて会いし人なり秋の虹」尾崎文英(以上「琅」19号/八王子市)、「茂吉外伝 二人の先生」進藤久義、<短歌>巌浩(「アララギ派」96号/津市)、「〈戦後詩この一篇⑥〉「雁の声※村上昭夫」」津坂治男(「みえ現代詩」72号/鈴鹿市)、「片乳」木下径子(「街道」10号/武蔵野市)、「たまゆら」吉田洋三、「長男の嫁だから」福本信子、「カプアス川に霧が降る」山田正春、「雁皮の花」三村毅、「『鎖国』考」後藤茂(「播火」62号/姫路市)、「『本庄睦男全集』逸文録-小説「移住地を流れる歳月」私注 ほか二点」吉井よう子(「北方文芸」別冊13号/札幌市)、「詳報中村技工事件-戦後の青森で初のストライキ」中村勝巳(「青森文学」74号/青森市)、「『明暗』を読む(一)」立岡和子、「農文協の青春」金子万平(「遡行」128号/長野市)、「青春の図書館」原田康子、「戦後の北海道文学を生きた鳥居さん」木原直彦(以上「北海文学」93号/釧路市)、「岡本恵徳君を偲ぶ」木村幸雄、「岡本恵徳略年譜」我部聖、連載(四)宇治土公三津子(以上「駱駝」50号/練馬区)、「天為無情」大類秀志、「最後のデカダン」犬山六郎(以上「視点」66号/多摩市)

文芸同人誌案内掲示板より

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徳田秋声「仮装人物」と山田順子-1-

――人間が過去の記憶を再生するのは、そのままでは空虚な現在のレジャ-に興味を添えるためであるから、記憶の本来の働きは、正確な想起というより、空想や想像の働きである。結局大切なのは、物語であり、ドラマである――ジョン・デュ-ウィ著「哲学の改造」清水幾太郎、清水禮子訳(岩波文庫)。

 人間は、獣に追われるとか、子孫の繁殖とかの欲望の虜になっていない時、それは空虚な余暇であった。嵐の日に洞穴でじっと天候の回復待つ。さぞかし過去の記憶が自己の存在の空虚さを埋めたのに違いない。当然、なかには成功体験や失敗体験がある。それを将来の教訓にできるという効用があった。そうした過去の経験を幻想や白日夢を交えて、浮かび上った記憶を自分の胸だけに止めず、人に伝えた時から「私」の表現が始まる。
 人間は原初から、自分の物語をもつ存在であった。人が物語を書き、読者を欲するのは人間的存在の要求するところであろう。
 本誌のような同人雑誌の存在の根源もそこにあるとみる。そこで、ここでは存在論的な視点から「私」の表現と物語の関係を研究してみようと思い立った。その手始めが徳田秋声「仮装人物」の考察である。まずそこに描かれたモデル、山田順子に注目した。
          ☆
 山田順子は大正から昭和にかけて活躍した女流作家である。「秋田魁新報社」インタ-ネットHPによると、【山田順子(やまだ・ゆきこ)】本名・ユキ。明治三十四年六月二十五日、秋田県本荘町古雪の回船問屋の長女として生まれる。県立秋田高等女学校を卒業後、大正九年に亀田町(現岩城町亀田)出身で小樽在住の弁護士・増川才吉と結婚。三人の子をもうけるが離婚、上京して女流作家を目指す。処女作「流るるままに」のほか、「神の火を盗んだ女」「欲望と愛情の書」「愛と受苦」「十七歳の傾斜」「私たちの観音さま」「女弟子」などがの著書がある。昭和三十六年八月二十七日、六十歳で死去。
  彼女は大変な美人で、一時竹久夢二の愛人となり、自分の小説 「流るるままに」の装丁画を描いてもらっている。
その後、徳田秋声の愛人となった。秋声の「仮装人物」は順子との恋愛を描いた作品である。これは徳田秋声の晩年の作品で、昭和十年、秋声六十五歳の時に雑誌「経済往来」に連載開始、途中病気中断があって昭和十三年完結。その年第一回菊池寛賞を受賞している。作品では冒頭から作者をモデルとした庸三という主人公が五十五歳の折、順子をモデルとした梢葉子について語ろうとするところからはじまる。

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2007年3月18日 (日)

小泉今日子の女優的文芸書評

読売新聞の日曜版「本よみうり堂」で書評も担当して、本の紹介と感想を書いているキョンキョン。18日付けには永沢光雄の遺作?「恋って苦しいんだよね」(リトルモア)を評論。本を読んで、ここに登場する中年の男たちを知っているような気がする、とし、自分の中に潜む欲望や願望を搾り出したいような気にさせるという。
その以前には、綿谷りさのアイドル芸能人を描いた「夢を与える」について評論し、作品の悲劇的な物語とは別に、芸能人の大衆に夢を与えることへの使命感を語っている。

<ニュース抜粋記事>
デビュー25周年の小泉今日子(41)が4年ぶりのライブを16日、東京・新木場スタジオコーストで行った。音楽イベント「AP BANG!東京環境会議」に出演。音楽プロデューサーの小林武史(47)ら豪華バンドをバックに代表曲「あなたに会えてよかった」などを披露。
 ステージでは、小林がキーボードを担当した豪華バンドをバックに、小林提供の「My Sweet Home」「あなたに会えてよかった」「サヨナラCOLOR」の3曲を披露。「こうして小林さんとやるのは初めてでうれしかった。ただ、久しぶりのライブに少々緊張しておりまして、歌詞も危ういところがあってすみません」と苦笑い。「41歳で~す」と若い観客たちに明かすと驚きの声が上がった。

 ラストは93年から始めているポエトリー・リーディング(詩の朗読)。谷川俊太郎「黄金の魚」、田村隆一「日没の時間」をしっとりと読み上げ、女優と歌手の両輪で培ったワザと、いまだからこそある大人の女性としての包容力を感じさせた。(3月17日・スポニチ)

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2007年3月17日 (土)

2007年本屋大賞ノミネート作品

(一次投票通過10作/作品名五十音順)
 1『一瞬の風になれ』(佐藤 多佳子・講談社)
 2『失われた町』(三崎 亜記・集英社)
 3『陰日向に咲く』(劇団ひとり・幻冬舎)
 4『風が強く吹いている』(三浦 しをん・新潮社)
 5『鴨川ホルモー』(万城目 学・産業編集センター)
 6『終末のフール』(伊坂 幸太郎・集英社)
 7『図書館戦争』(有川 浩・メディアワークス)
 8『名もなき毒』(宮部 みゆき・幻冬舎)
 9『ミーナの行進』(小川 洋子・中央公論新社)
10『夜は短し歩けよ乙女』(森見 登美彦・角川書店)

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2007年3月16日 (金)

東浩紀氏の文芸評論「ゲーム的リアリズム誕生」(講談社)

<講談社メールマガジンより>
東浩紀です。本を出さない、出さないと言われていた僕ですが、ついに新著を
書きました。『ゲーム的リアリズムの誕生』は、『動物化するポストモダン』の続編ですが、単独でも読める著作です。ライトノベルやオタク系のゲームなど、いささか特殊な作品を扱っていますが、議論の中心は、「ポストモダン、すなわち物語の力が衰えた世界において、それでも物語を語ろうとすればどうなるか」という普遍的な問いかけにあります。議論は大塚英志の評論から始まり、ライトノベルと美少女ゲームを通過して、最後は舞城王太郎の小説で終わります。
  『ゲーム的リアリズムの誕生』には多様な文脈が流れ込んでいます。この本は、僕がはじめて記した本格的な(といってもかなり変化球的ですが)文芸評論であり、アップデートされたポストモダン論であり、また同時にライトノベル・ブームへの僕自身の関与の総決算の書でもあります。「オタクたちの文学」の大雑把な紹介としても読めるでしょうし、市場の行方を占う本としてもあるていど役立つと思います。二〇〇六年の後半から書き始めているので、「涼宮ハルヒ」『ひぐらしのなく頃に』といった流行にも対応しています(笑)。いろいろな読み方をしてもらいたい本です。
  批評家としての僕の力量は、この著作でかなり明らかになっていると思います。
 ぜひご一読ください。 【東浩紀】

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2007年3月14日 (水)

テアトル・エコー創作戯曲募集

テアトル・エコーは、喜劇を上演し続けている劇団です。
意欲的な素晴らしい作品をお寄せください。
'06年度 選考結果発表
入選 該当作品なし
入選佳作 該当作品なし
■06年の応募は64本でした。
然し、2年連続して入選作が出ない結果となり残念です。最終選考には谷藤太作「花嫁のとなり」が残りました。結婚式場を舞台にあり得ない話が次々と起きるナンセンスコメディでした。全体的に小粒な作風が多いのが特徴でした。楽しい作品を期待しています。
=2007年度(第34回)募集要項=
■応募作品 テアトル・エコーで上演出来る未発表の創作劇に限ります。原稿枚数その他いっさい 制限ありません。応募作品はお返し致しません。
入選 70万円(初演上演料を含みます)
入選佳作 20万円
■締  切 2007年5月31日
■選  考 テアトル・エコー文芸演出部
■選考結果 演劇誌12月号に発表致します。
■応募作品には、800字程度の梗概と作者の略歴をそえて、下記へご提出下さい。
テアトル・エコー創作戯曲募集係
〒150-0011 東京都渋谷区東3-18-3  TEL03-5466-3311

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2007年3月13日 (火)

H氏賞に野木さん詩集「ヒルム、割れた野原」

 日本現代詩人会は、第57回H氏賞に野木京子さん(49)(横浜市)の詩集「ヒルム、割れた野原」(思潮社)に決まった。第25回現代詩人賞には長谷清実さん(71)(東京都豊島区)の詩集「わが友、泥ん人」(書肆山田)に決まった。賞金各50万円。


【詩人クラブ賞に麻生さん】
  第40回日本詩人クラブ賞に、麻生直子詩集「足形のレリーフ」(梧桐書院)に、第17回同新人賞は岡野絵里子詩集「発語」(思潮社)に決まった。第7回同詩界賞に「遠いうた 拾遺集」(詩画工房)。

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「吉川英治文学賞」に宮部みゆきさん「名もなき毒」

 第41回吉川英治文学賞(吉川英治国民文化振興会主催)は、宮部みゆきさんの「名もなき毒」(幻冬舎)に決まった。第28回吉川英治文学新人賞は佐藤多佳子さん「一瞬の風になれ」(講談社)が選ばれた。

 第41回吉川英治文化賞は以下の通り。雨宮清さん(地雷除去に貢献)、菊池本照子さん(ケニヤでのストレートチルドレンの自立支援)、桜井政太郎さん(視聴覚障害者のため「手で見る博物館」設立)、左野勝司さん(石造建築遺跡の修復・保存に尽力)、堀田健一さん(障害者用自転車の製作)。


【「12歳の文学賞」に追本さんと井上さん】
 小学生を対象にした第1回「12歳の文学賞」(小学館主催)は、富山市立宮野小6年、追本葵さん(12)の「月のさかな」と神奈川県鎌倉市立関谷小4年、井上馨さん(9)の「『明

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単行本「うたかたの記―明治の村医者・脩平伝」森當著

「うたかたの記―明治の村医者・脩平伝」(武蔵野書房)は、幕末から明治にかけ、地域の村の医師として尽くした作者の先祖の伝記だという。

 常に農村の庶民の生活から離れなかった主人公の生涯を地道に描く。病院という名称が幕末から明治にかけて生まれたという当時の史実などもわかり、物語というより生活史の興味も引く。
 
小説的な展開が面白くなるのは、後半部からで、脩平夫婦は子ども出来ないので、継母のもとにいた「あさ」という少女を養女にもらい、やがて栄太郎という婿を取るが。しかし、ボタンの架け違いから栄太郎は身ごもった「あさ」を置いて家出してしまう。子を産んだ「あさ」は、それから幾年かして亡くなる。この「あさ」をめぐる物語がこの本の核になっている。後になって栄太郎は台湾にわたり駅長になるまで変転する。淡々とした筆致がかえって読者の想像力と共感を呼ぶ。アマゾンのレビューに、同様の感想を記入した。

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2007年3月12日 (月)

「第2回10分で読める小説大賞」公募

《字数》20,000字以内(スペース含む)
テーマ 「雨」「指輪」「兄弟/姉妹」から選択して下さい。
※ 1テーマにつき、1人1作品まで受け付けます。(1人最大3作品まで)
《応募資格 不問》
※ 但し、自作未発表作品に限ります。
注意事項 ※ 半角カナ文字、機種依存文字、絵文字は使用しないで下さい。
※ 郵便でのご応募の場合、手書きの原稿は受け付けません。
※ その他、【 応募上の注意事項 】を必ずお読み下さい。
PC【 応募フォーム 】からご応募下さい。
郵便 〒160-0022東京都新宿区新宿2-1-9
ジョルダン株式会社 「第2回10分で読める小説大賞」係
※ 原稿の冒頭に、以下の項目を明記して下さい。
(1)選択したテーマ (2)タイトル (3)ペンネーム
(4)氏名 (5)郵便番号・住所 (6)電話番号 (7)年齢 (8)職業
※ 2作品以上応募する場合も、1作品につき1通ずつお送り下さい。
※ 応募原稿は返却致しません。
大賞 賞金20万円
佳作 賞金5万円
※ 受賞作品は、ジョルダンが運営する携帯サイトで配信します。
締切 2007年6月6日(水)
※ PCの場合は24時まで。郵便の場合は当日消印有効です。
発表 2007年8月8日(水)
※ 「10分で読める小説大賞」サイト上で発表します。
主催 ジョルダン株式会社
選考 ジョルダン株式会社 コンテンツ編集部
諸権利 受賞作品の著作権・出版権及び二次使用権の一切は、ジョルダンに帰属します。
お問い合わせ pc-bk@jorudan.co.jp

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北原文雄著「島で生きる」から

農民文学賞作家・北原文雄さんのエッセイ集「島で生きる」(教育出版センター刊)を、すこしずつ読んでいる。農民文学賞受賞者は、その後も農民であり、作家業にならない人がほとんどのようである。そこには、文学に生きるのではなく、よりよく生きることのための文化が文学であることがよく示されている。このエッセイも、生活と文学との合流点を足場にしているので、足が大地に踏んでいるような手ごたえのあるものが多い。たとえば、農民一揆と義民伝説などは、地域の話のようでいて、全国一般的なものではないかと、感じさせる。
 昨年の第一回目の「伊藤桂一先生を囲む会」に出席された話も「詩を大事にする作家」(兵庫県現代詩協会「会報」掲載文)として収められている。今年の第2回「囲む会」の様子もどこかに書いているのかもしれない。

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2007年3月11日 (日)

「文芸中部」74号・作品紹介(4)

【「交換ノート」井上武彦】
小説を趣味で書いている主人公が、クリスチャンの教会仲間と信仰に関する交換ノートつくってまわす話。それを提案した早川氏は、浄土真宗であったが妻をなくしてクリスチャンになった人。これに同調した上田老人は、自衛隊海軍にいたひと。海軍さんで、いまだに太平洋戦争を起こした日本軍人を批判し、反省をしている。
 主人公は、文学と宗教は本来、相反するものだと思っており、文芸評論家の佐古純一郎が牧師であることを知り驚く。
 読者としては、なぜ、文学と宗教が相反するのか、その辺の追求が物足りない。宮沢賢治をはじめ、椎名燐三、遠藤周作など宗教と文学を合流させているのでは。神と自分、仏と自分という関係において文学と相反するものはないように思える。ただ、教会という組織とは相容れないことがあるかもしれない。
 こういう私自身、お寺が浄土真宗である。蓮如聖人の御文章(白骨章)「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり、されば、いまだに万歳の人身をうけたりという事をきかず、一生すぎやすし・・・」と聞くと反射反応的に悲しくなる。お葬式になると必ず聞かされてきたからである。
 その割には、岩波文庫の旧約と新約の聖書は一通り、読んだ。作家の柴田錬三郎が生前、聖書を読まないようでは、作家にもなれない、とかなんとか書いてあったのを記憶していて、20代にたまたま新幹線で関西と東京を幾度も往復する時期があり、車中で読むことにしたのである。
 今でも記憶があるのは「ヨブ記」でヨブの嘆きが正しいと思ったことだ。では、なぜこのヨブ記が存在するかといえば、「理屈はない。信じよ。とにかく、飛び越えよ。信じて祈れよ」という過程を示し、祈るという過程が信仰であると主張しているように思えた。
 その点では、この作品の後半に異論はないのだが、納得したからよいというものでもないような気がする。作中の上田氏85歳、早川氏75歳、裕73歳とある。上田氏と早川氏のノートは普通に読める。そこで主人公裕氏の思索・思弁の展開がもう少し欲しかった。そのわけは、信仰における精神の完結と文芸という表現型式が求めるものとは異なるものがあるという、私の考えによる。絵画用の画布の上に彫刻作品を乗せた芸術作品は、形式破りであり、絵は平面という制約の上に描く。音楽は時間の制約をもって表現する。文学は文字のイメージで持って表現する。信仰は祈りで完結する。

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2007年3月10日 (土)

「文學界」07年4月号「同人雑誌評」大河内昭爾氏筆(よこいさん・まとめ)

《対象作品》
「茗荷喰うたか、暁烏」木島次郎、「河井継之助失踪異聞」米山敏保、「砂漠でお茶を」(「季節と城」2)鎌田陵人、「補充の天地」石原悟、「喪われた潟の風景」若林光雄(以上「北方文学」58号/長岡市)、「ろくろ侍」周防凛太郎、「ゴムまり」鈴木比嵯子、「女たちの滝参り」小河原範夫(以上「ガランス」14号/福岡市)、「オデン屋」草田綿太郎(「雲」1月号/東京都)、「薄茶色の葉書」戸田静子(「郡山文学」29号/郡山市)、「晴れた日に」長瀬葉子(「とぽす」42号/茨木市)、「悲しみの黒い森」三澤章子(「橡」8号/伊勢崎市)、「撲る」、「存在すること」以上・寺町良夫、(「美濃文学」76号/北方町)、「劇舞台『広瀬淡窓』」河津武俊、「女猟師」相加八重(以上「日田文學」54号/日田市)、「芸術と嘘―贋作問題について」竹中忍、「ふたたびの朝」中村ちづ子(以上「北斗」534号/名古屋市)、「堕ちた天使」吉村滋、「麦味噌と白味噌」樋口かずみ、「ローカルバス岩野線」畑島剛、「有明の岬の唄」池部正臣、「尾鈴に題す」海帆洋三(以上「九州文学」53号/佐賀市)、「石である」伊藤伸司、「馬頷」衣斐弘行、「からからまわれ」磯崎仮名子、「魂離れ」青井奈津、「割引く」キム・リジャ、「哲学へのステップ バイ ステップ」奥貞二、「竹中浩三の街角」河原徳子、「『本居宣長』を読む②」東俊郎、「小林秀雄の訳業2」清水信(以上「火涼」56号/鈴鹿市)、「マユミの実の食感」、「あかねの理髪店」以上・中嶋英二(「江南文学」53号/流山市)
ベスト5は、「ふたたびの朝」中村ちづ子、「悲しみの黒い森」三澤章子、「茗荷喰うたか、暁烏」木島次郎、「マユミの実の食感」中嶋英二、「ろくろ侍」周防凛太郎

文芸同人誌案内掲示板・よこいさんのまとめより)

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「文芸中部」74号・作品紹介(3)

【「地下室」朝岡明美】
 40歳のOL、麻衣子は日の当る秘書課にいたが、主任となって地下にある厚生課に転属される。そこには売店と食堂も併設されている。
 転属したとたんに、売店を手伝っていた小柄な女子社員が貧血を起こして倒れる。そこから、女性の課長や社員たちのゆるゆるとした中の切実な生活を垣間見せる。麻衣子も自分を棄てて他の女と結婚した男と、まだ連絡を取りあっているようなゆるい生活をしている。
散漫ではあるが、地下にあるオフィスという設定が非常によく効いており、下界と内界の往来という事態を巧く演出できている。日常の小さな幸せ感と、閉塞感という矛盾した現実を描いているように読める。まさしく小説は書きようであるな、と思わせる。面白い。(つづく)

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2007年3月 9日 (金)

伊藤桂一氏に三好達治賞

「三好達治賞」に伊藤桂一氏の詩集が選ばれる=大阪市

第1回目の三好達治賞は、清水哲男氏だったと思う。

「ある年の年頭の所感」は、あとがきによると、伊藤先生の8冊目、9年ぶりの詩集で、なくなった清岡卓行氏よりすすめられて居たが、なかなか出せなかったという。三好達治についても石原八束氏についての記述のなかにあり、縁がある。

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2007年3月 8日 (木)

「文芸中部」74号・作品紹介(2)

【「ゲンショと船乗りの末裔」濱中禧行】
昭二という老人の先祖は北前船の船主だったという。そこで、先祖の痕跡を訪ねる旅に出るが、そこで夢とも現実ともつかぬ、さまざま体験をし、良い思いもするらしい。いってみれば実現してはならない情愛「萌え」の世界の物語のようだ。いいところもあるものの、幻影でも実現してしまっているのが、余韻を短いものにしているような気がする。

【「闇の語部」蒲生一三】
歴史的な稗田阿礼の物語。ミクロ的な世界から語られるので、歴史的事実以外になにあるのか、わからず。苦手。以前に私はよく、「この作品でなにが問題なのか、先に提示して欲しい」というと「そういうことを言うのは文学がわかっていない」と反論されたものだ。でも、わからないと、なにも理解できないので仕方がない。

【「にわかに大雨ありき」藤澤美子】
危篤状態のまま入院している父親が息をひきとる瞬間を、別の場所で知る状態を描いたもの。短いが緊迫感とその微妙な意識がよく表現されている。キリストの最後の言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と父の末期のつぶやき「二二が四、・・・」が符合するようなところが、意味を深めている。あれもこれもと表現を欲張らず、短く絞りきったところが良いと思った。

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2007年3月 7日 (水)

「文芸中部」74号・作品紹介(1)

【「原発ジプシー異聞」吉村登】
まず、死者による独白であることが知らされ、その死に至った原因が原発清掃作業の仕事にあると思わせることから、読み手の好奇心をそそりながら、死に至る過程をのべていく。

原発の現場作業員という仕事が詳しく描かれているので、どこかで取材したのかも知れない。しかし、描写はリアルであるが、必ずしも事実に即したものと受け取る必要がないように描かれている。
つねに見えない危険や不安、病気や事故、犯罪に囲まれて生きている我々の生活と隣合わせの情況に通じる工夫がしてあるようで、それが、この作品を優れて文学的なものにしている。油絵で言えば、下塗りが死の色であり、そこに生の存在感をさまざまに上塗りするが、それによって下塗りの死の色はますます強く浮かび上がってくるようなものである。

具体的には、原発の作業員は、放射能被爆を恐れて、従事する人が少なく、結局それを専門にして生計を立てざるを得ない労働者の姿が描かれる。夫婦とよく素性のわからない若者、老人たちを描く。ちょっと横光利一の「機械」を思わせる雰囲気がある。しかし、それは紛れもなく現代の不安とあきらめのようなものが感じられ、まざに、現代人が考えることを避けている現実を、形にして見せているように読めた。

《近況報告》
文芸同志会では、印刷物の発行を停止しているのにもかかわらず、同人誌や書籍をいただいて、申し訳ない気がしてならない。いただいていいのかな?と思う。いただいたものは、必ず目を通しているが、忙しさにまぎれて、作品紹介していないのも多い。いちばん、これまで愛想がなくしているのが、豊田一郎氏の単行本で、大体完成度が高く、いまさら、なにか言うのも、変だという気がしたままになる。単行本の場合、北一郎という同志会員名で、難波田節子さんなどの本や、その他レビュー記事を投稿している。しかし、それも同じ作者に幾度もレビューをするのも変なので、やはり愛想なしになる。現在、読んでいるので手元に置いてあるのは、松本道介氏の「素朴なる疑問」(鳥影社)、類ちえこ氏の「壕の華」(のべる出版)、北原文雄氏「島で生きる」(教育出版センター)、森當氏「桃園雑記帳」(文芸社ビジアルアート)、同、「うたかたの記ー明治の村医者・脩平伝」、雑誌「農民文学」276号ーーなどである。このなかで、ビビッとくるのが幾つかあるので、いつかはここに記します。

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2007年3月 6日 (火)

明治時代=菊池寛「日本文学案内」必読の書(14)

  B 明治時代から現代まで
      序言 明治時代
 現代文学の基礎工事は結局明治大正時代の作家の努力に依って出来たのだと思う。大正時代の文学は随分眼に触れる機会が、明治時代になるともう読んでいる人が大分少くなってしまう。
紅葉の「金色夜叉」の名を知らぬものは先ずあるまいが、通読していない人もあるかも知れない。紅葉の金色夜叉を読んでいないとすると二葉亭四迷、幸田露伴、樋口一葉、泉鏡花(初期の作)、川上眉山、廣津柳浪となると、名前だけで作品は知らぬという人が出て来るだけだ。
ましてどんな位置にあって、啓蒙時代にどんな役割を演じたかとなると、もう明治文学の専門家や特殊な研究書に頼らなければ分るまい。外国の現代小説は読んでいても、つい我々の前時代の作家に就いては何も知らぬとあって心細い限りである。
西鶴のものは、並一通りの努力では読めないが、明治時代の文学は大体現代語であり、文語体でも字義が分らぬということは先ずない筈だ。紅葉の初期の作品には徳川時代の所謂戯作者的な口吻ナリ、態度なりが未だ残っているが、こんな戯作者的な態度を振り捨てて二葉亭四迷にしてもロシア文学を紹介し、自分も影響を受けて、写実文学の先駆をなした。
恐らくいい字引もなし、今の翻訳者や、外国文学の研究者達のように容易に原書も手に入らず、困難を嘗めたに異いない。而も文学者は物質的にも充分な報酬を得られなかった。斯うした啓蒙期に、労多くして功少い仕事を孜々として励んだのだから、現代文学の基礎工事が出来たのだ。現代文学を検討するには明治文学を読まなければならぬ所以である。

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2007年3月 4日 (日)

清涼飲料水ではなく清涼院流水だより

講談社BOX大河ノベル2007『パーフェクト・ワールド』刊行を記念し、1年間毎月サイン会――名づけて“どーも”ツアーで日本を縦断中の清涼院流水氏。
 2月に行われた大阪どーもは、1月の東京どーもを上回る熱気で、大盛況のうちに終了いたしました。はるばる大分から駆けつけてくれた男性の方もいれば、東 京からの新幹線が遅れたとかで、終了間際に「間に合わないかと思いました~!」 と涙目で滑り込んできた女性の方も。これまであまり東京以外でのサイン会の経験が無かった清涼院氏は大感激で、なんと、東京での開催を1回減らして新たに開催地を一つ追加することに!(※東京の皆さん、ゴメンなさい!)。べつに、「ウニが食べたい」とか「カニが呼んでる」とか、清涼院氏&どーもツアースタ
 ッフに変な下心があるわけではありませんのであしからず。……って口が滑りか けたところで、さっそく第3回目のサイン会のご案内です。次なる開催地は横浜!
 名づけて“横浜どーも”であります。港のヨーコようこそ横浜!

■清涼院流水さん大河ノベル『パーフェクト・ワールド3』刊行記念サイン会

  3月17日(土)14:00~ 有隣堂横浜駅西口コミック王国
          横浜市西区南幸町1丁目4番B1F
                 TEL:045-311-6265  

 *整理券が必要です
 *詳細は書店にお問い合わせ下さい (講談社メールマガジンより)

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2007年3月 3日 (土)

西尾維新の近況


こんにちは、西尾維新です。
 『新本格魔法少女りすか』の三巻が今月の下旬にいよいよ発売ということで、ご
 挨拶にうかがいました。
 りすかとツナギ、それに創貴の冒険も佳境に突入。前巻から結構な間があいてし
 まい、あの三人は迷子にでもなったのかと評判でしたが、ちゃんと福岡県に到着
 しておりました。
 三巻には第七話『鍵となる存在!!』、第八話『部外者以外立入禁止!!』、第
 九話『夢では会わない!!』の三話を収録。西村キヌ先生の描き下ろしイラスト
 満載でお届けします。
 ……しかし最近、西尾維新の小説はとにかく出ますね。そのたび自分の書いた小
 説の宣伝が上手くなっていくようで、複雑です……そうそう、4月発売予定のリ
 ニューアルメフィストに『零崎曲識の人間人間』が掲載されますのでそちらもよ 
 ろしく! では、これから『不気味で素朴な囲われた世界』の執筆に取りかかり 
 ますので、この辺で……

                       <西尾維新>(講談社メールマガジンより9

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2007年3月 1日 (木)

十返舎一九=菊池寛「日本文学案内」必読の書(13)

      十二、一 九、三 馬
 十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」は当時既に評判で第八篇まで書いて東海道中を終ったが、まだ評判が高いので、金比羅道中、宮島見物、木曾道中、上州草津温泉街道等と続けて、二十一年目に全部完成した。江戸神田八丁堀の栃面屋弥次郎衛と旅役者の成れの果ての喜多八と東海道五十三次を下る滑稽な道中記で、今でいうユーモア文学の開祖かも知れぬ。格別思想もな
く、学識もなく、唯滑稽諧謔が続出して、思わず噴出してしまうが、筆致は婉転自在自由明朗愛すべき小説だと思う。
 式亭三馬は本屋の小僧をし、本屋の婿となり、後に古本屋を開いた。小僧時代に随分本を読んで、知識を得たので戯作を始めたと言われている。
「浮世風呂」「浮世床」が有名である。「浮世風呂」は男風呂と女風呂の二つに分れ、風呂場で露骨な会話を交わしながら、巧みに世相を現わして居る。
「浮世床」は床屋の会話で、これまた世間の実相を捕えている。銭湯や髪床の四方山話は今でもたわいないものだが、案外社会の裏面、人間の真相を捕えている会話が聞けるものだ。

 以上明治以前つまり近世までの作品を列挙した。その数は甚だ少いが、挙げて行けば限りがない。然し各時代の相当の代表作であるから、これだけ先ず読んで置けば、その他読むものは自分で見当が付くと思う。
 これを挙げて、何故これを挙げぬかと。反対される向きがあるかも知れない。然し自分は日本の古典作品に対して文学史家としての論評を試みているのではない。大体現代人として誰でも知っていなければならぬ書物、読んで置かなければならぬ作品を挙げたのである。自国の古典に就いて何も知らぬとあっては国民の恥辱である。かと言って日本の過去の作物は時代時代によって言葉まで非常に異って来るので、読むのに骨が折れる。字義の穿鑿に拘泥したり、異本漁りに浮身を窶すのは、史家の陥り易い弊である。もっと文学を味読し、そこに我々の祖先の考え方、見方、感じ方を素直に受け取って欲しいものだと思う。

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